スコット・タイラー著
佐原徹哉訳・平凡社・2004年2月・2300円
1999年3月24日、「セルビアがコソヴォ自治州で行なっているアルバニア系住民への民族浄化を阻止する」との名目で、米軍主導のNATO軍は、セルビア/コソヴォ空爆を開始した。クリントン米大統領(当時)は、ユーゴ爆撃は「平和の大義を推し進めている」と叫び、多くのメディアもそれを繰り返した。「人道的介入」という言葉が大手メディアで論証なしに扇情的に飛び交う中、いわゆる「左派」と目されてきた陣営からも、ユルゲン・ハーバーマスやスーザン・ソンタグ、アリエル・ドルフマンなど、米/NATOの空爆を擁護あるいは容認する人々が現れたことを記憶している人も多いだろう。
その後、セルビアによるアルバニア系住民「虐殺」は、喧伝された規模ではなかったこと、NATOの空爆は虐殺を止めるどころかむしろそれを促したこと、地域に安定や民主主義をもたらすどころか暴力が拡大する結果となったことなどが明らかになるとともに、「コソヴォ問題」はメディアから急速に消え去っていった。
本書は、このコソヴォ紛争の「その後」を取材し、日記風にまとめた記録である。著者のスコット・タイラー(テイラー)はカナタ人、元軍人でもあるジャーナリスト。本文は7章からなる。第1章は1999年6月、セルビアとNATOの間でコソヴォを巡る和平合意が成立し、NATOが空爆を停止した直後の、コソヴォ州都プリシュティナのシーンを描いている。第2章で場面はベオグラードに移る。ミロシェビッチの失脚劇とセルビア/ユーゴスラビアの政情が話の中心となる。
本書の中心となる第3章から第6章は、KLAの軍事行動が主要なテーマである。第3章ではセルビア南部に進出するKLAとそれに対するセルビア治安当局の対応が、またアルバニア人人口を抱える隣国マケドニアへの紛争波及が、第4章と第5章ではKLAのマケドニア領内への進出とマケドニアの対応が扱われる。第6章は、2001年8月NATOの平和維持部隊が「必要不可欠な収穫」作戦でマケドニアに派遣された後の事態が描かれる。
第7章では、2001年9月11日(米国ニューヨークの世界貿易センタービル等に航空機が突入した事件が起きた日)以降の動向をごく簡単にまとめている。いずれの章も、紛争現地からの戦況や軍の動き、兵士たち、紛争下で生活する人々の様子が、基調低音としてあるKLAの動きおよびNATO・米軍の役割についての鳥瞰的分析、そしてNATOや米軍の「人道的介入」といったプロパガンダの位置づけを交えて紹介されている。
全体に、記者としての著者自身の行動記述が少し鼻につき邪魔くさく感じられはするものの、現場で取材を重ねた立場ならではの個別の情景描写を中心としたライヴな構成が、本書を読み物としてとても面白いものに仕立てている。全部で400ページに近い大部な本でありながら、評者は、引き入れられて一気に読み切った。
ただし、そうであるがゆえの弱点もある。丁寧によむならば、本書の内容が、コソヴォ紛争に継続的な関心を持ってきた者ならではの確かな分析に支えられていることがわかり、そして、分析の確かさと現場発の具体的な事実関係との結合こそが本書の真骨頂なのであるが、興味に任せて一気に読んでしまうと、その部分が読後にあまり残らないのである。
そのため、米国の派遣主義のもとでの「人道的介入」や米国追従の「国際貢献」といった現実だけでなく、「人道的介入」や「国際貢献」を語ること自体が含む問題を考えるためにも参考になる本書について、具体的な中身は物語として興味深く追ったあとすぐに忘れ、一方「人道的介入」や「人道援助」、「国際貢献」等、あるいはNATO軍の役割などを巡る問題提起については、一方的にたとえば現在のイラク状況に重ねて内容を粗雑に確認するだけに終わってしまい、まさにコソヴォという具体的な出来事を巡る問題を通して見ることによってこそ明らかになる諸側面を取りこぼしてしまうということが起こりうる。
これを考えると、丁寧にまとめられた訳者解説をまず読んでから本文に入る、というのも一つの有効な本書の読み方だと思う。随所に挿入されている地図も、ともすると断片的になりがちな日記風の記述を補って流れを明らかにするようよく考えられているので、地図も活用したい。
読みやすい訳と明晰な解説を書き下ろした訳者、そしてメディアからほぼ消え去ったこのテーマで、2300円という現在の基準では良心的な値段で本書を刊行した出版社に感謝したい、今こそ丁寧に読まれるべき一冊。
[この書評は『派兵チェック』2004年6月号に掲載された]