ガザの歴史的文脈
2009年2月5日
ダンカン・ケネディ
元文書:ハーバード・クリムゾン
ZNet原文
『ハーバード・クリムゾン』にガザに関する論説記事を書くよう求められたと友人----大規模なハーバード・カレッジの元コース班長だった----に話したところ、彼女は学部生の態度としてとてもありがちな、それ自体はわからなくもない態度を指摘してくれた。すなわち、「状況は複雑過ぎて、どんな立場を取るべきか決心がつかない」というものと、「論叢の余地があるテーマで、意見の違いがある。どちらも『正しく』ない」というものである。
米国でオバマ政権が始まろうというときに起きたガザの戦争がハーバードのコミュニティ内でイスラエルとパレスチナをめぐる十分な議論の契機となり、より多くの人々が立場を決めることを望む。それを心において、この機会に、議論の的となっていると思われがちだが、実際のところ「事情に通じたオブザーバ」にとって合意ができている事実関係を提示することにしたい。
イスラエルの「ニュー・ヒストリアン」ベニー・モリス----強硬なシオニストである ----は「パレスチナ人難民問題の起源」について記録している。1947年と1948年、ユダヤ人国家の創設を阻止しようとして果たせなかったパレスチナ人抵抗者たちと周辺アラブから侵入してきた軍に対し、ユダヤ人の正規部隊と非正規部隊は、ときに念入りに計算したテロ作戦も使いながら、60万人から80万人のパレスチナ人老若男女を村々から追放し、次いで村々を破壊した。この戦争のあと、ユダヤ人たちはパレスチナ人が誰一人戻ってこないよう武力に訴えた。それから新たにできたユダヤ人国家はパレスチナ人の土地と財産を即座に没収し、ユダヤ人に分配した。イスラエルに残ったアラブ人たち----約20パーセントだった----はのちに形式上は法的な平等を手に入れるが、二級市民の立場----差別撤廃措置と新たな黒人ブルジョアジーの勃興前までの米国北部の黒人の立場と似ていた----で暮らすことになった。
1967年、イスラエルはエジプトとヨルダンとシリアに先制攻撃を加え、西岸とガザ ----1948年に難民となった人々の多くが住んでいた----、東エルサレム、ゴラン高原、シナイを占領した(シナイはのちにエジプトに返却された)。これによりさらに約20万人のパレスチナ人難民が発生し、これらの難民もやはり帰還を阻止された。1973年以来、イスラエル政府は少しずつ、約40万人のイスラエル人入植者を西岸に、20万人を東エルサレムに送り込み、約50パーセント(道路をはじめとするインフラを含めて)の土地を収奪し、水資源を接収し、西岸とガザの経済に対して収奪と飢餓を繰り返すことでアラブ人人口の大多数が生き延びるために国際的な「援助コミュニティ」に頼らざるを得ない状況を作り上げた。
軍事占領に対するパレスチナ人の非暴力によるレジスタンスおよび暴力によるレジスタンスは、国際法のもとで完全に合法的なものである。一方、特定の戦術の多く、とりわけハイジャック、子どもや老人を含む民間人を標的とした自爆攻撃、無差別ロケット攻撃は犯罪行為として広く非難されてきた。
イスラエル政府は、壁と検問、アクセス道路ネットワーク、差別的法制、アラブ人通行制限法、恣意的逮捕、家の破壊、標的の暗殺、拷問、日々の軍事支配を、入植地(イスラエル以外の世界全土で不法なものと見なされている)の安全のため、またイスラエル内のテロからイスラエルを守るために必要なものとして正当化してきた。パレスチナによるテロ戦略を批判してきたヒューマンライツ・ウォッチやアムネスティ・インターナショナルなどの国際人権NGOや国連は、いずれも一致して、西岸とガザにおけるパレスチナ人の人権を侵害しているとして繰り返しイスラエルを非難してきた。
2005年にガザの入植地を撤退したあとも、イスラエルはガザの陸海国境と領空を全面的に制圧し続けた。イスラエルはまた、イスラエル南部の町を無差別に狙ったロケット弾を鎮圧するためにガザに何度も侵入した。2008年12月の侵略までの4年間で、ロケット弾によりイスラエル人民間人13人が死亡し、標的となった町の住人数万人の生活が悪化した。
2006年のパレスチナ評議会選挙でハマスが勝利を納めたのち、イスラエルと米国はガザを外の世界から遮断することでハマスを孤立させようとした。その際に使われた言い訳は、ハマスは「イスラエルの破壊を目指す」テロ組織だというものだった。ニューヨーク・タイムズ紙が正直に報じたように、ハマスは、その前のヤセル・アラファト率いるPLOと同様、立場を変えて二国家解決を受け入れるために面目を保つことのできる機会を求めていたことが繰り返し示されていたにもかかわらず、イスラエルとその同盟国はガザを遮断する戦略を続けた。
イスラエルは、経済制裁と禁輸制裁----人々や病院のような組織に対して間歇的にしか電気と燃料を供給しないことも含まれた----に加えてガザからの物資と人の出入りを制限したため、占領がガザに残したわずかな生産力さえもが破壊されることとなった。それによりガザは、決まり文句を使えば「捕虜収容所」となり、その中で「囚人」となった人々は慈善活動とイスラエル政府の気まぐれに依存しながら、「全面的な人道的破局」の一歩手前の不安定な状態に置かれることとなった。これによってもガザでハマスに対する蜂起が起きなかったため、イスラエルと米国は、ヴァニティ・フェアの記事(まだ反駁されていない)によると、PLOによるクーデターを組織した。それは失敗し、ハマスはPLOをガザから追放した。その後、イスラエルとハマスには休戦が成立する。
ハマスの主張----基本的に合理的なもののように私には思われる----は、休戦が終わったのは主にイスラエルのせいだというものである。ハマスは完全にではないがほとんどロケット砲の発射を控えた。イスラエルはわずかに残ったロケット弾発射に対する報復としてガザの悲惨な状態がそのまま続き悪化するよう国境の開放を拒否し、2008年11月にはガザに武力侵入を行った。ハマスが休戦の延長を拒否しロケット弾発射を再会したとき、イスラエルは侵略を行った。
多くのオブザーバが、この戦争でイスラエルは戦争犯罪を犯したと批判している。この点を軽視するわけではないが、私は次の点を理解することが重要だと思っている。すなわち、1300人のパレスチナ人犠牲者----そこには400人の子どもと非常に多くの女性が含まれる----に対してイスラエル側の犠牲者は13人という事態は、米国やカナダ、オーストラリア、セルビアそしてとりわけ南アフリカのアパルトヘイト政権のような西洋植民地主義勢力および西洋「エスノ破壊植民地体制」が、現地住民に対して、抵抗をやめない限り耐えがたい死と喪失を苦しまなくてはならないことをわからせるために、歴史的に行ってきたたぐいの「警察行動」の一つとして典型的なものである、ということ。イスラエルは、1947年と1948年だけでなく、1982年と2006年にレバノンで同様の戦術を用いてきた。
通常兵力よりも非対称戦争での非通常兵力に甘い戦争法のもとでは、恐ろしいまでの民間人の死はしばしば完全に擁護可能となる。ソンミ村虐殺やアブグレイブ、ロシアによるアフガニスタン虐殺やチェチェンでの虐殺よりも、民間人の犠牲者という点では、空襲や空爆、残忍な戸別掃討作戦----抵抗者に発砲させてそれを口実に家と中の住人を破壊し尽す----のほうが重大である。
この図式は正しいだろうか? 正しいとすると、何をすべきだろう? 正しくないなら、何をすべきだろう? 自分の考えがまだはっきりしていないなら、自分で見つけ出そうとすることが決定的に重要である。私が描き出したほど状況が悪いならば、ちょっとした手段を取ることを考えてもよいかもしれない。おそらく、ガザへの人道援助に募金するとか、ホワイトハウスにメールを送るとか、ハーバードのイスラエル投資をやめるよう呼びかけるとか・・・・・・
ダンカン・ケネディ(64歳)はハーバード・ロー・スクールの一般法カーター教授。
■ 映画「レインボー」上映とパレスチナ留学生の講演inニセコ
日時 2月15日 午後3時30分~午後6時
場所 ニセコ町民センター2階
参加費 大人1000円(学生・子ども無料)
第一部 映画「レインボー」上映
第二部 パレスチナ留学生による講演
終了後交流会
■ 「日の丸・君が代」強制をはね返す神奈川集会とデモ
日時:2月15日(日)午後1時30分
場所:横浜開港記念会館 6号室
アクセス・JR関内駅南口・横浜市営地下鉄関内駅1番出口
地下鉄みなとみらい線日本大通り駅1番出口
http://www.city.yokohama.jp/me/naka/renraku/kaikokinen/
参加費:500円
講演:松田浩二さん(スミぬり裁判をすすめる会)
『2007年11月30日 大阪高裁判決の意義』
ー ひらかたスミぬり裁判から学んだこと ー
集会後、デモに出ます。
主催:「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会
問合せ:090-3909-9657
■ 奨学金返済ホットライン
日時:2月8日(日) 10時~16時
相談窓口
京都:075-622-6241
大阪:06-6242-8130
06-6242-8131
兵庫:0798-34-2315
※「奨学金番号」「借用金額」など、すぐ答えられるようにしてご連絡ください。
問い合わせ先:なかまユニオン
委員長:井出窪啓一 TEL:06-6242-8130
HPは「なかまユニオン」で検索
〒534-0024 大阪市都島区東野田町4-7-26
和光京橋ビル304
■ 夏淑琴名誉毀損裁判、勝訴確定
南京大虐殺・夏淑琴氏名誉毀損事件弁護団声明
2009年2月5日
最高裁判所第1小法廷は、本日、南京大虐殺事件の被害者である夏淑琴氏に対する名誉毀損に関し、慰謝料の支払い等を求めた事件について、一審被告東中野修道等による上告及び上告受理申立を、いずれも棄却する決定を行った。これによって、夏淑琴氏の勝訴が確定した。
本件訴訟は、夏淑琴氏が1937年12月に南京で発生した旧日本軍による虐殺事件(南京大虐殺事件)において、両親など家族7人を虐殺され、自らも銃剣で刺されて重傷を負うなどの筆舌に尽くしがたい深甚な被害を被ったのにもかかわらず、被告東中野修道が、その名誉を毀損する書籍「『南京虐殺』の徹底検証」を被告株式会社展転社等から出版したことに対し、夏淑琴氏が名誉毀損及び人格権の侵害を理由として、損害賠償と謝罪広告の掲載を求めたものである。
すなわち本件書籍は、史料に被害者として登場する「『八歳の少女』と夏淑琴とは別人と判断される」、「『八歳の少女(夏淑琴)』は事実を語るべきであり、事実をありのままに語っているのであれば、証言に、食い違いの起きるはずもなかった」、「さらに驚いたことには、夏淑琴は日本に来日して証言もしているのである」等と記載され、これらの記述は、原告が「ニセの被害者」であると決めつけ、ウソの証言までしているものと非難するものであり、原告の名誉を毀損するとともに、その人格権を著しく侵害するものである。
一審被告らは、上告審においても、南京事件は国民政府の謀略である等、荒唐無稽の主張と史実の歪曲を重ねたが、最高裁判所もこれらの主張を受け付けなかった。南京大虐殺事件は歴史的事実であり、当時の日本の侵略性を示す事件として世界に広く報道され、国際的な批判を浴びた蛮行であった。大都市における顕著な侵略的事実は、当然のことながら多くの目撃者と記録が残され、現地においては公知の事実であり、大規模な虐殺行為が行われたという歴史的事実は疑いのないところであって、現在の歴史学界における定説といってよい。
過去と向き合い、事実をありのままに受け入れることからしか、侵略の歴史への反省はあり得ないし、真のアジアの平和の構築も実現しない。
夏淑琴氏が、高齢にもかかわらず本件訴訟を提起したのは、自分の悲惨な体験を語り続け、戦争の悲惨さと平和の尊さを社会に訴えることが、日中両国民の信頼関係の確立と、アジアの平和にとって必要なことであるという信念に基づく。
最高裁判所が今般、あらためて夏淑琴氏の主張を認め、一審被告らの上告を棄却したことは、本件訴訟のこのような趣旨に照らし極めて大きな意義を有する。
誤った歴史観を許さず、歴史の改竄を許さないことによって平和な国際社会を実現することは、日中両国の心ある市民と我々弁護団の共通の願いである。今般の最高裁決定によって、この願いが改めて実現したことを、私たちは高く評価するものである。