トロイの木馬:米国民主主義基金(NED)

ウィリアム・ブルム
ローグ・ステート
『アメリカの国家犯罪全書』2003年3月刊行
第19章


米国民主主義基金(National Endowment for Democracy: NED)について 知っているアメリカ人がどれだけいるだろう? この組織は、しばしば、その名とちょうど反対のことを行う組織である。 NEDは、1980年代初頭、レーガン大統領により設立された。 1970年代後半に、CIAに関するまずいことが色々とあばかれたあとのことであった。 1970年代後半というのは、注目すべき時期だった。 ウォーターゲートに刺激されて、米国上院のチャーチ委員会、下院のパイク委員会、そして大統領により創られたロックフェラー委員会が、CIAの調査に忙しかった。 ほとんど一日おきに、CIAが長年にわたって行ってきたひどいことや犯罪的行為が発見されたとメディアをにぎわせた。 CIAは悪名を馳せ、権力者たちは困惑した。

何らかの処置をしなくてはならなかった。ひどいことをやめる、というわけではむろん、ない。 そこで、ひどいことを、新しい、素敵な響きを持った名前の組織にやらせることとなった。 これが米国民主主義基金(NED)である。 CIAが長年秘密裡に行ってきたことを、NEDに表だってやらせようというのがアイディアであり、それによって、CIAの秘密活動の汚名を返上しようともくろんだのである。

NEDは、政治的にも、PR上も、シニシズムとしても、傑作だった。

かくして、1983年、米国民主主義基金が、「民間の非政府活動により、世界中の民主的組織を支援する」ために設置された。 「非政府」という点に着目しよう。 空想と神話のかけらである。 実際には、資金はすべて連邦政府から出されており、それは、NED年次報告の各号に掲載される会計報告にはっきりと示されている。 NEDは自らを非政府組織(NGO)と称することを好む。 米国政府機関では得られない一定の信用を海外で得ることに有用だからである。 けれども、NGOというのは、分類ミスである。 NEDは政府組織(GO)である。

NED設立法案の草案執筆に参加したアレン・ワインスタインは、1991年、とても率直に次のように述べた。 「今日我々がやっていることの多くは、25年前、CIAが秘密裡にやっていたことだ。」[1] 実質的に、CIAはNEDを通してマネーロンダリングを行ってきたことになる。

基金がまず資金を提供する先の主な組織は四つある。国際共和研究所、国際問題民主研究所、 アメリカ労働総同盟・産別会議(AFL-CIO)の所属組織(たとえば米国国際労働連帯センターなど)、 商工会議所の所属組織(たとえば国際民間企業センターなど)である。 これらの組織から、さらに米国そして世界中のほかの機関に資金が提供される。 さらにそれらはまた、別の機関に資金を提供する。

特定の政治団体や市民団体、労働組合、反対運動、学生組織、出版社や新聞社などのメディア等々に資金や技術的ノウハウ、訓練、教育的資料、コンピュータ、ファックス、コピー、車等々を提供することにより、NEDは諸外国の国内問題に干渉する。 NEDのプログラムは、通常、労働者をはじめとする市民は、自由企業と階級協力、団体交渉、経済に対する政府の最小限介入、あらゆる形態の社会主義への反対という体制の中で、最大の利益を得ることができるという基本哲学を伝導する。 自由市場経済が民主主義、改革、成長と等値され、海外投資の利点が強調される。

1994年から1996年までに、NEDは、米国自由労働開発機構(AIFLD)という、CIAが進歩的な労働組合を転覆するために長年にわたり利用してきた組織に、総額で250万ドルに及ぶ15の補助金を提供した[2]。 第三世界の労働組合に対するAIFLDの活動では、NEDの哲学によくにた哲学を教え込むことに大きな力がそそがれる。 1996年にNEDがAIFLDに提供した補助金の記述には、「労使協調を確立する」という下りがある[3]。 NEDが使う言葉の多くと同様に、これも有益とはいえなくとも無害に聞こえる。 しかし、実際には、この言葉は「労働者の運動を抑えつけよ・・・現状に刃向かうな」というイデオロギー上の意味を持っている。 NEDとAIFLDの関係は、NEDの起源にCIAがあることをよく示している[4]。

NEDは、フランスやポルトガル、スペインをはじめとする多くの場所で、労働者寄りの戦闘的 な労働組合に反対するために中道・右派の労働組織に資金を出している。 フランスでは、1983年から1984年に、「左派の教授組織」と対抗するために、「教授と学生のための労働組合風組織」を支援した。 この目的のために、NEDは一連のセミナーや、ポスターや本、パンフレットの出版を援助した。 たとえば、『転覆と革命の神学』とか『中立か自由か』[5](ここで「中立」というのは、冷戦下での非同盟をさす)といったものである。

NEDは1997年から1998年のプログラムについて以下のように述べている。 「ユーゴスラビア連邦共和国における、民間部門開発に対する、地方及び連邦レベルでの障害を見つけだし、法制度の変更を推進する・・・[そして]民間部門開発戦略を構想する」[6]。 ユーゴスラビアのスロボダン・ミロシェビッチ大統領を批判する人々は、何年にもわたってNEDの資金を受けてきた[7]。

つまり、NEDOのプログラムは、新世界秩序における経済のグローバル化とシンクロしており、また、米国外交政策に波長を合わせているのである。

1984年に、NEDの資金がパナマでマヌエル・ノリエガとCIAが後押しする大統領候補の支援に使われたことを巡る論争が起き、米国議会は、NED資金を「選挙キャンペーンへの資金供給」に用いることを禁ずる法律を発効した。 けれども、そうした禁止措置をすり抜ける方法は簡単に見つかる。 米国の選挙でも、「ハードな資金」と「ソフトな資金」があるように。

「選挙」および「介入」の章で述べたように、NEDは、1990年のニカラグア選挙と1996年のモンゴル選挙を操ることに成功し、1990年ブルガリアで、1991年と1992年にアルバニアで民主的に選ばれた政府を転覆することに成功した。 また、1990年代後半には、ハイチで、ジャン・ベルトラン・アリスティド元大統領とその進歩的政策に反対して集まった右翼集団のために忙しく活動していた[8]。 他の数多くの国でも、NEDは選挙政治プロセスに圧力をかけてきた。

NEDは、世界に対し、自分たちがやっていることは、民主主義と選挙を知らない人々に、そのABCを教えることだけだと信じさせようとしているが、実際には、上で述べた五カ国のすべてで、すでに自由で公正な選挙が実施されていたのである。 NEDにとって問題は、NEDの好ましいリストに載っていない政党が選挙で勝利したことにあった。

NEDは、「反対派の創生」と「多元性の奨励」を行っていると主張する。 NEDのプログラム担当官ルイーザ・コーンは「私たちは、その政治体制の中で、私たちの支援がなければ声を挙げることができない人々を支援している」と言う[9]。 けれども、NEDは、メキシコやエルサルバドル、グアテマラ、ニカラグア、あるいは東欧の、そしてさらには米国でも、進歩的ないしは左派の反対はを支援してこなかった。 こうしたグループにとって、資金を得ることも、声を届けることも困難であったにもかかわらず。 一方、キューバの反対派グループやメディアは莫大な支援を受けてきた。

NEDの報告書類は、「民主主義」という言葉で溢れているが、せいぜいのところ頭にあるのは機械的な政治的民主主義であり、経済的な民主主義ではない。 権力構造や現状を脅かすことを意図したものは何もない。 むろん、キューバのような場所では別であるが。

1980年代のイラン=コントラ問題にNEDは深く関与していた。 オリバー・ノースの「プロジェクト民主主義」という陰のネットワークの中枢に資金を提供した。 このネットワークは、米国の外交政策を民営化し、戦争を仕掛け、武器と麻薬をさばき、その他にも色々と魅力的な活動を行っていた。 1987年のあるときには、ホワイトハウス報道官が、NEDにいる人々が「プロジェクト民主主義を運営している」と述べた[10]。 これは誇張である。 より正確には、NEDはプロジェクト民主主義の公式部門であり、秘密活動の側をオリバー・ノースが担当していたのである。 いずれにせよ、報道官の言葉は、もし、以前にCIAがこうした不謹慎な作戦を行っていたことが暴露されたならば引き起こしていたであろうよりもはるかに小さな動揺を引き起こしただけだった。

NEDはまた、1980年代半ばに、フィリピンの左派ゲリラに対する多様な作戦を行い、労働組合やメディアを含む様々な私的組織に資金を与えた[11]。 これは、NED以前に、CIAが典型的に行っていたことの複製である。

さらに1990年から1992年のあいだに、NEDは、納税者のお金から25万ドルを、キューバ系アメリカ人財団(CANF)に寄付した。 CANFは、マイアミの、超過激な反カストロのグループである。 CANFはそれを受けて、ルイス・ポサダ・カリレスに資金を与えた。 カリレスは、現代における最も活動的かつ無慈悲なテロリストの一人であり、73名の人々を殺害した1976年のキューバ航空爆破に関与していた。 1997年には、ハバナで、一連のホテル爆破に参加した[12]。

NEDは、CIAという先達と同様、自らの行為を、民主主義の支援と呼ぶ。 NEDが標的とする政府や運動は、それを、不安定化と呼ぶ[13]。

注:
1. Washington Post, September 22, 1991
2. NED Annual Reports, 1994-96.
3. NED Annual Report, 1996, p.39
4. For further information on AIFLD, see: Tom Barry, et al., The Other Side of Paradise: Foreign Control in the Caribbean (Grove Press, NY, 1984), see AIFLD in index; Jan Knippers Black, United States Penetration of Brazil (Univ. of Pennsylvania Press, 1977), chapter 6; Fred Hirsch, An Analysis of Our AFL-CIO Role in Latin America (monograph, San Jose, California, 1974) passim; The Sunday Times (London), October 27, 1974, p.15-16
5. NED Annual Report, November 18, 1983 to September 30, 1984, p.21
6. NED Annual Report, November 18, 1983 to September 30, 1984, p.21
7. See NED annual reports of the 1990s.
8. Haiti: Haiti Progres (Port-au-Prince, Haiti), May 13-19, 1998
9. New York Times, March 31, 1997, p.11
10. Washington Post, February 16, 1987; also see New York Times, February 15, 1987, p.1
11. San Francisco Examiner, July 21, 1985, p.1
12. New York Times, July 13, 1998
13. For a detailed discussion of NED, in addition to the sources named above, see: William I. Robinson, A Faustian Bargain: U.S. Intervention in the Nicaraguan Elections and American Foreign Policy in the Post-Cold War Era (Westview Press, Colorado, 1992), passim


益岡賢 2002年11月14日

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