戦争ではなく

ジャスティン・ポドゥール
2003年2月16日
ZNet原文


戦争ではなく査察?

世界中が戦争に「ノー」と言っている。 けれども、代替として査察を要求するだけでは、この戦争を頓挫させるためには不十分かも知れない。

この戦争は、恐らく史上最も人気のない戦争である。 2003年2月15日の反戦マーチでは、マドリッドとバルセロナでそれぞれ100万人、ロンドンで100万人、パリで80万人、ニューヨークで10万人以上、ベルリンで50万人、シドニーで25万人、そして世界中でさらに膨大な数の人が戦争反対のマーチに参加した[訳注:インディメディアに各国のデモ写真と人数があります]。

国連査察団長ハンス・ブリクスと原子力機構のモハマド・エルバラダイが2月14日に行った報告は、誰の心を変えることもできなかったようである。 米国と米国に追従する少数の政府(75パーセントが戦争に反対しているスペインの政府や15日には史上最大の反戦デモが行われた英国の政府など)は、戦争推進の立場を維持した。 一方、ほかのヨーロッパ諸国は、それぞれの市民の意見に従い、戦争は必要ではなく、国連査察団にもっと時間が与えられるべきであると主張し続けた。

問題は、国連の場で戦争を回避するために取られている手段にある。 いっそうの査察強化、より徹底した査察、もっと多くの航空機を低空飛行させ、さらに多くの聞き取りを行い、監視の強化、さらなる継続的な査察により、イラクが武器を持てずまた開発できないようにすること。

現在の状況は、次のようなものであるように思われる。 すなわち、戦争屋の側が(たとえば捏造と剽窃からなる英国の「書類」やコリン・パウエルのトラック写真といった)説得性のない「証拠」を発表し、それに対して査察団が査察を継続するに十分な協力を得ていると応え、米国が待つというものである。 この間に、メディアでは戦争熱が一段加速し、ペルシャ湾岸への派兵は続けられ、世界は戦争がさらに迫っていると信じさせられる。 けれども、このあいだじゅう、イラクの人々は命を失い続けているのである。 ひっそりと、経済封鎖により、また、社会基盤が破壊されていることにより、そして誰も言及しない間に続けられる米英による空爆により。 そして、反戦運動も大きくなっている。

第一次湾岸戦争に従軍した元海兵隊員ケン・オッキーフは、2002年12月に、米国とヨーロッパから何万もの人がイラクに行って人間の盾となるべきだという非常に説得力のある提案をした。 そうすれば戦争は回避できるだろう、と彼は主張した。 問題は、いつになったら人間の盾になった人々は戦争が回避されたと宣言して家に帰ることができるのだろうという点にある。 そもそも反戦運動は、どの段階で、戦争が回避できたと宣言できるのだろうか。

査察強化は、この質問に対する答えにはなり得ない。 危険な人物が大量破壊兵器を手にしていることを望むものは誰もいない。 しかしながら、(世界中には実際に大量破壊兵器を手にした危険な人物が多数いるということはさておくとしても)ある国をますます厳重な顕微鏡的監視のもとに置き、そして武器が存在するという証拠でなく「不履行」の証拠があればその国を破壊すると脅迫することにより、世界をより安全にすることはできないだろう。 いっそうの査察強化を求めることは、紛争の長期的平和的解決を求めることとは異なる。 というのも、イラクが決して武器を開発できないと証明する方法などイラクにはないからである。

それではどうすれば戦争を頓挫させることができるだろうか。 すべての国に対して武装解除をめぐる同一の基準を適用する安保理決議があるならば、そして、それに基づき同じ基準で査察が行われるならば、大量破壊兵器不拡散の重要性を否定もせず、また、サダム・フセインのような独裁者の危険をはっきりさせたままで、イラクをめぐる戦争熱を冷ますことができるだろう。 安保理決議687の第14条は、イラクの大量破壊兵器廃棄が、中東全域における大量破壊兵器の廃棄の第一歩であるとしている。 反戦運動が諸政府に国連の場で米国の戦争熱を阻止し続けるよう要求できるのであれば、同様にして、こうした決議を求めたり(あるいは現行の決議の履行を求めたり)することもできるだろう。 これによって、戦争熱を冷ますことができる可能性がある。

戦争ではなく、サダム?

反戦運動が戦争と米国によるイラク占領に「ノー」と言うとき、サダム・フセインを追放するのはイラクの人々により長期的になされるべきものであり、米国がすることでも国連がすることでもないという立場を取っている。 米国が人々を爆撃しイラクを侵略することによりイラクを「解放」することなどできない。

戦争屋たちが戦争を進める理由としてもっとも強固に主張するのは、「サダムは恐るべき殺人者で独裁者であり、サダムがいなくなるのは、イラクの人々にとって祝福すべきことである」という見解である。 恐るべき偽善である。 というのも、サダム・フセインが最悪の残虐行為を実行していた1980年代に、喜んで彼を支援し彼に武器を提供していた人々が、今、サダムを暴君であると言っているのだから。 いずれにせよ、この主張が強力なのは、主張それ自体は真実だからである。

イラクは全体主義的な軍事独裁政権に支配されている。その人権侵害記録は恐るべきものである。 この独裁政権は、米国および英国とともに、イラクの人々が被っている苦しみに対して、責任を負っている。 人々に拷問を加え12年にわたり人々を飢えさせてきた独裁政権の追放は、長期的なプロジェクトでしかあり得ない。 イラクの人々がサダムを追放して民主的な政治体制を造り上げるための力を蓄えるためには、戦争ヒステリーを取り除き、経済封鎖を解除し、国の再建がなされる必要がある。 そうした過程で、イラクの政権は、おそらく、イラクの人々に向けられた資源を、政権と軍を強化するために流用しようとするだろう。 これは冷酷な現実であるが、空爆と市街戦、そして米軍による占領 −これらすべてはアラブ世界とムスリムをさらに侮辱し起こらせ長期的にはさらなるテロリズムを扇動することになるだろう− よりは過酷なものではない。

つまり、サダム・フセインの追放が目標だというのならば、米国によるイラク侵略と占領(これにより米国の雇われ政権が擁立されることになろう)ではなく、イラクを再建しイラク専制政権に反対できるようイラクの人々が力をつけるという、長期的で困難で確実ではない方途しかない。

戦争ではなく経済封鎖?

何百万人もの人々が、この、イラクにおける恐ろしい圧倒的な戦争の暴力を阻止すべきであるという正当な望みを持って平和の行進に参加した。 これらの人々は、遅かれ早かれ、イラクそして様々な場所で起きている、経済封鎖や飢餓、容易に避けることのできる病気という静かなしかし恐ろしい暴力にも目を向けなくてはならなくなるだろう。

経済学者のアマルティア・センは、比較的自由な報道と比較的民主的な政府のもとでは、歴史的に見て、飢饉は起きていないということを示した。 これは、そうした国では、人々が、飢餓を容認しないからである。 自由な報道により人々は飢餓の存在に気づき、人々は政府に対策を取らせ、政府は食料を調達して配布する。 けれども、そうした国々では、飢えや簡単に予防できる病気などで、毎年、何百万人というオーダーで人々が命を失っている。 「世論」は、飢饉に対しては対策を採るよう求める程度に関心は強く洗練されてはいるが、中東やラテン・アメリカ、アフリカやアジアで起きている静かな引き延ばされた虐殺を認識し対策を求めるほどには洗練されていない。

戦争は、いわば飢饉のようなものである。 今日、何百万人もの人々が、イラクの人々が爆撃により破壊されることを望まないがゆえに、戦争に反対して行進する。 けれども、イラクやアフガニスタンに対する米国の政策、そしてパレスチナに対する米国とイスラエルの政策を見るならば、国を罰し人々を殺す方法は多数あることがわかる。 戦争ヒステリーの高まりの陰で、イラクの人々は、恐ろしくあてもないままに、飢えや予防可能な病気や、そこここに加えられる爆撃という「低強度」の暴力で、死に続けている。 クラスター爆弾と軍閥による「低強度」暴力を加えれば、アフガニスタンでも同じことが言える。 家の破壊や戦車やアパッチ・ヘリによる侵入、自動車爆弾やF−16による暗殺を加えれば、パレスチナでも同じことが言える。 「世論」が大規模な嘘と大量殺害に対して怒りを表明するのと同様に、長期にわたる省略や偽りと静かな死に怒りを表明するならば、静かな死を死んでいく人々を守ることができる。 そして、そうしなくてはならない。

不安定な状況

米国政府はこれを永遠に続けることはできない。 これは、平和運動がこれまでより力を抜いてよいということではなく、これまで以上に持続性を持たなくてはならないことを意味する。

ハンス・ブリクスとモハマド・エルバラダイが国連で報告を行っていたとき、米国の空港では、日常的に加えられる侮辱がまたもや加えられていた。 2月14日付けのトロント・スター紙の一面記事には次のようにある。

インド出身のトロント在住女性が・・・シカゴのオヘア国際空港で一人だけ横に連れ出され、ニセのカナダ・パスポートを使っていると非難され、領事館への保護を拒絶され、逮捕すると脅された。 1月27日、彼女を投獄するかわりに、米国移民局は、クルスさんのパスポートの表紙を切り取り、各ページに「expedited removal」のスタンプを押し、パスポートを使用不能にした。 彼女は写真を撮られ指紋を採られ、向こう5年間米国への再入国を禁じられ、即時退去処分となった。 トロントにではなく、両親を訪ねて数週間滞在したインドに。 デュバイのカナダ官僚とクウェート航空のパイロットの助けで、帰宅するまでに4日を要した(この度は英国経由だった)。
これは、2001年9月11日行こう、米国移民局や法執行部門、米軍が行っている何百万件という恐るべき人権侵害の一例である。 一方で、米国は、建物の清掃や食料の栽培と収穫、タクシー、コンピュータ・プログラミングなどについて、移民や外国人に依存しているのである。 移民や訪問者、そして第三世界諸国での人々への侮辱は2001年9月に始まったことではない。 けれども、2001年9月以降、維持できないほど強化されたのも事実である。 人々が米国経由で旅行をしなくなるのにあとどれだけかかるだろうか。 移民になる可能性を求めて米国に来ることによる経済的機会よりも、米国で「失踪」してしまう恐怖の方が大きくなるまで、あとどのくらいの時間が残されているだろうか。 そして、路上でアメリカ人を見かけたら人々が恐怖で逆側に道を渡るというときが訪れるまで、どのくらいの時間がかかるだろうか。

米国は世界を武力で支配していた。これは真実である。 けれども、その一方で、米国が実際には民主主義と自由と機会の力であると多くの人を説得しても来た。 米国により苦しみを味わった国々においてさえ、アメリカの反映と自由という神話、そしてアメリカに行って良い生活を送るという希望は、説得力を持っていた。 今日、米国は、自らが内外において破壊と恐怖と侮辱の力であると世界を説得するのに忙しい。 米国内でも世界中でもこれに対する反対の声は高まっており、それは、この態度が維持できないことを示している。

米国が世界を侮辱し脅しつけるというやり方を維持する方法は、たった一つしか残されていない。 米国人にとってそして誰にとっても悲劇であるようなまた別のテロ攻撃、それによる世界中の平和と正義の運動の切り崩し、そしてさらなるテロと戦争のスパイラルである。 イラクに対する戦争で声を初めてあげたならば、米国がやり方を変えるまで声を挙げ続けなくてはならない。



2月14日に日本の川口外相は次のように発言しています。
新しい決議をアメリカが求めるということは、これはアメリカだけではないですけれども、そういう国際的な努力は今までブッシュ大統領もそういうことに前向きの姿勢を示していますし、そういう動きはあることを当然に期待をしています。 我が国は、(新たな安保理決議が)あることが望ましいと思っていますので、それは非常に結構なことだと思います。合意に達して決議ができるというこが一番いいと思います。
 それから、非常任理事国への働きかけは、そういう意味では我が国もしたいと思っていまして、今日、総理にはラゴス・チリ大統領にお会い頂きますけれども、私も、チリは非常任理事国なんですね、偶々食事の会でお会いを致しましたので、そういうお話は私も昨日の時点で致しています。 これは、国際社会が纏まって新しい決議を作って対応していくというというふうに非常に大事なので、日本としてできることをやっていくということの一環です。
さらに、川口外相は、「イラクの協力がなければ査察は有効でない」とも述べています。 日本政府は、国内的には言葉を濁しながらも、米国によるイラク攻撃計画を積極的に支持し、外交的に戦争開始に向けて根回しを買って出ています。

とても、米国による戦争を支持したいようです。そして、とても、それに参加したいようです。 ただ、米国が行おうとしているイラク攻撃は、安保理決議がないとあまりにもその犯罪性があからさま過ぎるので、安保理で戦争を容認する決議(それ自体、国連憲章に違反することになり、従って国際法違反になります)が欲しくてたまらないようです。

一方で、反戦の動きの高まりに対して、日本の政府は防衛的にもなっているようです。 たとえば、小泉首相は、2月15日の反戦行動ののち、「イラクが正しいという誤ったメッセージを送らないようにしなくてはならない」と述べました。 私は、まず、「イラクが」という言葉遣いに驚きました。これは、サダム・フセイン政権を指しているのでしょうか。 それとも、イラクの人々のことを指しているのでしょうか。

戦争に反対している人々は、私も含めて、ほとんどの人が、この両者の区別(これでもちょっと粗すぎますが)程度のことは当たり前に考えていると思います。 「イラクが」というのは、日本の3分の2以上の人が戦争に反対している中で、日本(しかも「我が国」と言うんですね)は米国についていきますと意思表示する人ならではの、乱暴な言葉遣いですが、残念ながら、こうした言葉遣いは、随所に見られます。 そして、少し論理的に考えればまったく成立しない二分法に基づいて「敵か味方か」と問うことになるのでしょう。 しかし、そもそも誰が「イラクは正しい」というメッセージを送ったのでしょうか。誰に。

・・・

米国によるイラク攻撃は、純粋に法的な議論としても「自衛」には相当しませんし、常識的に見ても、「自衛」でないことは明らかです。 とはいえ、少なからぬ米国人は煽られた「恐怖」に怯えているようですが。

また、イラクでもほかの場所でも大量破壊兵器(WMD)破棄にまったく関心の無いことも明らかです。 専門家たちが口をそろえてWMD破棄のためには査察は武力行使よりもはるかに有効であると証言しているにもかかわらず、UNSCOMの足を引っ張り、UNMOVIC設置を妨害し、今回はUNMOVICの査察を単に戦争開始の口実に使おうとしているだけです。 米国が世界最大の大量破壊兵器保有国でありながら大量破壊兵器を制限する関係の条約にはほとんど加盟していないこと、サダム・フセインが1980年代末にクルド人に対して毒ガスを使ったとき米国はサダム・フセインを熱心に支援していたことを見ても、米国が大量破壊兵器について憂慮していないことはわかります。

米国が、独裁体制を憂慮していないことも明らかです。自分の言うことを聞く限り。 1990年まで、サダム・フセインを支持してきたことから。 1965年に50万人から100万人を殺害したインドネシアでのクーデターを支援し、その後スハルト独裁を熱心に支持したことから。 ギリシャで、グアテマラで、ハイチで、チリで、ほかの多くのところで、残忍な独裁体制を熱心に支持してきたことから。

米国が、イラクの人々のそして一般に人権や生活に何ら関心を持っていないことも簡単にわかります。 イラクで劣化ウラン弾を用い、放射能に人々を平然と晒したことが、それを示しています。 イラクにおいて米英が強制する経済封鎖が引き起こした人道的破局に対して国連人道援助官を含む多くの抗議にもかかわらず、平然とそれを実行していることが、それを示しています。 セルビアやアフガニスタンで、不発弾が無差別地雷と化すようなクラスター爆弾を大量に投下したことが、それを示しています。 また、1990年代に数万人の犠牲者と200万人もの国内避難民を生みだしたトルコによるクルド人弾圧を熱心に支援していたこと、現在膨大な人権侵害と虐殺を生みやはり200万人にのぼる国内難民を生みだしているコロンビアでコロンビア軍に対し大規模な援助を行い、それにより残虐行為の4分の3を行っている軍と結託した準軍組織を支援していることが、それを示しています。 東チモールで大量殺戮を続けてきたインドネシア軍を、1999年の住民投票にいたるぎりぎりまで支援してきたことが、それを示しています。 ニカラグアで、「コントラ」に病院や学校を襲撃するよう指示するマニュアルを提供したことが、それを示しています。 イスラエルによるパレスチナ人虐殺を全面的に支援し続けていることが、それを示しています。 自らの国で、広範な人権侵害を行っていることが、それを示しています。

青山貞一さんの正当性なき米国のイラク攻撃もご覧下さい。

この米国が、何が何でも戦争をしたいことは明らかです。 平和的解決を真面目に求めるための提案を何一つしないばかりか、それを妨害していることから。 国連安保理で、誰もが根拠のないものだとわかるようなものを「決定的証拠」と述べ、イラクが査察に協力しなかったり安保理決議を履行しないことは法的に何ら武力行使を正当化するものでないのに、あたかも正当化するかのようにごり押ししたりしていることから。

こうした立場を取る政府が、イラクを攻撃するならば、かなりの可能性で、イラクにさらに広範な人道的破局を引き起こすことになります。 家や病院、学校や社会インフラを無差別に破壊し、男女老若を問わず無差別に殺害し、手足を奪い、視力を奪い、そして未来を奪うことになります。 自分の言うことを聞く独裁者を擁立するために。そして石油資源をコントロールするために(米国にとってイラクの石油を「得る」ことはさほど重要ではないですが、石油資源を「コントロール」することは第二次世界大戦以降の重要政策事項の一つです)。

・・・
この米国に熱心に追従している国は少数です(経済援助等で釣られたり脅されたりして反対しない国は多いようですが)。 この米国に賛同している人々は、さらに少数です。 そして、日本政府は、米国に喜んで追従していこうという姿勢、そのために外交的に尽力しようという姿勢をますます強めています。 小泉首相と川口外相は、多数の罪のない男女と子供たちの頭上に致命的な爆弾の雨を降らせ、家や学校、 病院、生活、そして未来を破壊するための協力を、米国に対してしようというのです。 イスラエルで兵役拒否運動に参加しているイヤル・ハレウベニさんは、「まっとうな人間は家を壊さない。子供を殺したり、女性や赤ちゃんを殺したりしない」と述べています。 まっとうな人間は、直接家を壊したり子供を殺したり女性や赤ちゃんを殺したりしないだけでなく、男性も殺しませんし、また、そうした行為に協力もしないと思います。 そして、殺害に協力しながら、それが終わったあとで「援助」と称して金銭投下を行うことも。

日本政府に抗議するための案内が、ブッシュの対イラク戦争を阻止しようページにも戦争はいらない 子供たちに明日をページにもあります。 とにかく、今、イラクで家や病院、学校や社会インフラを無差別に破壊し、男女老若を問わず無差別に殺害し、手足を奪い、視力を奪い、そして未来を奪うことに反対する人は、抗議の声を出しましょう。

・・・
とはいえ、この戦争に反対するということについて、それだけを独立して焦点化することには、不十分さを感じていました。今回の「戦争ではなく」は、それについて、少しだけではありますが、考える参考になると思い訳出したものです。

一つ上へ   益岡賢 2003年2月18日
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