ラウール・マハジャン
ZNet原文
2004年4月14日
バグダッド、イラク---アーダミヤー。アブ・ハニファのモスクはイスラム法主流派ハナフィ派の創始者が眠る墓地の囲んで建てられたもので、バグダッドのアーダミヤー地区を1250年前から見守っていた。フラグ[1217〜65年・イルハーン国の開祖でチンギス・ハーンの孫]は、1257年にバグダッドを略奪した際、このモスクを馬小屋として使ったが、それ以外は、バグダッドが被った多くの侵略者や外国の専制支配下でも、蹂躙を免れてきた。バグダッドで最も重要な(とはいえ最大のものではないが)スンニ派のモスクであり、世界中からのムスリムが巡礼に訪れる地でもある。
米軍によるファルージャの包囲が始まり、あらゆるモスクで食料や医薬品、生活必需品、血液、金などの寄付が呼びかけられたとき(これについて私はhttp://www.empirenotes.org/index.html#07apr043で以前書いたことがある)、アブ・ハニファ・モスクが中心となったのは、自然なことであった。
それから、ファルージャが爆撃され、難民が大量に流出したとき、アーダミヤーの住民の家に難民を受け入れる活動の調整も、アブ・ハニファを通してなされた。
こうしたことから、軍用品が密かにファルージャに運び込まれたりムジャヒディーンがファルージャを出入りしているのではないかと疑った米軍が、アブ・ハニファ・モスクを襲撃捜査するのは自然なことであった。
モスクの警備隊長イサーム・ラシッドが、私たちにその出来事について話してくれた。日曜日(4月11日)の朝3時半、米軍兵士100人が、武器とレジスタンス戦士たちを捜索するためにモスクを襲撃した。いつも通りのやり方で襲撃は始まった---戦車で門から突入し、ハンマー[高機動多目的装輪車両:高度な運搬力を持つジープのような軍用車]が、救援物資の一部を踏みにじって破壊した(物資のほとんど---200トン以上---は既にファルージャに送られていたが、モスクにもかなりの量の物資が残っていた)。兵士たちが袋を引きちぎってライフルを探したために、物資はさらに破壊された。ラシッドは、恐らく3トンの援助物資が破壊されただろうと推測している。私たち自身も残骸の一部を目にした。豆の袋が引き裂かれ、豆があたりに飛び散っていた。
アブ・ハニファ・モスクは人で一杯だった。その中にはキルクークの赤新月社から来た90人もおり、ファルージャへの追加援助を手配していた。全員、銃を後頭部に突きつけられ、床に伏せることを命ぜられた。モスクに勤めるもう一人の人物アルベル氏---彼は流暢に英語を操る---は、私たちに、自分が繰り返し「どうか扉を壊さないでくれ。どうか窓を壊さないでくれ。我々が手助けをしよう。守衛に扉の鍵を開けさせるから」と言ったと説明してくれた(ちなみに、アルベル氏は、パン屋さんをやっていたためにサダムに投獄されていた。彼の言うところによると、「貿易封鎖の中では、小麦も砂糖も卵も、別々になら食べることができるが、それを混ぜ合わせて焼くと、砂糖価格をつり上げて経済を悪化させているとして最大15年間投獄されることになる」)。
米兵たちは、アルベルの懇願を聞き入れなかった。私たちはモスクとイマーム・アッダム・イスラム校という敷設のマドラサを隅々まで見て回った。何十枚もの扉が壊され、窓が割られ、天井が剥がれ、弾痕が壁や天井に穴を作っていた。米兵たちは、天井裏の不法な武器を探すために、まず天井に向けて銃を乱射し、それからパネルを壊して上にあがって捜索した。
米兵たちは、学生のテスト用紙までライフルで撃ち抜いていた。モスクの「守衛」をしている、片足を引きずった弱々しい老人(実際にはモスクのイマームに住居を与えてもらった大家族を抱える貧しい男であった)は、ライフルの柄で頭を殴られ、倒れたところを蹴飛ばされた---ただ単に扉を開けるのが少し遅かったからという理由で。彼は武器など持っていなかったと述べた---実際、モスク全体でたった3丁のカラシニコフがあっただけであり、それらは治安を守るためのもので、イマームの部屋に置かれていた(兵士たちは襲撃捜査の際、その銃弾を押収した)。そして、むろん、米兵たちは、土足でモスクに侵入していた。
米軍司令官に言わせると、これは、ファルージャに軍用品が持ち込まれないようにするための予防措置であり、戦争法のもとで合法であるということになるのだろう。けれども、アブ・ハイファ・モスクはいかなる不法活動にも関与しておらず、何も発見されなかった。兵士たちは、そもそも言葉で尋ねようとさえしなかった。イマームを訪問して、モスクを捜査してよいかどうか尋ねさえしなかったのである。さらに、アーダミヤーに駐留してから一年経った今も、人々のことをよく知らず、そこには何もないことさえ分からなかった始末である---この地域のレジスタンスは、撃ち返された銃弾がモスクに当たることを恐れて、モスクのそばからは決して発砲しなかったと、米兵たちは、繰り返し聞かされていたにもかかわらず。
この小さな作戦で、どれだけのイラク人の心をつかむことができたかが、伺えよう---戦争が始まって以来、このモスクが襲撃捜査を受けたのは、これが3度目である。
アブ・ハイファ・モスクには、現在再建中の塔がある。戦争の際、米軍の襲撃で破壊され、一年後の今、ようやく、復旧が終わりつつある。ラシッドは長くかかった理由を教えてくれた。「戦争の後、米軍が来て塔の再建に金を出そうとしたが、私たちはそれを拒否した。私たちは、自分たちのお金で塔を再建する。私たちはあなたたちからはびた一文受け取らない。色々なものを破壊して、それから金で私たちを買収し、信頼を得ようとしても無駄だ。これはゲームではないんだ」。
ラシッドに、名前を全部公開していいかどうか聞いたとき、彼は「もちろん」と答えた。この頃、ますます多くのイラク人が、そのように言う。恐れていたであろうが、怒りによって恐れを忘れた人々が。イラクで不足していないわずかなものの一つ、それが威厳であった。
ラウール・マハジャンは帝国ノートを運営しており、バグダッドからWebとブログを発進している。最新の著書は「Full Spectrum Dominance: U.S. Power in Iraq and Beyond」。この本の中で、マハジャンは、イラクに対する米国の政策、大量破壊壁をめぐる嘘、ネオコンの計略とブッシュの新たな帝国主義政策について述べている。メールアドレスは、rahul@empirenotes.org。
日本時間の4月15日、今井さん、郡山さん、高遠さんの3名が解放されたとのニュースが入った。まずは、お疲れさまでした。
ファルージャでは、米軍が街を実質的に閉鎖し、全住人を人質に取って、さらに、救援物資の搬入も妨害し、街から出ることも妨害して、今も虐殺を続けています。700人近い人々が殺されました。その中には、100名以上の子供、200人以上の女性が含まれています。
日本の自衛隊は、ファルージャのイラク人人質を大量に殺害している米軍の同盟者であり、同様にCPAに属しています。さらに、米兵を輸送してさえいるのです。「イラクで人道復興支援にあたる自衛隊」と、首相が、天皇が、メディアが何度繰り返そうと、お馴染みの閉じこもった自己幻想の中で、自衛隊だけは別と、どんなに勝手に信じる人がいようと、残念ながら、この事実は変わりません。
自衛隊は、ファルージャで、そして全イラクで、イラクの人々を人質に取っている、米軍を中心とした「犯人グループ」に属しているのです。
次は、イラクの人々を解放するときでしょう。