ウォルフォウィッツ、イラク侵略は
2001年9月11日の2日後に計画されたと認める

ジェーソン・レオポルド
ZNet原文
2003年6月2日


イラクにあると主張された大量破壊兵器がどこにも見つからないことが明らかになった中、ブッシュ政権のタカ派が、イラクへの先制攻撃を正当化しようと試みている中で[大量破壊兵器が発見されたとしても、米英のイラク侵略は不法ですが]、イラク侵略の真の理由がようやく明らかになりつつある。

1月の一般教書演説で、ブッシュは、CIAとFBIの諜報報告によれば、サダム・フセインは「500トンのサリンとマスタード・ガス、VX神経ガスを製造するための物資を有している」と述べ、それにより、将来のいつか攻撃されると言う差し迫った危機に米国が置かれていると述べた。

その2か月後、そうした武器が存在しているという何の具体的な証拠も、諜報職員からも国連査察団からもない中で[そうした証拠があったとしても、米国の侵略は違法ですが]、ブッシュは、イラクを破壊しサダム・フセインを粉砕する武力行使を承認した。

今になって、大量破壊兵器はどうやら決して見つからないようであり、戦争に批判的だった多くの人々が、米国社会はブッシュ政権に騙されたのではないか、と声を大にして問い始めた。

ドナルド・ラムズフェルド国防長官とポール・ウォルフォウィッツ国防次官補は、ともに、この10年間、イラクに対する武力行使を提唱してきた人物であるが、この問題に決定的な終止符を打った。

先週、一握りのメディアい行なったラムズフェルドとウォルフォウィッツのインタビューから判断するに、要約すると、確かに、人々は、イラクが米国に対する差し迫った脅威となっていると不当に信じ込まされたということになる。ラムズフェルドとウォルフォウィッツは、イラクに対する戦争が、2001年9月11日の、米国に対する攻撃の2日後に計画されたと認めたのである。

2001年9月13日、キャンプ・デービッドでのブッシュ大統領やラムズフェルドをはじめとするブッシュ政権の面々たちとの会合の中で、ウォルフォウィッツは、ブッシュ大統領と、イラク攻撃開始の見通しについて、ブッシュ大統領と話し合ったことを認めた。サダム・フセインが[米国への]攻撃に関与していたという「直感的な感情」以外には全く理由がなかったにもかかわらず、である[実際、フセインは関与していない]。そして、その場では、「対テロ戦略[ママ]においてイラクはどのように位置づけられるべきか」が議論されたという。

「議論の上では、少なくとも、問題はイラクを攻撃すべきかどうかではなく、いつにすべきかが議論されていたように思えた」と5月9日のインタビューで、ウォルフォウィッツは述べる。このインタビューの記録は、米国国防省のウェブサイトに記載されている。「そこでは、攻撃すべきであるというある種の合意があったようであり、意見の相違があったのは、直後の対応としてやるか、それとも、まずはアフガニスタンに集中すべきか、という点であった」。

ウォルフォウィッツは、サダム・フセインが2001年9月11日の米国に対する攻撃を「賞賛」したため、近い未来に米国が攻撃する国のリストの中で、アフガニスタンとともに、上位に挙げられたことは明らかである、と語った。

「議論は、一つには、戦略とタイミングについてのものであった。大統領が、アフガニスタンをまずやるという主張の側に傾いていることは明らかだった。もう一つには、議論は、戦略とさらに大きな目的を巡るものであった。後知恵で見るならば、大統領が、より大きな目的の中でイラクを攻撃するという意見に傾いているのは明らかだった」。

先週のWABC−TVとのインタビューで、ラムズフェルドはさらに一歩進んで、米国の政策は、1990年代からイラクの政権交替を提唱しており、それは、今回のイラク侵略の理由でもあった、と語った[湾岸戦争の際、ニューヨーク・タイムズ紙の外交担当トマス・フリードマンは、「サダムなしのイラク鉄拳政権」が「世界中で最高のもの」と述べています」。

「立ち戻って米国議会と国連での議論を見るならば、大統領が言ったのはサダム・フセインは危険な政権で、米国政府の政策は1990年代以来、イラクの政権交代だということで、・・・そして今や政権は交代された。これはとても好ましいことだ」。ラムズフェルドは、インタビューで、このように述べた。このインタビューの原稿も、国防省のウェブページで見ることができる。

ラムズフェルドの答えは、真実の一部でしかない。ラムズフェルドとウォルフォウィッツは、副大統領ディック・チェイニーや他の政府高官とともい、1998年、クリントン大統領に、イラクの政権交代を求める手紙を書いていた。これに対して、クリントンは、アルカイーダの細胞を取り除くことに集中しているので、それはできないと却下していた。

巨視的に見ると、イラクの人々にとっては、サダム・フセインがいない方が良い。彼はイラクを鉄の拳で支配し、彼の体制に反対して声を挙げた人々を拷問し殺害してきた[米国がエルサルバドルやハイチで政府や「死の部隊」にやらせてきたように]。けれども、問題はそこにはない。問題は、ブッシュ政権が、世界に対して嘘をつき、正当化の決して出来ない侵略を行なったことにある。

しかも、これは、米国が他の[イラクだけでなく自国と同盟国以外の]「無法」政権に対して計画しているいわゆる二面作戦の開始なのである。米国政府は、イランに対しても、アルカイーダのテロリストを育て、核兵器を開発しているとして、似たようなレトリックを宣伝し始めている。

イランをどうするかについては、国務省とブッシュ政権の間に重大な意見の相違が存在する。国務省は開かれた対話を推進しており、ブッシュは政権交代を推進しようとしている[米国をどうするかについては、服従して追随する(小泉首相タイプ)、暴力的攻撃タイプ(米国に爆弾をしかけるとか)、対話と要求を行おうとするタイプ、の3タイプ位はありそうです]。

先週ラムズフェルドが行なった数回のインタビューの中で、彼は、イランの政権を転覆するために軍事力を用いるのかどうかという質問には、答えなかった。

「それ(武力行使)は大統領次第だが、イランが現在のイラクの事態に影響を与えようとして、イラクを自分のイメージ通りにしようとするのに応じて、我々は、それを阻止しなくてはならない。そして革命防衛隊のメンバーをイラクに送り込みそれを行おうとしているならば、それを捕獲し殺さなくてはならない」と、ラムズフェルドは、先週のWCBS−TVとのインタビューで語った。

一方、ウォルフォウィッツは、イランをどうすべきかについて、より率直だった。彼は、CNN国際サタデーで、イランを運営している聖職者たちを追放するために武力を行使するかどうかという質問に対し、「ご存じのように、ご存じかと思うが、そうした可能性を我々は決して除外しない」と答えたのである。


「ある国が憲法を有し国内的に民主体制であることは、暴力と侵略を行わないことを意味しません。これについては、長い歴史があります。英国は、19世紀には恐らく世界で最も自由な体制の国でしたが、同時に、世界の大部分に対して、恐るべき残虐行為を行使していました。そして、米国の場合も同様です。記録はとても昔に遡ります。例えば、1世紀前にフィリピンを侵略して何十万人もの人を殺しフィリピンを破壊したとき、米国は民主的な国でした[黒人や先住民や女性が人でなければ、ですが]。現在政権にいる人々がニカラグアに対して破滅的なテロ攻撃を続けていた1980年代も、米国は民主的でした」(チョムスキー・インタビュー)。

イラクの不法侵略と不法占領に荷担した日本政府は、その流れの中で有事法制をごり押ししようとしています。有事法制反対のイベントはここに、首相官邸への抗議のfaxは、03-3581-3883に、オンラインでの意見書き込みはこちらからできます。
益岡賢 2003年5月16日 

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