米国による拷問の歴史(前半)

アルフレッド・W・マッコイ
2006年12月18日
ZNet 原文

拷問について、ウィスコンシン大学マディソン校の歴史学教授アルフレッド・マッコイがまとめたもの。長いので今回は前半のみの掲載です。「拷問」という言葉が実際に指している事態、「虐待」「尋問」といった曖昧な言葉の裏で、人間に対して米軍尋問官が加えている行為について想像していただけると幸いです。私は閉所恐怖症・窒息恐怖症の傾向があるため、途中、訳出するのに時間を要してしまいました。

2004年4月、米CBSがイラクのアブグレイブ監獄で写された写真----今や悪名を馳せている----を報道したとき、アメリカ人は肝をつぶした。裸にされフードを被されたイラク人たちの横で、米軍兵士たちが微笑んでいる写真。このスキャンダルが世界中の見出しを飾る中、国防長官ドナルド・ラムズフェルドは、こうした虐待は「米軍の少数の兵士たちが行っただけだ」と言い張り、ニューヨーク・タイムズ紙のコラムニスト、ウィリアム・サファイアは、すぐさまその「少数の兵士」を「異常者たち」と名付けた。これに反駁するメディアはほとんどなかった。

それらの写真を目にしたとき、私がその中に見たものは、単なる残虐性が一過的に発露しただけだとか、軍の規律が崩壊したといった事態ではなかった。1999年にイェール大学出版局から出した単行本のためにフィリピン軍の拷問技術を10年以上にわたって研究していた私は、それらの写真の中に、CIAの心理作戦が隠しようもなく現れているのを目にしたのである。たとえば、フードを被され広げられた手から偽の電気ワイヤーがぶらさがるイラク人の象徴的な写真は、少数の「異常者たち」によるサディズムではなく、CIAの心理的拷問の中核をなす二つの登録商標とでも言うべき方法が実行されたことを示している。フードは感覚を剥奪するためのもので、腕を横に広げるのはそれによって自然に苦痛が生ずるようにするためである。極めて単純かつ明白だった。

CBSがこれらの写真を公開してから2週間後にボストン・グローブ紙の論説欄でこの議論を発表して以来、私は、1950年代まで遡るCIAの拷問研究と2004年のアブグレイブとの間の歴史的連続性と関連性を調査し始めた。現在を検討するために過去を用いて、私は今年の1月に「拷問の問題(A Question of Torture)」という本を出版した。この本は、機密解除された文書から多くのページを検討し、驚くべき歴史的・組織的な連続性をたどるものである。この調査結果は気の滅入るものであり、10月の軍事評議会法の発効で頂点に達した、拷問をめぐる激しい論争に直接関係している。

1950年から1962年まで、CIAは人間の意識信号を壊す方法に関する秘密研究を始めた。これはまさに心に関するマンハッタン計画で、年間10億ドルもの費用が費やされた。この研究の最も奇妙で最も成功しなかった部分については、すなわち、何も怪しまない被験者にLSDを試験投与したこと、そしてCIA職員フランク・オルソン博士がこのドラッグを服用したのちニューヨークのホテルから身を投げて死亡したことについては、耳にしたことのある人も多いだろう。数え切れないほどのセンセーショナルなメディア記事と複数の大部な本が焦点をあてたこのCIAによるドラッグ試験は、何の結果ももたらさなかった。

けれども、CIAが資金提供し、米国の主要大学に外注された、この曖昧な行動実験は、二つの重要な結果----いずれもしかるべき科学論文誌で発表された ----を生み、それらは極めてアメリカ的な拷問の方法、すなわち心理的拷問の発明に貢献した。カナダの国防研究委員会から資金を得た高名なカナダ人心理学者ドナルド・O・ヘッブ博士は、48時間で人を精神病と似た状態に追いやることができることを発見した。博士はドラッグや催眠術、電気ショックを使ったのだろうか? 実は、そのいずれも用いないで、である。

ヘッブ博士が心理学教室の主任をやっていたマッギル大学で、学生ボランティア被験者は2日間にわたり、ゴーグルと手袋、耳当てをして感覚刺激を奪われた状態で気持ちの良い小部屋に座っていただけである。ヘッブの被験者の一人、カリフォルニア大学バークレー校の英語学教授ピーター・デール・スコットは、1992年に「ろうそくに耳をすます」という叙事詩でこの経験の衝撃を語っている。

nothing in those weeks added up
 yet the very aimlessness
 preconditioning my mind...
of sensory deprivation
 as a paid volunteer
 in the McGill experiment
for the US Air Force
 (two CIA reps at the meeting)
 my ears sore from their earphones'
amniotic hum my eyes
 under two bulging halves of ping pong balls
 arms covered to the tips with cardboard tubes
those familiar hallucination
 I was the first to report
 as for example the string
of cut-out paper men
 emerging from a manhole
 in the side of a snow-white hill
distinctly two-dimensional

たったの2、3日そうした孤立状態にあると「被験者のアイデンティティそのものが解体し始める」とヘッブ氏自らも報じている。『サイエンティフィック・アメリカン』誌に発表されたヘッブ博士による学生ボランティアたちの図と、グアンタナモに拘束されている人々の写真とを比べると、驚くほど似ているが、それには十分な理由があるのである。

やはり1950年代に、CIAのために働いていたコーネル大学医学センターの著名な神経学者二人が、KGBが行う最も厳しい拷問技術は、残忍に人を殴ったりすることではなく、ただ単に犠牲者を何日間も立たせたままにしておくことであることに気づいた。そうすると足が膨れ、皮膚には膿が出る異変が生じ、腎臓機能は停止し、幻覚が始まる。ここでも、アブグレイブの何百という写真を見るならば、この方法----現在では「ストレス姿勢」と呼ばれている----が繰り返し使われているのがわかるだろう。

1963年にこれらの手法をKUBARKマニュアルにまとめたCIAは、それからの30年間を使って、米国の諜報コミュニティ及びアジアとラテンアメリカの反共同盟国にそれらの拷問技術を広めた。

CIAはラテンアメリカ全土から集めた軍の尋問担当士官たちに訓練を与えたが、私たちが実際の拷問技術を知るに至ったのは、ホンジュラス軍人の訓練セッションに使われた一冊のハンドブックであるCIAの『人的資源開発マニュアル1983』によるところが大きい。「最初に、支配権を確立するために、尋問者は、対象の環境を操作し、不快な、あるいは耐え難い状況を作り出し、時間、空間、感覚のパターンを攪乱する必要がある」。CIAのインストラクターは、訓練生であるホンジュラス軍人に、このように述べる。こうした心理的混乱を生み出すために、1983年のハンドブックは、20年前にKUBARKマニュアルで述べられたのと驚くほど似た技術を記述しており、しかもそれらはさらに20年後にアブグレイブで用いられることになった拷問技術と驚くほど似通っている。

冷戦後

冷戦が終わったとき、米国政府は人権を再び提唱し始め、1994年には、国連拷問禁止条約を批准した。この条約は、「酷い」心理的・身体的苦痛を加えることを禁止している。表面的には、アメリカ合衆国は、拷問に反対するという原則と拷問を実施する習慣との間の緊張を解決したように見受けられた。

しかしながら、米国大統領ウィリアム・クリントンが1994年、この国連条約を批准するために議会に諮ったとき、クリントンは、その6年前のレーガン政権時代に草案が作られた文言を含めていた。その文言は、印刷すると26ページからなる同条約の、たった一言に関わる4つの詳細な外交上の「留保」であった。その一言とは、「精神的」という言葉だった。

ここで重要なことは、これらの手の込んだ外交的「保留」を通して、米国は自らの解釈にしたがって拷問を再定義し、まさにCIAが多大な費用を投下して洗練してきた技術である感覚の剥奪や犠牲者に自ら苦痛を招かせるような手法は、米国にとって拷問の範疇から除外されたのである。同じく重要なことは、米国が国連のこの条約を国内的に発効させるために行った立法の中に、この改変された拷問の定義が明文化されたことである----最初は米国連邦法第2340部に、次いで1996年の戦争犯罪法に。

この、第2340という数字を覚えておこう。というのも、これは、9月に米国議会が発効した、論争を呼び起こしている軍事評議会法の意味を読み解く鍵となるからである。

実質的に、米国政府は国連拷問禁止条約をまっぷたつに切り裂き、身体的な拷問は禁止したが、心理的虐待は拷問から除外したのである。CIAによる拷問を容認したまま、そうした行為を非難する国連条約を採用したことで、アメリカ合衆国は、その矛盾を政治的地雷のごとく地下に埋め込んだのだが、それは10年後、アブグレイブ・スキャンダルとして、噴出することになった。

対テロ戦争

2001年9月11日の直後、アメリカ合衆国が揺らぐ中で、ブッシュ大統領は、演説の中でホワイトハウスのスタッフ全員に対して秘密命令を下し、その際、「私は国際法学者が何と言おうとかまわない。何でもいいから力を見せつけてやる」と述べた。

それからの数カ月、政府のお抱え弁護士たちは、本来は不法な大統領の命令を、問題含みの三つのネオコン式法律ドクトリンへと仕立て上げた:(1)大統領は法よりも上に立つ、(2)拷問は法的に容認できる、(3)グアンタナモ湾にある米国海軍基地は米国の領土ではない。

心理的拷問の歴史に最も強く関係する一つのドクトリンとしては、司法次官補ジェイ・バイビーが、今や悪名を馳せることとなった2002年8月のメモの中で、拷問を行ったのちにその意図は情報を得るためであって苦痛を与えるためではないと主張すれば、CIAの尋問官については罪を問わないことを可能にするための理屈を作りだした。さらに、国連と米国による拷問の定義を身体的・精神的に「酷い」苦痛を引き起こすものと解釈することで、バイビーは、「臓器障害」に相当する苦痛は合法的であると結論した。これにより、実質的に、死に至るぎりぎりのところまで拷問が容認されることになった。

より目立たないところでは、アメリカ合衆国政府はアブ・グレイブ、バグラム、グアンタナモ、そのほかに世界中で五カ所以上に、拷問のための世界的強制収容所を作り始めた。2002年2月、ホワイトハウスは、政府は公式にジュネーブ条約の精神を遵守すると誓約しているが、それはCIAの活動員には適用されないとCIAに確約し、さらに、CIAの心理担当者が計画した10種類にわたる「強化された」尋問方法の実行を認めた。その中には、「ウォーターボーディング」も含まれていた。

ウォーターボーディング

この3年間、CIAの尋問をめぐるメディアの説明で「ウォーターボーディング」という単語が折に触れて現れているが、そうしたメディアは、一見したところ情け深いこの方法が心理的にどれだけ破壊的なものかを本当には理解していない。この方法は由緒正しい血筋を引き継ぐもので、1541年、フランスの法典に「Torturae Gallicae Ordinariae」すなわち「ゴール[フランス]式標準拷問法」という呼び名で現れている。「ゴール式」とはあるものの、この方法は、「対テロ戦争」のもとで、2005年3月の議会証言でCIA長官ポーター・ゴスが述べたように、「職業的尋問技術」となった。

人を溺れさせるウォーターボーディングのしつこい効果をどんな場所ででも生み出すために、いくつかの方法が使われている。最もよく使われるのは、犠牲者をうつぶせにして、濡れた布で呼吸ができなくなるようにする方法で、フランスの異端尋問もCIAもこれがお好みである。それ以外に、フランス落下傘部隊がアルジェリア戦争のときにやったように、直接、肺の奥まで水を無理矢理そそぎ込む方法もある。

1957年、アルジェの戦いのときにフランス軍兵士がアンリ・アレッグにこの拷問を加えたのち、ジャーナリストだったアレッグは、これについて人々の心を揺り動かす文章を書いた。それを通してフランスの人々は、拷問にもアルジェリア戦争にも反対し始めたのである。「私は、できるだけ水を吸い込まないように喉を収縮させ、できる限り長い間空気を肺にためて窒息を逃れようとした」とアレッグは書いている。「けれども、せいぜい数分間持ちこたえることができただけだった。溺死するように感じ、恐ろしい苦痛、死そのものの苦悩が私に取り憑いた」。

アレッグの言葉少ない表現「恐ろしい苦痛、死そのものの苦悩」が持つ深い意味に思いをめぐらせてみよう。「水によって肺に空気が入らなくなると、哺乳類として人間が持つ強力な潜水反射が作動し始め、脳が恐ろしく苦しいパニック信号----死の信号にさいなまれるようになる。いつ果てるともわからない数分間ののち、犠牲者は水を吐き出し、肺は空気を吸い込み、パニックはおさまる。けれどもそれから、同じことが再び起き、さらに何度も繰り返され、そのたびごとに、人の記憶にほとんど死に至る焼け付くようなトラウマが刻印される」。

グアンタナモ

2002年末、ラムズフェルド国防長官がジェフリー・ミラー将軍をグアンタナモの司令官に任命し、幅広い尋問方法を容認した。これによってグアンタナモ監獄は即席の人間行動実験室と化した。すべての人間に共通する感覚受容器に対してCIAが以前からやっていた攻撃に加え、グアンタナモの尋問官たちは、性やジェンダー・アイデンティティ、犬を恐れるといったアラブ人の「文化的感受性」を利用して心理的攻撃を激化した。ミラー将軍はまた、軍の心理学者チームからなる行動科学諮問委員会を結成して、暗闇恐怖症、母への愛着など、拘留者の一人一人が持つ恐怖症を調査した。

知覚受容器、文化的アイデンティティ、個人的心理という三層に対する攻撃を通して、グアンタナモはCIAの心理拷問パラダイムを完成させた。ここで指摘しておかなくてはならない重要なことは、2002年から2004年までグアンタナモを定期的に調査した赤十字が、「こうした制度を構築することは・・・・・・残忍で、常軌を逸した、品位を傷つける扱いおよび拷問を行うための意図的な体制として以外には捉えることができない」と述べていることである。

前半はここまでで、後半に続きます。後半は:

 アブグレイブ
 アブグレイブ以後
 結論

からなります。CIAによる拷問については、ウィリアム・ブルム著・拙訳『アメリカの国家犯罪全書』(作品社)にも関連する情報が記載されています。


■教育について

以下のような本が出たとのことです。

『教育の自由はどこへーールポ・「管理と統制」進む学校現場』
池添徳明・著
四六判・並製・280頁
定価1600円+税
現代人文社・刊

■東ティモールについて

2006年12月16日(土)から2007年5月27日(日)まで、「アクティブ・ミュージアム 女たちの戦争と平和資料館」にて、「東ティモール・戦争を生き抜いた女たち----日本軍とインドネシア支配の下で----」という特別展示がなされています。

年末年始はお休みですが、ぜひお出かけ下さい。

詳細は、「アクティブ・ミュージアム 女たちの戦争と平和資料館 開催中の展示」ページをご覧下さい。

■参議院選挙について

平和への結集 参院選に向けてというページがあります。
益岡賢 2006年12月24日 

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