ギャリー・リーチ
2003年11月24日
コロンビア・ジャーナル原文
「コロンビア・スリー」として知られる3人のアイルランド人が、何の犯罪について有罪判決を受けるでもないままに、2年間、コロンビアの刑務所に入れられている。ニール・コノリー、ジム・モナハン、マーティン・マコーリーの3人で、2001年8月11日、ボゴタのエル・ドラド空港で、南部のゲリラの安全地帯からボゴタに到着した際に逮捕された。当時、政府は和平交渉を行うために、左派コロンビア革命軍(FARC)に安全地帯を認めた。和平交渉は2002年2月に崩壊した。この3人のアイルランド人は、自分たちがFARCの安全地帯を訪れたのは和平交渉を監視するためだと言っているが、コロンビア当局は、3人はアイルランド共和国軍(IRA)のメンバーであると非難し、武器と爆発物に関してゲリラを訓練していたと告発した。3人の裁判は、逮捕されてから1年以上たった2002年10月に要約開始され、2003年8月に終了した。けれども、裁判が終了してから3カ月たった現在も、判事は判決を言い渡さず、3名は将来について不明なまま、コロンビアの刑務所にいる。
裁判の中で、3人は、3人ともIRAのメンバーであることを否定した。モナハンだけが、合法政党であるシン・フェイン党の党員であると述べた。コノリーとマコーリーは党員ではないものの、しばしばシン・フェイン党の活動と、アイルランド和平交渉のために活動していた。3人とも、アイルランドの和平交渉支持を表明していた。3人は、当時コロンビアで進んでいた和平交渉を自分の目で見るためにコロンビアを訪問したと述べた。コノリーは、「進行中の紛争解決のもう一つのプロセスをじかに見たいという願望があった」と述べている。モナハンは、自分たちがゲリラの安全地帯にいたときのことを、こう述べる:「我々は数週間安全地帯で過ごした。我々は沢山の人々と話し、アイルランドとコロンビアでの和平プロセスについて経験を分かち合った」。
2001年8月11日にボゴタに戻った3人は、コロンビア軍に逮捕された。逮捕状も発行されておらず、軍には逮捕を行う法的権限がなかったにもかかわらずである。コロンビア・スリーが拘留されてからちょうど1カ月後に、アルカイーダがニューヨークの貿易センタービルとワシントンのペンタゴンを攻撃した。その結果、コロンビア政府は、ワシントンから「対テロ」と称する援助を取り付けるためにFARCとIRAのリンクとされるものを強調し始めた。それからの1年間、多くのコロンビアと米国の官僚たちが、3名がコロンビアのゲリラを訓練するために送り込まれたIRAのメンバーであるとの偏見をいだかせるコメントを発表した。
3人のアイルランド人が逮捕されてから6カ月後、コロンビアの元大統領アンドレス・パストラナはワシントン・ポスト紙に次のように書いた:「我々は多国籍テロ・ネットワークと戦っている。数カ月前、IRAのメンバーが、都市テロリズムの訓練をFARCゲリラに与えた後で、逮捕された」。同じ月、当時のコロンビア空軍司令官フェルナンド・タピアスは米国下院外交関係委員会に、この3名は「IRA組織の中でそれぞれの部門の指導者であり、コロンビアに長期滞在してFARCにテロ行為の訓練を与えていた」と証言した。さらに、裁判中、コロンビアのアレバロ・ウリベ大統領はニューズウィーク誌に「FARCを訓練したIRAのメンバーを投獄している」と語っている。国際的なオブザーバが言うように、こうした発言は、裁判がまだ終了していなかったことを考えると、全く無責任なものであった。
判決が言い渡されてもいないのに3名が有罪であると宣言していたのはコロンビア政府関係者ばかりではない。米国政府関係者も「有罪が証明されない限りは無罪」という原則をまるで無視していた。裁判が始める6カ月前、ノースカロライナ州選出の民主党議員カス・ボーレンガーは下院国際関係委員会に、「最近のFARCによる爆弾を研究した結果は、爆弾製造の洗練度が上がっていることを示しているが、それは昨年コロンビアで逮捕されたIRA活動家とほぼ確実に関連している」と述べた。ボーレンガーは、さらに、次のようにさえ言っている:「IRAテロリストの存在は、アンデス地域の不法薬物資金を用いた米国に対するより広範な国際テロリストの脅威が潜在的に存在することをはっきりと示している」。
2週間後、同じ委員会で、米国麻薬取締局(DEA)の局長アサ・ハッチンソンは次のように述べた:「報告によれば、IRAのメンバーがFARCに、迫撃砲や地雷、爆発物、ミサイル・ランチャーの取り扱いに関して訓練を行っており、コロンビアの囚人の持ち物からみつかった訓練マニュアルや地図はIRAがアイルランドで用いているものと同じであるという」。
ハッチンソンのコメントのいくつかは単に嘘である。例えば、囚人の誰からも、訓練マニュアルや地図は見つかっていない。さらに、裁判の過程で、著名な法科学者キース・ボレルは、DEA局長のその他の主張についても反駁したのである。ボレル博士は、オクラホマ爆破事件を含む過去の大事件の多くで証言してきた人物で、IRAの武器についての専門家であると見なされている。裁判を目撃した国際オブザーバ使節団の一員である米国人弁護士スティーブ・マッケーブは、ボレル博士が「IRAとFARCが使っている武器は、迫撃砲の口径も異なり、異なるタイプの発射火薬や爆発装置を使っているなど、大きく異なっていると証言した。彼の証言からはっきりと引き出すことので着る結論は、FARCの武器はIRAのものよりもずっと洗練されているということだ」と述べている。ボレルの証言は、コロンビア・スリーが訓練していたと言われるタイプの武器に関して、FARCがIRAから学ぶものはほとんどないことを示している。さらに、IRAは地雷を使ったことがない。それゆえ、ハッチンソンが言いたいように、3人のアイルランド人が、何十年も地雷を用いてきたFARCに地雷という武器について教えることなどできそうにない。
この件について米国のさらなるいやらしい介入は、3名の逮捕直後にボゴタの米国大使館によりなされた。コロンビア軍のオルランド・プリド大尉が3名を逮捕したとき、コロンビアの司法当局にそれを報告する前に、米国大使館に通告するという異例の行動を取ったのである。そして、米国大使館「顧問」アンソニー・ホールが3名の法医学的テストを行い、その結果、ドラッグと爆発物の痕跡があると結論した。このテストの妥当性は、それが軍のバラックという汚染された環境で行われたとして法廷で否定された。国際オブザーバでEU議会の議員であるニール・アンドリュースによると、「ボゴタの米国大使館職員が提供した法医学的証拠は、疑いようもないまでに否定された」。さらに、司法管轄権を有するコロンビア当局が行なった第二の法医学的テストでは、3人の所持品からドラッグについても爆発物についても全く何一つ何の痕跡も見つからなかったのである。
裁判の際、検察側の二人の証人---一人はFARCからの脱走者であると主張された---は、1999年と2000年にゲリラの安全地帯でこの3人のアイルランド人がゲリラを訓練しているところを目撃したと主張した。けれども、3人の被告全員が、証人が3人を目撃したという時期にコロンビアにいなかったことを法廷で証明することができた。実際、その一つのとき、検察側証人がアイルランド人たちを目撃したと述べた2000年1月19日、ニール・コノリーは、ハバナのアイルランド大使館で夕食会に出ていた。証人たちの事実に合致しない証言と米国大使館が行なった法医学的検査の誤りを考えれば、ゲリラを訓練していたとして3名を有罪にするに十分な証拠がないことははっきりしている。
3名は、偽名を使った文書で旅行していたという第二の罪については認めた。コロンビアでは、これは罰金と国外退去処分になりうるものである。3名は、偽名を使ったのは、1970年代と1980年代に共和国の活動に参加していた---モナハンとマコーリーはこれにより服役したことがある---ためにアイルランドで親英国派準軍組織に嫌がらせを受けていたからであると述べた。けれども、二人は10年以上も前に釈放されており、英国秘密諜報部がコロンビア当局に提供することができた情報は20年以上も前のものであった。さらに、元政治囚の名前は、頻繁に国際諜報や警察のリストに登録されており、国によってはそのために入国を拒否する場合がある。こうしたリストに名前があると、元政治囚の命も危険にさらされる可能性がある。とりわけ、武装集団がこうした人々を脅威と見なすような国では。
国際的な法基準に従えば、コロンビア・スリーを有罪とする十分な証拠は存在しない。そもそも、国際的な法基準に従えば、裁判となることもなかっただろう。さらに問題なのは、この裁判は陪審なしの裁判であり、コロンビアと米国の政府関係者が語った偏見を作り出す発言を考えると、判事のハイロ・アコスタは有罪判決を下すよう巨大な政治的圧力を受けていたと思われる。国際監視員のアンドリュースは、「3名の有罪を要求しているまさにその同じ者たちにより4年ごとに再任命される判事の状況を考えると、これは非道なものである」。
その間、コノリーとモナハン、マコーリーの3人は、2年と3カ月にわたり、狭く危険なコロンビアの刑務所にいて、FARCを訓練したことで有罪となれば、18年から25年の禁固刑を受けることになる。3名の裁判が政治的な理由により進められていることは明らかであり、法的根拠はない。国際オブザーバのポール・ヒルが述べたように「公正な裁判の権利と有罪が証明されない限り無罪という前提が否定されるならば、司法/正義は悪用されるのではなく、廃止されるのだ」。
コロンビア・スリーについてのさらなる情報は、Bring Them Homeを参照して下さい。
簡単にできることとしては、コロンビアのアレバロ・ウリベ・ベレス大統領に手紙で3人の釈放を要請するというものがあります。例文を以下にあげます(メールはrdh@presidencia.gov.coとのことですが、到達しませんでした)。
コロンビアで矢崎シーメル副社長、村松治夫さんが殺されました。FARCによるもののようです。日本でもニュースでずいぶんと取り上げられていました。
ビルマ人のキンマウンラさん一家の国外追放処分をめぐり、野沢法相が28日、テレビで会見していました。恐ろしいまでに厚顔な発言をたれ流す会見で、リモコンをテレビに投げつけたくなる衝動を抑えるのに苦労しました。あまりの厚顔さに唖然として、メモを取り忘れたのですが、国外退去じゃなく祖国に戻るのだとか、国際化の中でこれをバイリンガル、トリリンガルの力を育む良い機会ととらえて、とか、本当に、気持の悪くなると同時に怒りで頭に血が上るような発言のオンパレードでした。
2人のお子さんは「日本語」が第一言語で日本社会で育ち暮らしてきたのです、そして夫はビルマで軍政を逃れてきた人、妻はフィリピン出身で、そんな人たちが出会えて生活の場を何とか作れるような社会を造ることこそが「国際化」ではないでしょうか。そして、バイリンガル、トリリンガルを語るなら、ブッシュですら話せる英語(かろうじて、ですが)さえロクにしゃべれないような人を多産する日本という社会を、例えばキンマウンラさんとかその一家と接することにより、バイリンガル、トリリンガルに変えていくことを語るほうがはるかにまともではないでしょうか。
自分で人を殴っておいて(あるいは殴った人物の主張を全面的に認めておいて)、さらに殴られた人に、これを良い機会と捕らえて云々・・・・・・思い出すだけで気分が悪くなります。国際化を云々するんなら、根拠なく「外国人犯罪」を煽るこの国の惨めでカッコ悪い悪臭の立ち上る政策をまず何とかしてほしい、ついでにご本人が、少しバイリンガルでもトリリンガルでも国際化でもなさったら、という感じでした。しかも、真顔で話している。怒りとともに、背筋が寒くなりました。
何が何でも自分の都合がよい宣伝を作り出すために、人々をハめ、言葉をデタラメに操作し、使い捨てで人を殺していく。イラクの人々に対しても、自衛隊員に対しても、その傲慢さと無神経さは同様に発揮されています。