鳥獣保護法「改正」審議始まる。
昨年から持ち上がっていた「鳥獣保護及び狩猟法の改正」案が参議院国土環境委員会で審議されています。
1998年12月14日、鳥獣保護法「改正」に向けて、環境庁の「保護管理小委員会」(自然環境保全審議会野生生物部会野生鳥獣保護管理方策小委員会)の報告書がだされました。報告書は、シカやサルなどによる被害についてふれ、「有害鳥獣駆除という対症療法だけでは対処しきれないので、シカなどの「特定鳥獣」個体群については、各都道府県が保護管理計画を作り、個体数管理などをするべきである」旨述べています。今回の改正案は、この報告書を元に作成されました。
「保護管理計画」のモデル:道東のエゾシカの例
「保護管理計画」なるもののモデルとされているのが、北海道で1998年から実施されている「道東地域エゾシカ保護管理計画」です。北海道では、ここ数年間毎年4万頭から5万頭ものシカを殺していますが、それでも農業被害は上昇する一方だとされ、昨年(1997年)の被害額は、46億円になるといはれています。「計画」では、推定12万頭いるとされるエゾシカを数年の間に3万頭にまで減らすことを目標としています。
北海道がアイヌ民族から取り上げられてから、森林伐採やエゾシカ乱獲などが続き、一時はシカの絶滅も危惧されるほどでした。ところが、1960年代の高度成長時期に、広大な面積が牧場とされてから、それまでは目立たなかったシカが次第に草地の周辺で増えたようです。その上、今でも、山林の伐採と針葉樹一色の植林が進み、シカたちの生息地が乱されています。シカによる「被害」の原因を作っているのは人間ですが、そのことについて道東の「計画書」には一切ふれられていません。野生生物たちの生息地を奪い、追われた生物たちの前に、牧草や農作物の海を見せ、「被害」を起こすものを殺す。これが、私たち人間がしていることです。殺されたシカの死体の多くの部分はうち捨てられ、屍肉に混ざった鉛弾丸の破片を食べるオジロワシやオオワシが、鉛毒の影響で死んでいます。道自然環境保全審議会の委員によれば、このままの状況が続けば、数年のうちに極東のオジロワシが絶滅する恐れがあるということです(朝日新聞 1998・7・28)。また、殺したシカの内蔵などをまいてクマをおびきよせ、撃ち殺しているハンターもいます。鉛毒入りの「餌」が大量に撒かれているのと同じ事です。
このような重大問題が起こっても、「計画」は中止も見直しもされず、この秋からの狩猟期には、本州から来る大勢のハンターたちが、平然と鉛弾丸を使っています。そればかりか、このようなシカの大量殺戮計画の根拠ともされる農業被害額の算定がいい加減なものであったことも明らかになりました。12月11日、北海道管区行政監察局は被害額算定に不適正な事例があることを具体的にし、算定方式の改善を求める通知を道に提出しました(北海道新聞 1998・12・12)。
毎年数百万羽の鳥類、数十万頭の獣類が殺されている
全国的にも、高度成長時代に、600万ヘクタールという広大な面積の山林が伐採されて杉、檜の植林がされました。シカやサルたちの生息地は乱され、それに追い打ちをかけるようにリゾート開発、林道建設などが続きました。日本の野生生物は危機にさらされています。そのうえ、狩猟と「有害鳥獣駆除」で、毎年数百万羽の鳥類、数十万頭の獣類が殺されています。絶滅の危機にあるクマも、年間に生まれる小熊の頭数を超える、1500から2000頭が殺されています(BBC Wildlife 1998/7)。また、内分泌攪乱化学物質(環境ホルモン)などによる影響で、生物の抵抗力、繁殖力が脅かされています。日本の野生生物は危機に瀕しています。絶滅危惧種も大幅に増えていて、1998年6月12日、環境庁発表によれば、哺乳類47種、鳥類90種の生存が危ぶまれています(朝日大阪 1998・6・13)。
「有害鳥獣駆除」制度で殺すことは、それ以外の防除策が尽くされ、ほかに方法がないときに限るということになっています。ところが、実際には被害報告に嘘があっても罰則はなく、「駆除」の名目で密猟行為がまかり通っているありさまです。今回の法「改正」では、このような法の「抜け穴」について、具体的に問題にされることもないばかりか、かえって、この様な脱法行為、違法行為を合法化するために、法のほうを変えて、被害実態に無関係に「特定鳥獣」の「個体数管理」=駆除ができるようにしようとしているといえます。
「科学的計画的保護管理」:科学は万能ではありません
「保護管理小委員会」の報告書によれば、野生生物の保護管理の目標は、生息数等を「望ましい状態に維持・誘導する」ことだそうです。そして、「野生鳥獣の種及び個体群の安定的な維持を図りつつ、野生鳥獣に関する多様な社会的要請に応えるためには、欧米において定着している、目標の明示、合意形成及び科学性をキーワードとしたワイルドライフ・マネージメントに相当する野生鳥獣の「科学的・計画的な保護管理」を、我が国においても推進する必要がある」としています。
科学は万能ではありません。「保護管理小委員会」のメンバーのなかにも、「野生生物の生息数など、正確にわかるはずがない。それでも、国土の狭い日本の国情を考えれば、保護管理を試行錯誤的にやっていくしかない。」といはれているかたがいます。ここでいはれる「保護管理」とは、間引くことです。生息数判断さえいい加減、まして、群のなかの個体それぞれの性格や役割、生息地を形作る植生、水系、微生物、昆虫、獣類、鳥類などなどが織りなす微妙で壮大な有機体については、コンピュウターにも数式にものせることは無理です。そして、実際に殺しの仕事をするハンターたちの関心は遊びのために、「格好の良い」獲物をとることにあるわけです。仮に行政直属の「保護管理官」ができて、生物を間引くことになっても、彼らは野生生物の命をとって自分たちの命につなぐために仕事をするのではなく、机の上の計算によって『よけい者』とされた生物たちを殺すわけです。自然界に『よけい者』はありません。あらゆるものには、存在する意味があります。人間の浅知恵によって「試行錯誤的」に『よけい者』を殺し、それを法によって正当化したら、取り返しのつかないことになりかねません。
欧米では、人間中心主義の歴史が長く、開発や進歩にとって邪魔者とされて殺され、絶滅させられた生物種の数も大変なものです。それに伴って自然破壊も進み、表土流出、水系汚染、砂漠化などが人間生活をも脅かすまでになり、自然保全の考え方も制度的に取り入れられるようになってきています。欧米でワイルドライフ・マネージメントという場合、生態系を脅かすような人間活動の厳しい規制、野生生物、なかでも絶滅危惧種が生息する地域における開発行為や、農業牧畜行為の禁止・制限が制度化され、野生生物については、最大限自然にまかせるべきであるとの考え方も強くなってきています。ところが、今回の法「改正」でいはれる「保護管理」には、野生生物の生息域とその周辺における人間活動の管理・規制についての、これまでの反省に立つ具体的な考えが見られません。
また、「合意形成」について、欧米では事業計画そのものの是非を問う意見のやりとりがありますが、日本の場合、公聴会などは事業計画の実施を前提とした、「意見を聞き置く」だけの儀式でしかありません。
虐殺を招く権限地方委譲
これまでも、「有害駆除」についての権限は地方(都道府県・市町村)に多くが委譲され、そのたびに、特にサルなどが殺される数が急上昇しました。ニホンザルは、国際的にも絶滅危惧種に指定されていますが、ここ数年毎年殺される数がふえ、今年は、1万頭にもなるといはれます。同一のサルの群が、複数の県境に出没することがあり、駆除目標数も県毎にだされるので、殺される数も多くなるといはれます。駆除に替わる防除策に、より積極的な国家的支援(農水省予算などによる)がなされるべきなのですが、それも不十分で、また、被害補償制度も整備されておらず、予算もない地方自治体はコスト的に安い駆除にはしる現状です。これまでの「権限地方委譲」は、それでもまだ、環境庁長官の仕事を替わりに地方自治体が行うというものでしたが、今回の法「改正」では、更に進んで、駆除や狩猟に係わる諸権限を各地方の自治事務とする、つまり、地方に任せるべきであると、報告書では主張されています。そのようにされれば、都道府県に任される業務が市町村に権限委譲されることは、時間の問題でしょう。土木事業者や開発事業者が政治に大きな影響力をもつ現在の地方自治体に、「科学的計画的保護管理」が任されたら、いまの北海道の状況に輪をかけた野生生物の虐殺の波が全国を覆うことになりかねません。しかも、この国の行政は、誰が見ても明らかな誤りをおかしてもそれを誤りと認めず、「一度決めたことだから」と、悪政を続ける事が常です。
「権限地方委譲」などについて、鳥獣保護法「改正」を考えるネットワークが、全国47都道府県にたいしてアンケートをだし、12月までに、45都道府県から回答を得ましたが、そのなかで、ほとんどの都道府県が「すべての鳥獣業務を都道府県レベルでおこなうことは財政的・人員的、また調査能力の点において困難である」と答えています。
法「改正」が今の形でなされれば、一部の御用学者たちには税金から多額の研究費が回り、仕事も増えることになるでしょう。でも、仮に野生生物の大量虐殺と引き替えに研究体制が整備されるとしても、それでよいのでしょうか。
野生生物の生息域の保全・回復野生生物の生息域をこれ以上破壊することをやめ、生息域の保全・回復をはかることこそ、問題解決の本道でしょう。
‐‐‐以上「生命の輪」ビラより‐‐‐
この改正が通るにせよ、廃案になるにせよ、問題は「これから」なのです。各自が自分の地域で、自然の回復のために頑張ることが何より求められています。異国の地にいるオオカミたちに「自分のいる場所も守れないのか?」と軽蔑されないようにしたいものです。