リサ・ラフレームによるチョムスキーへのインタビュー抜粋です。 2003年2月15日、世界的な反戦デモがありましたが、その前日になされたものです。 特に新しい情報があるというわけではありませんが、読んでいてふと気付いた(そしてこれまで真剣には気付いていなかったことに自分でも驚いた)ことがあるので、コメントを入れつつ訳出します。
質問:
将来のことを扱う前に、この10日間の状況について振り返っておきたいと思います。 コリン・パウエルがタカ派になりました。ビン・ラディンが話題の中に復帰しました。 そして、タリク・アジズがローマ法皇を面会しました。 また、ホーム・デポットが、人々に、各家庭で安全な部屋を造るためにダクト・テープの使い方を教えています。 これらの意味を理解するためにコメントをもらえますか。
チョムスキー:
まず、コリン・パウエルについてですが、彼はこれまでもずっとタカ派でした。 そして、今もタカ派のままです。 ダクト・テープについて、私はジョン・アッシュクロフト司法長官が何を知っているのか知りません。 けれども、米国諜報筋をはじめとする様々な諜報筋は、イラクを攻撃すれば、あるいはイラク攻撃を計画すれば、西洋でテロの脅威が高まると予測しています。 理由は明らかです。抑止のためあるいは復讐のためです。
諜報機関や独立系アナリストたちは、イラクとの戦争がテロの脅威 −おそらくは大規模なテロの− をさらに高めるだろうと予測しています。 この脅威は、極めて深刻に受け止められています。
質問:
世論調査を見ると、米国ではブッシュ大統領に対して圧倒的な支持があるのに、国際社会では圧倒的な反対があります。 これについて意見をもらえますか。
チョムスキー:
第一に、ブッシュは米国人から圧倒的な支持など受けていません。 たとえば、国際的なギャラップ世論調査 −これは米国では報道されていませんが、非常に興味深いものです− を見ると、ヨーロッパ、アジア、そして特にラテン・アメリカで、ヨーロッパでは全域で、圧倒的に反対の声が大きいことがわかるというのは確かです。 また、米国とほかの英語圏諸国で支持の声が他と比べて大きいことも、そして米国での支持はほかの国より多いことも。
けれども、この数値は誤解を招きやすいものです。 というのも、米国とそれ以外では、別の相違点もあるからです。 その相違を考慮しなくてはなりません。 サダム・フセインは、湾岸地域を含めた世界中で嫌われています。 そして、誰もが彼が地上からいなくなると嬉しいと思うでしょう。 けれども、彼を恐れている人々がいる国はたった一つです。 米国でだけ、人々はサダム・フセインを恐れているのです。 ちなみに、これは、昨2002年9月からのことです。 私たちの生存に対してサダム・フセインが脅威となっているというプロパガンダの太鼓がとどろいたのは、昨年9月からのことなのです。 それ以来、米国では3分の2くらいの人々が、もし今日私たちがサダムを阻止しなければ、明日にでもサダムが私たちを殺すだろうと純粋に信じているのです。
質問:
もし、ジョージ・ブッシュとトニー・ブレアが正しかったとするとどうでしょうか。 つまり、ブッシュとブレアが偉大なる解放者としてイラクで歓迎されたら? そうだとすると戦争は開始するに値するのではないでしょうか。
チョムスキー:
もしかすると最良のシナリオが実現するかもしれないという期待だけで、恐らくは何十万人もの人々を殺害することになるかもしれず、イラクを破壊することになるかも知れず、西洋でテロの脅威を増大することになるかも知れない危険を犯すに値するのでしょうか。 それは正気の考えでも理性的な振舞いでもありません。
暴力を用いる場合には、非常に説得力のある正当化が必要です。 そして、暴力を用いる側の立証責任は非常に大きいものです。 それは個人的なレベルでも国際問題でも同様です。 「もしかするとうまく行くかも知れない」というのは、 暴力の行使を正当化する議論としては成り立ちません。
コメント1:
この質問に対するチョムスキーの回答、その通りといえばその通りですが、この質問と応答の枠組み自体において、不思議なことにまったく欠けていることがあるように思われます。 つまり、「解放」を論じるのだったらば、ブッシュとブレアによる解放を望むかどうかイラクの人々に聞いてみれば良いという点です。 この質疑そのものを、当事者であり真面目に「解放」をめぐる議論であれば本来主体(あえてこんな言葉を使ってみます)となるべきイラクの人々の存在を前景化しないままに、「こちら側」の判断にもとづく/をめぐる議論が進むのは、それ自体、結果として語られる内容の賛否の以前に/とは別に、極めて異様なことに思えます。
質問:
明日世界中で何十万人もの人々が反戦マーチを行います[実際には世界中で1000万人規模の反戦マーチが行われた]。 特にここ米国でも、イラクに対する戦争に反対して。 戦争に反対する人々の中には、愛国的でないと非難された人がいると言います。 米国人で戦争を支持しないと非愛国的だということのようです。 そして、国連が戦争を支持しないならば、国連は無意味なものだというのです。 こうしたことは、米国の民主主義という問題にどう関わっているのでしょうか。
チョムスキー:
第一に、愛国心をめぐるお話は馬鹿げています。 二種類の愛国心があると言っていいでしょう。 指導者がいうことに反射的に従う愛国心がその一つです。 もう一つは、自分の国、社会の人々とその運命に対する憂慮と関心、私の孫や隣人などなどに何が起きるだろうといった思慮にもとづくものです。 これはもう一つの愛国心です。これは分別のあるものです。 この意味でならば、戦争に反対して抗議行動を行う人々は愛国者であると言うことができます。 こうした人々は、自分の考えに従って、そして私が知る限りでは世界の人々が考えるのと同じように、自国の利益になるように行動しているからです。
国連は、命令に従わなければ無意味なものになるとか、ヨーロッパは、命令に従わなければ無意味なものになるといったことは、興味深い現象です。 米英の指導者たちによる、信じがたいほどのそして前例のないような、民主主義に対する憎悪の現れです。 類似の現象を見つけだすことも難しいくらいです。
コメント2:
この質疑で問題となっている二つの点、「米国人で戦争を支持しないと非愛国的だ」ということと、 「国連が戦争を支持しないならば、国連は無意味なものだ」ということは、 ともに、非常に強く、戦前の日本の状況を思い起こさせます。 前者は、現在でも、漠然と「現状を支持しなければ非愛国的だ」というかたちで残っているばかりかますます強くなっていますが。 後者については、「1933年2月24日に国際連盟を脱退し、国際連盟の議場をさる松岡全権大使」の拡大再生産そのままです(この文章を訳しているのが2003年2月23日なので、明日になるとちょうど70周年です)。
ところで、これだけそっくりであるにもかかわらず、現在の米国(日本も従者役を嬉々として果たしていますが)について「類似の現象を見つけだす」のが難しいという点を受け入れ、70年前の日本と現在の米国とを考えると、世界における力の差というのは当然ですが、その力の差は、まさに、第一のコメントで提起した点、つまり、基本的な語りの場の略奪の規模が大きく関わっているように思えます。
70年前の日本では、限られた範囲で語りを略奪していても、欧米には別の場があり、それを気にしていたからです。 とはいえ、もう一段降りて、当時の植民地における語りは、いずれにせよ主体としては現れず完全に抹殺されていた、という点を考えると、当時は「連合」と「枢軸」が対立しながらも、共同謀略として植民地下の人々の語りの場を略奪していたという図式が浮かび上がります。 反戦を語り主張する側として、こうした罠に足をすくわれないよう、イラクの人々やパレスチナの人々、東チモールの人々やコロンビアの人々の声を耳を澄まして聞き取り応えざるをえないかたちで応えるような回路の大切さを改めて思います。
質問:
そして、戦争推進者たちは、「どうすべきだというのか、イラクが犯したあらゆる侵害を無視しろというのか?」と言うでしょう。
チョムスキー:
無視するというのではむろんありません。 実際、ですから、査察官が行っていることをすべきなのです。 そして、イラクが、完全にではないですがかなり決議に協力しているということは、査察を進めるのが適切だということを示しています。 そしてこれはまた、ほかの諸国によって大規模に違反されている様々な安保理決議についても[たとえばイスラエルは多数の国連決議をほとんどまったく遵守していません。その最たるものが、1967年以来の占領地に居座り続けていることです:しかし安保理決議に拒否権を発動できる諸国については、「決議履行を求める」という枠組み自体が成立しないので別途考慮が必要になるでしょう]、それを適用することが妥当であることを示しているのです。