1999年 スレッシュさんによる 
アンブマナイ・ボーイズホームの歴史、
活動、学Yキャンプについての評価レポート
 


 みなさん、こんにちは。
 1999年3月にインドからアンブマナイ・ボーイズホームのスレッシュさんをお招きして、学生YMCAインド・スタディキャンプの評価会&なんぼく問題出会い塾を行ったことは、まだ皆さんご記憶に新しいでしょうか?

その折に、スレッシュさんから、アンブマナイ・ボーイズホームの歴史、活動、そして学Yキャンプについての評価がレポートとして提出されました。

スレッシュさんの素朴、誠実な人柄と共に、その名文は、学生部委員始め、多くの人の胸を打ちました。(本当に感動的なんです!)

このたび、活水女子大学YWCAシニアの福田奈里子さんのご協力により、日本語に翻訳してご紹介ができることになりました。福田さん、本当にありがとう!!
読みやすく、かつ的確な表現で、またまた感動しています。

日本語版による本邦初公開です。それぞれの大学や寮でコピーして、読んで頂ければ嬉しいです。

ゆりあんぬ

              
             
               スレッシュさんと拓さん

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アンブマナイボーイズホーム − 学生YMCA 
ワークキャンプ プログラム 評価レポート

アンブマナイボーイズホームの子どもたちとスタッフからみなさんに、心をこめてご挨拶申し上げます。私は、アンブマナイの副代表、ジョージ スレッシュ ラジャナヤガムと申します。どうぞよろしくお願いします。
この度、日本YMCA同盟のお招きによって、過去8回にわたって行われた学生YMCAインドワークキャンプの評価会に出席できましたことを光栄に思います。
今回のこの訪問が、日本YMCA同盟及び協力部(学生YMCA)とアンブマナイボーイズホームのつながりをさらに強くし、今後もワークキャンプやインドの貧しい人々のための福祉活動を行なってゆけるよう、願っています。

ここで、簡単にアンブマナイボーイズホームの歴史をお話ししたいと思います。

◆歴 史
インドの孤児と極貧の家庭にある子どもたちのNew Life Center を始めることは、Mr. RRN George の長年の夢でした。ジョージ氏は、私財の一部を売り払ってカニャクマリ区マンタラムプトール村にある丘の麓近くに、1.5 エーカーの土地を購入しました。この丘の名前はマルスバルマライ ――「薬草の丘」という意味で、ヒンズー教徒にとっては神聖な場所です。今でも幾人かのSadhus(ヒンズー教の僧)や賢者たちが丘にある寺院や洞窟の中で生活しています。
ジョージ氏が購入した土地は乾燥し、全く手付かずの状態でした。その地域というのは、貧しいハリジャン、イスラム教徒、ヒンズー教徒たちが入り交じってできた村でした。そこにはおよそ15軒のクリスチャンの家族と小さな教会が1軒しかありませんでした。私たちはまず、共同の井戸を掘ってその土地を切り開くことから始めました。
そして神様はそこに豊かな水をお与えになってその土地を祝福してくださったのです。水を手に入れてからすぐに、私たちはさらなる開拓を始めました。体系だった耕作を始めたのです。ココナツや果物の木が植えられ、菜園も始められました。
私たちの数少ない資源を利用して、ココナツの葉っぱでふいた屋根の小屋を建て、ボーイズホームを始める準備が整いました。

1980年、ジョージ氏は10人の少年たちを引き取り、自費でボーイズホームを始めました。YMCA農村事業の主事であったジョージ氏は開発機関とも非常によい関係を築いてきていました。そこで、彼はアンブマナイの入所者のために、Patengemeinschaftというドイツの福祉事業団体から寄付を受けることができました。
アドルフ クライン氏という、ハンブルグに近い小さな村出身の元郵便配達人だったその男性が、この団体の創設者です。クライン氏は第二次世界大戦中に腕を一本なくしましたが、神様はこのごくふつうの一人の人をもって、インドにいるたくさんの子どもたちに食べ物を与え世話をするという素晴らしいクリスチャンサービスのために用いられたのです。現在約45人の子どもたちがこのPatengemeinschaftから援助を受けながらアンブマナイで生活しています。

"アンブマナイ"とは、「愛の家」という意味です。愛はクリスチャンサービスの基本であり、子どもたちの中には食べ物だけでなくもっと重要なことには、「愛」に飢えている子どもたちがいるのです。アンブマナイでは子どもたちのほとんどが孤児であったり、片親を亡くしていたり、極貧家庭に生活しています。そこでアンブマナイでは大きく次のような目的を掲げています。

1.ホームに住む子どもたちに、愛、食べ物、住まい、教育そしてガイダンスを与える。
2.少年たちが、自分自身の力で生活してゆく準備として耕作、園芸などのよりよい方法論を学ぶ機会を提供する。
3.織物、養蜂、養鶏、ヤギの飼育、搾乳などの収入向上のためのスキルを身につける。
4.将来のために、自動車修理業、機械技師、大工職、洋服の仕立業、タイプライティング等の職業訓練を行う。
5.周辺の村々での農村開発の一環として、植林、水の共有、ヘルスケアー、栄養摂取、教育、教育映画の上映などのプログラムを行う。

以上の目的を心に留めながら、様々な活動がアンブマナイで行われています。

◆活 動
宗教: ホームでは朝と夕のお祈りが日課となっています。子どもたちは日曜学校にも出席しています。私たちは、地元教会の壁の整備や修復のために4000ルピーを集め、教会に献金をしました。アンブマナイにいるイスラム教やヒンズー教の子どもたちもまたそれぞれの信仰にもとづいたお祈りをしています。

教育: すべての少年たちは公立学校に通学しています。勉強についていけない子どもたちには特別の授業がアレンジされています。何人かの子どもたちは学力が平均以下で、そうした子どもたちのためには、洋服の仕立てや自動車修理などの訓練を行っています。

農業&園芸: ホームの周りには約4.5エーカーの敷地があり、そのすべてがきれいに耕されています。土は粘土質で私たちはそこに、たくさんの葉っぱや肥料を施し、耕作に適した土を作りました。現在、ココナツ、マンゴー、パパイヤなど約100本の果樹、そして広大な花畑と菜園があります。少年たちは4つのグループに分かれ、それぞれに菜園用の畑が与えられています。子どもたちは、レディースフィンガー、唐辛子、豆、トマト、ブリンジャル、キュウリ、ひょうたん、トウモロコシ、などを栽培しています。ホームで必要な野菜の半分が私たちの菜園でとれています。
また、薬草なども栽培しており、ちょっとした病気の時などに使っています。
  
実行しつつ学ぶ: たとえ少年たちが高校を卒業したとしても、彼らが仕事に就けるかどうかはわかりません。従って私たちは、自営業プロジェクトを重視しています。蜂、牛、ヤギ、鳥など少年たちが部分的に飼育技術を学べるようにしてあります。この経験は、彼らに万が一職が見つからなかったとしても自分でこの事業を始めるときにきっと役に立つことでしょう。

スポーツ & ゲーム: 子どもたちは体操や宿題などを終えてから、それぞれのワークを始めます。アンブマナイには、たくさんの試合で優勝したことのある優秀なクリケットのチームがあります。子どもたちの中にはスポーツの試合などで学校の代表に選ばれる子もいます。栄養のある食事、ワーク、運動が少年たちを健康的に保っているのです。

文化活動: 少年たちは音楽やダンス、歌などを習います。フォークダンスには、特別の先生が付いてくださっています。クイズ大会、映画の上映会など様々な楽しい催し物をホームで開いており、地元の村人たちも参加しています。

地域活動: ホーム周辺の地域では、クリスチャン、ノンクリスチャンに関係なくみんなホームでの様々なプログラムにとても関心を持っています。乾期になると、ヒンズー教、イスラム教、クリスチャンの村人たちが、朝の水浴びのために、ホームにやってきます。ホームの畑でとれた野菜の種や苗木は村の人々に分け与えられます。農業や健康、家庭環境に関する映画の上映を、地域の人々に向けて上映しています。日本の学生YMCAの協力で、ハリジャンの貧しい人々のためにホームを建設しました。私たちと地域の村は非常に良い関係を築いています。多くの家庭が私たちのセンターによってはげまされ、自分たちの力で家庭菜園を作り野菜を栽培しはじめました。

ワークキャンプのはじまり: 1990年、私がアジア学院の院長である高見敏宏先生のお力添えで、そこの研修生をしていた頃、日本YMCA同盟のスタッフである後藤氏と斉藤氏に出会うきっかけが与えられました。そこでの話し合いの中で、アンブマナイボーイズホームと一緒にワークキャンププログラムを始めることが決められました。

                 
                  2000年1月 YMCA同盟農村青年塾の高見先生



第一回目は2人のワークキャンパーを迎え彼らは1ヶ月間ホームに滞在しました。それから後もプログラムは続けられ、今年はすでに8回目を数えました。すべてのワークキャンプが成功を収めています。日本の学生もアンブマナイボーイズホームの子どもたちも、そして、村の人たちもがこのワークキャンプを通して、非常に多く のものを与えられ、それは実り多く、忘れがたい経験となっています。

このワークキャンプの大きな目的は、二つの全く異なる国の人々の生活を経験する、ということです。私は、日本のキャンパーのみなさんがインドでの生活を受け入れ、適応してくれたことに高い評価をお与えしたいと思います。その生活は日本のそれとは異なっていることでしょう。インドの生活は、特に貧しい人々の生活は本当 に厳しいものです。しかし私たちの迎えたキャンパーたちは、見事にホームステイの中で、人々とともに食し、眠り、生活をともにしましたし、その経験をもって、私たち草の根の人々の生活とその中で抱える問題について学んでいってくれました。

           
              過去にインドへ行ったキャンパーたち
  
もしかするとこのような経験はみなさんの人生の中で味わったことのないものだったかもしれません。
私たちの国の父であるマハトマ ガンジーはこのように言っています。「インドはその村の中に生きている。」つまり、インドについて知りたければ、村に行きなさい、 ということです。
彼はまたこのようにも言っています。「村人は、インドのバックボーンだ」と。これは村の発展こそが、真のインドの発展であるということです。

そこで私たちは、キャンパーのみなさんをいろいろな村へ連れて行き、村について、 そこの活動やその人々の文化風習そして伝統を学んでもらいました。それから、キャンパーのみなさんに貧しい農村家庭でのホームステイをアレンジしました。
また、私たちは、たくさんの公共団体やNGOを訪問し、村や町で貧しい人々の生活 向上のためにどのような活動を行っているのかを学びました。

それらの団体は、以下の通りです。
1.Shanthi Bhavan (マザー テレサ プロジェクト)
2.Shanthi Nilayam (精神遅滞児童の学校)
3.Nambikkai Foundation (成人聾唖者トレーニングセンター)
4.Narthandam YMCA (社会事業団体)
5.Mantharamputhoor, Nallankulam CSI Church (キリスト教教会活動)
6.Sivanantha Ashram (孤児、老人ホーム)
7.Zionpuram YMCA (社会活動)
8.St.Boniface Anbaham (子どもの村、ヘルスケアー、トレーニングセンター、 孤児や貧窮家庭児童のための農村活動)
9.聾学校
10.公立農園
11.公立学校
12.小規模工場

キャンパーたちはこれらの団体の活動を注意深く見学し、とても感銘を受けたようでした。そして彼ら・彼女らは寄付をもってその寛大さを示してくれました。
キャンパーたちは自営業プロジェクトや、家内工業、女性のための福祉プログラム、 煉瓦工場、採石場、漁網工場、デイケアーセンターを訪問し、そこの労働者やスタッフたちと、仕事のことや、抱えている問題についてディスカッションを行いました。

農村だけでなく、私たちはキャンパーを都市部にも案内し、人口増加、工業化、公害、環境破壊、スラムや都市部にすむ人々のライフスタイル(その多くは、自己中心的で、他者を省みないといったものです。)等の問題について学びました。
スラムでは、小さな子どもたちが様々な産業の中でどんな犠牲を払っており、児童労働としてどれだけ搾取されているかという気づきを与えられました。

日曜日にはメンバーたちは教会の礼拝に出席しました。また私たちはキャンパーたちをヒンズー教やイスラム教の寺院に案内しました。みんなヒンズーのお祭りにはとても楽しそうに参加し、時には象に乗せてもらったりしました。それからヒンズー教、キリスト教、イスラム教式の結婚式にも招待し、それぞれの習慣やインドの伝統について知ってもらいました。

わたしは本当に、みなさんの熱心な関わり方、インドについてもっと知ろうとする姿勢――歌を歌い、人々を励まし、決してホームシックになどならなかったことに心から感謝の意を表したいと思っています。忙しいスケジュールの中、何日かを南インドの主要な遺跡などを観光に当てました。

これらすべてのプログラムはさておき、みなさんは、アンブマナイが一番落ち着くと感じたようです。ほとんどの人が、アンブマナイの子どもたちと一緒にいることを好みました。お互いに日本語とタミル語やそれらの歌を学び、自分たちの文化について教えあい、それぞれの国、気候や生活についてについて学びあったりしました。

キャンパーも子どもたちも、一緒に祈り、遊び、食事をし、眠ること、そして一緒に作業をすることが大好きでした。子どもたちはクリケットの仕方を教え、日本のゲームも習いました。みんなお互いに忘れられない経験を通して素晴らしい時間を過ごしました。キャンパーたちはインド料理をとても気に入ってくれましたし、時には日本料理や韓国料理を作って子どもたちに食べさせてくれました。すぐに彼・彼女らはただの訪問者ではなく、私たちアンブマナイの家族になりました。子どもたちはキャンパーにそれぞれニックネームをつけてその名前を愛情を込めて呼んでいました。

子どもたちはみんなを自分の村に連れて行き、1日、2日その小さなココナツの葉っぱでできた家に滞在しました。アンブマナイの子どもたちはキャンパーからたくさんのことを学びました。はじめ子どもたちはある種の劣等感を持っていました。自分たちは肌が黒く、白い人たちの方がより優れている、と思っていたからです。しかし、お互いに交じり合いながら、 彼らはあることを発見しました。――カーストや信仰、肌の色や国籍から離れて自分たちをひとつにするものがある、と。そして、彼らをひとつにするもの、それは愛であることに気づいたのです。その信仰は、このキャンプを通してこそ小さな子どもたちの心の中に体験として植え付けられたのです。

ワークキャンプの最後は、私たちにとって感情を慰め、コントロールするのがとてもつらい時間です。別れの時、みんなは抱き合って涙を流しました。時間と距離が私たちの間を分けようとも、アンブマナイの少年たちと日本の学生たちのこの素晴らしい体験は永遠に続くでしょう。

私たちの国で学生キャンパーたちがこのような素晴らしい経験をする事を支援してくださった団体、教会に、アンブマナイを代表して感謝いたします。

寄 付: ワークキャンパーたちは、単なる訪問者ではありません。彼ら・彼女らの滞在期間中、みなさんは周辺のコミュニティーに、記念を残していってくれました。

第1回は、高速道路とアンブマナイの間を流れる川に橋を建設するにあたって、24,000ルピーを寄付してくださいました。橋の建設には65,000ルピーが費用としてかかり、その残りは私たちで負担しました。この橋の建設は、私たちにとって長年の夢であり、その夢が、日本の学生たちを通して実現したのです。この橋は今、アンブマナイと日本のYMCAの固い絆のシンボルとして誇り高く掛けられています。

2回目は、洪水によって住んでいた小屋をなくした貧しいハリジャンの家族のために家を建ててくれました。キャンパーたちは26,500ルピーをこの建築のために寄付し、実際その作業にも力を貸してくれくれました。トリネルベリ区ナランクラムの教会建設にあたっても、25,000ルピーを寄付してくださいました。

また、アンブマナイボーイズホームのプログラムに対し50,000ルピー、マンタラムプトー教会の鐘桜の建設のために約15,000ルピーの寄付をいただきました。キャンパーたちは村の共同井戸の壁を作ったり、清掃も手伝ってくれました。

聖書のマタイによる福音書25章38−40にはこう書いてあります。「はっきり言っておく。私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」そしてこの教えに従って、ワークキャンパーたちはそれを、助けを必要とするインドの同胞に対して行ったのです。聖書的に言えば、キャンパーたちはこれを神様に対して行ったのであり、神様はこの人々を非常に祝福して下さっていることでしょう。

現在私たちの地域では、キャンパーたちが地域活動へ参加し、そこにいる人々に大きな手助けをしてくださったことを通して、ほとんどの人たちが日本の学生YMCAワークキャンプのことを知っています。人々は、このワークキャンパーたちが学生であり、決して裕福ではないにもかかわらず、インドの同胞たちのために精一杯の力を貸してくれていることも知っています。そして、このことが村の人々に気づきを与えるのです。今ではワークキャンパーの行く先々で人々は心のこもった歓迎をし、キャンパーたちのことを決して忘れることはありません。

このプログラムは、キャンパーたち、アンブマナイの子どもたち両者に新しい価値観とビジョンを与えるものであり、今後も、共に助け合って生きる社会の実現を目指して参加者たちの中でのよりよい理解と社会変革、そして自己変革を持つためのこのようなプログラムを継続してゆくことは我々の義務であると思っています。

最後にマタイによる福音書5:14から引用したいと思います。「あなたがたは世の光である。」どうすればそのようになれるのでしょうか。そうです、私たちの行いによって可能になります。暗闇の中でたいまつの光が道を示してくれるように、私たちもまた助けが必要な貧しい人々に、我々の良い行いを通して道を示すことができます。

一本のろうそくが他のたくさんのろうそくに灯をともし、やがて暗闇は変わるでしょう。日本の学生YMCAの若いキャンパーたちがその活動を通して、ろうそくに炎をともし始め、やがてそれがインドにある何千本ものろうそくにも灯をともしてゆくことを願っています。そして、そのろうそくたちは、学生YMCAのメンバーの名前をいつも心に覚えているのです。

George Suresh Rajanayagam
Anbumanai Boy's Home
NANTTHARAMPUTHOOR

(訳 福田 奈里子)

 

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このページの作成者:竹佐古真希(東北地区共働スタッフ)
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