1. 今後数週間の状況について起こりうることをめぐって何か予測していますか。
戦争の歴史からはっきりしている唯一のことは、予測できることはほとんどないということです。 けれども、起こるであろうことが戦争ではないことは明らかです。 武力の不均衡が巨大すぎるため、「戦争」という言葉を適用することはできません。 世界チャンピオンが幼稚園の子供とリングで戦うとしましょう。それをボクシングの試合とは呼べません。 ですから、この点については予測できます。 ちょうど、タリバンは簡単に打倒できることが予測可能で実際に(たとえばここ米国で)予測されていたように。
私は、超タカ派が正しいと思います。 つまり、壊滅的な一撃を加えて、イラク社会が崩壊するという点についてです。 それからイラクに何が起こるかについては推測にすぎません。 イラクだけでなく、米国を含む世界各地で何が起こるかについては。 イラク攻撃がテロの脅威を増大し、また、大量破壊兵器開発と使用を促すという、ほとんど誰もが合意している判断を疑問視する理由はありません。 そしてこの脅威は深刻なものです。2001年9月11日の事件が起こるはるか前から何年ものあいだ知られていたように。 外交関係委員会がスポンサーとなったハート=ルドマン上級タスクフォースの「アメリカ:いまだに準備不足で危機にさらされている」における基本的結論を引くだけで十分でしょう。 その報告は、「米国の領土に対する破滅的なテロ攻撃」の脅威は深刻であり、「[その脅威に対抗するための]緊急行動の必要性は、米国がイラクと戦争するという見通しの中ではいっそう緊急である」としています。 その理由については繰り返し説明がなされていますし、専門家に頼らなくても明白だと思います。
2. この段階でブレアが手を引くことはあり得るでしょうか。また、その場合、ブッシュは単独で先に進むでしょうか。
ブレアには多くの国内的な圧力がかかっています。ほかの「乗り気な諸国連合」のメンバーについても同様です。 2月に行われた大規模なデモの中で、ワシントンに協力しようという政府を持つ国々でその規模が最も大きかったことはすぐに気づきます。 いずれの場合も、巨大な反対があるのです。スペインやイタリア、英国などです。 イタリアでは、どんな条件でも戦争に反対する人々がほとんど9割に達しています。 スペインでもそれに近い数字です。 1月に発表された国際ギャラップ世論調査では、ブッシュ=パウエルによる戦争を支持している人々が10パーセントに達しているところはほとんどありません。 つまり、人々のあいだでは、戦争に対する支持は基本的に存在しないのです。 全体主義国家ですら、人々の意見にはある程度注意を払わなくてはなりません。 民主社会ではなおさらです。 英国が手を引けば −これは有りそうにありませんが、といって考えられなくもありません− ブッシュ政権は難しい選択に直面するでしょう。 戦争をしないことを自らほとんど不可能にするよう先手を打ってきたのですから。
3. 戦争が起きたとして、反戦運動は自分たちが効果を上げられなかったことについて意気消沈すべきでしょうか。
それは、奴隷廃止論者や労働者や女性の権利を提唱した人々、自由と正義を求めた人々は、とてもとても長い間目標を達成できないどころか前進すらしなかったのだから落胆すべきだというようなものです。 正しい対応は、闘いを強化することです。 今回の場合、私たちは、反戦運動が歴史的に前例のない規模であることを認識する必要があります。 さらに先へ進むためにとても重要な足場なのです。 そして目標はさらに長期的なものであるべきです。 ブッシュの戦争に対する反対の大部分は、イラクの一件は、広く批判されまた恐れられている「帝国の野望」の特殊な一ケースに過ぎないという認識に基づいています。 米国の体制の中核そしてほかのところでブッシュの戦争に前例がないほどの反対があるのはこのためです。 主流派のメディアでさえ、いまや、世界中の米国大使館からワシントンに送られた「緊急の心配な」メッセージについて報じています。 「世界の多くの人々は、ますます」、サダム・フセインよりも「ブッシュ大統領を世界に対するより大きな脅威であると見なしている」と警告しているのです(ワシントン・ポスト紙一面記事)。 実際にはクリントン時代からそうなのですが、今日、こうした声はさらに重要になってきています。 そしてそれには十分な理由があります。 米国の脅威は本物で、それに対抗するための場所はここ米国なのです。 イラクで何が起ころうと、米国の大衆運動は、この、はるかに巨大で長期にわたる脅威に対抗するために元気を出さなくてはなりません。 この脅威は確実に新たな段階に入り、文字通り、人類の運命をめぐる問題を提起しているのです。 それをさておいたとしても、人々の運動を動員して、イラクの人々、そしてイラクのみでなく世界中の人々にとって最も良い結果となるよう求めなくてはなりません。 やらなくてはならない仕事はたくさんあります。
4. 米国のアジェンダにはイラクの民主主義およびその先が含まれているのでしょうか。
もしその点がワシントンの手に握られているならば、現実に期待できる政治体制は、現在の米国政治指導者たち −主としてレーガン時代からリサイクルされてきた人々− をはじめとする権力を握っている者たちが、自分たちの支配範囲のほかの場所で据えてきたような「民主主義」でしょう。 たとえば、前回1980年代に −実際には1世紀以上にわたってですが− 彼らが支配した中米とカリブ海地域が最も豊富な証拠を提供してくれます。 けれども、人々の影響力によって、別の結果も可能です。 私たちは軍事独裁政権下に暮らしているのではないのですから。 比較の問題としては、私たちは極めて特権的なのです。 私たちが「米国のアジェンダ」に影響を与える機会はたくさんあります。
5. 伝統的な米国の戦争同盟国が反対することで、米国が自分のアジェンダを進めることにどんな影響があると思いますか。
難しい問題です。恐らく、こうした諸国は、これまで別の場所でやってきたように米国が後に残した残骸を始末するのをもっと嫌がると思いますが。 ほかの例はイラクや中東地域に対する適切な前例とはなりません。 けれども、これについての推測にあまりかまけているべきではありません。 重要なのは、どうすればアジェンダに影響を与えることができるか、です。
6. 米国が単独主義的コースを追求するならば、国家間の権力構図に何か変化があると思いますか。 NATOへの影響はどのようなものでしょうか。
米国はヨーロッパ統合に対してずっと曖昧でした。 米国の経済的戦略的パワーにとって明らかに有利な点がありますが、ヨーロッパが独立の道を歩むのではないかという心配も常にあったのです。 さらに、ヨーロッパの社会市場体制はつねに脅威と見なされていました。 カナダの保健医療体制が恐れられていたのと同様です。 第三世界中の独立した社会経済的発展を破壊するにあたって米国の政策立案者たちが使った言葉を借りるならば、これらは、米国の人々に「感染」しかねない「ウィルス」だったのです。 こうした心配が、第二次世界大戦以降の、ヨーロッパ(そして日本ほか)に対する米国の政策を規定しました。 それは次々と新たな形態をとってきました。 たとえば、ヘンリー・キッシンジャーは1973年にの「ヨーロッパ年」講演で、ヨーロッパに対し、ヨーロッパは、米国政府が運営する「全体の秩序構造」の中で「地域的責任」を果たす役割をもっているだけであると指示しています。 これまでNATOは米国のヨーロッパに対する覇権を確保するための手段と見なされていました。 これについては、ヨーロッパの社会市場体制を忌み嫌うヨーロッパのエリート・セクターからの支持がありました。 これらのエリートたちは、米国のお仲間と同じ理由で、ヨーロッパの独立を恐れていたのです。 米国が東欧諸国の欧州連合加盟を支持したのは、このためです。 ワシントンは、ヨーロッパの独立への傾向を薄めるための道具として、東欧諸国に対する十分な統制を見込んでいます。 そして東欧の安価で簡単に搾取できる労働力によって、ヨーロッパの福祉国家や労働者の諸権利を切り崩し、また、ヨーロッパを、米国式の低賃金高負担、福利や仕事保障の制限、富の一極集中といったかたちにさせたいのです。 これはヨーロッパの企業にとっても魅力的であることは明らかです。
これらは長期的要因です。それをどうやってやり遂げるか、大衆運動がそれにどのように影響を与えるかについては、誰も確信を持ったことは言えません。
これはヨーロッパに限った話です。世界全体のことではありません。 30年ものあいだ、世界は経済的には「三極」構造でした。 そこには、日本を中心とするアジアそして特に中国の増大する役割が加わっています。 これを考えるとさらに色々な質問が提起されますが、ここで考えるには複雑すぎます。
7. 平和と正義に関わる広範囲の世界的運動がポスト−イラク期に入りつつあるときにやらなくてはいけない新たなことが何かありますか。
私が見る限りでは、優先事項はこれまでと同じだと思います。 中東地域以外では、「新たなポスト−イラク期」という言葉を使うのは大げさだと思います。
8. ブッシュ政権が戦争計画を「乗り気な諸国連合」とともに推し進めることは、国連の将来にとって何を意味するでしょうか。
他の質問と同じように、それを決めるのは私たちです。 これについて推測することは怠惰なことです。 その答えが、世界史の中で最も強大な国の中にいる私たちにかかっているという理由だけを考えても。
国連が、大国 −基本的には米国です− が押しつけた制限以上のことをできたことはありませんでした。 現在の米国政府は、レーガン政権風の言葉を使って、ワシントンの暴力行使を支持しないならば、国連も世界法廷も国際法もその他の世界秩序のための組織も無意味であると非常にはっきりと明言しています。 米国国務省は、ほかの諸国がわれわれに同意しないのだから、米国の「国内管轄」範囲に何があるかについてはわれわれが決定する権利を有するべきだと述べています。 これを言ったのは、ワシントンがニカラグアに対して行っていた国際テロ作戦をめぐってです。 むろん、レーガン政権がまったくの新境地を開いたというわけではありません。 けれども、邪魔をする人々に対する軽蔑という支配的ドクトリンをここまではっきりと明言したのは珍しいことでした。 こうしたことすべてが公式の歴史から消し去られた(そして当時も決して報道されなかった)という事実はこれを非現実的なものにするわけではありません。 エリート・セクターが自由と民主主義を価値あるものと考えていたならば、これらすべては小学校で教えられていたことでしょう。 レーガン時代とほとんど同じ指導陣が現在の首脳となっており、そして現在、これらの人々はさらに過激で、世界に消え失せろと直接的に言っているのです。 われわれがやりたいことを認めて「適切」なままでいるか、そうでなければ、われわれがやりたいことを拒否して、それでもわれわれはいずれにせよしたいことをしておまえ達は歴史のくずかごに葬られるか、というのです。 これ以上はっきりした宣言はありません。そして世界中でこのメッセージは良く理解されています。 こうした明確に宣言された計画が実行されるかどうかを決定するのは、私たち米国の人々なのです。 推測をめぐらしていることに意味はありません。
9. ゴアが2000年の選挙で大統領になっていたとして、同じ政策を目にしていたと思いますか。
難しいところです。アメリカのリベラリズムの絶頂期、ケネディ=ジョンソン政権の時代を見てみましょう。 その前の政権やその後の政権と較べて、より非暴力的で攻撃的でなかったでしょうか。 また、世界の破壊という危険を避けようとしていたでしょうか。 そうした結論を出すのは簡単ではありません。 現在の事態については多少の違いはあったと思います。おおむね、国内的な政策をめぐって。 ブッシュ政権は1980年代に行ったように、一般の人々に対する攻撃をエスカレートさせています。 当時と同じように、こうした政策はとても不人気なものですから、人々を怯えさせることによってのみ権力を維持することができます。これも1980年代と同じです。 現政権は当時のシナリオにとてもよく従っているのです。 そのために、より攻撃的で暴力的な政策が採られることとなり、世界問題について対立的な態度を取ることになります。 多少異なる国内政策を掲げていたゴアの「新民主党」政権だったらば、人々を統制するためにここまで暴力的な政策を採用する必要は無かったかも知れません。 その一方で、彼らは反動的な国家主義者(政治的レトリックでは「保守派」と呼ばれる人々)からの攻撃に対してより脆弱だったでしょう。 そのために、「活力」がないとか「愛国心」がないとかいったお馴染みの非難を交わすために、攻撃的な政策を採用していたかも知れません。 ですから、難しいところなのです。 そして、ここでもまた、こうした問題への答えの大部分は、私たちの行動にかかっています。 推測をめぐらしてばかりいてはいけません。
というわけで、日本でも、行動を続けましょう。まずは、2003年3月15日東京でピースウォークがあります。 そして、米国に追従するばかりの小泉首相にメールやfax(03-3581-3883)で要請を。川口外相(fax:03-6402−2551)にも要請を。 そして、国連安保理各国にも(小泉首相や安保理各国のメールアドレスはこちらにあります)。 あと、米国製品の不買運動にも協力するというのも手近でできます。 ほかに色々なヒントがワールド・ピース・ナウのページにあります。 なお、自分が取っている新聞で、酷い記事には反対の声を、良い記事には激励の声をこまめに新聞社に送るのは、有効なようです。