ハイチとアブグレイブ

米国はハイチ刑務所を「きれいに」しようとしている。イラクでやったように・・・

ドミニク・エセル&キム・イーヴス
ZNet原文
2004年6月17日


昨年アブグレイブ刑務所の「改革」---その後アブグレイブで米軍兵士たちがイラク人に拷問を加えていたことは世界に悪名を馳せた---のためにイラクに送られた米国人監獄コンサルタントが、今、ハイチで同じ「監獄改革」の仕事に従事している。

この人物テリー・ステュワートは、アリゾナ州の刑務所体制の元責任者だった。アリゾナ州刑務所が彼の監察下にあった(1995年〜2002年)時期、米国司法省は何度もアリゾナ州矯正局を監査し、とりわけ女性への虐待をめぐって訴えていた。1997年に行われた司法省の訴えでは、男性の看守が、14名の女性を強姦し、ソドミーを強制し、暴行したことが告発された。女性囚人たちは男性看守が傍らに立つ中でシャワーを浴びさせられた。この訴訟は有罪が認められないまま調停となったが、アリゾナ州は刑務所政策の抜本的変革を約束した。

先週、チャールズ・シュマー上院議員(ニューヨーク州・民主党)が、スチュワートの「波瀾含みの過去」および「囚人虐待を許容してきたショッキングなまでの記録」への注意を喚起した。司法省の監察総監に宛てた6月2日付の手紙で、シュマー議員は、「米国の矯正施設について問題を起こした過去を持つ」ステュワートが、他の3名の問題含みの要員とともに、イラク刑務所の「再構成」を監察する立場に選ばれたのはどうしてか、と問うている。

シュマーの手紙は次のように書いている。「ステュワートは、性的攻撃や強姦から女性囚人の脱衣やトイレ使用を見ることまで、看守が女性囚人にくり返してきた性的虐待を知りながら、それを黙認してきたことを告発されてきた」。「ステュワートの監察下で、アリゾナ州の囚人たちは、夏に最大4日も屋外に立たされ、冬にトイレなし・十分な飲み水なし・着替えなし・適切な食事なしに最大17時間も屋外に立たされた」と。

テリー・ステュワートは、現在、「先端矯正マネージメント」社という私営コンサルティング会社の共同経営者をしている。米国国務省は、2004年3月に米軍がハイチを占領したあと、ハイチ刑務所の「改革」を監察させるために、彼を雇い入れた。

ステュワートが現在監察下に置いているハイチ刑務所からは、2月29日前後にアリスティド大統領に対するクーデターを起こしたハイチ人「反乱部隊」によって、囚人たちのほとんどが「解放」された。今日、刑務所には、アリスティド大統領のラバラス党に所属する何百人という政治囚が詰め込まれている。その中で最も良く知られているのは、アネット「ソ・アン」オーギュストである。彼女は、5月10日、曖昧な共謀罪で、米軍海兵隊により暴力的に逮捕された。

最近の出来事は、ステュワートの指導のもとで、ハイチ刑務所がどのように運営されているかを示している。先週、独立ジャーナリストのケビン・ピナが、ペティオンヴィユの刑務所にソ・アンを訪問した。彼女は監房に入れられ、友人やジャーナリストは厳重な制限のもとでしか彼女を訪問できない状況に置かれている一方で、ピナは、別の囚人が刑務所内を自由にうろつき回っている光景を目にした:殺人で有罪判決を受けたジョデル・シャンブレンである。

「死の部隊」FRAPHの元指導者であるシャンブレンは、4月22日、シャンブレンに好意的な新クーデター政権により再裁判を受けようと、出頭した。

ピナが刑務所の待合室に戻ったとき、シャンブレンはソ・アンを訪問した人々のアイデンティティ・カードをチェックしているところだった。シャンブレンはピナと他の2人のジャーナリストのカードを取り出していた。ピナが看守に苦情を言っても、看守はただ笑うだけであった。

シュマー上院議員は、ステュワートがイラク刑務所の変革のような「微妙で重要な役割に選ばれる」などということが、いかにして、そして何故起きたのか、と問うている。米国の矯正官だったとき、ステュワートは「重大な職権濫用を犯したという、信頼できる情報があった」にもかかわらず。アブグレイブで犯されていた拷問が明らかになった今、ステュワート氏が、米国納税者の金を使って、その「専門技術」をハイチに適用するために雇い入れられたのは何故か、と問わなくてはならない。


2004年6月23日付英ガーディアン紙に、ダンカン・キャンベルとスザンヌ・ゴールデンバーグによる、アフガニスタン監獄で米軍兵士たちがアフガン人囚人を日常的に拷問し侮辱しているという記事が掲載されました。以下にほぼ全文を日本語で紹介します。
米軍がアフガニスタンで拘束している被拘留者たちは、イラクでと同じように、尋問の一環として日常的に拷問と侮辱を受けていることが、ガーディアン紙の調査で明らかになった。

5人が留置所で死亡した。そのうち3人が死亡した状況には、疑問が残る。生き残った人々は、殴打やストリップ、目隠しフード、睡眠の剥奪などが加えられたと語っている。

こうした虐待の性格を見ると、イラクのアブグレイブ刑務所で起きたことは、アフガニスタンに米軍が侵略して以来日常的に犯してきた尋問パターンと同じであることがわかる。

昨日、ブッシュ政権の上級スタッフたちが「対テロ戦争」において拷問の利用を許容したとする告発に対抗するために、ホワイトハウスは、尋問に対する内部規定を説明した数百ページの文書を公開した。

ペンタゴン・ホワイトハウス・司法省が2002年1月から2003年4月に作成したとされるこれらのメモは、大統領とその補佐官たちがグアンタナモ湾で拘留されている人々を人間的に取り扱うよう主張してきたことを示す狙いである。

けれども、今月上旬にリークされたメモの一つは、ブッシュ氏には拷問を許可する法的権限があると述べている[戦争犯罪と拷問:米国政府の見解もご覧下さい]。

外交作戦上院小委員会委員で民主党のパトリック・レーヒー上院議員は、ガーディアン紙に、アフガニスタンの囚人たちは「残虐で品位を傷つける扱いを受けており、それにより死亡した人々もいる」と語った。

「これらの虐待は、「対テロ戦争」においては「何でもアリアリ」とするホワイトハウスの態度に起因するより広いパターンの一部であり、その中で、不法行為の一線を越えたものまでもが許されている」と。

元警察官シエド・ナビ・シディキは、殴打され衣服を剥奪されたと述べる。「私の制服を取り去った。私は政府の身分証明書を見せた・・・・・・それから、彼らは、お前はどの動物とセックスしたのか、と聞いたんだ。ヤギや羊、犬や牛の鳴き声をまねながら」。

もう一人の被拘束者ヌール・アガーは、尋問中、ボトルに何本もの水をむりやり飲まされたと証言した。

別の被拘束者ワジル・ムハマドは2年近く拘留されていた。まずアフガニスタンで、次いでグアンタナモ湾で。

「グアンタナモでの拘留から解放されるとき、私は、自分が戦闘の際に捕まったと言う書面に署名しなくてはならなかった。それはうそっぱちなんだ」と彼は言う。「私が捕まったのは、4人の乗客と一緒にタクシーに乗っていたときだった。でも、書面にサインしなければ、一生グアンタナモに拘束すると言われたので、サインしたのだ」。

チャック・ジャコビ准将による留置所での虐待をめぐる調査の一部は、来月、アフガニスタン占領米軍のデビッド・バルノ中将により来月公開される予定である。

バルノ中将は言う:「私ははっきりと、諜報の手続きは、適切な基準に従って行われなくてはならないことを断言する。わが軍のわが兵士全員は、被拘束者を尊厳と敬意をもって扱わねばならない」。

アフガニスタン各地にある米軍拘留センターのネットワークのほとんどには、監査の手が及んでいない。先週「連合軍」が述べたところによると、そうしたところに、侵略以来、2000人以上の人々が拘留されているのである。

「アフガニスタンでの虐待はイラクでの虐待よりも、ある意味で問題である」とヒューマンライツ・ウォッチのジョン・シフトンは言う。「アフガニスタンでの虐待はイラクで見られたような性的な虐待が少ないのは確かであるが、多くの点でもっと酷い」。

「囚人たちはひどく殴られ、寒さの中で放置され、睡眠と水を剥奪される。5人が死亡しことがわかっている」。
米軍の占領下にあるイラクで、アフガニスタンで、ハイチで、そして米国内の様々な刑務所で、拷問が体系的に行われてきた/いることが、ますます多くの証言や資料とともに、明らかになってきています。また、米国の米州軍事学校(SOA)で訓練を受けた各国軍人たちが、コロンビアで、グアテマラで、エルサルバドルで、ホンジュラスで・・・・・・拷問や強姦、殺人、虐殺などの最悪の人権侵害を犯してきた/指揮してきたことも。そして米国が大規模に支援するイスエラエルによるパレスチナ人への拷問。

これらのことから、あたりまえに、次のような帰結が導かれます。「米軍/米国にとって、拷問の使用は、例外ではなく、基準である」。

20年ほど前、米国の経済学者エドワード・ハーマンが「本当のテロ・ネットワーク」という本を書いていました。米国の援助と各国国内の人権侵害とを調査し、米国の援助と人権侵害との間には強い正の相関がることを実証的に示したものです。米国は拷問を好むわけではないが、目的を果たすために必要ならば拷問を普通に使う、というのが大まかな帰結でした。

淡々と、職務の一環として拷問を選択肢の一つとして遂行する、というのは、ある意味で、好きでやる拷問よりも、恐ろしいかも知れません。職業に忠実に、ユダヤ人の絶滅収容所送りを最適化するよう輸送プランをたてたアイヒマンのことが思い起こされます。

関連する記事として、反戦翻訳団さんのアブ・グライブから中南米へ:合州国による虐待模様の地図が拡がってゆくも、ぜひお読み下さい。米軍の「拷問訓練所」、スクール・オブ・ジ・アメリカズをウォッチしている団体「SOAW」からの記事。
2004年6月27日

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