レバノンYMCA報告   
   
熊切@関東地区シニアです。

レバノンYMCAの報告を数回に分けて行いたいと思います。


###レバノンYMCA報告(1)

1.はじめに

 レバノンYMCAへの訪問は8月23日から27日までの5日間にわたり、主要な活動を見学することができました。

 一個人としての訪問でしたが、あたたかく受け入れていただきました。到着初日にジョー・アワドさん(副主事?)は、オフィスを歩き回って滞在中の全てのアレンジを即座に済ませてくれました。各地への出張に同行させてくれたスタッフは、親切に僕を案内し、さまざまな質問に答えてくれました。
レバノンYMCAのスタッフの全ての方々に、心から感謝したいと思います。

2.レバノンYMCAについて

 レバノンYMCAは55名のスタッフと、数名のパートタイム・スタッフで構成されています。ベイルート市街にあるビルのワン・フロアの全てがオフィスとなっています。

 レバノンYMCAの活動の基本的な方向は、長い内戦によって決定づけられています。すなわち、社会の復興のための活動が中心であり、他の国のYMCAにしばしば見られるような、リクリエーション的な施設・活動は存在しません。
また、同様な理由から、ユース・プログラムやキャンプは二次的なものであり、学Yのような青年グループはないようです。こうした活動形態は、アワドさんによれば「世界中のどこのYMCAとも違う」ものだそうです。

 レバノン内戦というと都市部、とりわけベイルートでの激戦が際だった印象を与えますが、内戦の原因そのものは地方における、さまざまな宗教的・政治的共同体の間での歴史的分裂・対立にも求められます。また、現在ベイルートの中心部ではめざましい復興活動が行われていますが、農村部ではいまだに基本的生活設備は整わず、教育・医療施設は不足し、適切な農耕技術が普及していません。
こうした農村共同体における断絶、そして再び生み出されつつある都市部と農村部の経済的格差は、おそらく次の内戦への重要な要因のひとつとなりうるものです。レバノンYMCAの関心は農村部に向けられていますが、それはこうした状況とは無縁のものではありません。

 レバノンYMCAの活動の中心となるプロジェクトは、総合農村開発プログラム(Integrated Rural Development Program)と医療プロジェクト(Medical Project)の2つで、いずれもベイルート以外の地域を対象としています。

3.総合農村開発プログラム

 総合農村開発プログラム(Integrated Rural DevelopmentProgram)について、レバノンYMCAは次のように紹介しています(1998年度の活動報告より)。

「総合農村開発プログラムでは、農村の開発のために総合的なアプローチが採用されている。「総合」という言葉は、このプログラムの持つ多面性によるものだ。
第一に、この言葉はプログラムの活動の範囲を表している。活力を取り戻した共同体には、社会および経済に関するあらゆる主要部門における復興と発展が必要である。そのため、農耕、公共活動、健康、教育、市民参加、環境の諸部門での問題が同時に取り扱われる。
第2に、「総合」という言葉によって、物質的基礎構造の開発と人間の能力の開発という2つの並び立つ対象が示されている。共同体運営の訓練、そして社会に対する意識を変えることを目指す十分な実践と自発性は、社会の土台を作り上げていくあらゆる力を補うものである。
最後に、このプログラムでは、全ての共同体メンバーを、その人たちの農村共同体を開発する際に巻き込んで行くことが必要とされている。そのようなわけで、このプログラムの活動のねらいは、次の3つのグループ、すなわち共同体リーダー(職業的なリーダーとそれ以外のリーダー)、女性、若者の参加を引き起こすことにある。」

 このプロジェクトはレバノン国内の6カ所において行われており、そうしたプロジェクト・エリアは、クラスターと呼ばれています。これは各クラスターが4〜5の農村によって構成されていることによります。クラスターは、北レバノン、ベカー地方にそれぞれ2つ、ナバティア地方、南レバノンにそれぞれ1つあり、レバノンのほとんどの地域に置かれていることになります。各クラスターには、現地のエリア・コーディネーターがいて、YMCAとプロジェクト・エリアをつなぐ役割を果たしています。このエリア・コーディネーターは現地のNGOや公共施設で指導的な地位にある人がなっているとのことでした。

 地域にある人材なり施設を通じて、レバノンYMCAがベイルートからスタッフや資材を送って活動を遂行していく、このようなやり方は後に述べる医療プロジェクトでも同様です。ここに、ベイルートに位置するこのYMCAが、「ベイルートYMCA」ではなく「レバノンYMCA」と名乗りうる所以があるようです。そして、おそらくレバノン国土の規模(たいていの所は車で日帰りで行ける)からいって、これがもっとも適したやり方なのでしょう。

 僕が、イサムさんとガダさんの2人のスタッフとともに訪れたのは、北レバノンにあるアッカール地方の山地でした。ベイルートから海岸沿いに北に進み、北レバノンの大都市トリポリで北西に方向を転じ、山岳地方に入っていきます。レバノンは、一般に海側に大きな都市があり、その西側の山々やその間に広がる平地には農村があるものと考えて過ちません。レバノンでの、ほとんど唯一の交通手段である車に満ちた騒がしい都市を離れ、低い草木がまだらに山肌を覆い、白い小さな建物が谷や山の斜面で塊をなす風景を見ながら、村のあるところまで登っていきます。

 2人のスタッフの仕事は、この村を含むクラスターでの活動の進行状況と問題点を確認することです。その1人のイサムさんは、このプロジェクトの責任者です。55歳になる彼は、「Save The Children Project」という活動にも25年のあいだ関わっていたとのことでした。
僕がアラビア語の勉強をしていることを知る彼は、アッカールに向かう道中、親切にもいろいろな言葉を教えてくれました。ガダさんはこのプロジェクトのスタッフの1人で、年齢はイサムさんよりずっと若く20代半ばと思われます。彼女は非常にきまじめな方で、プロジェクトの内容について僕がしっかり把握するまで、一生懸命説明してくれました。経験豊かなイサムさんの余裕と、若いガダさんの頑張り振りの対比が印象的でした。

 村といっても、コンクリートの白い建物ばかりなので、日本の農村を見慣れた目には、小さな町のように映ります。村は山の斜面にあり、家と家はジグザグに山を這う坂によってつなぎ合わされています。プロジェクトの農園があるのは、石造りの教会の隣でした。階段状になった農地からは山々のなだらかな連なりが見渡せます。この農園で、村の農民たちは実地に農業技術を学ぶのです。ここでは、ピーマンやトウモロコシ、トマトなどの栽培が行われているほか、この土地に適した新しい灌漑方法が施されています。

 水の有効な利用は、この地方の農業にとって非常に重要な問題です。実際、このプロジェクトの多くの活動が、灌漑に関するものでした。いくつかの貯水池、そしてそれと村を結ぶ水路がすでに完成しており、そのうち、2キロにも及ぶ水路とそれに付随する道路を見ることができました。こうした施設の建設は、主に現地の農民の手によって為されます。貯水池のもたらす利益は、村と村、共同体と共同体にまたがるものであり、農民どうしの協力作業が不可欠です。
そして、この協力関係の育成こそ、総合農村開発プログラムの目指すもののひとつでもあります。しかし、異なる共同体どうしををつなぐのは一筋縄ではいかない作業です(この実例は、医療プロジェクトの報告の際に示すことができるでしょう)。
レバノンの農村部では、宗教キリスト教・イスラム教の各宗派やドルーズ教(イスラム教から派生した宗教)が独自の共同体を形成し、互いに歴史的・政治的に複雑な関係にあります。これらのグループがともに働くためには、事情に通じた現地の人が交渉に当たる必要があります。この仕事を受け持つのが、エリア・コーディネーターです。アッカールのエリア・コーディネーターは、村の公立高校の校長が務めていました。

 灌漑施設の建設に際しては、エリア・コーディネーターは、対象となる土地に関する情報や、その利益に預かる農民の数などを把握し、YMCAのスタッフに伝えます。レバノンYMCAは費用・人件費・材料費等の70%を支払い(このプロジェクトはアメリカとカナダのYMCAの援助によって行われています)、残りの30%は、現地の農民の労働力で賄われます。

 このほか、この地域では小学校建設のための資金援助、若者のための公共遊技場の建設が行われました。後者は村々の若者が力を合わせて、草地を切り開いたものです。また、化学的廃棄物をバクテリアによって肥料に変えるというリサイクル・センターの建設計画が進行中です。

 この訪問は、レバノン到着の2日目に行われました。あちこちの農園でクルミやメロン、イチジクを食べながら、また乾いた土地柄のため土埃にまみれながら、初めての農村地域を車で走り回りました。貯水池の建設場で作業をする農民の人たちを見たとき、不意にワーク・キャンプのアイディアが浮かび、思わず興奮したりもしました。

(続く)

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熊切 拓 (Kumakiri Taku)

 

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このページの作成者:竹佐古真希(東北地区共働スタッフ)
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