誰も潔白ではない

ミッキー・Z
ZNet原文
2003年4月25日


「イラクの自由作戦(ママ)」をまた一つ新しい「崇高な戦争」に仕立て上げようとして倦むことのないブッシュ大統領(ママ)は、戦後ドイツから一ページを借りてきた。ウォール・ストリート・ジャーナル紙から世界社会主義ウェブサイト(WSWS)に至るまでのあらゆるところで報道されているように、米国は、イラク全土で、元バアス党員を権力の座に据え付けている。例えば、Zuhair Al-Noaimeはバグダッドの新警察署長となった。この職務に就く前、彼は、1966年にイラク警察に入り、将軍の地位となっていた。英国インディペンデント紙によれば、バアス党政治警察の元通報ネットワークであるムハバラトが現在バグダッドの「隣組監視」活動を行っているという。イラク北部の町バイジの新市長となったファー・ハランは、熱心なバアス党員だった。英国がバスラの統治のために指名したハリブ・クッバは(ロサンゼルス・タイムズ紙によると)「[サダムの息子]ウダイ・フセインの取引相手であり、よく知られていた。イラクの一級の商業関係者全員は、全員が、サダム・フセインの取引相手であった」。

「クリスチャン・サイエンス・モニター紙は、4月21日、亡命イラク法律家達によるバアス党員への大規模な告発について、ブッシュ政権は承認を拒否した」と、WSWSのジェームズ・コナチーは述べる。ある法律家がクリスチャン・サイエンス・モニター紙に対し次のように述べた:「[ブッシュ政権には]その計画を進めることに対するアンビバレンスがある。イラクの人々が司法について独立の機構を持つならば、政治的計画を妨害する事になるのではないかという恐れがある」。

米国海軍中佐ウィリアム・シェーファーは、ウォール・ストリート・ジャーナルの中で、この状況を次のように簡潔に述べている:「ここイラクでは全員がサダム・フセインに仕えていたと言うことができる。というのも、そうでなければ、生き延びられなかったと言えるからだ。誰も潔白ではない。だから、人々がしたことのレベルを検討しなくてはならない」。

これら全ては、米国のメディアがドイツの「非ナチ化」モデルの成功についてうんざりするほど繰り返す中で、進められている。しかしながら、この前提を受け入れるためには、ドイツ敗北の瞬間から、米国が、次なる「崇高な戦争」−ソ連に対する−のためにナチスをリクルートし始めたことを無視する必要がある。

こうした「リクルート」には、クラウス・バルビーやラインハルド・ゲーレンといった上級の犯罪者の他に、次のような人物が含まれていた。

アロイス・ブリュナー(「ゲオルグ・フィッシャー」):欠席裁判でフランス政府により人道に対する罪で死刑判決を受けた。彼はユダヤ人の子供に対する同情を書いており、ユダヤ人の子供たちを「未来のテロリスト」と呼んで、殺さなくてはならないと主張した。

SS士官オットー・フォン・ボルシュウィング:悪名高いアドルフ・アイヒマンの上級補佐官として、SSによる「ヨーロッパのユダヤ人からの体系的略奪に関する最初の包括的プログラム」執筆を補佐した。彼の命令下で、1941年ブカレスト・ポグロムにおける多くのユダヤ人犠牲者の一部は、肉詰め工場で殺害され、鈎に吊され、文字通り「カシェル肉」と名付けられた[カシェルはユダヤ教のおきてに従って調理されたもの」。また、5歳の女児が生きたまま皮を剥かれ、屠殺された獣のように足から吊された。1945年にフォン・ボルシュウィング自身、次のようなことを述べている。「彼は米軍司令官への奉仕を申し出、司令官は彼を尋問と元ナチス諜報士官たちのリクルートに利用した」と。

SSのロベルト・ベルベレン:欠席裁判で戦争犯罪により死刑判決を宣告されている。戦争犯罪には、米空軍パイロット2名の拷問も含まれる。戦後、ベルベレンは、米軍の契約スパイとしてウィーンで活動した。米軍は彼のバックグラウンドについては熟知していた。

クルト・ブロム博士:ナチの生物戦研究指導者。この研究では、集中キャンプの囚人への実験も行われた。1947年彼は人道に対する罪を巡り無罪となり、「新たな生物兵器研究の推進」のために米軍化学部隊に雇われた。

アーサー・ルドルフ博士:ブロムの同僚であるルドルフは「ニュルンベルグにおける宣誓のもとでの証言で、ノルトハウゼン近くの地下ロケット工場で残虐行為を犯したとされたが、その後米国市民権を手にし、米国のミサイル・プログラムで大きな役割を果たした」。

調査記者のクリストファー・シンプソンは、この「非ナチ化」のもう一つの側面について次のように説明している。「ウォール街や米国外交関係中枢の指導者の多くが、1920年代から対応するドイツの相手と密接な関係を維持していた。これは1930年代まで続いた。このとき、ニューヨークにおける公債の売却益はドイツ企業のアーリア人化資金とドイツのユダヤ人から略奪された不動産の資金とにあてられた。・・・米国のドイツに対する投資は、ヒトラーが政権を握って以来急速に増大した」。その投資は、「1929年から1940年の間に48.5%増大した一方、大陸ヨーロッパの他のところに対する投資は全て激減した」。こうした戦前のビジネス関係は、戦後の裁判にまで維持された。「米国体制内の優勢な派閥は、常に、ドイツ人エリートを裁判に掛けることに反対した」とシンプソンは付け加えている。

これら「元」ナチスは、米国の対ソ政策に大きな影響を与えた。その結果生じた冷戦で苦痛を強いられ死亡した人々の数は数えきれない。

今日、力を持たず、権利を剥奪された人々は、次のように考えるかも知れない:イラクの将来において、そして中東、他の地域の将来において、「元」バアス党員は、どんな役割を果たすのだろう、と。



日本についても、敗戦後、例えば、第731部隊のプログラムの責任者だった石井四郎将軍は、多くの同僚とともに、実験の詳細な成果を米国に提供することと引き換えに免責され釈放されています。
益岡賢 2003年4月28日 

一つ上] [トップ・ページ