昨年のバリ爆破事件と最近10名の犠牲者を出したジャカルタでの自動車爆弾の容疑者に出された死刑宣告の後、米国の主流派メディアは再びインドネシアにおけるイスラム原理主義者のテロに注目している。けれども、ジェマ・イスラミヤ---この二つの残虐行為とよく関連があるとされアルカイーダとも関係している可能性があるとされる---に関して考察を巡らすことに飛びつく中で、西洋の記者たちは、インドネシア群島におけるテロ攻撃の最大の実行者であるインドネシア軍が犯している犯罪を見落としている。
2003年8月5日、東チモールにおける人道に対する罪を扱うインドネシア政府の特別人権法廷(対象は1999年4月と9月に東チモール13県のうち3県のみで犯された犯罪に限られている)は、1999年のインドネシア軍(TNI)による東チモール焦土作戦を管轄していたアダム・ダミリ少将に、3年の禁固刑を言い渡した。国連管理下での独立投票(24年間のTNIによる不法占領の後でのことである)で解放を選んだことに対する復讐として、TNIが元ポルトガル領の東チモールに加えた破壊を考えるならば、この判決はほとんど無意味である。わずかでもダミリ将軍が刑に服すると予測する者もほとんどいない。この法廷が、強姦や殺害、何十万人もの東チモール人の強制移送で有罪の判決を下したインドネシア「治安」部隊の士官はたったの3名だけであり、いずれも上訴して自由の身でいる。
裁判を受けた18人の中で最後に判決を受けた最も上級の将校であるダミリは、アチェでTNIが続けている戦争を指揮するために何度か法廷での審理を欠席した。アチェは、スマトラ島北端にある石油資源の豊富な地方で、エクソンモービル社が、以前からTNIと共謀して一般市民を弾圧してきた。ダミリが、東チモールで行ったとして告発されているとほとんど同様の作戦をアチェで続ける権利を与えられているという事実、そして判決前に検察側が無罪判決を下すよう要請したという事実は、「国際危機グループ」が、最近、TNI改革は「潰えた」と述べた理由をはっきりと示している。傷の上に侮辱を投げかけるかのように、検察側は、判決を不服として、無罪を求める上告を行った。
一方、国連が東チモールに設置した重大犯罪部は、1999年に犯された人道に対する罪で、60人以上のインドネシア軍兵士と士官を訴追しているが、この中には、ダミリや元インドネシア軍総司令官ウィラント将軍も含まれている。これらインドネシア軍関係者全員がインドネシアにおり、ジャカルタが東チモールによる身柄引き渡し要求を拒んでいるため、インドネシアでも裁判が行われず、国連が国際法廷をためらっている中、これらの者たちが起訴される可能性はほとんどない。
東チモールの事態を巡る、「兵士たちは争乱が広まるのを阻止するために迅速に対応し、犠牲者を避難させ容疑者を逮捕した」というダミリの主張は、もし東チモールで起きた事態がこれほど悲劇的なものでなかったら、まるで漫画のようなものに見えたことだろう。非常に多くの東チモール人目撃者たちが、インドネシア軍はこれとは全く逆のことをしていたと述べている。そして、軍が対応しなかったら「犠牲者の数は遙かに多かっただろう」というダミリの驚くべき主張は、インドネシア軍が一般市民に対する直接攻撃に参加すると同時に、弾圧を行わせる手先として民兵を訓練し武器を与えたという、広く記録されている役割によって反駁されている。インドネシアを専門とするオーストラリアの学者ダミアン・キングスベリーは、次のように言う。「[TNIが民兵を支援していた」証拠はオーストラリア諜報のラジオ傍受とその書写、大量の文書として公開された。投票後、TNIが国際部隊の派遣で撤退したあと東チモールで見つけたファイルや文書は、当時の目撃者のものも含め、これを見る必要がある。我々自身、この目で、TNIが民兵に、文字通り路上で、武器を手渡しているのを目撃した」。その後の不十分な犯罪科学的調査により(不十分だったのは米国が圧力をかけなかったこともかなり影響している)、インドネシア軍とその手先の民兵が、どれだけの東チモール人を殺したかについて、我々は決して知ることが出来ないかも知れない。
東チモールにおける残忍な占領の中で使われた様々な戦略がアチェでも用いられているが、その一つは、「保護」すると称して民間人を強制移送する作戦である。ジャカルタの権力筋は、ブッシュの捻れた海外政策読本を真似て、「軍属」ジャーナリスト体制を敷く一方、フリーランスのジャーナリスト、ウィリアム・ネサンと日本人カメラマンを追放し、他の独立指向の記者に嫌がらせをしている。5月29日、「ジャーナリスト保護委員会」は、アチェで記者たちへのねらい打ち攻撃が行われていることを非難し、外国人記者とインドネシア人記者の隊列に向けて、身元不明の射撃手たちが、少なくとも6回、発砲したと述べている。ニューヨークに本部を置くこのグループは、「インドネシア軍により、アチェでの戦闘に関する報道を制限しようとする体系的な作戦が採られていることを示す証拠が積み重なっている」と述べる。アチェからは、ほとんどの国際監視員が追放されたが、強姦や拷問、超法規的処刑が行われたというたくさんの目撃証言が、今もアチェから伝えられ続けている。TNIはまた、20万人のアチェ民間人を、自宅からキャンプへ強制的に送り込む、「戦略村」作戦を開始したことを認めた(東チモールでも、抵抗勢力を一掃するために、民間人をインドネシア軍の前に立たせたり、「戦略村」(強制収容キャンプ)に放り込んだりしていました。特にこうしたキャンプでは、大量の餓死者が出ました)。
インドネシアでは、こうした惨劇に反対する活動家たちは、惨劇を引き起こす軍士官たちは決して受けないような、重罰を受ける。最近のあまりに酷い例の一つは、繰り返し地元アチェでの紛争に対する平和的解決と武装抵抗に対する代替を提唱してきたアチェ人学生活動家ムハマド・ナサルが、政府に対する憎悪を広めたとして、5年の禁固刑判決を言い渡されたことである。ロンドンを拠点とする人権団体Tapolは、この有罪判決は、「言論と表現の自由という原則と明らかに対立する法律に基づいて」下されたと述べる。インドネシア群島の反対側に位置し豊富な資源を有し、人々がTNIによる民間人への攻撃にやはり同様に疲れ果てているパプアでと同様、他のアチェ人反対派も、ただ単に殺され続けている。
TNIは、紛争地帯での対立を長引かせることで利益を得る。こうした地域での紛争により、インドネシアの分裂を阻止するための組織としてTNI自身の重要性を確かなものとすることができるのである。アチェやパプアを始めとする様々な地域は、また、自分たちの腹を肥やすたくさんの機会を治安部隊に与えてくれる。不法伐採(熱帯雨林の大規模な破壊をもたらしている)や売春、麻薬貿易、絶滅危機種の取引、強請りなどを含む、非合法ビジネスである。
TNIがアチェやパプアやその他の地域でさらなる残忍な弾圧を行うことを阻止するためには、過去の振舞いに対して責任をとることが必要である。インドネシアで民主化勢力が力を失った今、そのためには国際的な支援が必要である。それゆえ、米国(や日本)の人々は、自らの代表に対して、東チモールで犯された戦争犯罪を裁く国際法廷を設置するよう求める働きかけを行う必要がある。そして、また、1999年に採択された、TNIへの軍事援助禁止を解除しようとするブッシュ政権のたくらみにも反対する必要がある。
国際法的にも日本政府の確認された公式の立場としても、東チモールがインドネシアの一部だったことは一度もありません(外務省のホームページ等でもメディアでも「インドネシアからの独立」といった表現が使われたりしますが、全くの誤りです)。一方、アチェや西パプアは、「一応」、インドネシアの一部として認められている地域であるという違いはあります。
そうであるとはいえ、東チモールでもアチェでも西パプアでも、インドネシア軍は全く同じように人権侵害を犯してきました(ちなみに、現在進められているアチェへの軍事侵攻は、1975年の東チモール侵略以来最大のインドネシア軍による軍事作戦です)。アチェでは現在、恐ろしい人権侵害(言葉にしてしまうとあまりに凡庸ですが、本当に恐ろしい侵害)が続いています。日本インドネシアNGOネットワークやインドネシア民主化支援ネットワークに様々なキャンペーンや情報が掲載されるはずですので、そちらもご覧下さい。また、東チモールにおける人権侵害を巡る裁判の情報や、最近のニュースについては、ティモール・ロロサエ情報ページをご覧下さい。
オーストラリアや米国が軍事関係再会を熱心に進め、英国が自慢のホーク戦闘機を売り込み、ロシアやチェコが兵器販売を拡大しているインドネシア軍とは、こうした軍隊です。日本政府が、人権侵害には触れずに「インドネシアの領土的統一を尊重する」と述べる「領土的」に「統一」されたインドネシアの中で起きているのは、このような事態です。