「この戦争は非アメリカ的だ」と、ジョナサン・フリードランドはガーディアン紙に書いている。「自由イラク」作戦を巡ってである。結局のところ、アメリカは、「外国からの占領者を追い出そうとする闘いに対する本能的な友人であると自認しており、他国の支配者という役割を果たす地上最後の国である」と(「ジョージ皇帝」、ジョナサン・フリードランド、ガーディアン、2003年4月2日)。
その翌日、ヒューゴ・ヤングは、ジョン・F・ケネディが「純粋な平和について・・・墓の平和や奴隷の安全といったものでない純粋な平和について」語ったとき、彼を「信じた聴衆たち」を目にしたと語っている。ケネディの言葉は「国際主義者の寛容の息吹きが吹き込まれた信頼できる理想を語っていた」(「ブレアは自らの汚れを払い落とす最後のチャンスを手にしている」、ヒューゴ・ヤング、ガーディアン、2003年4月1日)。
火星人がフリードランドやヤングの記事を読んだとすると、笑うべきか泣くべきかわからないことだろう。アメリカ(とイギリス)の根本的な善意に対する信念が、ガーディアン紙やオブザーバ紙(そしてインディペンデント紙)の基本的信念である。これらの新聞は、主流メディアの中で、最も進歩的な部類に属することに注意しよう。それゆえ、マーティン・ウーラコットは、バグダッドに至る血みどろの戦いは、「英米のより大きな目的であるところの解放に泥を塗る」とまで述べることができる(「イラク人の解放は単発の行為ではなく長期的プロセス」、マーティン・ウーラコット、ガーディアン、2003年3月28日)。サダムからの「解放」ー注意しよう、これは単に米英が主張しているというのではなく目的であるとされているーが、2002年9月にウーラコット自身が指摘していたような、「サダムは米国に対する真の脅威ではなく、アルカイーダの味方ではなく、おそらくは使用可能な武器を所有していないと言うまさにその理由で、戦争を起こすことが可能である」という事実によって、既に、泥まみれになってはいないということのようである。
オブザーバ紙のニック・コーエンも同様の見解を表明している。
「イラクに対する戦争に反対する人々が実際に意味しているのは・・・イラクの人々の解放に賛成するよりも、戦争に反対するほうが良いということなのだ」(コーエン、「自分の後ろに彼を置け」、オブザーバ、2002年11月24日)。
歴史上の他の帝国主義勢力がこうした言葉を発したとすると、ただちに、プロパガンダとしてーまさにプロパガンダそのものなのであるからー嘲笑されていたであろう。むろん、「解放」がもたらされることになる。世界の反対側の第三世界の一国に25万人もの平氏を送るために何十億ドルもを費やす超大国の動機が、それ以外に何かあり得るだろうか?
米国の善意に対するメディアの根本的信頼により、歴史をつま先立ちで避けてとおる必要がメディアにとって必須のこととなる。昨年12月、BBCのスー・ロイド=ロバーツは、イランの学生たちが「1979年にテヘランのアメリカ大使館になだれ込み、52名の外交官を15か月にわたって捕虜とし、アメリカが「巨大な悪魔」であると一致して述べた」ことについて報道した(2002年12月16日)。私たちが、ロイド=ロバーツに対して、イランの人々がアメリカを「巨大な悪魔」と見なすに至った理由を説明しなかったのはどうしてかと尋ねたところ、彼女はそっけなく次のように答えた(私たちは当時ニュー・ステーツマン誌に執筆していなかった)。
「ニュースナイトは時事問題の番組で、歴史ドキュメンタリー番組ではない。そこまで遡る時間枠はない」(デビッド・エドワーズへのEメール、2002年12月17日)。
同じ欠陥がガーディアン紙にも見られる。同紙は、2001年に、「タイムライン:1979年以来のイランと英国の外交関係」を作成している。この中で、外交関係が始まったとされる時期についての記述に注目しよう。
「1979年 ー イラン統治者シャーが亡命に追い込まれ、アヤトーラ・ホメイニ率いる保守派の聖職者たちがイランのリベラルな影響を弾圧しようと試みた」(サイモン・ジェフリー、「タイムライン:英国とイランの関係ー1979年以来のイランと英国の外交関係小史」、ガーディアン、2001年9月25日)。
ここで言及されている「リベラルな影響」とは、1953年に米英のパートナーがイランに据えた体制である。米英は、民族主義者のモサデクが「石油を巡る問題を妥当な条件で妥協」しようとしなかったため(当時の英国外務省の言葉)に、これを追放してシャーを据えたのである。元CIAのリチャード・コッタムは、結局どのように条件が確定されたかについて、次のように述べている。「テヘラン北部にやってきて[モサデク率いる]政府の転覆に決定的な役割を果たした暴徒たちは、傭兵の暴徒であった。何のイデオロギーも持っていなかった。この暴徒たちは、アメリカのドルにより支払いを受けていたのである」(Marc Curtis, The Ambiguities of Power, Zed Books, 1995, p. 93からの引用)。新たな国家元首について、英国外務省は、「アメリカに、その名前を示唆する役割を任せるべき」と勧告している。
イラン人にとって不幸だったことに、指名された名前は、シャーであった。このイラン「解放」は、どれだけ「非アメリカ的」だったろう?1976年、アムネスティ・インターナショナルは、シャー支配下のイランは、「世界一の死刑率であり、文民法廷の妥当なシステムは全く無く、累々たる拷問が行われている」と述べ、それは「信じがたい規模である」としている。シャー支配下のイランは、「全人口が不断の、そして隅々まで浸透したテロのもとに置かれている」社会であった(アムネスティ・インターナショナルの書記長マーティン・エナルズ、Amnesty Publication, Matchbox, Autumn 1976より)。米=イラン関係問題の専門家であるエリック・ホーグランドは、「シャーの体制が独裁的になればなるほど、米国とイランの関係は緊密になって行った」と述べている(Curtis, p. 95より)。シャーに対する米国の支援は精神病質のものではなく、現実的なものであった。米国は、イランの石油は自分たちのものだと勘違いをしているイラン人民族主義者たちから、イランの石油を守っていたのである。こうした現実的功利主義ほど「アメリカ的」なものはない。これほど[非アメリカ的」でないものはない。まさに今、イラクを席巻しているのと同じ類いである。
歴史は正確には繰り返さない。けれども、イラクの隣国であるイランで起きた、この、参考になる、「同盟国」による「解放」は、メディアに黙殺された。ガーディアン紙/オブザーバ紙は、今年に入ってこれについてわずかに3回言及しただけである(昨年は全体で4回)。今回のイラク危機との平行性を追求した記事は一つもない。
この沈黙は最近の現象ではなく、また英国固有のものでもない。1979年、シャーが自ら作り出した惨劇の中で失脚したとき、ウィリアム・A・ドルマンとエフサン・オマドの二人の研究者は、独裁者シャーを巡って次のように書いている。
「米国の主流派新聞の中に、シャーに対して「独裁者」という言葉を使ったニュース記事と解説記事を一つたりとも見つけだすことはできなかった」(Dorman and Omad, "Reporting Iran the Shah's Way", Columbia Journalism Review, January-February 1979)。
一方、バグダッドでは、米軍が、暴徒による、計画省・教育省・灌漑省・通商省・産業省・外務省・文化省・情報省の破壊と放火をするがままにさせていた。略奪者たちは、自由にバグダッド考古学博物館を破壊し、モスルの博物館を破壊し、そして3つの病院を破壊していた。ロバート・フィスクは、このカオスの広がりに関する奇妙な性質を次のように述べている(フィスクの記事全文)。
「一方、アメリカ人はイラクの二つの省には数百人の兵士を配置し、そこは被害を受けることはなかった。禁止されていたのだ。なにしろ、戦車と装甲兵員輸送車両、フンビー(訳註 ジープ型車両)がこれらの省の建物の中にもそとにも配置させられていた。そしてこれらの省がアメリカ人に取ってとても重要だったことを証拠立てている。内務省、これは当然ながら、イラクに関する情報分析が豊富にある場所だ。そして石油省。イラクの最も価値ある資産−油田とさらにもっと重要である膨大なその蓄え−に関する資料とファイルは安全で無傷で、暴徒や略奪者の群れからは隔てられており、ワシントンがほぼ確実にそうするつもりであるアメリカの石油会社との共有、そのために確保されている。」
米英の政策の背後にある動機と世界中で米英が行っている残虐行為の真実については、我々の「自由報道」では報道することを決して許されない。問題は、基本的なそして誠実な理解の枠組みなしには、イラクでの、そして他の場所での悲劇について、何も理解されないことである。むろん、ブッシュとブレアにとって、これは理想的なことである。
より根深い問題は、メディア内部の自己批判は実質上禁止されていることである。例えば、ガーディアン紙もインディペンデント紙も、それを許すことはない。では、「リベラル紙」の体制迎合を批判する声をどこで読むことができるのだろうか。主流派メディアの中で、ガーディアンとインディペンデントよりましなメディアはない。それよりまともなものを求める人々の声が存在する余地は、主流派メディアには存在しないのである。
イラン。1953年、民主的に選出された穏健派ナショナリストのモサデク首相が、植民地支配者だった英国の英国石油から石油を国有化し、それに不満だった米英が政権を転覆し、シャー独裁を布いた国。それ以来25年にわたり、秘密警察SAVAKによる信じがたい人権侵害が続けられた国。CIAが女性に対する拷問のビデオを作成し、SAVAKに教えた国。インドネシア同様、独裁政権のもとで膨大な人権侵害が行われながら、1979年まで、「進歩的親西洋政権」と西洋メディアで扱われてきた国。
この記事は英国のメディアを扱ったものです。日本では、愛媛新聞のように、ときに遙かに原則的な観点から掘り起こした社説を掲載する新聞があります(例えば、4月20日の社説では、家族10人を殺され自分も両手を失ったアリ・イスマイル・アッバスさん12歳に対する激励やアリさんを救う運動に対して、「しかし、どうであろうか。アリ君に寄り添う言葉など、そう簡単に見つかるはずもない。戦争が起きてしまった後の人道支援の難しさをあらためて思うのである。言葉を換えれば、戦争に賛同しておいて「人道支援」を口にすることが、いかにナンセンスか、という問題である。ただ、十年にわたる経済制裁と今回の戦争でイラク国民はどん底の苦しみの中にある。一方で、戦後復興をめぐる国際社会の不協和音も続いてもいる。/そんななかで残念ながら、日本政府の姿勢からはイラク支援というよりも「対米支援」といった側面が色濃くにじむ。米国のイラク復興支援室(ORHA)に政府要員を派遣するというが、米国に対して存在感を発揮したい、イラクの戦後経済への影響力を担保しておきたい、との思惑も見え隠れする」と、メディアとしては、非常にきちんと足下を見つめ、歴史の前後関係を適切に踏まえた議論を展開しています)。
イラクでは大規模な占領反対デモ、水などを求めるデモがあり、米軍の発砲などにより民間人死者がさらに増えています。私は普段、自分が執筆したり翻訳したものを何となくあまり他人に強く勧めることができないのですが、今、例えば Yomiuri Weekly で「イラク解放」と言った(異様な)特集が出たり、石原慎太郎が都知事選に圧勝するといった事態の中、もう一度(米国を中心としたものですが)歴史を確認するために、ぜひ、できるだけ広い範囲の方々に、拙訳『アメリカの国家犯罪全書』を、読んでいただければと思います。大胆なタイトルとは裏腹に、はやりの「陰謀本」ではなく、ベトナム戦争に抗議して米国国務省外務担当を辞任した著者ウィリアム・ブルムが、長年にわたる綿密な調査に基づき、米国外交政策の歴史を簡便にまとめた一冊。著者ブルムの希望と意志を持ち続ける地道な態度とともに、大国による来るべき国際犯罪を把握するために、便利な本だと、考えています。