ニューオーリンズ

益岡 賢
2005年9月8日

メディアは、ニューオーリンズのハリケーン・カトリーナについての報道に溢れている。日本のメディアでもそうだし、米国のメディアでは、なおさら。それゆえ、私自身も含め、率直に言って、食傷気味の人々は多いだろう(多くの人が被害に苦しんでいる中で、「食傷気味」とという言葉はそぐわないかも知れないが、ニュースのほとんどが、批判的な分析に有用な基本的情報を提供していない中、ニュースを見て感傷的になることに何ら意味はない)。

そんな中、日本の選挙を前に、気づいたことのいくつかをメモ的に書き留めておこう。

第一。他の地域で起きた同じような災害と比べて、日本での報道量が非常に多いこと。災害規模と報道時間とをきちんと比較可能なかたちに還元してチェックしたわけではなので主観的な印象にすぎないが、2004年末のスマトラ沖地震と比べても日本語のニュースで伝わってくる情報は相対的にはるかに多いように思われる。

2001年9月11日、米国ニューヨークのツインタワーに飛行機が突入した事件は、世界的な大ニュースとなり、今では、「9/11」と言えば、その出来事を指すようになっている。まるで9/11日に、世界中の様々な地域で暮らしている人々に起きた、また別の様々な事件や災害など、ものの数には入らないとでもいわんかのように。1973年9月11日、チリでピノチェトがCIAの後押しを受けて起こしたクーデターは、どこへ行ってしまったのだろう? このような言葉遣いの特権的固定化には、チョムスキーのような人さえ加担してしまっている[むろん、ニューオーリンズについてそもそもここで書いていること自体が、大手メディアの報道と同じ方向付けに加担することになるという逆説はどうしてもあるけれど]。

第二点。すでにニュースを見れば明らかだが、取り残された人々の圧倒的に多くは黒人で貧しい人々であること。そもそも、カトリーナがニューオーリンズに到達するよりも十分前に避難勧告は出されていたが、具体的な避難は「自己責任」のもと「車で避難」が前提とされていたため、貧しい人々は取り残されたこと。

第三点。多くの避難者が集まったスーパードームは汚物であふれ、子どもや女性への性的攻撃などがなされたこと。そして、この点は、報道の中で比較的目に付いたこと(ただし印象にすぎないが)。

第四点。事前対策も事後対策もまったくしてこなかった(現実的観点からは、「まったく」と言ってよい:関連する情報を第六・七・一〇・一一点にあげます)。米国政府は、水や食料が不足し、不満が爆発し、略奪や暴行に走る人々がいる中、米国政府は派遣した州兵に、「治安」を回復するために、「射殺してよい」としていたこと。

実は、本来米国の市民を守るべき州兵の30%が、イラク侵略戦争に狩り出され、イラクの人々を殺す作業に従事していた。新聞によっては「イラクでの実践がニューオーリンズの臨戦態勢を整えた」的なトーンの記事を掲載したものもある。実際、5日の時点で、州兵は避難民の4人を射殺した。

人々の「安全」は何一つ守ることせず、「治安」回復のために「安全」を剥奪され極端な行動に走った人々を射殺する政策がまかり通っている。ちなみに、避難所は、警察に固められた収容所のようであり、避難民は警察に犯罪者でもあるかのように扱われているという(デモクラシー・ナウ!のインタビューより)。

なお、AP通信発8月30日米国東部時間11時31分の記事では、食料品店から必要品を持ち出して水の中を避難する黒人男性について「食料品店を略奪した(looting)あと」という言葉が使われているが、AFP発米国東部時間3時47分の記事では、ほぼまったく同じ状況の白人の写真に「地元の食料品店でパンとソーダを見つけた(finding)あと」と説明が付けられている。

AP通信とAFP通信の違いはあるが、同じ行為を貧富や肌の色の線で差別して別の言葉を割り当て、一方を犯罪化していく言説のメカニズムがここに伺える。

第五点。テキサス州に避難した黒人避難民を指して、ブッシュ大統領の妻は、これらの人々はニューオーリンズでいずれにせよ貧しい立場だったから、避難民としてそこそこの生活を享受している、といった発言をしたこと。

第六点。昨年、陸軍工兵隊は、1億500万ドルの予算を、ニューオーリンズのハリケーンと洪水対策に要求していたこと。これに対して、ホワイトハウスはその予算を約4000万ドルと半分以下に削減したこと。その一方でブッシュ政権と議会は、2864億ドルのハイウェイ予算をつけたこと。この中には、アラスカの人が住んでいない小さな島への架橋に割り当てられた2億3100万ドルなど、6000の重要でないプロジェクトが含まれていた。

第七点。連邦緊急管理庁(FEMA:連邦危機管理庁などの訳もある)のトップにいるマイケル・ブラウンは、9月1日まで、ニューオーリンズのコンベンション・センターに1万5000人の人々が何の支援もなしに避難していたことを知らなかったこと。カトリーナがニューオーリンズを襲ったのは8月30日。

そのブラウンを、ブッシュは、2日、アラバマで、「ブラウニー、あんたはものスバラシイ仕事をしている!」と褒め称えたこと。

第八点。ウォルマートは被災地域の職員への給与支払いを停止したこと。マクドナルドとUPS社も、給与を減らしたこと。

第九点。9月3日、ハリバートン社(米国のイラク侵略で大儲けをしている、米国副大統領チェイニーが以前最高経営責任者を務めていた戦争兵站提供会社)は、子会社のKBR社が、ハリケーン・カトリーナで損害を受けた米国海軍施設3箇所の復旧契約を得たと発表したこと。

第一〇点。カトリーナはクラス4。2004年秋にキューバを襲ったハリケーン・アイヴァンはクラス5。キューバ政府は被災が予想される地域の人々を大規模に避難させたため、直接の死者は一人も出なかったこと。キューバ政府の緊急ハリケーン対策は国連により模範とされている。

恐らく、ブッシュ氏ならば、このキューバ政府の対策を、抑圧的でキューバの人々をみじめな状態に置いて弾圧を続け自由を剥奪し、ハリケーンが訪れたときに自己責任で避難できずに死を選ぶ人間の権利をすら認めないキューバ政府だからこそできた蛮行だと非難するだろう。

ちなみに、この点に関するニュースでの言及は奇妙に少ない(ただしこれも印象論)。

第一一点。フロリダをハリケーン・アイヴァンが襲ったとき、襲われた地域は白人中心の裕福な地域だったこと。このときの米国の対策ははるかにスムーズだったこと。


危機の時にはその社会の基本像が露わになる。米国にべったりとついて行っている小泉政権の行く末にある社会像が、ここにある。「ここにある」と示唆的に誤魔化し、無意味で不快な余韻を残すだけにとどめるのは無責任なので、少しだけ、対応関係を書いておこう。

一つは、2004年に世の中で騒いだ、自己責任論。あらゆる緊急事態に自己責任を、というならば、政府はいらない。

もう一つ、それと直接関係するが、「人民の、人民による、人民のための」政府ならば当然行わなくてはならない災害対策を放棄して人々の安全を守る責任を破り捨てる一方、「治安」を守るためには州兵による「射殺」を平然と認める姿。

これは、社会福祉的政策をどんどん切り捨て、人々の安全を脅かす政策を推進しながら、一方で『共謀罪』の確立を急ぎ、「治安」(しかしこれは何だろう?)維持のための強権発動は可能にしておこうという日本政府の方向と大変よく対応している。

州兵のイラク侵略への派遣と自衛隊のイラク侵略加担派遣とも、非常によく対応している(自衛隊の存在を認める論拠は、「自衛」にあるはずだったが)。

そして徹底的な私企業優先。郵政の「民営化」が選挙の一つの争点とされているが、そもそも民主主義社会では公的に運営されているものは「民」のものである。今言われている「民営化」は、そうした「民」の公的財産を「私有化」することに過ぎない。この私企業優先政策は、ウォルマートやマクドナルド、ハリバートンなどのカトリーナに対する対応に通ずる。

ちなみに、郵政の私有化がなされると、郵貯のかなりの部分は、米国債につぎ込まれるという予測がある。そして、米国債は、米国の侵略戦争をまかなうために使われる。戦争・軍事費への膨大な出費と、巨大な財政赤字も、米日の共通点である。「改革」を叫ぶ小泉政権の5年間で、長期債務は約15%・約100兆円も増えている。借金漬けなのである。(郵政私有化については「よくわかる郵政民営化」もご覧下さい)。

日本のイラク侵略への加担に反対し、外務省を辞職した天木直人さんが選挙に出馬したようです。応援するページが、こちらにあります。


最後に。ニューオーリンズの電車(Street Car)は、テネシー・ウィリアムズ 『欲望という名の電車』 のモデル。

追記:カトリーナを機会にニューオーリンズ地区の職員の給与を減らした企業の一つとして上で宅配業務会社UPSをあげましたが、それに関連して、ある方から、「日本の宅配業界は、郵政私有化以前の郵パックも含め、非常な過超労働と、ガソリン代を含めると却って足が出る給料体系」で、「非常に問題化」しつつあるとのご指摘をいただきました。関連情報が日本の「ゆうメイト」関係ウェブサイトあるとのご紹介も。

 益岡賢 2005年9月8日

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