この嫌な状況の中で、我々は、侵略を止めるためにできることがないままでいる。けれども、そうだからといって、公平さや自由、人権について多少なりとも関心を持つ人々がなすべき仕事が終わったわけではない。イラク攻撃がもたらす結果がどうなろうと、なすべきことは、これまでよりもいっそう急を要する。そして、攻撃の結果がどうなるかについては、誰もわかっていない。ペンタゴンも、CIAも、誰も。イラクで活動してきた援助団体や救援団体が警告してきたような人道的破局となる可能性もあるし、相対的には被害の少ない結果になる可能性もある。とはいえ、ただの一人として髪の毛一本すら傷つかなかったとしても、恥ずべき目的を達成するために、喜んで、無力な状態に置かれた人々を恐ろしい危険に晒した人々の犯罪性が軽くなるわけではないのだが。
イラク侵略の結果について、予備的な判断を下せるようになるまでには、長い時間が必要だろう。今すぐに行わなくてはならないことの一つは、侵略ができるだけ悲惨な結果を生まないようにできることをする事である。それは、まず第一に、犠牲者の必要について考慮することである。この戦争の犠牲者だけではなく、イラクの市民社会を破壊し独裁者の力を強め、人々が生活するためにサダム・フセインに頼ることを余儀なくさせた、ワシントンによる破滅的な経済制裁の犠牲者も含めてである。長年にわたって指摘されてきたように、サダム同様に悪辣で人々を殺害してきた専制君主が退陣したように、サダムが退陣する希望は、経済封鎖により封殺されていたのである。現在ワシントンにいる輩が多くの場合その独裁の最後の最後まで支援してきた犯罪者の一覧に含まれる人物の一例として、チャウセスクがいる。他にも、多数いる[ハイチの一連の独裁者たち、インドネシアのスハルト等々]。
最低限の良識があるならば、米国は大規模な賠償金を支払うべきだと主張するべきだろう。賠償に応じない場合、少なくとも、イラクに対する援助を提供すべきだろう。ワシントンとクロフォードにいる、権力は暴力により得られるという崇高な信念を持つ者たちに指示されることなく、イラクの人々が、自分たちのやり方で、破壊された社会を再建するために。
けれども、問題は、これにとどまらない、はるかに根本的で長期的なものである。今回のイラク侵略に対する反対の大きさは、歴史的に前例のない巨大なものであった。そのために、ブッシュとその2人の仲間は、アゾレス島の米軍基地で会談を行わなくてはならなかったのである。人々の反対から安全な距離を取れる場所で。反対派は、イラク侵略を問題の焦点に据えているが、その射程ははるかに広い。世界の大部分で、恐らく大多数の人々は、米国の権力に対する恐れをますます強めており、それが世界の平和に対する最大の脅威であると考えている。そして、急速に殺傷力を増し不吉なものになっている破壊のテクノロジーを考えると、平和への脅威が、生存そのものの脅威でもあることははっきりしている。
米国政府を脅威とする感情は、今回のイラク侵略だけに基づくものではなく、そもそもイラク侵略が行われた背景そのものに関わっている。すなわち、米国が、自分が至高の優位に立っている武力によって世界を支配すると決意し、それを公言していること、そして、その支配に対するいかなる挑戦をも起こらないよう支配を確実なものにすると公言していることである。米国は、そのために、予防戦争を意のままに行うであろう。先制ですらない、予防戦争を[米ソ冷戦下で、米国もソ連も「予測される脅威に対する自衛」を強弁してきました。この度、ブッシュはそうした「自衛」の装いすらかなぐり捨て、「先制攻撃」を公言しましたが、さらに一歩進んで、「予防攻撃」を意のままに行う段階に米国は移行しつつある]。とはいえ、先制攻撃を正当化するための理由が何であったにせよ、それは予防戦争とそれほど違ったものではなく、いずれにせよ、想像上あるいは捏造された脅威を取り除くために武力を行使するということであったのだが。米国の目標は、「米国の権力、地位、威信」に対するいかなる挑戦も阻止することであると、米国は、あからさまに宣言している。現在あるいは将来における米国の地位に対する挑戦を、そしてそうした挑戦が起きるという兆候を、米国の支配者たちは、圧倒的な武力で粉砕すると言うのである。実際、米国の暴力手段は世界中のほかの国々のそれを合わせたものを凌ぐほどであり、世界中がほとんど一致して反対している新たなそして極めて危険な道へと進みつつある。たとえば、宇宙における破壊的な兵器の開発である。
「米国の権力、地位、威信」をめぐり私が引用した言葉は、ディック・チェイニーやロナルド・ラムズフェルドといった現政権の過激派のものではないことに注意しよう。この言葉は、実は、尊敬を集めている古参の政治家ディーン・アチソンが、40年前、ケネディ政権の上級顧問だったときに述べた言葉なのである。彼は、そのとき、キューバに対する米国の行動を正当化してこのように述べていたのであった。キューバにおける「体制変更」を目的とした米国の国際テロ作戦が、終末核戦争すれすれにまで世界を導くことを知りながら。それにもかかわらず、アチソンは、米国国際法学会で、米国の「権力、地位、威信」への挑戦に対して米国が対応することについて、何ら「法的な問題」はないと宣言し、キューバに対するテロ攻撃と経済戦争を正当化していた。
私がこの問題に言及したのは、現在の問題の根深さを示すためである。現ブッシュ政権は、米国の政策立案スペクトラムの中で、最も過激なところに位置づけられるものであり、その冒険主義と暴力指向は、異様に危険である。けれども、そもそも米国の政策スペクトラムの幅はそう広いものではないため、もし今回のイラク侵略の根にある問題を解決しないならば、ブッシュが去っても、また別の超反動過激派が信じられないほどの破壊と弾圧手段を手にすることになるのは確実である。
現在権力を保有している者たちの「帝国の野望」(そう率直に呼んでいる)は、米国の主流派体制も含めた世界中を身震いさせている。むろん、米国外、特にこれまで被害者となってきた人々の間では、はるかに恐れは大きい。こうした人々は、声高に叫ばれる賞賛のレトリックに安心するには、困難な歴史を知りすぎているのである。人々は、何世紀にもわたって、「文明」と呼ばれる棍棒により打ち据えられながら、攻撃者の自画自賛レトリックを、いやと言うほど耳にしてきた。数日前、世界人口の大多数を擁する国々が参加する非同盟諸国の議長が、ブッシュ政権のことを、ヒトラーよりも攻撃的であると述べた。彼は、たまたま、とても親米的な人物であり、そして彼の国は、ワシントンによる国際経済プロジェクトをちょうど進めているところであった。彼の言葉が、伝統的な犠牲者たちの多くの声を代弁していること、そして、この度は、伝統的な抑圧者の多くの声を代弁していることは、疑いない。
先へ進むのは、難しいことではない。それにあたっては、こうした問題を、注意深く誠実に考えることが大切である。
ブッシュ政権がこの数カ月世界中の恐怖を急激に掻き立てる前から、諜報や国際問題の専門家たちは、ワシントンが追求している政策は、復讐や単純な抑止力を求めて、テロを促し、大量破壊兵器の拡散をもたらすであろうと警告してきた。自らの行動と驚くべき宣言が造りだした脅威に対してワシントンが取りうる対応策は二つある。一つは、当然の苦情に対してそれなりに注意を払い、世界コミュニティの文明化された一員になることを受け入れ、世界秩序とそのための機構に敬意を払うことにより、脅威を取り除こうとすることである。もう一つの方法は、さらに恐ろしい破壊と支配の機械を構築し、挑戦の芽が見受けられたときには、それがどんなに離れていても、粉砕し、それによってさらに新たなより大きな挑戦を誘発する道である。こちらの方法は、米国の市民にとっても世界中の人々にとっても、深刻な危険をもたらし、人類の絶滅をもたらすかも知れない。これは十分あり得ることであり、単なる怠惰な思弁ではない。
過去に、世界終末核戦争が回避されたのは、本当に奇跡的なことであった。その一つは、上に上げたアチソンの講演の数カ月前、キューバ危機の際である。脅威は深刻であり刻々と増大している。世界中がワシントンで起こっていることを、恐れと戦慄をもって見つめているのは故無きことではない。その恐れを取り除き、より希望のある建設的な未来を導くために、最も重要な立場にいるのは、それゆえ、米国の市民である。米国市民は、米国の政策の未来を動かせるのだから。
20年前に政権を握ったとき[現ブッシュ政権の関係者の多くはレーガン政権時代に政権に関わっている]以来、恐ろしい破壊と野蛮の記録を積み上げてきた政治指導者たちが、身を守るすべを持たない的に対して、人類史上もっとも強力な軍事力をもって攻撃しているという、予想のつかない出来事を見つめながら、ここで述べたようなことを明晰に頭に置いておくことが重要だと、私は思う。