コロンビアのアマゾン地帯に住む先住民の「平定」が続いている
ギャリー・リーチ
Colombia Journal 原文
2011年1月10日
アマゾンの田舎町イニリダは、コロンビア東部の僻遠の地にある他の多くの街と同じような街である。ベネズエラとの国境近く、イニリダ川とグアビアーレ川の合流地点にあるこの街に行くには、川を使うか飛行機で行くしかない。前世紀を通して、イニリダ、そしてグアイニア県の周辺地帯では、何度かの経済ブームと不況を繰り返した。もともと、地元経済を牽引していたのはゴムだったが、それが金に代わり、そしてコカに変わった。これらのブームが起きたときも、グアイニアの9割を占める先住民がその利益を享受することはなかった。先住民は、20世紀を通して、自分たちが暮らす土地と文化に対する侵略を何度も何度も被ってきたのである。
現在、グアイニアは不況の真っ只中にある。同時にグアイニアは、過去20年の中でもっとも平和的な状況にある。これは、政府の「民主的治安」政策のおかげである。しかしながら、今回、この地域に適用された軍事主義的平定策は、地元の先住民に影響を与えた平定策として最初のものというわけではない。20世紀の半ばには、福音主義者の伝道師たちが、地元先住民を「文明化」するためにやってきていた。
20 世紀初頭、ゴム貴族たちが地域にやってきたことで、グアイニアに住む多くの先住民族は壊滅的な打撃を受けた。実質上の奴隷労働力として残忍な搾取の対象となったのである。けれども、1944年、ソフィー・ミュラーという名のアメリカ人福音伝道師の姿を取った 救世主が現れた。彼女はまずクリパコ民族の中で暮らした。クリパコ民族はそれまで、グアイニア川沿いという彼ら彼女らの暮らす地区がとても離れたところにあったため、外部の人間とほとんど接触せずに暮らすことができた民族だった。
ミュラーは、ニューヨーク市の美術学校に通っているときに「神と出会い」、当時できたばかりのニュートライブズミッションに参加した。そこで、神の言葉を「僻地」に住む先住民に伝えるために、コロンビアのアマゾン地区に派遣されたのである。数週間にわたって川上を辿り、アマゾン熱帯雨林の奥地に入って行ったときにクリパコの人々と出会い、その世話を受けた。徐々に、クリパコ語を理解するようになったミュラーは、最終的に、音声学に基づく書記体系を作り出した。それからクリパコの人々に読み書きを教え始めた。ミュラーは新約聖書に基づく簡単なテキストを作って、クリパコの人々をキリスト教徒に改宗させることに成功した。
それからの歳月、ミュラーはグアイニアに住むクリパコ以外の14民族にも接触しはじめ、同じ戦略を使って、大多数の人々をキリスト教徒に改宗させた。プイナベ民族は、何千年にもわたり、持続可能な農業と狩猟漁労により生活を続けてきた。プイナベは、繰り返し移動し、イエズス会伝道師たちによる「文明化」工作を避けることで、独自の宗教儀礼を守ってきた。しかしながら、ミュラーは、カトリックが成し遂げられなかったことをここでも成し遂げた。
ミュラーがコロンビアのアマゾン地区に入り込んだことに続いて起きた事態を、人類学者のナンシー・フラワーズは「救世運動」と呼んだ。フラワーズによると、「伝道師たちの目的は、先住民の信念系をすべての点から全面的に根絶やしにし、伝道の仕事を続けさせるために土着の牧師を育てることにあった」という。若者たちは、自らが属する文化的伝統を拒むよう教え込まれたが、それに取って代わるものは何もなかった。アマゾンに暮らす民族の多くと同様、プイナベも、「文明化」のプロセスで得たものよりも失ったものの方が多かったのである。
1990年代にコロンビアのアマゾン地域に住む先住民のところで研究を進めた人類学者のジョナサン・デビッド・ヒルも、フラワーズの考えに同意している:「先住民族は、自分たちの社会習慣や宗教を恥じるべきものと教え込まれた。それらは「悪魔崇拝」の「邪悪な」形態という、侮蔑的なレッテルを貼られたのである。とりわけ、先住民のシャーマンや謡い部が悪の手先として標的にされ、その多くが血縁集団から追放された」。
その伝道活動は先住民の伝統的習慣を破壊していると指摘されたとき、ミュラーは次のように答えている。「休みなしに飲み、踊る、その踊りが不品行につながることはわかるでしょう。あの馬鹿者たちはそうした魔術を使うのです。男たちは一晩中飲んで踊りつづけ、それから少女たちのところに行って不道徳なことをするのです」。
チベリオ・アセルベロは、イニリダで先住民文化センターを運営し、ミュラーが根絶やしにした伝統的慣習の復興を図ろうとしている。彼は、ミュラーが地元の人々にプラスの影響もマイナスの影響も与えたと語る。アセルベロによると、「プラスの面としては、彼女が先住民族を組織し、生活の計画を定めた点があげられます。マイナス面は、先住民の音楽やダンス、チッチャ(伝統的なアルコール飲料)、伝統薬を「悪魔」のものとして禁じたことです」。ミュラーはまた、先住民以外の商人とカトリックの司祭も「悪魔」と見做した。
グアイニア県の先住民族の権利のために活動する政府の法律家マリア・フェルナンダ・アリスティサバルは、ミュラーのおかげで、それまで外部の人間により搾取され虐待され踏みにじられてきた多くの先住民族が誇りを回復することになったと話す。ミュラーはまた、先住民族間でしばしば起きた暴力を終わらせることにも貢献し、紛争を平和的に解決する手段も確立したという。アリスティサバルが指摘するように、「ミューラは先住民に、読み書きのような手段を提供しました。多くの点で、彼女は、カトリックの司祭たちよりも、先住民族のエンパワメントを行ったのです。先住民であることに誇りを持ってもよいとの感情を促すことにも貢献しました」。
1990年代初頭、福音派の先住民コミュニティ指導者を地域全土から集めた定期集会をミラーが開催したとき、集会の場でアリスティサバルはミュラーに会っている。アリスティサバルは、ミュラーに会った瞬間、彼女が強力でカリスマ的な人物であることがわかったと話す。ただし、同時に、ミュラーの神学があまりに単純なものだったことに驚いたとも言う。アリスティサバルが集会の場に着いたとき、ミュラーはハンモックに横になっていたが、「私の姿を見たとたん、人類学者だと決め付け、ハンモックから飛び出してきて、『人類学者め! この人類学者め! 悪魔め!」と叫んだのです」。
ミュラーはグアイニアの先住民のところで40年間過ごし、ニュートライブズミッションの支援を受けて、新約聖書を先住民の14言語に翻訳して、人々の90パーセントを福音派に改宗させた。けれども、1980年代にマルクス主義者のゲリラグループであるコロンビア革命軍(FARC)がこの地域に進出し、福音派の宣教師たちを米国政府のエージェントと見なした。ちなみに、それから20年後には、ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領も、同じ理由でニュートライブズミッションをベネズエラから追放すると述べた。1984年、FARCの脅威を前に、ミュラーは国境を越えてベネズエラに移り、ベネズエラの先住民に対して同じ伝道の仕事を続けた。グアイニアには時おり、訪問のために戻るだけとなった。
当時、ラテンアメリカの農村部全域でますます多くのカトリック司祭たちが実践するようになった解法の神学とは対照的に、福音派の伝道師たちははるかに保守的で、米国の文化を支配する個人主義的価値観を体現していた。ヒルによると、「こうした伝道師たちのイデオロギーでは、『善』は『キリスト教』、『現代性』、『資本主義の繁栄』と同値であった。19世紀前半に独立国民国家を唱えた人々のイデオロギーと似通っていた」。当然のことながら、FARCはニュートライブズミッションの福音派伝道師たちをイデオロギー上の敵と見なし、1996年には同ミッションのメンバー3人をコロンビア北部で殺害したことさえあった。
FARC の第16戦線がグアイニアおよび隣接するビチャダ県の大部分を支配するようになったのは1990年代である。同時にコカインの原料であるコカの栽培がグアイニアで激増した。同じ時期、コロンビアの東部と南部では、他の多くの県でもコカ栽培が激増していた。グアイニアでは、1980年代後半に起きたゴールドラッシュが終わった後の経済的空白を埋める役割を担ったのである。
先住民は、再び、外部の人間と共生せざるを得なくなった。彼らはFARCに協力的ではなかったが、それでも比較的平和裡にFARCと共存していた。イニリダのある先住民指導者は、「ゲリラは我々には何もしなかった」と語っている。地元先住民の積極的な支援を得ることはなかったが、FARCはグアイニアの大部分を制圧し、県都イニリダの川向こうのジャングルに腰を落ち着けた。1999年、数百人のゲリラがイニリダに攻撃を仕掛けたが、町を掌握することはできなかった。
2002 年、アルバロ・ウリベ大統領は、FARCに支配されていた40パーセントの国土を奪回するために、民主的治安政策を開始した。その後の数年間で、イニリダに駐留する軍兵士の数は、陸軍、海兵隊、国家警察を含めて、600人から3000人近くへと激増した。兵力の増強に加えて、米国政府から提供された訓練やヘリ、情報を用いたコロンビア軍は、ゲリラを積極的に攻撃した。現在、グアイニア県のすべての川と人口の少ない地域のほとんどを軍が掌握している。 FARCの第16前線はさらに奥地へと撤退を余儀なくされ、現在グアイニアに残った兵力は、せいぜい50人であると推定されている。イニリダのある住民は、「10ねんまえ、ゲリラは川向こうすぐにいましたが、今ではどこにも姿が見えない」と語っている。
ゲリラに対する軍事作戦と同時に、グアイニア県の全土にわたってコカの根絶が進められた。当初、根絶作戦は空中からの毒薬散布で行われたが、その後は手作業で進められることになった。コカ撲滅作戦により、農村部とイニリダの経済は打撃を受けた。さらにその間に、ゲリラが敗北したことで、隣接するビチャダ県から県境を越えてグアイニア東部に新準軍組織のアギラス・ネグラスが侵出してくることになった。現在、グアビアレ川沿いの地区でコカ栽培と密輸を担っているのは、準軍組織である。
この8年間、先住民コミュニティのほとんどは、自分たちの生活に影響を与える外部の人間が今一度変わったことに対処しなくてはならなかった。今回はFARCから政府へと変わったのである。地域での武力紛争がほとんど終わったにもかかわらず、地域に駐留する政府関係者は軍が中心である。ビラ・バレによると、コカの根絶以来、経済的に大打撃を浮けてきた農村部の先住民コミュニティに対して政府はまともな社会的・経済的政策を実施できていないという。
同様に、イニリダの町でも、コロンビア政府の存在を表す「顔」となっているのは駐留している大規模な軍である。イニリダは、県都なので、少なくとも第2レベルの診療所を備えていなくてはならない。しかしながら、診療所では人員も設備も不足し、重病の住人の多くは、治療を受けるために、長い時間をかけ飛行機でボゴタに行かなくてはならない。
また、3000人近い軍人が駐留してはいるものの、軍人に対する食料をはじめとする必需品は、地元の商人から購入されるのではなくボゴタから空路で提供されるため、地元経済の発展にも結びついていない。イニリダにおける軍人の社会的・経済的影響は、主として、休日の日曜日ごとに軍人たちがバーや売春婦に落とす金である。ある地元の男性住人が言うように、地元の男たちの間には軍人たちに対する怒りがある。というのも「地元の女性たちは軍人のボーイフレンドを欲しがり、多くの女性が妊娠するのだか、軍人たちはすぐ女性たちから離れるからだ」という。
軍が農村部の多くに治安を確立すると同時に、政府はコロンビアの天然資源の開発を多国籍企業に譲り渡している。グアイニアでもこれは目につくようになっている。グアイニアに蔓延する貧困を軽減するために、採鉱が次の経済ブームの柱と見なされている。2009年、政府は、グアイニア県でコルタンの埋蔵が発見されたと発表した。コルタンは、レアメタルの一種で、携帯電話やビデオゲーム機、コンピュータなどの電器製品に欠かせない。コンゴ民主共和国でコルタンの埋蔵をめぐり紛争が起きているため、カナダの鉱業会社が複数、すでに埋蔵地の調査を始めている。
先住民指導者のビラ・バレは、コロンビア政府が先住民保護区を国外の鉱業会社に譲り渡すのではないかと心配している。政府は、先住民族が所有権を有しているのは土地の表面に対してのみであり、コルタンのような鉱産物のある地下への権利は政府にあると主張していると、彼は言う。それによって、自分たちのやり方を先住民に押し付ける外部の人間によってグアイニアの先住民族たちは再びひどい影響を受けるのではないかと、ビラ・バレは恐れている。
その間、FARCがグアイニア県からいなくなったことで、外国の福音派伝道師たちが再び戻ってきて、活動を始めている。新約聖書の先住民族言語への翻訳の一つに対する改訂訳をチェックするためにイニリダを訪問していたあるアメリカ人伝道師は、ウリベ大統領の功績を讃えている。さらに、政府の民主的治安政策のもとで犯された、広範に及ぶ人権侵害については、「問題もあったことはゐっているが、国際法を遵守していたら、ウリベがこれほどの成功を収めることもなかっただろう」と語った。
現在、グアイニアに押し寄せている伝道師たちの目的は、 1995年に死んだミュラーの仕事を引き継ぐことにある。先住民の中にはミュラーが根絶を図った伝統的な文化習慣を復活させる活動を行っている人々もいることを考えると、この新たな伝道師たちもまた、ミュラーの道徳主義的アプローチを反復する可能性が高い。アリスティサバルは、ミュラーの遺産には議論の余地があることを認めるが、それにもかかわらず、次のように主張する。「彼女はグアイニア全土で、20世紀におけるもっとも大きな影響力を持った人物でした。というのも、先住民と先住民以外の商人たちの関係のバランスを変えたからです」。21世紀、グアニアの先住民たちにとって、この関係のバランスは変化しつづけるようである。その変化がポジティブなのかネガティブなのかは、今後を見なくてはならない。
■ 辺野古通信
辺野古通信をご覧ください。
■ 上関原発
STOP! 上関原発をご覧ください。
■ アムネスティ・フィルム・フェスティバル2011
1月29・30両日、東京ヤクルトホールです。詳しくは、アムネスティ・フィルム・フェスティバル2011のサイトをどうぞ。前売りが1月27日まで延長されたとのことです。
■ 第11回市民連帯・神奈川懇話会のご案内
テーマ:横浜人活事件と国鉄闘争
話題提供:佐久間忠夫さん(国労東京闘争団・鉄建公団訴訟原告・
『人らしく生きよう』著者)
日程:2011年2月13日(日曜日)
時間:午後1時30分開始(1時開場)
DVD「刻まれた謀議」上映35分間
場所:中原市民館2F第2会議室(JR南武線・横須賀線か東急東横線
武蔵小杉駅より徒歩約5分)
所在地:川崎市中原区新丸子東3―1100―12パークシティ武蔵小杉
ミッドスカイタワー1・2階(電話044-433-7773)
参加費:500円(懇親会費別)/カンパ歓迎
主催:政治の変革をめざす市民連帯・神奈川
後援:佼成学園教職員組合
■ 東アジアに平和を!-問われる日本人の歴史認識
「建国記念の日」を考える2・11集会
主催:フォーラム平和・人権・環境(平和フォーラム)
日時:2011年2月11日(金) 13:30~16:00
開場・受付開始13:00
場所:自治労会館6Fホール(第1会館)
千代田区六番町1 Tel03-3263-3739
JR・地下鉄 市ケ谷駅・四ッ谷駅・麹町駅下車
内容:主催者あいさつ
講演「歴史認識と教科書問題」
講師 上杉聰 さん (大阪市立大学講師)
提起「朝鮮学校への高校無償化適用を求めて」
厳 廣子(オム・グァンジヤ)さん
(東京朝鮮学校オモニ会連絡会代表)
参加費:500円(資料代を含む)
備考:チラシはこちらです。
問合せ先:フォーラム平和・人権・環境
■ 「第14回許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会in大分&日出生台」公開講演会
沖縄・日出生台から日本のいまが見える
日時 2月5日(土)13:00
(開場12:30)~15:30
会場 コンパルホール
(JR大分駅下車 徒歩10分)大分市府内町1丁目5番38号
Tel 097-538-3700
【プログラム】
・日出生台のたたかいから(映像)
梶原得三郎(憲法・教育基本法の改悪に反対する市民連絡会・大分)
・基調報告 高田健(許すな!憲法改悪・市民連絡会)
・記念講演 高良鉄美 (琉球大学法科大学院院長)
「沖縄からみた平和憲法、日米安保」
・田村順玄・岩国市議ほか、全国各地の憲法運動からの報告
参加費 500円
お問い合わせ:03-3221-4668(市民連絡会)
■ 2011年 高岩仁監督作品上映会
「資本主義は戦争を必要としている」
『教えられなかった戦争・中国編 ―侵略からの解放・革命―』
日時:2011年2月5日(土) 13:40~16:40 (13:10開場)
プログラム
o 『教えられなかった戦争・中国編』上映
o 講演:野田明さん(1943年満蒙開拓少年義勇隊入隊、
1946年中国人民解放軍に参加)
o 故・高岩仁監督の講演映像上映
場所:東京ウイメンズプラザ ホール
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-53-67
山手線・東急東横線・京王井の頭線:渋谷駅下車徒歩12分
地下鉄銀座線・半蔵門線・千代田線:表参道駅下車徒歩7分
入場料:前売1300円(当日1500円)、大学生以下 1000円
主催:教えられなかった戦争製作上映実行委員会
連絡先:琉球センターどぅたっち
電話・ファックス 03-5974-1333
(電話は月曜日を除く11:00~18:00)
電子メール dotouch2009★@ybb.ne.jp (★を削除してください)
■ 広島・野宿者生活&相談会
【日 時】 2011年1月29日(土)12時~15時
【場 所】 広島市社会福祉センター6階
広島市中区千田町1-9-43
市役所からまっすぐ南へ歩いて下さい。
消防署の向かいです。
【内 容】
食事会(“春よ来い“でおなじみの、カレーと豚汁)ほか
健康相談(かんたんな健康診断ができます)
足湯(あったかいお湯に足をつけて、くつろいでください)
喫茶&なんでも相談
各コーナーを全部まわると、素敵なおみやげがあります!
【持ってくる物】「相談手帳」をお持ちの方は、もってきてください。
【問合せ先】
社団法人広島県社会福祉士会 電話082-254-3019
【共 催】
(社団)広島県社会福祉士会
野宿労働者の人権を守る広島夜回りの会
(社団)広島県介護福祉士会、県看護協会広島西支部
広島大学大学院保健学研究科成人看護開発学教室
済生会広島病院、済生会呉病院、
反貧困ネットワーク広島、ボランティアの皆様、
【協 力】
広島県医療ソーシャルワーカー協会
広島県精神保健福祉士協会、広島市
イラク侵略に関係する最新イベントはFalluja, April 2004ブログをご覧下さい。