『チェチェンで何が起こっているのか』

林克明・大富亮著 高文研 2004年3月 1800円+税


三度、繰り返して読んだ。チェチェンをめぐる複雑な問題を手際よく整理すると同時に、チェチェンの人々の息づかいを伝える小さな本である。

カスピ海と黒海の間、コーカサス山脈の北に位置する小さな国チェチェン。このチェチェンで何が起こっているのか。モスクワの劇場占拠事件、あるいはつい最近では、プーチンが「チェチェン人の仕業だ」と無根拠に決めつけた2004年2月のモスクワの地下鉄爆弾事件。1994年にロシア軍がチェチェンに侵攻して始まった第一次チェチェン戦争。1999年、東ティモール住民投票前後のインドネシア軍と手先の民兵による破壊と虐殺が終わった頃にロシア軍の侵攻で始まった第二次チェチェン戦争。新聞の紙面などでこうした折に「チェチェン人」と言う言葉を目にしてはきたが、最近まで、私は、チェチェンで何が起こっているのか、知らなかった。

1995年、サマーシキ村。村を包囲したロシア軍は、4月6日午後10時ごろ、「村に大砲を撃ち込み攻撃を始めた」。そしてロシア軍は、

7日午前5時に空爆を開始、午後3時45分頃、戦車部隊が突入。内務省軍、モスクワ特殊警察部隊ら合計350名が、3日にわたって「掃討作戦」を展開した。〔・・・・・・〕生きている人間を焼き殺し、地下室に隠れていた人々に手榴弾を投げ込むなど、約300人を殺したのである。

虐殺の一週間後、ハズマン・ウマーロヴァがサマーシキ村に潜入する。誰もこの出来事を伝える者がいない中、彼女は、「村に一台しかなかったパナソニックの八ミリビデオカメラを手にした」。その後、チェチェンの「あらゆる戦場、あらゆる村を取材して回ることになる」、一人のジャーナリストの誕生。

4年後の1999年4月6日、東ティモール、リキサ村。教会に避難していた2000人をインドネシア軍・警察とその手先の民兵が取り囲み、襲撃を開始。人権団体によると57人が殺され35人が負傷。14人が「失踪」。インドネシア軍・警察・民兵による住民の一方的な虐殺を、日本の大手メディアは「独立派と併合派の衝突」と報じていた中、現地からの情報を受けとり、それを日本の人々に伝えようとしていた私は、けれども、その4年前に起きたサマーシキ村虐殺について、ハズマンの声に、耳を傾けてはいなかった。


1999年末から廃村になっていたダチヌイ村。2001年1月頃から、この村に多数の民間人の遺体が棄てられているという噂がチェチェンの中でささやかれていた。2月15日、ロシア軍に「遺体購入費」3000ドルを腹ってダチヌイ村に入ったアダム・チマーエフの家族が、遺体を取り戻した。そして2月21日、親族の遺体を探して親ロシア派の民警隊員数名とともにダチヌイ村に入ったヴァッハ・ルダーエフは、続けざまに遺体を見つけた。最終的に、発見された遺体は51体にのぼった。


チェチェン問題:ロシア軍によるチェチェン住民の大虐殺と、ロシアからの一方的な攻撃に抵抗するレジスタンスとしての武装したチェチェン人。

事態は複雑だ、と言う人がいる。東ティモール問題とは何よりもまずインドネシアによる東ティモール不法占領と虐殺・人権侵害の問題だと言うと、しかし東ティモールは自立できないのではないか、インドネシア併合を支持する人々もいるではないか、東ティモール人も「テロ」をしているではないか、問題は複雑ではないか、という人たち。だからインドネシアによる占領のみを強調するのは一方的ではないか。ときにあからさまな偽りをとり混ぜて、こう主張する人々、大手メディア、外務省。

インドネシアによる東ティモール不法占領と住民への人権侵害・虐殺という事実を「相対化」するために。つまり、それを、容認するために。残念ながら、そのために「事態は複雑だ」と主張する人が、「東ティモール問題」に関わる複雑な要因を本当にきちんと解析し分類し整理したのを見たことは、ない。

「チェチェン紛争は複雑である」。著者たちは、この複雑さに、多様に切り込んでいく。400年におよぶ歴史。チェチェンに暮らす人々の肖像、踊り、お洒落。モスクワ劇場占拠事件の内幕。人権。国際政治経済の力学。ロシアの事情。250ページほどの小さな本にチェチェン紛争の複雑な状況をまとめていく。チェチェン紛争の紹介としてコンパクトに整理されながら、生き生きとした膨らみのある内容。おそらくは、膨大な取材と資料分析が必要だったろう。そして、伝えようとする意志が、空回りせずに、込められた文章。

「チェチェン紛争は複雑である」。著者たちは、この複雑さを誰よりも深く見つめ、読者にも紹介した上で、チェチェン戦争とは、「ロシア軍によるチェチェン住民の大虐殺」と、ロシアからの一方的な攻撃に抵抗する武装したチェチェン人のレジスタンスである、と言う。独りよがりではなく、分析と記述の上にたって、読者にも論理的に納得できるかたちで。

とはいえ、チェチェン戦争とは「ロシア軍によるチェチェン住民の大虐殺である」という言い切りは、事態を丁寧に分析して導いた結論以上のものを示しているように思われる。私たちはどのような世界に住んでいるのか。それは満足できるものか。そうでないならば、私たちはどのような世界に住みたいのか。チェチェン戦争を取材し伝える中でかたちづくられた、どのような世界に住みたいかをめぐる、著者たちの控えめな、けれども確かな決意。この言い切りには、そうした決意が反映されているように思える。

ライーサというチェチェン人ジャーナリストは、次のように語る。

たとえ私が死のうとも、だれかに私が撮ったものを見てもらえる。カメラをもつほかの女性も同じ気持ちです。

どのような世界を作りたいか、その中で自分はどうするかを冷静に見つめ、ジャーナリストとしての行動を選び取った人の、淡々とした言葉。同時に、感傷的に消費されがちな言葉。

『チェチェンで何が起こっているのか』の著者たちは、ライーサの言葉を、感傷的に消費することを拒否し、日本に生まれた者としての場から、どのような世界を作りたいか、その中で自分はどうするか、ライーサの言葉に呼応して自分たちのすることを決めたように思える。

沈黙することは、はてしない暴力への賛成とかわりない、と著者たちは言う。

チェチェンのような遠いところの問題を扱うよりも、足下の問題を、過去も今も、日本の足下にだって多くの問題があるし、日本の市民である限り、そちらの方により大きな責任があるのだから、と言う人もいるかも知れない。自分が決定を持つ問題についてきちんと接するべきだというのは、正論である。

けれども、著者たちが、チェチェン問題に接しているときに、おそらくは考え、こうした意見の中で拒否しているのは、「よりも」という接続なのだ。チェチェン人に呼応してチェチェン問題を伝えようとしている著者たちは、それを通して、どのような世界を作りたいか、自らそれを構成し、行動を選び取っている。それは足下の問題を見つめることに直接つながるとともに、ある意味でその前提条件でもあるだろう。

沈黙さえしなければ、きっと名もない私たちとチェチェンの人々の心の間に、細くとも途切れることのない道がつながる。それがいつの日か、ここ北東アジアと北コーカサスとの間の道となって、自由に往来ができるようになることを、私は切に願う。

チェチェン問題に関心のある人も、ない人も、日本の問題に関心がある人も、ない人も、どうか本書を手にとって、2000円ほどの余裕があればぜひ買って(あるいは図書館に注文して)、読んでみて下さい。



過度に印象批評的だったので、具体的な内容を示すために、以下にもくじをあげます。第II章から読んで最後に第I章に戻るのもよいでしょう。


◆――もくじ

・プロローグ――チェチェン戦争とは何か

I章 なぜチェチェンで「戦争」は続くのか……大富 亮
   *独立運動の始まり
   *第一次チェチェン戦争
   *戦間期―束の間の不安定な平和
   *第二次チェチェン戦争
   *コーカサス戦争
   *ロシア革命とチェチェン
   *強制移住
   *強制移住から帰還後のチェチェン
   *現代のチェチェン戦争の原因
   *チェチェン紛争はどうなるか

II章 モスクワ劇場占拠事件―知られざる当事者の肉声……林 克明
   *幕開け
   *観劇していたチェチェン人
   *ひとりの女性ゲリラとの会話
   *事件の背景にあるもの
   *あと一歩で劇的な解決へ
   *特殊部隊の突入
   *チェチェン人への弾圧
   *真実を葬る構図
   *「テロ事件」の図式
   ◎コラム=チェチェンを知るために__
        体験を優先させる「チェチェン効果」

III章 チェチェンで続いている拷問、虐殺、処刑……大富 亮
   *市民に対する戦争
   *各地で発見される遺棄死体
   *不当逮捕、人身売買、拷問、処刑
   *犠牲者数の推計さえ存在しない

IV章 忘れえぬ人々―現代チェチェン人群像……林 克明
   *深夜の緊急電話
   *イスラム武装勢力の主流は「市民防衛軍」
   *検問所のチェックにひっかかる
   *収容所で拷問にあったミカイル
   *執拗な尋問を切り抜ける
   *グルジアからチェチェンへ潜入
   *「死の街」グローズヌイで生きる人々
   *チェチェンに住むロシア人の現状
   *家族と故郷を守るために戦う男たち
   *ミカイルと一瞬の再会
   *「カリスマ野戦司令官」バサーエフ
   *マスハードフ大統領に会う
   *アパート爆弾テロはチェチェン人の犯行か?
   *生きていたマダーエフ一家
   *砕かれたアスランの夢
   *増える非戦闘員の犠牲者
   *ロシアの戦争目的は「小数民族抹殺」なのか
   ◎コラム=チェチェンを知るために__
        常に死を意識している人間美

V章 ジャーナリストの誕生……林 克明
   *謀略のからくり
   *取材活動が犯罪に
   *ほとんどが女性ジャーナリスト
   *ジャーナリスト、ハズマンの誕生
   *モスクワからグルジアへ
   *瓦礫の街・グローズヌイ
   *グルジアでチェチェンプレス復活
   *チェチェン国境の難民の村へ
   *ジャーナリストを殲滅せよ
   *難民をだまし討ち
   *ジャーナリスト、ライーサの原点
   *隠された事実
   *「不死身の女」との再会
   *チェチェンへ潜入
   *逮捕、尋問、退去
   *戦争が投げかける暗い影
   ◎コラム=チェチェンを知るために__
        男女差から生じる抗しがたい様式美

VI章 チェチェン戦争の諸相……大富 亮
   *戦争の原因を考える
   *ロシア国内の混乱の収拾と権力の委譲
   *なぜプーチンだったのか
   *チェチェン独立は隣接地域への連鎖を招く
   *ダゲスタン事件
   *真相を考える三つの情報
   *「国民投票」から見えてくるもの
   *「大統領選挙」
   *ロシアの人権団体が見た選挙の実態
   *権力の所在
   *日本の新聞報道の中のチェチェン

VII章 何のための苦しみか
   チェチェンが示す21世紀の黙示録………寺沢潤世

《資料》チェチェン関連書籍、映像案内
    チェチェンをめぐる略年表

・エピローグ――いま私たちに出来ること

益岡賢 2004年4月1日

一つ上へ] [トップ・ページ