ヘレン・ウィリアムズさん「イラク日記」9月5日
ヘレン・ウィリアムズ
原文
ファルージャを中心にイラク情報を紹介しているFallujah, April 2004 - the bookに、『ファルージャ2004年4月』を共編訳したいけだよしこさんが翻訳紹介してくれたものです。相変わらずブログの方の接続が重く、つながらないことも多いので、いけださんの許可を得て、ここに再掲します。
バグダードで人道支援活動をしている英国人(ウェールズ出身)のヘレン・ウィリアムズさんが間近で目撃した路上爆弾,そして米軍による「撮影禁止」と虚偽の発表。
ヘレンさんは,ジョー・ワイルディングさんのお友達で,彼女に送ったメールが彼女のウェブログに転載されていますが(日本語訳やりかけになってましてすみません),ヘレンさんご自身はエレクトロニック・イラクに「イラク日記」を連載しています。
ケヴィンさんはヘレンさんの弟(または兄)。同じ支援活動をしています。
[以上はいけだよしこさんの解説]
メディアの抑圧,そしてまたいつもの爆弾
Media Suppresion & Yet Another Bomb
Helen Williams & Kevin Williams, Youth Aid Iraq, 5 September 2004
http://electroniciraq.net/news/1634.shtml
バグダードより 2004年9月4日
今朝,ケヴィンとウェジ(Wejdy)と私は,ケラダ(Kerrada)のメイン・ストリートで買い物をすることにした。いろんなものを買わなくては。とりあえずアパートのガラスを直すのにガラス屋さんを手配しなければ。私たちはメインストリートをちょっと外れたところにある店でガラスを注文して,ガラス屋さんを予約した。ガラスの代金とはめてもらう費用とで,15000ディナールくらい(6ポンド)かかりそうだ。
これが終わってから私たちはメインストリートに戻って買い物を続けた。ウェジがある店に入り,ケヴィンと私は外で待っていた。
ウェジを待っていると,3台のハンヴィー(米軍の軍用車両)がカラマナ・ラウンドアバウト(Karamana Roundabout)の方からこっちに向かってやってきた。私はケヴィンにこんな冗談を言った――ウェジったらかわいそうに,せっかくのハンヴィーなのに。彼はハンヴィーに向かって「家に帰れ」と言うのが大好きなのだ。
突然,道路の真ん中で大きな爆発。ケヴィンも私も,実際の閃光を見た。爆発で巻き上げられる埃の大きな球体を見た。私たちはすぐに,そして直感的に向きを変え,砲弾の破片が飛んでくるといけないからと身をかがめた――爆弾が爆発した地点は80メートルも離れてなかった。
例の3台のハンヴィーは砲弾に当たらず,無傷だった――爆弾は3台の最後の1台が通り過ぎたあとに爆発したのだ。ハンヴィーはフルスピードで走り,爆発の現場をものすごい勢いで後にした。
私はハンヴィーがあんなに速く動くのは見たことがない。いや,あんなに速く走れるなんて初めて知った。
ウェジが店から出てきた。私たちは現場へ急いだ――まだ黒い煙と埃が立ち込めていて,自分の行き先が見づらいくらいだったけれど。
近付いていくと,40代の白いひげを生やした男性が,爆弾から逃れて通りを走ってくる。白いディシュダーシャを来ていた。この男性のディシュダーシャは胸と脚の部分が血に染まっていた。彼はパニックに陥っていた。
それから,20代後半の男の人が通りすぎていった――チェック柄のシャツは血に染まっていた。ほかにも多くの人が,頭や身体に砲弾で傷を負い,切り傷からは血が出ていた。
現場に近付いたとき,ウェジが死体が運ばれていくのを見た。爆発があった地点には,ぐちゃぐちゃに壊れたタクシーがあり,その後ろの道路には濃く赤い血がたまっていた――あんな量の血を失ったら誰だって死んでしまう,私の意見では。
道路をわたったところにある銀行の警備員が道路に出てきていた。そして何の理由もなく,空中に向けて発砲し始めた。これは既に恐がっているイラク人の通行人らを恐怖に陥れる効果があった。通行人たちは警備員に向かって叫びはじめた――手やこぶしを振り上げて。ものすごい光景だった。そして最終的に,警備員たちは彼らのカラシニコフをもっともっと空中に向けて発射することになった。
下敷きになっていた人はおらず,私たちが助けられる人もいなかったので,写真を撮り始めた。銀行にカメラを向けないように注意した。銀行はレイザーワイヤーで囲まれている――これは微妙な/リスクの高い建物だ。新生イラクではこのような建物を撮影することは許されていない。
歩道に散らばったガラスを踏まないように気をつけつつ,私たちは何度かシャッターを切った。するとあのキレた警備員たちが私たちを見た――ひとりは銀行の屋上から私たちに向かって叫んでいる。彼らは私たちに写真などまったく撮ってもらいたくないのだ。そしてウェジの使っていたカメラをつかもうとした。
現在のイラクでは,警備員や警察などは,訓練されてないことと素行の悪いことで評判が悪い。しかしここでの彼らの,写真を撮っている人たちに対する行動は,明らかに命令に従ったものだった。一言一句漏らさず,書いてあるままに従っている命令。彼らがウェジにつかみかかり,次に私につかみかかったとき,あわや乱闘になりそうだった。そして群集の中の人たちが騒動に巻き込まれて警備員に向かって叫びはじめ,ますます険悪な雰囲気になっていった。
ウェジは引きずって連れて行かれた。ケヴィンと私は何とかして彼を引っ張って戻した。この頃には楽器屋の「ハイダー」も現れ,ウェジと話をして,彼もまた警備員に文句をつけようと行ってしまった。私たちは少し離れたところに腰をおろし,息をつこうとした。
惨劇と死の現場を座って眺めていると,何人かのイラク人がやってきて私たちに話しかけた。ひとりは床屋のオマールだ。床屋はわずか40メートル先にある。彼も額や胸に血をつけていたが,大丈夫だった。ただ震えていた。みなと同じように。
オマールは私たちが大丈夫かどうかを気にしてくれて,店でお茶でもどうだいと誘ってくれた。私たちは彼の後について店に行き,埃をかぶった椅子に座った――爆発のために天井から石膏ボードがはがれていた。爆発したときに衝撃で兄さんが倒れたんだとオマールは言った。彼は怪我をしてしまった――わき腹と脚に大きな切り傷――ので,病院に連れて行かれた。私たちは水をもらい,オマールはお茶のグラスを取りに行った。
まだ震えている私たちの手にグラスを持たせてくれたとき,私はグラスがソーサーの上でかたかたと震えているのに気付いた――オマールの手もまだ震えていたのだ。
一帯の商店はすべて正面が破壊されてしまっていた――爆弾のすぐ隣にあった店は完全に破壊されていた。私たちがたった数分前に通りかかった店だ。そのときには無傷だったし,店の人は今日が他の日とは違う日になるなんて,思ってもいなかった。
肉屋の向かいの楽器屋は,大きな窓ガラスが粉々になっていた。
たとえ死者や負傷者がいなくても,このひどい混乱状態だけでも耐えがたいんじゃないかと私は思った。これからガラスを入れ直さなければならないし,片付けもしなければならない。それには費用がかかる。その支払いをみんなしなければならないのだ。私は何日か前に爆弾でアパートの窓の1枚をやられただけだが,この手間とごたごた,そしてショックで,私たちはすっかりぐったりしてしまっている。
見ていた人たちと話し,自分たちでも目撃して,私たちは,イラク人2人が死亡し,8〜9人が怪我をして病院に運ばれたということを知っていた。ここは私たちが住んでるエリアなのだ。
20分ほどして,「新しい」ハンヴィーが現れた。兵士たちは,常の如く,事態をますます悪くして,地元のイラク人たちに英語で何かを叫び始めた。
ケヴィンが兵士のひとりと話をした。いや,むしろ兵士がケヴィンのカメラを見てケヴィンに話しかけたのだ。兵士はケヴィンに,許可がなければ写真撮影はできないと告げた――まったく撮影は許可されない,と。兵士はカメラを出せと要求した。
撮影班がやってきた。撮影班は許可を得ていて撮影できる。インタビュアーはその米兵に何人死んだのかと尋ねた。その答えは,何と「死者はゼロです。タクシーの運転手は腕を怪我しましたが」! まったくの大うそ!
ケヴィンが撮影班に,道路を渡って血の海を撮影したらと言ったが,彼らは躊躇したあげく断った。「私たちは今は道路は渡れないので」と言って。
現在,イラクでは,これまでにないほどに真実が抑圧されている。セキュリティ・ガード,警察,米兵,みなどこか高いところから,写真を撮影している人々についての命令を受け取っているようだ。
NBCのようなコーポレート・メディアが現れても,彼らは真実を発見したいとは思っていない。前に述べたNBCのカメラマンは,通行する許可が得られないから実際の現場には近寄れないのだということを立証しようとしていた。
しかし3分もして,私たちはそこに行ったのだ。私たちが「クリスチャン・ピースメーカーズ・ティーム」の3人と話をしたのはここでだった。だからカメラマンは現場に行ってちゃんと撮影することが楽にできたはずなのに。偶然にもひとりは米兵に言いがかりをつけられ,フィルムを没収されそうになっていたのだ。ひとりの兵士は彼らに怪我人3人だけで,それも病院に運ばれたと語っていた。
もう聞いていると思うけど,アルジャジーラのバグダード支局が閉鎖され,イラクからの報道を30日間にわたって禁止されていて,どうやらその閉鎖が延長されそうだ。
アルジャジーラのオフィスはスワン・レイク・ホテルにある。(爆発のあった)カラマナ・ラウンドアバウトからちょっと先だ。このホテルはブロックやレイザーワイヤーや検問所に囲まれてはいない。2〜3人の警備員が外にいるだけ。だからアルジャジーラの記者は,外の世界により早くより簡単にアクセスできる。BBCやCNNといった報道局は,シェラトン&パレスチナホテルという要塞に安全に閉じ込もっている。
新生自由イラクには,自由なマスコミなどというものはない。自由な報道もない。真実を告げる活動もない。
現在,イラクについてどのくらい,ニュース番組でやっている? 毎日起きている攻撃や爆弾や死や悲劇のことを思えば,全然少ない。ジャーナリストは,仕事が果たせないのならそれを正直に受けとめて,自分たちの状況を考え直して,出ていくことを検討すべき――彼らはイラク人の仕事を奪っている。そして,彼らは,自分たちの職業の評判を傷つけている。
もうひとつ。ケラダでの2件の路上爆弾の件から明らかなのは,死と破壊はアメリカ人と一緒にやってくるということ。私たち,そしてイラク人たちは,彼らを見たくない。彼らに私たちの住んでいるエリアをパトロールしてもらう必要など感じていない。
兵隊があなたの住む通りにいる時に,爆弾が爆発し,罪のない人が死ぬ――兵隊ではなく。サダムの治世を生き抜き,戦争と空爆を,経済制裁を行き抜いた罪のない人が死ぬ。
いったいいつになれば終わるのか?
では。
Helen Williams
Kevin Williams
living amongst Iraqis in Bagdad
from Newport South Wales.
日本国内では、日の丸君が代強制、教科書問題、辺野古の「調査」開始など色々なことが進んでいます。
女性への暴力に関するイベントを二つご紹介します。
■「反テロ戦争」と女性に対する暴力:
「女性解放」という名目で正当化されてきた軍事侵略がもたらしてきたもの〜パレスチナ・イラクで〜
●日時 2004年9月25日(土)午後6時30分〜8時30分
●会場 ひと・まち交流館(3階) 第5会議室
河原町五条下る正面、最寄駅:京阪五条or京阪七条
TEL075-354-8711、地図:http://www.hitomachi-kyoto.jp/access
●お話 清末愛砂さん
●参加費 500円
●共催 清末愛砂さん講演会を準備する会/アムネスティ京都グループ
●問い合わせ先 075−751―0704(山崎方)(夜9時半〜10時半)
(Eメールは ANC49871@nifty.com)
清末愛砂(きよすえ あいさ)さんのプロフィール
大阪大学大学院国際公共政策研究科博士後期課程在学中。英国ブラッドフォード大学留学中に、パレスチナの非暴力運動「国際連帯運動」に関わる。人身売買に関する研究をする傍ら、ジェンダーの視点から見た「反テロ戦争」の分析を行う。現在、アジア女性資料センター ( http://www.jca.apc.org/ajwrc/)および非暴力平和隊・日本 (http://www5f.biglobe.ne.jp/~npj/)の運営委員を努めている。
■強いられる沈黙:
ケニア 外国軍による女性への性暴力
●日時 2004年11月3日(水)〜27日(土)
●全国12箇所で講演
●お話 エミリー・ロゲナさん
●詳細はアムネスティのHPをご覧下さい。