ファルージャ:何度でも闘うだろう

ダール・ジャマイル
2004年5月7日
New Standard原文


年老いたイラク人が、埃っぽい暑さの中、愛する人の墓地の傍らでむせび泣いていた。墓地に姿を変えたサッカー場でのことである。むせび泣きのあいまに、彼は拳を突き上げて、「アッラー・アクバル」(神は偉大なり)と叫んでいた。

私たちは、兄弟が彼を支えてゆっくりとこの新たな墓地から出てくるのを待っていた。

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ファルージャの殉教者墓地:米軍の攻撃により犠牲となった500人近くの遺体で溢れている


ファルージャのサッカー競技場には、新たに作られた墓が何列にもわたって続いていた。そのうち多くはほかのものより小さかった。私の通訳ネルミンは墓石に掘られた碑を読んでくれた:「これは小さな女の子」。もう一歩先へ進んだ。「これはそのお姉さん、その隣は母親です」。

私たちは、焼け付く太陽の下、埃の舞う粗末な墓石の列をゆっくりと進んだ。ネルミンは、墓碑を私に読み上げ続けた:「黒いディッシュダッシャーとジャケットを着た老人。工業地帯の近くで。彼は手に鍵を持っていた」。身元が確認される前に埋葬された遺体は多い。「赤いトラック・スーツを来た男性」。彼女が静かにこう読み上げたとき、私の目に涙が込み上げてきた。彼女は、別の列を指さして言った:「町を逃れようとしていた車の中で、米軍のミサイルにより殺された3人の女性」。

ファルージャにあるサッカー場の一つは、殉教者墓地と化していた。4月を通しての戦闘で何百人もの人々が殺されたためである。米軍海兵隊が市最大の墓地を取り囲んだため、ファルージャ住民は、サッカー場に遺体を埋葬しなくてはならなかったのである。イラク人医師たちは、殺されたイラク人の半数以上が女性と子ども、老人であると考えている。私が見た墓は、それを証明しているようである。ここには、500もの墓地があった。その数は今も増え続けている・・・・・・

車に戻っているとき、近くのモスクからイマームの声が拡声器を通して流れてきた:「今月私たちが幸福を感じる理由は二つある。一つは、我らが預言者の誕生日であること。二つめは、私たちがアメリカ人に勝利したこと!」。

そのために支払われた犠牲を思い、私は泣いた。

それより少し前、小型無人偵察機が音を立てて飛行している中、別のモスクの雰囲気はもっと頑としていた。海兵隊が次の月曜日から、イラク警察(IP)およびイラク文民防衛部隊(ICDC)とともにファルージャの路上パトロール(ママ)を再開するだろうという噂が飛び交っていた。IPとICDCとが、この噂を広めていた。

アブドゥル・モハメドは「月曜日にアメリカ人たちがパトロールを始めると、今度は前よりももっと多くの人々が闘うだろう。復讐を求める人の数は今や膨大なのだから」と私に言った。

もう一人の男性も怒りを露わにして述べた。「奴らは自分たちの失敗をこのパトロールでごまかそうとしているのです。私たちはもう一度奴らと闘うでしょう!」。彼は続けた:「私たちはこの町に奴らが来ることを望まない!ファルージャでは、誰一人として米兵に私たちの町の道を歩いてほしがってはいない!奴らによって家族を殺された人は皆、奴らに復讐するだろう!」。

この話をしたのは、ミサイルか戦車かにより破壊された---頂上のすぐ下に穴が開いていた---ミナレット(尖塔)の下の瓦礫のところであった。上れる所までミナレットの螺旋階段を上ったとき、さらに二人が私の所に昇ってきた。その場から町を眺めたが、まるで廃墟のようだった。数週間前、私が最後にファルージャを訪れたときよりも、さらに多くの破壊が加えられていた。

二人のうちの一人は、英語で、「私は米軍の狙撃兵が、屋上で服を干そうとしている女性を撃ったところを目にしました。米軍言うところの停戦期間中のことです」と私に言った。

今日は、狙撃兵が民間人を殺したという恐ろしい話をあまりに沢山聞いたので、全部を把握し切れていない。瓦礫にまみれた会談を注意深く下に降りたあと、私たちはファルージャのジュラン地区に車を向けた。4月の戦闘の際、大量の爆撃を受けた地区である。

ムジャヒディーンの検問所二カ所を通り抜けたあとは、ジュラン地区の細い道と数多くの路地はほとんどが空っぽだった。膨大な数の家が爆撃を受けていた。残りの家は銃弾で穴だらけにされていた。ナツメヤシがなぎ倒され、遺体の腐臭が漂っていた。

小さなモスクの真ん前に、大きなクレーターがあった。少なくとも8フィートの深さで、直径は25フィート程もあるものだった。その穴には、下にあるパイプから漏れ出た水が半分ほど溜まっていた。人々はモスクの中に座ってイマームの話を聞いていた。私が写真を撮ると、数人の男たちが回りに近寄ってきた。

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4月に米軍の爆撃を受けたモスク


その一人は次のように言った:「月曜日、アメリカ人たちが戻ってくるといいのに。奴らは私の従兄弟を殺し、私の家に焼き払った。神が私たちに勝利を与えて下さった。もう一度米軍が戻ってきても、神は再び勝利を私たちに与えてくれるでしょう!」。

もう一人はモスクを指さし言った。「海兵隊は、モスクを爆撃する前に、中に入って避難していた人々の喉を掻き切ったのです。これが米国の民主主義でしょうか?これが米国の自由でしょうか?」。

ファルージャで広まっているもう一つの話は、海兵隊がモスクのミナレットを使って、そこから人々に発砲していたというものである。どこへ行っても、話したグループのすべてで、人々はこのことを語っていた。本当かどうかは別として、ここの人々はそれを信じている。ダメージは加えられた。こうした信念は、アブグレイブから持ち出された写真によりさらに確固たるものとなり、占領者に対する不信と憎悪は武器を手にした抵抗へと転じた。

ジュラン地区を少し先に行ったところで、道ばたに焼き払われた救急車が目にとまった。

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ファルージャのジュラン地区で目にした破壊された救急車


また別のモスクでは、二発の銃弾が貫通した聖なるコーランを見せられた。完全に破壊されたミナレットから歩いてきた別の男性は、戦車の砲弾の薬莢を見せてくれた。

戦闘中のほとんどを通してファルージャにいたアジズ・フセインは、米軍戦闘機による恐ろしい空襲について私に語った。ファルージャの全住民がムジャヒディーンを支持して団結していた、とも。「誰かが家族の一員や家を失っても、ムジャヒディーンを非難することはありませんでした。空爆により殺された人のほとんどは民間人です。アメリカ人たちは、民間人はムジャヒディーンにより殺されたと言っていますが、それは全くの嘘です」。

彼もまた、海兵隊がミナレットから人々を撃っていたと語った。「モスクに行こうとしたとき、狙撃兵が私たちに向かって撃ってきたのです」。

さらに恐ろしい話も耳にした:海兵隊が民家を占拠して現金や貴金属を略奪し、人々の食料の上に糞をし、牛や鶏、犬を殺したというものである。

私たちが立ち去ろうとしていたとき、ある男性が私にこう言った:「米兵がここでパトロールを開始したら、ただちにムジャヒディーンは米兵を狙撃するでしょう。ファルージャは私たちの町です。アメリカ人のものではありません!」。


ダール・ジャマイル:
米アラスカ州アンカレジ出身。ジャーナリスト、活動家。2004年、イラクに滞在し、米軍の占領がイラクの人々に及ぼす影響を中心にした記事を、米国の「ピープルズネットワークス」が運営する「ニュースタンダード」紙(http://newstandardnews.net/)などに寄稿している。イラク滞在を綴ったホームページはhttp://blog.newstandardnews.net/iraqdispatches/。ジャマイルの活動を支える紹介ページがhttp://newstandardnews.net/dahr/index.cfmにある。

日本の高島肇久外務報道官は、4月28日、イラクの駐留米軍がファルージャを空爆し、レジスタンスとの停戦状態が破られたことについて「停戦条件である武器回収がなかなか進まないという側面もあってのこと。米国側もやむを得ず(空爆という行動を)取っていることと考える」と述べました。

武器回収? 誰の? 民間人を狙撃している米国海兵隊(沖縄の基地からイラク不法占領に赴いた)の? 人々の支持を得て米軍による殺害から住民を守り、ファルージャを解放しようとしているレジスタンスの人々の?

4月、ファルージャで米軍が何をしてきたか。これについて、ファルージャに入った人々の報告をもとに、現在、緊急に本を制作中です。現代企画室より6月には出版される予定です。

アルグレイブの拷問(法的定義上、完全に拷問です。「虐待」という曖昧な概念で表現されるべきものではありません)をめぐるブッシュの「謝罪」は、何故か、拷問を受けた人々に対するものではなく、それにより米国のイメージが傷つくことを気にしていたものでした。

イラクからの、イラク人自身の声としては、バグダードバーニング(とりわけ5月7日の記事)そしてRaed in the Japanese Languageもご覧下さい。また、関連する情報としては、TUP反戦翻訳団のページをご覧下さい。

イラク都市の爆撃を傍観してはならない 米国市民とともに米軍の戦争犯罪を告発しよう」という署名サイトが立ち上がりました。また、ラムズフェルドの辞任を求める署名というのもあるようです。

日本テレビ「真相報道バンキシャ!」がアブグレイブの拷問について扱いたいということで、メールにて取材(?どちらかというと情報の問合せということになりましたが)を受けました。ファルージャ、アブグレイブの出来事で、メディアも少しずつ掘り下げたものが出てきているようです。5月9日(日)の夕方にそれについて放映されるかも知れません。
益岡賢 2004年5月9日 

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