米国はバグダッド陥落を宣言した。あちこちで今も戦闘が続いてはいるが。現時点で、抵抗がどれだけ続けられるかはわからない。歴史的に、外国の侵略者が大規模な相手の軍隊を打倒した後に、小規模な戦闘が何年にもわたって続くことがある。イスラエル軍がレバノンに侵略した、当初、支えきれない規模になっていたパレスチナ人の存在を取り除くものとしてレバノン南部でそれを歓迎する向きもあったが、20年近くにわたり、イスラエル軍が撤退するまで、抵抗運動は続き犠牲者は出続けた。
米国の軍事的「勝利」が比較的容易であったことは、サダム・フセイン政権が、自国国境の外ではほとんど脅威でなかったことを示している。1990年には、イラクはかなりの部隊を擁していたが、今回の戦争が始まるかなり前には、イラクが、中東の基準から言ってさえ手強い部隊でなくなっているということは、明らかだった。ブッシュ政権は、2003年のサダムが隣国にとって脅威であると主張したが、その主張を中東地域で真面目にとるものはいなかった。そして、ブッシュの主張に何の根拠もなかったことが、今や示された。
イラクは大規模な化学兵器と生物兵器を擁していると繰り返し繰り返しブッシュが主張し続けたにもかかわらず、そうした武器も、そして禁止されたミサイルすら、イラク軍は使わなかった。実際、米英軍兵士たちが対化学戦用防護服を着なくてはならなかった唯一のときは、仲間の攻撃による事故から遺体を運び出すときであった。米軍が用いる劣化ウラン弾の放射能から身を守るためである [1]。むろん、ペンタゴンは、劣化ウランは全く安全であると主張しているが。
熱狂したメディアによる沢山の報道にもかかわらず、禁止された武器の隠された貯蔵庫も暴かれていない。イラクが禁止された武器を所有しているということが、戦争の公式の理由説明であったのだから、それが見つからなかったことは、米国政府にとって当惑すべきことだった[日本政府は、イラクの大量破壊兵器が問題だ、その査察に協力しないことが問題だと言い続けてきた。当の査察官が、イラクは協力していると述べていたにもかかわらず。石油支配のための殺人、殺人のための口実作り]。とはいえ、大量破壊兵器が今後見つかったとしても(そしてそればペンタゴンによってだけでなく独立した専門家によって確認されたとしても)、それは戦争の正当性をいささかも立証しない。イラクが大量破壊兵器を保持しているかどうかが問題であったことは一度もない。問題は、そうした兵器が、他国に対する重大かつ抑止できない脅威となっているかどうか、その脅威が査察により無害化できるかどうかであった。
テレビ画面には、サダムの失脚に対する祝福で一杯である。サダムは残虐な独裁者であり、彼の失脚は歓迎される。とはいえ、テレビ画面の祝福に多くの意味を与えすぎるのは誤りである。祝福している人々が、イラクの人々全体をどれだけ代表しているのかは、知る余地もない[来るべき嘘をプロパガンダに備えるためにもご覧下さい]。
数百万人の人口を擁する都市で数千人が祝福していることは、全体を示すものではない。そして、人々がたとえ米英に反対していたとしても、反対デモ行動を行うことはないだろうと考えることが出来る。
戦争賛成のコラムニストであるトマス・フリードマンは、ニューヨーク・タイムズ紙4月9日付けに、次のように書いている[フリードマンは第一次湾岸戦争の時点で、「サダム抜きのイラク鉄拳政権が世界中で最上のもの」と述べた人物]。「反サダムのシーア派の拠点であるイラク南部でさえ、誰も米軍を拍手喝采で迎えていない。喝采?米軍救援作戦[ママ]に属するリチャード・マーフィー中佐に、イラクの人々がどのように部下を迎えているか訊いたとき、彼は率直かつ正直に、『あからさまな敵意に気付いたことはない』と述べた」。
「あからさまな敵意?我々は、大歓迎を予想していたが、あからさまな敵意が無いことに安心している状態である。まだたった20日間しかここにいないのに」[2]。
喝采はまた、サダムの失脚を喜ぶ人々のどれだけた戦争を支持したかについても何も語っていない。フリードマンは、ウムカスル病院のサファー・ハラフ医師に、米軍は何故こんなに静かに迎えられているのか尋ねている。ハラフは次のように答えた。「多くの人々は、息子が兵士でした。軍に徴兵されたのです。多くの人が息子たちを失いました。戦争に対して怒っています。戦争以来、水も、食料も、電気もありません・・・洗い物にも飲用にも、この5日間、水がないのです」。
第二次世界大戦の全面爆撃やベトナム戦争の絨毯爆撃と比べると、今回の侵略での民間人犠牲者はとても少ないが、人道的作戦とはほど遠い。この戦争で国際人権団体が非難した兵器は、サダムが用いたのではない。非難されたのは、米英軍のクラスター爆弾である。これは、不発ボムレットを残し、それが地雷となって向こう何カ月も一般市民を標的とする [3]。食糧不足、水の不足、設備もスタッフも供給も不十分な病院がいたるところにある。そうした中で、米英による12年もの経済制裁により既に弱体化された人々の間で、病気が広まっている [4]。ある米軍軍曹は、イラク兵の近くにいた民間人女性を射殺した。「申し訳ないが」、「あの女はじゃまなところにいたんだ」とその軍曹は述べた。
こうした殺人を、熱狂しすぎた個々の兵士のせいにすることはできない。
無関心は、最も高いレベルで承認された政策なのである。米軍の戦車がバグダッドのパレスチナ・ホテルに砲弾を撃ち込み、2名のジャーナリストを殺害したとき、ペンタゴンの官僚は次のような質問を受けた。
「戦車が小火器の銃撃を受けおそらくRPGの発砲をホテルの方向から受けたという報告があるが、ジャーナリストたちは、そんなことは目にしなかったと語っている。これは、非武装のジャーナリスト達がいると知りながら、ホテルに向けて戦車が発砲することの理由として十分だと考えるのか?」
スタンレー・マックリスタル少将は、部隊が攻撃を受けたら、「それがどこから来たかについてどれだけ特定できるかにかかわらず」、部隊は「自衛という固有の権利を有する」と述べた。
そして、ビクトリア・クラーク国防省次官補は、さらに、「戦場は危険な場所である。バグダッドは特に・・・我々はバグダッドが安全な場所ではないと言っている。皆さんはそこにいるべきではないのだ」 [6]。けれども、バグダッド500万の住民には、どこにいるかの選択の余地はない。せいぜい、バグダッドをはじめとするイラクの各地で「討伐」作戦が進められている中では、あまり沢山の民間人が「危険な場所」にいることのないよう願うことができるだけである。
バグダッド市民が市街戦から身を守ることができることを願うのには、理由がある。米軍は、都市戦について、イスラエルによるジェニン難民キャンプ攻撃から指針を得ている [7]。この意味するところは想像に難くない。実際、バグダッドがジェニンと同じ運命を辿らなかったかもしれないことは救いである。
同時に、イラクの人々にとって多少の幸運は、大きな不運を伴っている。米国が比較的容易に軍事的「勝利」を収めたことにより、ブッシュ政権のファナティックたちは、より大胆になり、これから、世界中で侵略行為に乗り出すことになるかも知れない。
「今回のイラクは、イラクだけについての問題ではない」と、ある上級政府官僚は語る。そして国務次官補のジョン・ボルトンは、何度か繰り返して、イラクに対する戦争は、大量破壊兵器計画を持つほかの国々への教訓なのだと述べる [8]。ボルトンは正しい。けれども、各国が学ぶ教訓は、米国の「予防」戦争を抑止するためには、大量破壊兵器を持つ以外にない、というものであろう。
標的とされた国の軍事的抑止力が、ワシントンが始めた終わりのない戦争を防止できるかどうかは不明確である。世界的な反戦運動が、責任を負わなくてはならない。
反戦運動は、イラク侵略を止めるには十分でなかったとはいえ、かつてないほどの規模と力を蓄えた。ブッシュ政権が、イラク侵略を、米国の世界的覇権を拡大するために必要な戦闘の一つにすぎないと見なしているように、私たち反戦運動に参加する人々も、イラク侵略を止められなかったけれども止めようとした行動は、米国外交政策に対抗するより大きな闘いの一環であると見なす必要がある。現在よりもさらに大きく力をつけた抵抗が必要になる。気を落とすのではなく、長期的な抵抗の中で、私たちの努力が実るようにしよう。
[1] Audrey Gillian, "'I never want to hear that sound again': Five British soldiers have died under 'friendly fire'" Guardian, 3/31/03, p. 3.
[2] "Hold Your Applause," NYT, 4/9/03, p. A19.
[3] See Amnesty International, "Iraq: Use of cluster bombs -- Civilians pay the price," 4/2/03, http://web.amnesty.org/library/index/engmde140652003
[4] Patrick Jackson, "Iraqi civilians face crisis," BBC News Online, 4/7/03.
[5] Dexter Filkins, "Either Take a Shot Or Take a Chance," NYT, 3/29/03, p. A1.
[6] DoD News Briefing, 04/08/03.
[7] James Bennet, "U.S. Military Studied Israel's Experience in Close-Quarter Fighting in Refugee Camps," NYT, 4/1/03, p. B10. One Israeli analyst suggests that the lesson of Jenin is not to be so solicitous of civilian casualties. (Yagil Henkin, "The Best Way Into Baghdad," NYT, 4/3/03, p. A21.) For what actually occurred, see Amnesty International's report, Israel and the Occupied Territories: Shielded from scrutiny: IDF violations in Jenin and Nablus, Nov. 4, 2002, http://web.amnesty.org/library/print/ENGMDE151432002.
[8] David E. Sanger, " Viewing the War as a Lesson to the World," NYT, 4/6/03, p. B1.
川崎哲さんの「イラQウェブ」に、「おかしいぞ?と思ったら政府やマスコミに電話しよう」というコーナーがあり、連絡先が整理されています。イラク報道や政策だけでなく、有事法制をはじめとする様々なことについて、適用できると思います。