本文書は、米国と英国が、イラクに対する「戦争」を公式に開始して以来、用いてきた、非通常兵器に関する情報を集めたものである。
ミサイルや軽量爆弾、銃弾といった、通常の空陸兵器は、しばしば、非通常兵器(クラスター爆弾や劣化ウラン兵器、ナパーム等)よりも大きな犠牲者を生みだす。けれども、非通常兵器の、人々を恐怖に陥れる性格、無差別性、実験的性格、そしてしばしば影響が長らく後々まで残るという性質のため、非通常兵器の利用は、おぞましく、不法な戦略とされている。むろん、米英が非通常兵器を用いなかったとしても、イラク侵略が、法的、道徳的、そしていかなる意味でも、正当化されるわけではない。けれども、非通常兵器の利用により恐怖と苦痛が長引き、それにより、既におぞましく違法な戦争のおぞましさと違法性は、さらに重大なものとなる。
侵略のこの段階で、そして、今後も、非通常兵器が用いられた個々の事例全てのリストを造り上げるのは不可能かもしれない。イラクの戦場と都市から漏れ出す情報量は、実際の現場における現実と比べると、おそらくは、信じがたいほどまでに、わずかなものであろう。それでもなお、英語メディアで表面化した例の集積だけでも、こうした虐殺用兵器の利用を巡る記録作成の一助とはなるだろう。
クラスター爆弾とクラスター弾
空から投下されるクラスター爆弾と、地上から発射されるクラスター弾は、多くの小さな爆弾に分裂するよう設計されている。クラスター兵器が投下されたり発射されると、空中で分裂し、何百もの小さな爆発物にちらばる(小弾あるいはボムレットという)。このボムレットが、最大何十万平方フィートもに散らばっていく。
これらのボムレットのほとんどは、衝撃により爆発するが、5%から30%は不発のまま残る。こうした「不発弾」は、殺傷性を保ったまま残され、誰かが触れると直ちに爆発する。そのため、民間人に対する大きな危険・脅威となる。向こう何年にもわたって、これらの不発弾は、広域に仕掛けられた地雷と化すのである。
第一次湾岸戦争のとき、米国とその同盟国は、約2000万のボムレットを含む量のクラスター爆弾を投下した。さらに、クラスター弾は、3000万個以上のボムレットをばらまいた。クウェートでは、今でも、毎月約200個のクラスター不発弾が発見され、破壊されている。アフガニスタンで、米国は、1228発のCBU−87クラスター爆弾を投下した。24万8056個のボムレットが投下されたことになる。不発率が7%だとして、アフガニスタン全土に、1万7363個の不発弾が散らばっていることになる。
米英は、ただちに、クラスター爆弾とクラスター弾は、1997年のオタワ地雷禁止条約で、名指しで禁止されてはいないと主張した。けれども、散らばった爆発物の無差別性と、不発弾の後々まで致死性の残る危険とを考えると、これらは地雷とほとんど同じである。また、ジュネーブ条約に従えば、軍人に紛れ込んでいたとしても市民を保護することが要求されるの、クラスター爆弾とクラスター弾の利用は、戦争犯罪であると主張することができる。
イラクに対して使われたクラスター爆弾
2003年4月3日、米英はともに、空軍がイラクにクラスター爆弾を投下していると、公式に認めた。アフガニスタン、コソボ、そして1991年のイラクで、米軍が非常に多数のクラスター爆弾を投下したことを考えると、おそらくは、メディアで報告されているよりも遙かに多くのクラスター爆弾が投下されたと考えられる。
・バビロンの郊外にある住宅地アルヒラは、BLU−97A/Bクラスター爆弾を投下された。その数は明らかになっていない。爆弾一つ一つが、202個のボムレットを放出し、それが、サッカー場2つ分の広さに広まる。不発率は5%から7%である。直後の報告によると、この攻撃で、少なくとも33名の民間人が殺され、300名が負傷した。人権団体アムネスティ・インターナショナルは、この攻撃を非難する声明を発表し、「アルヒラの文民地区に対する攻撃でクラスター爆弾を用いたことは、無差別攻撃であり、国際人道法に対する重大な違反である」と述べた。インディペンデント紙のレポーター、ロバート・フィスクは、アルヒラから、多くの不発弾が、民家の中に着弾しそこに残されていると書いている。
・英国国防省は、4月3日、英国空軍のハリアー戦闘機がRBL755クラスター爆弾をイラクに投下したと述べた。場所は特定されていない。この爆弾は147個のボムレットを放出し、不発率は10%である。
・同じく4月3日、米国は、B52爆撃機を用いて、バグダッドを防衛しているイラクの戦車に対し、CBU−105クラスター爆弾6発を投下したと発表した。同日、イラク情報相は、バグダッドに対するクラスター爆弾の攻撃で、14人が殺され、66人が負傷したと発表した。
イラクに対して使われたクラスター弾
クラスター弾はクラスター爆弾と似たものであるが、大砲の砲弾やロケット弾として、地上から発射される。大砲やロケット発射装置がクラスター弾を発射すると、クラスター爆弾と同じ結果を引き起こす。多数のボムレットが放出され、そのかなりが不発弾として残される。人権団体ヒューマンライツ・ウォッチによると、第一次湾岸戦争終結後、クラスター弾が残した不発弾により、イラクで、4000人以上の民間人が殺されたり怪我をしたりしたという。
英国は、バスラ周辺でクラスター弾を発射したと認めた。米国は、クラスター弾を使っていると発表してはいないが、米軍に従軍する「軍属」のジャーナリストが伝える多くの報告やビデオは、クラスター弾が用いられていることを示している。
・クラスター爆弾だけを発射する、多弾発射ロケット・システム(MLRS)が、米軍第三歩兵部隊の砲兵隊により用いられてきた。MLRSで使われる標準的な弾頭は、644のM77小弾(二重目的弾とも言われる)を含んでいる。不発率は16%である。MLRSで標準的な同時発射数である12発のロケット弾が発射されると、12万から24万メートルの地域に、1200発の不発弾が残されることになる。
・3月28日、第101空挺隊を支援して、米軍のMLRSは、18発の軍戦略ミサイル・システム(ATAcMS)を対空防衛施設と疑われた場所に発射した。ATACMS一発は、300ないし950の小弾を放出し、そのうち2%が不発弾である。
・ある軍属ジャーナリストは、第三軽装備偵察隊が155mm砲を用いて発射した「何百もの銃弾」と報告している。ヒューマンライツ・ウォッチは、発射されたのは、M483A1とM864だと確信している。これらは、それぞれ、88個と72個の二重目的弾を放出し、不発率は14%である。
・3月28日と3月29日、イラク南部で不発クラスター弾を踏んだ2名の米国海兵隊兵士が死亡した。
・英国国防省は、バスラにクラスター弾を発射したと発表した。L20クラウター弾が、「障壁のない場所」にいる標的に対し、長距離(30km)榴弾砲から発射された。これはイスラエル製の砲弾で、49個のボムレットを含み、不発率は5%である。
ナパーム
ナパームは発火性の化学混合物質で、第二次世界大戦で初めて試され、ベトナム戦争で米軍が大量に用いた。爆弾に詰め込まれた空から投下されるこの化学物質は、当初、ジャングルに着陸場を作るために用いられたが、一般市民に対しても使われた。米国は、1970年代初頭にナパームの使用をやめ、2001年4月4日に、貯蔵されていたナパームの残りを公式に破壊したと主張している。
・3月22日、第7海兵隊第一部隊の軍属であるCNNと豪シドニー・モーニング・ヘラルド/メルボルン・エイジ紙のレポーターたちが、バスラ近くのサフワン・ヒルで、イラクの抵抗を粉砕するための空襲で、ナパームを投下していると報道した。CNNのマーティン・サビッジは次のように述べた:
丘はミサイルと砲弾そして空軍によりあまりに酷い攻撃を受けたので、数フィート削り取られてしまったと思われる。そして、これら全ての爆発物による襲撃の後に残ったものは、全て、次にナパームの攻撃を受けた。それにより、丘の上のイラク側の作戦は、全て完全に終わりとなった。
リンゼイ・マードックは、シドニー・モーニング・ヘラルド紙とメルボルン・エイジ紙に次のように書いている。「(海兵隊の砲兵隊は)4万ポンドの爆発物とナパームとを投下した米国海軍の支援を受けていた」。エイジ紙の外信部編集デスクがマードックにナパームの利用について確認するよう求めたとき、ある海兵隊士官が、同様の説明を繰り返した。
米国海軍はこの報告を否定し、シドニー・モーニング・ヘラルド紙に次のような手紙を送っている。
貴紙の記事(リンゼイ・マードック「至る所に死体が」2003年3月22日)は、イラクで米軍がナパームを使っていると述べていますが、それは全くの嘘です。米軍は、1970年代初頭に、ナパームの使用を停止しました[訳注:1970年代後半、米国のゴーサインと武器提供のもとで東チモールを侵略攻撃していたインドネシア軍がナパームを用いたという報告もあります]。米軍は、2001年4月4日、最後のナパームのストック破壊を完了した。これにより、ナパームのストックはもはや残されていない。ジェフ・A・デービス、少佐、米国海軍、国防省次官補局付。
バンカー・バスター爆弾
GBU−28バンカー・バスター爆弾は、5000ポンドの爆弾で、爆発前に6メートルのコンクリートを突き破り、また、地面であれば30メートルを突き破ってから爆発する。ノーベル平和賞候補にもなったヘレン・カルディコットは、バンカー・バスターの外層はウラニウム238(劣化ウラン、DU)からなっていると述べているが、イラクで用いられたGBU−28にDUが含まれているかどうかは明らかではない[先日、朝、テレビで、一連の溝を鉄板で覆えばイラク側は緊急に戦車等を隠すことができると説明している人間が出ていました]。
・3月28日、バンカー・バスター爆弾2発がバグダッドに投下された。これらの爆弾は通信タワーに着弾し、この中枢的電話交換センター周辺に「大きなクレーター」を作り出した。この攻撃から明らかになった情報はほとんどなく、また、地上の標的に対して何故、貫通型爆弾が使われたのかについても明らかにされていない。
劣化ウラン
第一次湾岸戦争以来、対戦車弾に用いられてきた劣化ウランは、ウラニウム238で、ウラニウム235を核兵器や核反応炉で用いるために強化した後に残る同位体である。戦車や戦闘機からDU加工された砲弾が高速で発射されると、放射性物質が装甲を突き抜ける過程で燃え、車両が発火することになる。爆発後、砲弾の70%は微粒子となり、何マイルも、風にのって運ばれる。DUの放射性はウラニウム235の半分程度であるが、DUの微粒子は人体内部に長期にわたり閉じこめられ、深刻な健康被害をもたらす[森住卓『イラク:湾岸戦争の子供たち』高文研をご覧下さい]。
第一次湾岸戦争の際、米軍の戦車は1万4000発ものDU砲弾を発射した。また、対戦車戦闘機は94万発の劣化ウラン弾を発射した。これにより、合計で56万4000ポンドのDUが、砂漠で、微粒子に気化したあ、あるいは不発のまま残されたことになる。イラクの人々は、それ以来、DUが使われた地域特にバスラ周辺で、癌や先天性異常、流産などの極端な多発を目にしてきた。米軍の湾岸戦争に派遣された兵士たちが経験する「湾岸戦争症候群」も、多くの人々が、劣化ウランのせいであると言っている。
それにもかかわらず、米国も英国も、DUについては何ら弁解せずに開き直り、DUが健康に害を与えることはないと述べ、今回のイラク侵略でのDU利用を控えることを拒否している。DUはほとんどの戦車戦で用いられるだろう。それゆえ、現段階で、DU弾の量とそれが使われた場所を確定するのは不可能である。
DU弾は、戦車だけでなく身を隠すことのない状況に置かれた部隊に対しても用いられている。この戦略は、バグダッドとバスラでの市街戦で戦車が用いられるようになるにつれ、ますます増加するだろう。
・3月28日、戦車隊が120っmDU砲2発をキフル都市部の道に発射した。これによるバキューム効果により、「文字通りゲリラたちが隠れ場所から道に吸い出され、そこで、小火器による射殺され、戦車で轢き殺された」。
情報源と注について、また、ここでカバーされていない非通常兵器の使用場面について、その他の質問は、サイモン・ヘルウェグ=ラーセン(simonhl@ziplip.com)まで。
既に、それぞれの出来事は、様々なニュース・ソースで伝えられていますが、概略を簡潔に整理しているので、ご紹介します。侵略戦争を引き起こした平和に対する罪、戦争犯罪、人道に対する罪。ブッシュ・ブレア・ラムズフェルド・パウエルなどは、ニュルンベルグ裁判の基準に従えば、有罪判決を受け死刑、現在の国際刑事裁判所規定に則れば、終身刑に近い刑が科される行為を犯していることになります。今は暴力が跋扈していても、この事実は、忘れないように・許さないように、しましょう。