鎌仲ひとみ『ミツバチの羽音と地球の回転』ぶんぶん通信 no. 1
益岡賢
2009年3月15日
『ヒバクシャ—世界の終わりに』、『六ヶ所村ラプソディー』の監督、鎌仲ひとみさんが制作中の『ミツバチの羽音と地球の回転』。
制作の途中経過をまとめた「ぶんぶん通信 no. 1」を、東京で開催された上映会で見た。
山口県祝島。1000年以上にわたり自然と共生してきた島。人口約550人。その対岸の湾を埋め立て、新たな原子力発電所を建設する計画が進められている。
祝島の人々の生活、伝統の祭り神舞、原発のための埋立を認めた町議会の模様。
鎌仲さんの映像すべてに共通するものがある。今日、「ぶんぶん通信 no. 1」を見て、ようやくそれを言い表す言葉が見つかった。
「生きていることの質感」
鎌仲さんの映像からはいつも、生きていることの、圧倒的な質感が立ちのぼる。
叩かれて嫌がる豚に、産卵のために満潮の海にやってくるカニに、お手をする犬に、苫を編む人、針に餌をつける漁師、祭りで化粧した父の顔を見て泣き出す子ども、琵琶の木を手入れする青年に。
どうしようもない懐かしさが沸き起こる。それは、例えば祝島の祭りが1000年続いてきたことからくる日本の原風景への懐かしさといったものでは、ない。
恐らくは世界中の誰が見ても感じるだろう懐かしさ。
それは、失われたものに向けられたセンチメンタルな追憶ではない。むしろ、まさに今、日常生活の中で、当たり前に、すぐそこにありながら、そこにあると知りながら、そして何よりも貴重なものであると知りながら、触れる術をもたないが故に忘れたふりをしてきたものを、映像の一瞬一瞬が思い起こさせるが故に沸き起こる、突き動かされるような憧憬なのだ。
鎌仲さんの映像は、その憧憬の切実さが、遠くにある何かにではなく、まさに私たちが当たり前に存在し生きていることそのものに関わっていることを気づかせてくれる。また同時に、私たちがどうして生きていることの質感を失っているか考える道も。
内容について述べるべきなのでしょうが、うまくまとまりません。どうか作品を直接観て下さい。
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