暗殺とクーデター:帝国の犯罪を追う
2009年8月6日
ウィリアム・ブルム
CounterPunch原文
もしあなたが、CIAがクッキー缶に手を突っ込んでいる現場を押さえたときに、CIAが自明のこと----目の前にまさに起きていること----と認め、実際クッキー缶に手を入れていると言ったとき、二つのことを意味する可能性がある。
a) 実際には、CIAの手は複数のクッキー缶に同時に入っているが、他のクッキー缶についてあなたは知らず、CIAは一つのクッキー缶について自白することで他のクッキー缶については隠蔽できればと考えているか、あるいは
b) 実のところクッキー缶に手を入れていないが----それはあなたの判断を混乱させるための幻想で----、手を入れていると信じさせたがっているか。
この何カ月か、9月11日のテロ攻撃以来ディック・チェイニー元副大統領に鼓吹されて議会からは隠されたまま進められるCIAの秘密作戦について数多くのニュース報道があった。アルカーイダ工作員をはじめとする帝国を信じない者たちを、現地政府の知らぬままに海外で暗殺する作戦についてである。CIAは何らかの作戦が存在したことは認めたが、それは撤回されたと主張している。その作戦が暗殺作戦だったとすると、実際に誰かが暗殺される前に撤回されたのだろう。別の報道ではCIAではなく米軍がその作戦計画----あるいは別の計画だったのだろうか?----を実行し、複数の暗殺を行ったという。その一つはケニアでの暗殺で、大きな問題を引き起こし、計画の撤回につながったという(ガーディアン紙、2009年7月13日)。
これらはいずれも、ニュースを追っている人々にとって紛らわしい。また、的を外している。アメリカ合衆国が不信心者や不信心者の疑いがある者たちを定期的に殺害し、罰を受けていないことは我々皆が知っている。最近では、少なくともイエメン、アフガニスタン、パキスタン、ソマリアで、無人飛行機(ドローン)からミサイルを発射することで(たまたま不信心者と同じ家にいたり、その車に同乗していたり、不信心者の結婚式に出席していた人々の中からさらなる犠牲者さえ生まれている)。これらの殺人はどうやら「暗殺」に該当しないらしい。というのも、何故かはわからないが、2000フィート遠くから「テロリスト」を殺すことは、2フィート離れたところからテロリストを殺すよりも、どうやら道徳的にも法的にも勝った行為らしいから。
最近流行りの推測ごっこの背後で実際にはどんなことが起きているとしても、私たちは、CIAが何度も日常的に行ってきた暗殺の企てをショッキングだとかあるいは少なくとも非常に例外的なものだと折にふれ暗示するメディアの振舞いに騙されないようにしよう。
私は1949年から2003年の間にCIAが著名な外国の政治家に対して試みた暗殺 ----成功したものも失敗したものもある----のリストを作成した。それらは、どう数えるかにもよるが、数百にのぼる(キューバの諜報部によるとフィデル・カストロを標的とした暗殺未遂は634回にのぼるという)。このリストに、アルカーイダの指導者と言われる人々が最近、ドローンによる攻撃の犠牲者の中にいたことを加えることができる。暗殺と拷問は政府がもっとも認めたがらない二つのことなので、隠蔽しようと全力を尽くす。そのため、誰かを暗殺する計画に言及した政府文書や発言記録を見つけることは滅多にない。一方、説得力のある情況証拠は大量にある。以下のリストには、CIAが雇い入れ米国を拠点としてカストロに反対するキューバ人たちが世界の各地で行った複数の暗殺については含めていない。
1949年、金九、朝鮮の野党指導者
1950年代、CIAとネオナチが西ドイツで作成した200人以上の政治家に対する暗殺リスト。ソ連が侵略してきたときに「消す」予定だった
1950年代、周恩来中国首相に対する数回の暗殺未遂
1950年代、1962年、インドネシア大統領スカルノ
1951年、金日成、朝鮮民主主義人民共和国の首相
1953年、イラン首相モハンマド・モサッデク
1950年代(半ば)、フィリピン野党指導者クラロ・M・レクト
1955年、インド首相ジャワハルラール・ネルー
1957年、エジプト大統領ガマール・アブドゥン=ナーセル
1959年、1963年、1969年、カンボジア指導者ノロドム・シハヌーク
1960年、イラク指導者アブド・アル=カリーム・カーシム准将
1950年代から70年代、コスタリカ大統領ホセ・フィゲレス、2度の暗殺未遂
1961年、ハイチ指導者フランソワ・「パパ・ドック」・デュバリエ
1961年、コンゴ(ザイール)首相パトリス・ルムンバ
1961年、ドミニカ共和国指導者ラファエル・トルヒーヨ将軍
1963年、南ベトナム大統領ゴ・ディン・ディエム
1960年代から70年代、キューバ大統領フィデル・カストロに対する多数の暗殺未遂
1960年代、キューバ政府高官ラウル・カストロ
1965年、ドミニカ共和国野党指導者フランシスコ・カーマニョ
1965年から6年、フランス大統領シャルル・ド・ゴール
1967年、キューバ指導者チェ・ゲバラ
1970年、チリ大統領サルバドール・アジェンデ
1970年、チリ陸軍総司令官レネ・シュネイデル将軍
1970年代、1981年、パナマ指導者オマール・トリホス将軍
1972年、パナマ諜報局長マヌエル・ノリエガ将軍
1975年、ザイール大統領モブツ・セセ・セコ
1976年、ジャマイカ首相マイケル・マンリー
1980年から86年、リビア指導者ムアンマル・アル=カダフィ、複数回の暗殺計画と暗殺未遂
1982年、イラン指導者ルーホッラー・ホメイニー
1983年、モロッコ軍司令官アフマド・ドリミ将軍
1983年、ニカラグア外相ミゲル・デスコト
1984年、サンディニスタ全国評議会のコマンダンテ9人
1985年、レバノンのシーア派指導者シャイフ・ムハンマド・フセイン・ファドララー(彼を暗殺しようとして80人が殺された)
1991年、イラク指導者サダム・フセイン
1993年、ソマリアの著名な氏族長モハメッド・ファッラ・アイディード
1998年、2001年から2年、著名な戦闘的イスラム主義者オサマ・ビン=ラディン
1999年、ユーゴスラビア大統領スロボダン・ミロシェヴィッチ
2002年、アフガニスタンのイスラム指導者・軍閥グルブッディーン・ヘクマティヤール
2003年、サダム・フセインと二人の息子
第二次世界大戦後に米国が見せた素晴らしき外交政策のリストを集めている人々のために、以下にさらにもう少し集めたものをあげよう----これ以上の方法はないようだから。米国は50以上の外国政府を転覆しようとした。そのほとんどは民主的に選出された政府だった(*は政府転覆に成功したもの)
アルバニア 1949年から53年
東ドイツ 1950年代
イラン 1953年*
グアテマラ 1954年*
コスタリカ 1950年代半ば
シリア 1956年から57年
エジプト 1957年
インドネシア 1957年から58年
英領ギアナ 1953年から64年*
イラク 1963年*
北ベトナム 1945年から73年
カンボジア 1955年から70年*
ラオス 1958年から60年*
エクアドル 1960年から63年*
コンゴ 1960年*
フランス 1965年
ブラジル 1962年から64年*
ドミニカ共和国 1963年*
キューバ 1959年から現在
ボリビア 1964年*
インドネシア 1965年*
ガーナ 1966年*
チリ 1964年から73年*
ギリシャ 1967年*
コスタリカ 1970年から71年
ボリビア 1971年*
オーストラリア 1973年から75年*
アンゴラ 1975年、1980年代
ザイール 1975年
ポルトガル 1974年から76年*
ジャマイカ 1976年から80年*
セイシェル 1979年から81年
チャド 1981年から82年*
グレナダ 1983年*
南イエメン 1982年から84年
スリナム 1982年から84年
フィジー 1987年*
リビア 1980年代
ニカラグア 1981年から90年*
パナマ 1989年*
ブルガリア 1990年*
アルバニア 1991年*
イラク 1991年
アフガニスタン 1980年代*
ソマリア 1993年
ユーゴスラヴィア 1999年
エクアドル 2000年*
アフガニスタン 2001年*
ベネズエラ 2002年(*)
イラク 2003年*
6月4日カイロで演説を行った後、オバマ大統領は、1953年イラン首相モハンマド・モサッデクをCIAが追放したことに言及したとして大いに賞賛された。しかしながら、7月11日ガーナで行った演説でオバマは1966年にガーナ大統領クワメ・エンクルマがCIAによるクーデターで追放されたことには言及せず、単にエンクルマを「偉大な」アフリカ指導者の一人と述べただけだった。モサデクに対するクーデターはCIAの秘密作戦の中でも最もよく知られているので、オバマは関係修復を試みる中東の演説でそれに言及せざるを得なかったろう。一方、エンクルマ追放はほとんど知られていない。実際、オバマ大統領が演説した際、米国の主流派メディアでそれに言及すべきと考えたところは、新聞でもテレビやラジオでも一つもなかった。まるでそんなことは起こらなかったとでも言うようである。
アフリカには優れた指導者が出ない、市民の福祉に献身する指導者は出ない、という言葉を今度耳にしたなら、エンクルマと彼が辿った運命を思い起こすとよい。また1960年から61年に米国の手引きで転覆されたコンゴのパトリス・ルムンバを、そして1970年代に米国政府が戦争を仕掛けたことで進歩的社会変革ができなくなったアンゴラのアゴスティニョ・ネトを、1970年代から80年代にCIAが反革命を後押しし追放しようとしたモザンビークのサモラ・マシェルを、そしてCIAの密告のために28年間を牢獄で過ごした南アフリカのネルソン・マンデラ(現在マシェルの寡婦と結婚している)を思い起こすとよい。
ウィリアム・ブルムは『Killing Hope: US Military and CIA Interventions since World War II』、『[http://www.amazon.co.jp/アメリカの国家犯罪全書-ウィリアム-ブルム/dp/4878935456:アメリカの国家犯罪全書]』、『West-Bloc Dissident: A Cold War Political Memoir』の著者。
メールはB B l u m 6 at a o l d o t c o m
■ 辺野古通信
辺野古通信ご覧ください。
■ 9・15ピョンヤン宣言7周年のつどい
過去の清算と拉致問題の解決を考える
-日朝国交正常化早期実現を!-
日時:9月15日(火)午後6時半開
場所:文京区民センター3A大会議室
講演:蓮池透さん(元拉致被害者家族連絡会事務局長)
西野瑠美子さん(バウネット・ジャパン共同代表)
■派遣労働の規制強化を求める請願署名
派遣労働の規制強化を求める請願署名署名プロジェクトから署名できます。
■ヘイトスピーチは許せない!
『行動する保守!?』にどう向き合うか
日時:8月14日(金) (2時半開場)午後3時~9時
場所:文京区民センター2A
連絡先:livingtogether09@gmail.com
ブログ:http://livingtogether.blog91.fc2.com/
『行動する保守』を自称し、街頭でヘイトスピーチをまき散らす動きが現れています。「在特会」に代表される彼らは、外国籍の住人に「特権」にまもられた「犯罪者」であるというレッテルを貼り、排外主義や差別の感情をあおり立てています。
しかも、この扇動に「共感」を示す人の数も増えつつあります。彼らは外国人家族や、奪われた尊厳や権利の回復を求める人たちに個人攻撃をしかけています。このただの弱いものいじめを呼びかけ、実行することで満足や解放感を得る人々が登場しているのです。
私たちは、これらの動きをいずれ消えていく動きとして放置してよいのでしょうか。彼らの行動や言動が、私たちの社会に根ぶかく続いている排外主義、他者を押し殺す社会のありようの戯画であるなら、それに何らかの手を打っていくべきではないでしょうか。この社会に生きるものとして、この動きに正面から向き合うことが今こそ求められていると思います。
私たちは4月11日に埼玉県蕨市で行われた「在特会」による外国人排除デモへの抗議行動をきっかけに集まり、この問題について話し合ってきました。またこの間、各地で「在特会」のヘイトスピーチに対抗する行動が取り組まれています。これら対抗行動の様々な経験と出会いを交流し、排外主義を封じ込めるため、今後何をするべきなのか、皆さんと広く話し合う機会を持ちたいと私たちは考えます。この集会への多くの方の参加を期待するとともに、集会の実現に協力していただける方を求めます。連絡ください。
2009年7月21日
「ヘイトスピーチは許せない!『行動する保守!?』にどう向き合うか」集会実行委員会
連絡先:livingtogether09@gmail.com
ブログ:http://livingtogether.blog91.fc2.com/
■「ヒロシマ・ピョンヤン」上映会
8月26日 11時〜・1時半〜・4時〜・6時半〜(4回)
名古屋市女性会館ホール
(地下鉄「東別院」下車 1番出口から東へ3分)
主 催: 映画「ヒロシマ・ピョンヤン」上映 実行委員会
■アキヒト天皇制20年=「戦争国家で安心安全」を問う8.15行動へ!
日時:8月15日(土)13時15分開場
会場:全水道会館
お話:小倉利丸さん
リレートーク:
入管法改悪問題(平野良子さん)
外国人排斥問題(K介さん)
靖国問題(靖国解体企画)
国民保護法問題(池田五律さん)
デモ出発:16時半
主催:アキヒト天皇制20年=「戦争国家で安心安全」を問う8.15行動
実行委員会
電話:090-3438-0263
呼びかけ団体:アジア連帯講座、国連・憲法問題研究会、立川自衛隊
監視テント村、反天皇制運動連絡会、「日の丸・君が代」強制
反対の意思表示の会、靖国解体企画、連帯社、労働運動活動者
評議会