『ローグ・ステート』の初版を出版してからまもなく、二〇〇一年九月一一日の事件が起こった。
米国内で飛行機四機がハイジャックされ、テロリストたちが、米国史上、最も破壊的な攻撃を米国本土に加えたのである。
この攻撃による破壊と人々への被害は莫大なものだった。
米国にとっての最重要課題は、生き残った実行犯たちを処罰することに加えて、再発を防止するためにこの事件から重要な教訓を得ることだった。
いや、そうであるべきだった。
得られる教訓の中で、明らかに最も重要なことは、「なぜ攻撃されたのか」という疑問に答えることであった。
偶然にも、本書の第一章は、「テロリストたちが合衆国をいじめる理由」と題されている。 そこでは、テロリストたちが---どんな存在であるとしても---理性的な人間であるかもしれないということ、すなわち、心の中に自分たちの行為に対する理性的な正当化を有しているのではないかと論じている。 テロリストたちの多くは、自分が目にした社会的・政治的・宗教的な不正と偽善に義憤を抱いており、テロリズムをひき起こす直接のきっかけは、しばしば、米国の行為に対する報復なのである。
本書の第一章では、中東における米国の行為をあげている。 いずれも、多数の生命を奪ったものである。 レバノンとリビアへの爆撃やイラン船の撃沈、イラン旅客機撃墜やイラクの人々に対する際限のない爆撃、中東の独裁政権への支援、そして、パレスチナに対して加えている破壊や日常的な拷問にもかかわらずイスラエルに提供され続ける大規模な軍事援助など。
アメリカ帝国が何十年にもわたり中東とそこに暮らす人々に加えてきた、軍事的・経済的・政治的弾圧に対する報復として、テロリストたちの標的となった建物は意識的に選択されていた。 ペンタゴンと世界貿易センターは、米国の軍事的・経済的覇権を象徴しており、ペンシルバニアで墜落したもう一機は、政治的象徴であるホワイトハウスへ向かっていた可能性が高い。
視点を変えると風景も変わる。 ハイジャッカーたちがしたことに弁解の余地はないが、その行為が説明不可能なわけではない。
米国政府がしていることを憎む理由をもっているのは、中東の人々だけではない。 米国はこの半世紀、中東に対して行なってきたよりもはるかに悪質な様々な行為をラテンアメリカに加え、それにより、ラテンアメリカ全土にテロリスト予備軍を作り出してきた。 ラテンアメリカの人々が、大魔王サタンを殺害して殉教すれば楽園に行けるという信念をイスラム教徒と共有していたならば、この何十年間には、無数のテロ攻撃が、メキシコとの国境地帯から米国に加えられていたことであろう。 今でさえ、ラテンアメリカでは、米国大使館や外交官、米国情報機関の事務所などに対する多くの攻撃がなされている。
そして、アジアとアフリカの人々がいる。これらの地域でも、状況は同様である。
二〇〇一年九月一一日の攻撃は大きな衝撃だったため、真面目な、あるいはかろうじて真面目といえるようなアメリカのメディアは、通常は目を向けない問題に目を向けざるを得なかった。 少なからぬ数の主要な新聞や雑誌、ラジオ局が、「なぜ攻撃されたのか?」という理由を理解しようとして、突然に---あるいは突然を装って---、米国が、何十年にもわたって外国の領土に対し無数の介入を行なってきたこと、そしてそれが深い反米感情を生み出していることに目を向けた。
これは、この悲劇がもたらした積極的な側面の一つである。 しかしながら、この「啓示」は、タブロイド紙や最低レベルのラジオ番組、笑ってしまうほど表層的なテレビ番組などから国際ニュースの断片をつまみ食いしているだけの、大多数のアメリカ人には伝わらなかったようである。
それゆえ、米国が、世界に対して何をしてきたからこれほどまで憎悪されているのかについて、反省がわき起こる代わりに、最も偏狭な愛国主義がわき起こった。 議員たちは、米国議事堂前で「神よアメリカに祝福を」と歌い、アメリカ国旗はすぐに売り切れ、見渡すかぎり星条旗がはためき、ラジオ番組に電話した人々は血の報復を叫び、娯楽やスポーツ・イベントは軍事的で愛国主義的なセレモニーで始まるのがあたりまえとなり、新聞を開いたりラジオやテレビを付けるとアメリカの勇気を称賛する言葉が目や耳に飛びこみ、誰もが「英雄」に仕立て上げられた。 二〇〇二年になっても、こうした状況はほとんど変わらずに続いている。
アメリカの真面目なメディアも、すぐにもとの状態に戻った。結局、いつも通り、アメリカの外交政策に関するより重要で役に立つ情報は、ニューヨーク・タイムズ紙やワシントン・ポスト紙ではなく、ロンドンのガーディアン紙やインディペンデント紙により多く掲載される状態に戻ったのである。
ほとんどのアメリカ人にとって、米国を標的としたテロリストたちの行動が、ワシントンの対外政策に対する復讐だ、という主張を受け入れるのは極めて難しい。 人々は、米国が攻撃されるのは、米国の自由と民主主義、富のゆえだと信じている。 こうした論理を、ブッシュ政権は、前任者たちがこれまでテロ攻撃を受けたときと同様、九月一一日以降、公式の説明として米国の人々に押しつけている。 副大統領夫人リン・チェイニーとジョセフ・リーバーマン上院議員が創設した保守派の大学監視団体である、「全米理事卒業生評議会」(ACTA)は、二〇〇一年一一月、「文明防衛基金」を設立し、 「九月一一日に攻撃されたのは、アメリカだけでなく、文明そのものである。われわれは、われわれの悪徳ゆえにではなく、美徳ゆえに攻撃されたのである」[1]と宣言した。
けれども、政府当局は本当のことをよく知っている。 一九九七年の「国防総省研究」は次のように結論している。 「歴史的なデータが示すところによると、米国の国際問題に対する介入と米国を標的としたテロリスト攻撃とのあいだには強い相関がある」[2]。
ジミー・カーター元大統領は、引退後、これにはっきりと同意している。
われわれはレバノンに海兵隊を送った。 そのときに人々のあいだに生まれた米国に対する強い憎悪は、レバノンやシリア、ヨルダンに行きさえすれば、すぐにわかる。 ベイルート周辺の村々を爆撃し、銃弾を降らせ、まったく罪のない村人たち---女性や子供や農民や主婦---を無慈悲に殺害したからだ。 その結果、深い怒りを抱いた人々の心の中で、われわれは悪魔となった。〔イランで〕人質をとられたのはそのためであり、テロ攻撃---それはまったく正当化できない犯罪であるが---の中にも、それを理由とするものがある[3]。一九九三年に起きた世界貿易センタービル爆破の実行犯は、ニューヨーク・タイムズ紙に手紙を送っている。 その一節は次のようなものである。
「その建物を爆破したのはわれわれであると宣言する。この行動は、アメリカがテロリズム国家 イスラエルおよび中東のそのほかの独裁国家を、政治的・経済的・軍事的に支援していることに 対抗するものである」[4]。反米テロリズムとアメリカの政策とのあいだにある関係に、米国政府とメディアが気づいている という点については、本書の第一章で詳しく述べる。
二〇〇一年九月一一日以降、二カ月半にわたって、歴史上最も強大な国が、世界で最も貧しく遅れた国の一つアフガニスタンに、連日、ミサイルの豪雨を降らせていた。 ほどなくして、世界は次のような疑問を抱くことになった。 罪のない防衛手段もない人々をより多く殺したのは誰か? 九月一一に飛行機で米国を攻撃したテロリストか、それともAGM−八六Dクルーズ・ミサイルとAGM−一三〇ミサイル、一万五〇〇〇ポンド[七〇〇〇キロ弱]の「デイジー・カッター」爆弾と劣化ウラン弾、クラスター爆弾を使ってアフガニスタンを爆撃したアメリカか。
二〇〇一年末に、ニューヨークとワシントン、ペンシルバニアでのテロ犠牲者の数は、合計で約三〇〇〇人だということがわかっている。 アメリカの爆撃により殺されたアフガニスタン人市民の数は、アメリカ当局を含む誰からも無視されたが、あるアメリカ人大学教授[ニューハンプシャー大学のマーク・ヘロルド教授。ヘロルド教授の資料は、日本語では、アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局編訳『翻訳資料集アメリカはアフガニスタンで何人の人を殺したのか!?---アメリカの無法な戦争、戦争犯罪、そして戦争レイシズム---』として入手できる(連絡先はstopuswar@jca.apc.org)]が、アメリカのメディアや国際メディア、人権団体の報告を地道に整理して数えたところによると、同年一二月上旬の段階で、アフガニスタン人の死者数は三五〇〇人をかなり上回っていた。そして、犠牲者の数は、その後も増え続けている[5]。
この数字には、爆撃により負傷しのちに死亡した人々や、爆弾で自宅が破壊されたために寒さや飢えで死亡した人々、爆撃を逃れて国内避難民となった何百万人もの中で雨ざらしになり飢餓で死んでいった人々は含まれていない。 また、何千人もの「軍」関係者の死者や、ワシントンと同盟関係を結んだ新たな「自由の戦士たち」および米軍や諜報関係者により処刑されたり虐殺された何百人もの捕虜も含まれていない。 さらに、クラスター爆弾がばらまいた「地雷」による死者の数も、劣化ウラン弾がひき起こす病により徐々に死んでいった死者の数も含まれていない。
アフガニスタンの死者たちには、黙祷も捧げられず、米国高官や芸能界の有名人が参加する追悼式典もなく、各国の元首から送られるお悔やみの言葉もなく、犠牲者の家族のための何百万ドルという寄付もない。 こうしたことを一切含めないとしても、アフガンで米国が行った殺戮は、九月一一日をしのいでいるのである。
アフガニスタンで殺されたこの何千人もの人々の中で、アメリカであのような惨劇が起こると知りながらテロ攻撃に関与していたと何らかの確実性をもって言える人は何人いるのだろうか。
米国政府が世界に流したオサマ・ビン・ラディンのビデオ映像によると、ビン・ラディン自身も、実行の五日前にはじめてテロが行なわれる日付を知ったという。 そして、ハイジャック犯のほとんどは、飛行機に搭乗するときまで、自分たちが自爆攻撃に加わることになるとは知らなかった(FBIは、ビデオが公開されるはるか前から同じ結論に達していたという)[6]。 これを考えるならば、世界中でこの陰謀に結果を意識して関わっていた人の数は極めて少なく、おそらく片手で数える程度であるといってもあまり間違いではないだろう。 したがって、アメリカのアフガニスタン爆撃が、実行犯を殺すためのものだというのであれば、それは「馬鹿者」の作戦である。極めて暴力的な「馬鹿者」の。
一九九五年にオクラホマ・シティの連邦ビルを爆破した犯人ティモシー・マクベイがすぐに逮捕されていなかったら、米国はミシガン州をはじめとする、マクベイが故郷と呼ぶ場所を爆撃しただろうか。 そんなことはしない。マクベイを発見して処罰するまで、大規模な捜査をするだけである。 けれども、米国は、アフガニスタンに関して、タリバン政権を支持する人々を、アフガニスタン人であろうと外国人であろうと「テロリスト」であるとし、法的にではないにせよ道徳的に九月一一日の惨劇か、そうでなければ過去の反米テロリズムに関わっていると決めつけた。 そして、アフガンへの攻撃は、フェア・ゲームであるとしたのである。
しかしながら、他国が同じような状況にあるときには、アメリカ当局でさえ、何が名誉あるやり方なのかわかっている。 一九九九年、ロシアのチェチェン紛争について、米国国務省のナンバー・ツーであるストローブ・タルボットは、モスクワに対し、「自制と英知」を示すよう求めた。 タルボットによると、自制とは、「実際のテロリストに対して行動を起こし、罪のない人々を危険にさらすような無差別の武力を使わないこと」である[7]。
米国とテロリスト(あるいは冷戦時代だったら「共産主義者」)とが道徳的に同等であると示唆すると、アメリカ人はいつも怒りだす。 テロリストは意図的に一般市民を殺害するけれども、アメリカの爆撃で一般市民に犠牲者が出るのは偶然にすぎない、とわれわれは諭される。
米国が周期的な“爆撃熱”に憑かれて、ミサイルによって多数の一般市民の命を奪うときは、いつでも、それは、戦争にはつきものの、軍という真の標的に対する「付随的被害」と呼ばれるものだと説明される。
しかしながら、ミサイルが的中した場合でも、多数の一般市民が殺されたり手足を失ったりすることを完全に知っていながら、はるか上空から極めて強力な殺傷力をもつ武器が大量に投下されているのである。 この同じシナリオが、毎日毎日、世界の国々に対して繰り返されたとすれば、そのとき、米軍の意図はどのようなものであると判断すべきだろうか。 最も寛大に説明するとすれば、米軍はただ意に介さないだけなのだということである。 米軍は、一定の政治的目的で爆撃と破壊を行なっており、市民がどれだけ犠牲になろうと関知しない。
アフガニスタンで、二〇〇一年一〇月に、米国の戦闘機がチョーカー・カレーズの農村に機銃を乱射して爆撃し、九三名の一般市民を殺したとき、ペンタゴンのある職員は「これらの村人は、われわれが死んでほしいと思ったから死んだのだ」と言い放ち、米国防長官ドナルド・ラムズフェルドは「その村のことには答えられない」と述べた[8]。
しばしば、米国は、一般市民の犠牲を実際に望むことがある。 それにより、人々が自国の政府に敵対するようになることを期待するのである。 一九九九年のユーゴスラビア爆撃がそうであった。 本書第八章「戦争犯罪者」で見るように、米国やNATOの関係者は、傲岸のきわみで、繰り返しあけすけにこのことを認めている。
アフガニスタンについて、英国のマイケル・ボイス国防参謀長は、「指導者を変えるまで爆撃が続くのだと、アフガニスタンの人々が自ら認識するまで」爆撃を続けると宣言した[9]。
このような政策は、FBIによる国際テロリズムの定義に、まさにそのままあてはまる。
FBIによると、テロリズムは、「政府や一般市民あるいはその一部を脅迫したり強制することにより、政治的あるいは社会的な目的を達成するために」、個人や財産に対して武力や暴力を行使することと定義されている。
しかしながら、ジョージ・W・ブッシュ大統領とその側近たちが繰り返すように、九月一一日の攻撃が「戦争」だと言うならば、明らかに、世界貿易センターの犠牲者は、一般市民の戦争犠牲者である。 それならなぜ、メディアはこれらの人々の死にこれほどたくさんの時間を費やしたのだろうか。
アメリカ人たちが耳にしたがるのは、世界貿易センターの犠牲者たちについてだけであり、実際、アフガンの死者について聞かされると激怒することがある。 フロリダ州パナマ・シティのニュース・ヘラルド紙の社内で回覧されたメモは、編集者に対して次のように警告していた。 「米国の対アフガニスタン戦争における一般市民犠牲者の写真をトップページで使ってはいけない。 フォート・ウォルトン・ビーチの姉妹紙がそれをやって、何十万もの脅迫電子メールや電話を受けとった[12]。」
アメリカの権力は、実際、アメリカの人々とメディア産業が戦争を支持することをあてにできる。 米国のアフガニスタン爆撃に無条件で反対しているアメリカの日刊紙を探し出すためには、模範的な調査研究が必要となるほどだろう。
二年前の米−NATOによるユーゴスラビア爆撃においても、無条件で反対している新聞を探すのも同様であった。
さらには、一九九一年の米国によるイラク爆撃に無条件で反対している新聞を探すのも。
これは、驚くべきことではないだろうか。
メディアの自由を享受しているとされる、自由社会と言われている社会で、一五〇〇もの日刊紙がありながら、これらの爆撃に無条件で反対する日刊紙一つを探し出す可能性は極めて低いのである。
けれども、それこそが現実なのである。
これは、まさに正確に、一九九九年、米国がユーゴスラビアを七八日間にわたって爆撃した自分たちにあてはまるのではないだろうか。 そして、このコリン・パウエルなる人物は、パナマとイラクに対する恐ろしい爆撃を指揮したのと同じコリン・パウエルではないだろうか。 アメリカの指導者たちは、人々は誰も何も記憶していないと考えているのだろうか。 あるいは、単に、人々が考えていることなど意に介さないのであろうか。
目をみはるような偽善は、ほかにもある。
ブッシュ大統領をはじめとする政府官僚は、米国は、テロリストに対してだけでなく、テロリストを匿まう国々に対しても宣戦布告すると、繰り返し怒りをこめて宣言している。
けれども、第九章「テロリストの安息地」で見るように、米国ほど多くのテロリストを匿まっている国はない。
アメリカの飛行機から投下されたのは、爆弾だけではない。食料も投下された。 アフガニスタンの人々に爆弾と食料とを同時に投下するのは、何か非常に奇妙なことではないだろうか。
日本軍が、パール・ハーバーで、爆弾とともに美味しそうな照焼チキンを投下していたら、アメリカ人と世界は、日本人のことをより好ましく思ったろうか。
もしも二〇〇一年九月一一日のテロリストたちが、世界貿易センタービルに突入する前に、マンハッタンでホット・パストラミ・サンドイッチを投下していたら・・・。
けれども、むろんアフガンでの食料投下といった策略はうまく機能する。 これにより、何百万人ものアメリカ人が、自分たちの気高さに大きな誇りを感じた。 現代的な広告とプロパガンダの発明者にして完成者たるアメリカ合衆国は、ふたたび任務をうまくやりとげたのである。
さらに、アフガニスタンの人々に多数のビラがまかれた。 二〇〇一年一〇月二〇日頃に投下されたビラには次のように書かれたものがある。
タリバンの支配は楽しいでしょうか。恐怖におののく生活を誇りに思えますか。 家族が何世代にもわたり暮らしてきた土地がテロリストの訓練場にされて幸せでしょうか。 アフガニスタンを石器時代に引き戻し、イスラムに悪名を着せる政権を望みますか。 テロリストたちを匿まう政府のもとでの生活を誇りとしますか。 過激な原理主義者たちに支配された国に住んでいることを自慢できますか。 タリバンはあなたの国から文化と遺産を盗み去りました。 民族的記念碑や文化的遺産を破壊しました。 タリバンは、外国人の助言に従って、武力と暴力、恐怖でアフガニスタンを支配しています。 また、自分たちのイスラムが唯一絶対の真の崇高なイスラムであると主張します。 タリバンは、実際には無知なのに、自分たちのことを宗教の専門家であると考えています。 人を殺し、不正をなし、人々を貧困状態にとどめておきながら、それを、神の名のもとで行なっていると主張するのです。まったく同じ精神で、米国に次のようなビラを投下してもよいだろう。
共和−民主党の支配は楽しいでしょうか。恐怖と不安、パニックにおののく生活を誇りに思えますか。 家族が何世代にもわたり暮らしてきた土地を銀行に奪われて幸せでしょうか。 アメリカ合衆国を警察国家とし、キリスト教に悪名を着せる政権を望みますか。 マイアミに何百人ものテロリストたちを匿まっている政府のもとでの生活を誇りとしますか。 過激な資本主義者たちと宗教的保守派に支配された国に住んでいることを自慢できますか。 資本主義者たちはあなたの国から平等と正義を盗み去りました。 国立公園や川を破壊し、メディアと選挙、個人的関係を腐敗させました。 共和−民主党は、市場という神の声に従って、失業と飢餓、ホームレスを社会に充満させ、アメリカ合衆国を支配しています。 また、自分たちの社会組織と世界観が唯一絶対の真の崇高なものであると主張します。 共和−民主党は、実際には無知なのに、自分たちのことを道徳の専門家であると考えています。 人々を爆撃し、侵略し、暗殺し、拷問し、転覆し、不正をなし、人々と世界とを貧困状態にとどめておきながら、それを、神の名のもとで行なっていると主張するのです。
これは、アメリカを自慢に思う心を今ひとたび刺激し、九月一一日以来消耗した合衆国市民の心を温めるためのものかもしれない。 けれども、こうしたことに、実質よりも宣伝のほうがはるかに多く含まれているのは、いつもながらのことである。
目をみはるやり方である。 米国は、他国を爆撃し、国と都市のほとんどを廃墟にし、インフラを破壊し、爆撃で殺されなかった人々の生活を破滅に追いやってきた長い歴史を有する。 そして、その後、損害からの復興のためには、何もしない。
米国は、一〇年にわたりベトナムを破壊したあとで、ベトナムに対し、「戦後の復興」をはかるための「伝統的政策」を進めると書面で約束したにもかかわらず、まったく何の賠償も行なっていない。 同時期に、ラオスとカンボジアも米国の爆撃により廃墟となった。 この二つの国も、ワシントンによる無賠償という「伝統的政策」の恩恵を被っている。
そして一九八〇年代、米国は、グレナダとパナマを爆撃した。数百人のパナマ人が、「正当な理由」作戦(これはそう皮肉でなく、アメリカがパナマ侵略と爆撃につけた作戦名である)によりもたらされた損害に対して「正当な賠償を受ける」権利を主張し、ワシントンの支配する米州機構および米国の裁判所に申し立てを行なった。 米国の裁判では、最高裁までいった。しかし、パナマの人々は何も手にすることができなかった。 グレナダの人々も同様である。
次はイラクの番であった。一九九一年、四〇昼夜におよぶ休みない爆撃で、電力や水道、下水は破壊され、現代社会を維持するために必要なあらゆるものが破壊された。 イラク復興のために米国がどれだけのことをしたかについては、誰もが知っている。
一九九九年にはユーゴスラビアが標的となった。 七八日にわたる二四時間爆撃により、発達した産業国家が実質的な第三世界に変えられた。 大規模な復興が必要となった。 二年後の二〇〇一年六月に、セルビア人たちがワシントンの意志に従ってスロボダン・ミロシェビッチ大統領を追放し、ハーグの国際法廷に引き渡したのち、EUと世界銀行が「援助国会議」を開催した。 ユーゴスラビア復興支援を目的とするはずであったが、実際には、何よりもユーゴスラビアの債務をめぐる会議となった。
親西欧で知られるセルビア首相ゾラン・ジンジッチは、七月に、ドイツのニュース誌『デア・シュピーゲル』のインタビューに答えて、自分は西欧に裏切られたと感じていると述べ、次のように言った。
援助国会議が開催されず、ただ、現金で五〇〇〇万ドイツマルクを受け取っていたほうが よかった。〔・・・・・・〕八月に最初の援助金として三億ユーロを受けとることになっていた。 突然、われわれは、そのうち二億二五〇〇万ユーロは、チトーの時代に累積した債務の 支払いのために用いられると宣告された。そのうち三分の二は、ミロシェビッチが一〇年 にわたって支払いを拒否したためにたまった罰金と利子であった。残りの七五〇〇万 ユーロについてわれわれが手にするのは早くても一一月になる。それが西欧の原則だと われわれは告げられた。重体の人が死亡したあとで薬を与えるようなものだ。われわれにとって 決定的に重要なのは、七月、八月、九月なのである[14]。
ユーゴスラビアの橋がドナウ川に落ち、工場や住宅が破壊され、交通がずたずたにされてから、二〇〇一年末で二年半になる。 けれども、ユーゴスラビアは、爆撃作戦を立案し先頭に立って爆撃を実行した米国からは、何の復興資金も受け取っていない。
誰がアフガニスタンを統治することになろうと、米軍が自分たちの目的のためにアフガニスタンに基地を建設することを阻止するのは極めて困難だろう。 米国がアフガンの人々のために何か建設する可能性については、遠い将来のことになるだろう。 前述の一一月二一日付ワシントン・ポスト紙の見出し「米国での会議、アフガニスタン復興を検討」と大きく矛盾する次のような報道が、その五週間後に現われた。 「ブッシュ政権は、アフガニスタン新政権を可能にする 軍事作戦のほとんどを米国が支払ったので、アフガニスタン復興にあたっては、ほかの国々、とりわけ日本と欧州諸国が中心となるべきだとの立場を明らかにした」[15]。
まるで、アメリカの爆撃作戦が、自分自身の利益追求のためでなく、日本や欧州の求めに応じて、その利益のために行なわれたとでも言わんがばかりである。
イラク爆撃後、米国は、サウジアラビアとクウェート、そしてペルシャ湾岸地域の近隣諸国に軍事基地を設けた。
ユーゴスラビア爆撃後、米国は、コソボとアルバニア、マケドニア、ハンガリー、ボスニア、クロアチアに軍事基地を設けた。
アフガニスタン爆撃後、米国は、アフガニスタンとパキスタン、ウズベキスタン、タジキスタンそしておそらくは近隣のほかの国々にも基地を設置しつつある。
むちゃくちゃな復讐心---しかし誰に対してだろう---を別とすれば、アフガニスタン爆撃と侵略、占領は、ワシントンの国際的目的を受け入れる新政府を据えるために行なわれた。 基地と電子通信傍受施設を設け、カスピ海地域諸国から石油とガスのパイプラインを引くといった目的である。
対照的に、アフガニスタンの人々の福祉はほとんど何も考慮されていないようである。
米国が軍事的覇権を使ってアフガニスタンで権力の座につけたのは、タリバンが登場する前にアフガニスタンを支配していた人々である。
当時、その支配があまりに悪辣だったために、人々はタリバンが政権に就くことを歓迎したほどであった。
これらの人々が、アメリカ製の火器に助けられて新たに進めている残虐行為を見ると、以前と変わっていないことがわかる。
暫定政権の首相ハミッド・カルザイは、さほど残酷そうではないが、米国国務省と国家安全保障委員会、米国議会などの米国外交政策機関の中枢と長いあいだ密接な関係を保っていた人物であり、信頼性に問題がありそうである[16]。
また、この関係すら一方通行である。暫定政権の指導者たちが二〇〇一年一二月に、罪のない人々が頻繁に殺されることを理由に、米国に対して爆撃の停止を求めたとき、ワシントンは、自分たちには自分たちの予定があると述べて、それを拒否した。
これは、今後のアフガニスタン政府とアフガニスタンの人々にとって、あまりよい予兆ではない。
カルザイが、ラシッド・ドスタム将軍を防衛副大臣に据えたのも不吉な予兆である。
ドスタム将軍は、部下の兵士たちを戦車のキャタピラに縛り付け、見せしめに、兵営の広場で戦車を動かして挽肉にしてしまうことで評判の人物である[17]。
二〇〇一年九月一一日の出来事を考えると、実際、脅威は当局によって誇張されていたのではなく、極めて現実的なものだったと考える人もいるかもしれない。 けれども、本書「はじめに」は、米国に対して大規模な攻撃がなされることなどないのだから、ある程度の軍事的ないし、そのほかの準備すら必要ないと言っているわけではない。 米国の外交政策が常に好戦的で破壊的なものである限り、いつかどこかで報復があることは予想できる。
ほとんど五〇年近く、アメリカ人の意識の中に、ソ連による西欧への侵略や米国への核攻撃という脅威が差し迫っているという考えが刷りこまれてきた。 むろん、そんなことは起こらなかった。ソ連はそんなことを真面目に考えたことは一度もなかった。 自己保身のことを考えればあたりまえである。 それからソ連が崩壊し、麻薬の脅威やテロリストの脅威をはじめとする、たくさんの「敵」たちが新たに発見された。 ごくたまに、そしてほとんどもっぱら外国で、米国に加えられてきたテロリストの攻撃が、恐怖をかきたてて予算を増強するために利用された。 二〇〇一年九月の攻撃は、五〇年以上にわたる嘘を正当化するものではない。 それどころか、実際に、それ以来米国で起きていることは、恐怖をかきたてることの目的が、それを批判する人々がこれまでずっと指摘してきたようなものであるという点に、さらなる信憑性を与えている。
九月一一日の事件後は、国家安全保障当局と私企業のお仲間たちにとって、毎日がクリスマスである。 希望項目はすべて達成され、さらなる追加希望もいくつか達成された。 短期間に防衛予算を大規模に増額し、恥知らずにも社会支出の息の根を止め、大企業に対する卑猥なまでの課税免除を推し進め、望むがままに住居に立ち入ることができるライセンスをはじめとする市民に対する監視と治安強化を一気に独裁者もうらやむほど増強して、合法的にアメリカで暮らす人々も含め、非市民に対する権利章典[アメリカ合衆国の第一回連邦議会において、アメリカ合衆国憲法修正のかたちで付加された第一から第一〇修正までのことで、一七九一年に成立。信教や言論・報道の自由をはじめとする各種の権利を規定している]を反故にし、新たに国土安全保障局を設置し、環境保護法制を切りつめようとし、主要な軍縮関連条約を一方的に破棄し、「対テロ聖戦」の掛け声のもとでアメリカ帝国をイラクやソマリア、北朝鮮、スーダンなどに拡大する計画を宣言した。 このほかにも、これに類する多くのことを推し進めている。
アフガン爆撃を批判する人々の多くは弱い立場に立たされ、被害を受けている。 戦争に反対して声をあげた大学教師たちは職を失ったり学校当局に公に非難され、同じ理由で高校生が停学になり、「武力行使権限の委任」に反対した唯一の議員[バーバラ・リー議員(カリフォルニア州選出・民主党)のこと]は、膨大な脅迫と憎悪のメールを受け取った。こうした例は多数ある。
行き着く先は警察国家である。 世界最悪の警察国家とはならないだろうが、いずれにせよ、警察国家となるだろう。 九月一一日以前から、すでに「麻薬に対する戦争」のもとで警察国家化が進められていたのである。
市民的自由に対するこうした攻撃の大きな動機の一つには、「反グローバリゼーション」運動という災厄をとり除きたいというエリートたちの根深い願望がありそうである。 長い草案をほとんど議員が読む間もなく大急ぎで採択された新たな「対テロリズム法」(「USA愛国法」)によると、「一般市民を脅迫したり強制したり」する意図があるように見える行為や、「脅迫や強制により政府の政策に影響を与えよう」とするような行為は、テロリズムに分類される。 逮捕された個人にとって非常に危険であるばかりか、その人が属していたグループ、そして、そのグループに資金を寄付した人々にとっても極めて危険である。 誰もが財産を没収させられる深刻な危機にさらされることになり、それ以上の危機にもさらされることになろう。
そうした危険に将来を託そうとする若い人々はどれだけいるであろう。
そして、すべてを失う危険を犯す組織はどれくらいあるだろう。
そこで、ここでは、これまでに言われてきた膨大なことに、私自身の思弁的分析を付け加えるにとどめておきたい。 FBIやCIA、NSA(米国国家安全保障局)などが、米国内で重大なテロ作戦が進められつつあったことに多少なりとも気づいていなかったとは信じがたい。 そして、その規模と性格について、これらの組織が予想できていなかったとも考えにくい。 二〇〇〇年二月にイスラエルで開催された「自爆攻撃に対する防衛に関する第一回国際会議」で、CIAは、テロリストたちが商業航空機をハイジャックし米国の重要な象徴を攻撃する計画をたてているとの警告を受けていた[19]。 さらに、一九九五年にフィリピンで逮捕されたテロリストが、自分のグループが小さな飛行機をハイジャックし、爆発物を搭載してCIAなどの米国政府関係の標的に突入させる計画を明らかにしていたのである[20]。
ハイジャッカーのうち、二、三人はFBIの監視リストに名前が載っていた。 FBIによると、FBIが阻止したテロ攻撃のほとんどすべては、長期にわたる調査を重ね、忍耐強くテロ計画を進めさせることによって阻止に成功してきたという。 「陰謀の広がりと深さとを完全に把握するために、事態を進めさせることが重要である。 そのために最も有効で効率的なのは、最終段階まで進めさせることだ[21]。」
待機しすぎて、一手遅くなってしまったのかもしれない。
アメリカの権力には、道徳的に許容できないことなどほとんどないだろうが、どこで何が起きるか正確に知っていたならば、九月一一日の出来事を起こるがままにさせていただろうとは考えにくい。
少なくとも、ペンタゴンが、自らの本拠地と職員を破壊させはしなかっただろうことは確かである。
しかしながら、九月一一日によって、エリートたちの希望項目の非常に多くが実現されたという事実は、これからも陰謀説を生み出し続けるであろう。
米国政府がアフガニスタン爆撃を開始したあと、仕事場や遊び場で、あるいは旅行中に、それ以前より少しでも安全になったと感じるアメリカ人はいない。
権力エリートたちは何かを学んだのだろうか。 元CIA長官のジェームズ・ウールセーは、二〇〇一年一二月、ワシントンで、アラブ世界の反応を歯牙にもかけず、イラク侵略を提唱して、次のように述べた。 アフガニスタンにおけるアメリカの勝利に際してアラブ人が示した沈黙は、「米国への敬意を再生させることができるのは恐怖だけである」ことを証明している[23]。
では、アメリカ合衆国は、どうすれば自分に向けられたテロリズムを止められるだろうか。 テロリストたちから反米の動機をのぞき去ることに鍵がある。 そのためには、本書が示すようなアメリカの外交政策を大転換する必要がある。
私がアメリカ合衆国大統領だとしたら、米国に対するテロ攻撃を数日のうちに止めることができる。 しかも、永遠に。 まず、アメリカの犠牲となったすべての寡婦や寡夫、孤児たちに、また拷問を受け貧困に突き落とされた人々に、そして何百万もの犠牲者たちに、謝罪する。 それから、できる限りの誠意をこめて、世界中の隅々にまで、アメリカの世界的介入は終了したと宣言し、イスラエルに対しては、もはやイスラエルはアメリカ合衆国の第五一番目の州ではなく、奇妙なことではあるが、外国の一つであると告げる。 それから、軍事予算を少なくとも九〇パーセントはカットし、それにより余った予算を犠牲者への賠償にあてる。 十分な資金が利用できるだろう。 米国年間軍事予算の三三〇〇億ドルがあれば、イエス・キリストが生誕してから現在までの、毎時間、一時間あたり一万八千ドル以上を使うことができたのである。
ホワイトハウスで最初の三日間に私は以上のことを行なうだろう。
四日目に、私は暗殺されるだろう。
本節を執筆している二〇〇三年一月の時点で、米国政府はイラクという包囲された社会に対し、侵攻の準備を進めている。 米帝国のマフィアたちは、一年にわたるプロパガンダ・ショーを続け、アメリカ人と世界に対して、地上唯一の超大国たる米国には、イラクという崩壊寸前の主権国家を侵略する以外にやりようはなかったのだと説得しようとしてきた。 イラクには、米国を攻撃したことも、また、攻撃すると威嚇したこともなく、また、米国を攻撃することが、イラクにとってただちに集団自殺につながるとイラクは知っていたにもかかわらずである。 米帝国のマフィアたちの主張には、奇妙なところがある。 というのも、事実としてイラクは脅威でないというだけでなく、マフィアたちも、イラクがまったく脅威でないことをよく知っているからである。 それにもかかわらず、米国のマフィアたちは、次から次へと、イラクが脅威であり、差し迫った脅威であり、日毎にその脅威は増大しており、核兵器の脅威や化学兵器、生物兵器の脅威が迫っていると煽りたて、さらに、イラクはテロ国家でありアルカイーダと関係しているなどと主張している。 これらは、まったくのでたらめである。 米国は、イラクは国連兵器査察団をふたたび受け入れなくてはならないと繰り返し宣言しておきながら、イラクがそれに合意すると、「いやいや、それでは十分でない」と述べる。
この、戦闘が不在なままに戦争を開始しようと突然急ぎだしたことには、何か意味があるのだろうか? 問題がサダム・フセインの邪悪さだとか、大量破壊兵器だとか、テロリズムにはないということさえ理解すれば、米国政府がやろうとしていることに意味があることがわかる。 米国は、アフガニスタンと同様に、フセインを追放して傀儡政権を擁立し、米国その他の石油企業がイラクに参入して好き勝手にできるようにしたいと考えている。 同時に、イラクをグローバル化した経済に基づく新世界秩序のしかるべきところに置いて、多国籍企業のあらゆる活動に対して国を開かせようというのである。 さらに、アメリカ帝国は、さらなる中東の統制と再編に利用できる国をもう一つ、いくつかの新たな軍事基地とともに入手することになる。
二〇〇二年一〇月、北朝鮮は、過去数年間にわたって秘密裡に、核兵器開発プログラムを進めてきたことを認めた。 米国によると、このプログラムは、北朝鮮がパキスタンにミサイルを提供した見返りにパキスタンの支援を受けていた。 これら二国は、イラクのように、ただワシントンがある決めつけたというのでなく、実際に大量破壊兵器を保持したり開発しようとしている[24]。 とすると、米帝国が、その道徳的大義と万能の武力を発揮して、これらの無法国家に一撃を加えるに違いないと思われるが、実際には、攻撃の威嚇すらなされていない。 これら二国には、イラクのように大規模な石油がないという事実が、米国のこの態度の違いを説明している。
本節を書いている段階で、米国が実際にイラクを侵略するかどうかは定かではない。 けれども、米帝国は、現在、傀儡国家を据えるという計画のさらに先に進んでいるようである。 二〇〇二年一〇月、ニューヨークタイムズ紙は、次のような米国の計画を明らかにした。
ホワイトハウスは、戦後の日本占領をモデルにした、詳細な計画を立案している。 上級政府官僚は本日、サダム・フセインを追放したのちに、米国は、イラクで米国主導の軍事政権を設置すると述べた。 第一段階では、米軍司令官がイラクを統治する。 おそらく、ペルシャ湾地域の米軍司令官であるトミー・R・フランクスか、その部下の誰かが、一九四五年日本が降伏したのちのダグラス・マッカーサー将軍の役割を務めることになろう。米国による侵攻前に、米国の圧力によってイラク国内でフセインに対するクーデターが起きた場合はどうするのかと聞かれた上級官僚は、「それは望ましいことである」と答えた上で、さらに続けて、「いずれにせよ米軍がイラクを占領して治安を維持することになるかもしれない。大量破壊兵器を除去するためだけでなく、混沌を防止するためにも[25]」と述べている。
この発言も、イラク攻撃が、サダム・フセインをめぐるものではないことを示している。
二〇〇二年の段階で、イラク攻撃をめぐる議論から完全に欠けていたのは、一九九〇年代、国連の武器査察団がイラクで活動していた数年のあいだに、査察団は、大量の化学兵器・生物兵器・核兵器を発見し、破壊していたという事実である。 ところが、ほとんどのアメリカ人が、サダムはほとんどすべての武器を隠しおおせ、そして新たに査察が再開されても同じようにやり過ごすことができると信じている。 けれども、事実はまったく違っている。イラクの国連武器査察主任を務めたスコット・リッターは、二〇〇二年に次のように言っている。
一九九八年までに、イラクは基本的に武装解除された。イラクの大量破壊兵器の九〇〜九五パーセントが破壊され、それについてはきちんと検証されている。 この中には、化学兵器・生物兵器・核兵器の生産に関わるすべての工場と、長距離弾道ミサイルが含まれているほか、それらの工場に関連する機材や、工場で見つかった大量の製品も含まれている[26]。さらに、国際原子力機構(IAEA)の代表であるモハメド・エル・バラダイは、次のように述べている。
〔IAEAは〕大規模な核兵器関連施設を解体した。われわれは、イラクの核開発計画を無害化した。 兵器に利用可能な原料を没収し、核兵器製造に必要なすべての使節と設備を破壊するか除去するか、あるいは無害化した[27]。しかしながら、米国政府にとって、これらすべては何の意味ももたない。 米国政府は、もともとイラクが所有するとされる武器に何の関心ももっていないし、それを脅威だとも思っていないのである。 イラクを侵略する前に、米国が武器査察官に機会を与えたのは、イラク侵略に対する予期せぬ規模の世界的な反対に対処するための策略に過ぎない。 このことは、アラブ/イスラム世界に対する米国の敵対的な政策の重要立案者にして米帝国マフィアの一員、そして「暗黒の王子」として名を馳せているペンタゴンの防衛政策委員会議長リチャード・パール が二〇〇二年一一月に次のように宣言していることからも明らかである。 彼は、国連武器査察団(国連監視検証査察委員会)委員長ハンス・ブリックスが、イラクは「まったく潔白」であると宣言しても、米国はイラクを攻撃するだろうと述べているのである[28]。
注
- Guadian (London), December 19, 2001. Duncan Campbellによる記事。
- US Department of Defense, Defense Science Board, The Defense Science Board 1997 Summer Study Task Force on DOD Responses to Transnational Threats, October 1997, Final Report, Vol. 1. http://www.acq.osd.mil/dsb/trans.pdfより入手可能。 引用は同報告書の一五ページ(pdfオンライン版の三一ページ)。
- New York Times, March 26, 1989, p. 16.
- Jim Dwyer et al., Two Seconds Under the World (New York, 1994), p. 196.
- Marc W. Herold, "A Dossier on Civilian Victims of United States' Aerial Bombing of Afghanistan: A Comprehensive Accounting," http://www.media-alliance.org/mediafile/20-5/casualties12-10.html
- David Rose, "Attackers did not know they were to die," Observer (London), October 14, 2001.
- Washington Post, October 2, 1999.
- 最初の引用はGuardian (London), December 20, 2001, p. 16. 第二の引用は US Defense Department briefing, November 1, 2002.
- New York Times, October 28, 2001, p. C1.
- Milwaukee Journal Sentinel, October 31, 2001, p. 10A.
- Fox network: "Special Report with Brit Hume," November 5, 2001.
- Washington Post, November 12, 2001, p. C1.
- Miami Herald, September 12, 2001, p. 23.
- Der Spiegel誌のインタビューはJost Langの翻訳によるもので、 Emperor's Clothesウェブサイトhttp://emperors-clothes.com/docs/warn.htm から完全版を入手できる。
- Washington Post, December 26, 2001, p. 16.
- Ibid., December 22, 2001, p. 16.
- Independent (London), November 14, 2001. Robert Fiskの記事。
- たとえば、次を参照。Emperor's Clothesウェブサイトhttp://emperors-clothes.com、 http://www.copvcia.com
- Frankfurter Allgemeine Zeitung (Frankfurt, Germany), September 14, 2001.
- Washington Post Magazine, December 30, 2001, p. 27. このテロリストは、 以前にもフィリピン航空に爆弾を仕掛けたことのあるグループの一員だった。 この爆弾の爆発により乗客一名が死亡し、同機は緊急着陸した。
- Washington Post, November 28, 2001, p. 14.
- The Times (London), December 27, 2001, p. 1; Washington Post, December 28, 2001, p. 8.
- Washington Post, December 27, 2001, p. C2.
- New York Times, October 18, 2002, p. 1.
- New York Times, October 11, 2002, p. 1. 「混沌」に関する引用は同紙が言いかえたものに基づいている。
- The Guardian (London), September 19, 2002.
- Washington Post, October 21, 2002.
- Daily Mirror (UK), November 22, 2002.