懐かしさと無差別大量殺人と選挙
益岡 賢
2005年8月16日
懐かしさとは、欠落を惜しむ心の湿りけではない。それは、まごうかたなき現実としてありながら、その現実を触知する術を奪われたものの無力感にほかならない。特有の文体の下にまだ身を切るような切実さを持っていた頃の蓮實重彦が『反=日本語論』の中で書いていたこの言葉を、このところ政治的な文脈の中で頻繁に思い起こしている。
「私たちは何が起きているか知らなかったのだ」。
ナチス政権下で起きていたことについて、ドイツ人たちが後によく口にすることとなった言葉。そして、あまりにお粗末で非現実的な言い訳として大いに馬鹿にされた言葉。けれども、ドイツ人が(そして日本人も)よく口にしたこの言葉は、私たちが信じ込みたがるほど、あるいは私たちが自明視するほどありそうにないことなのだろうか?
青年たちの一部が兵務につき、町からいなくなる。とはいえ残された家族は、それ以外はさほど変わることのない日常生活を送っているだろう。隣人が、ある日いなくなる。ユダヤ人が集められ、どこかに送られてゆく。最終解決としてユダヤ人はドイツ領の外に移住させるという情報が広まる。
町に残ったアーリア系の子どもは、ときおり思い出すだろう。かつて隣りに住んでいて一緒に遊んだ彼女は今頃どうしているだろう。どこか遠くの移住先で元気にしているだろうか。ときおり思い出しながらも、日常生活が進む中で、そのうち隣の子どものことは忘れていくだろう。子どもの頃、仲の良かった友人が転校して、次第に忘れていったように。
強制収容所のある町、絶滅収容所のある町でも、事情は変わらない。私たちの生活の、物理的にはとても近くで、何か全く異質なことが行われている。けれども、その異質なことは、定義上異質なのだから、私たちの日常生活に入り込むことはない。権利上それはあり得ない[プリーモ・レーヴィは、強制収容所に勤務する若いドイツ人女性が餓死寸前のユダヤ人収容者を前にバター付のパンを当たり前のように食べていたことについて書いている]。
これはどうやら、仮に反省的意識のもとで「健全な」社会的規範に基づいて判断した際にそこで触知し損ねた出来事が重大なことと見なされるかどうかにかかわらず成り立つらしい。そして、そもそも触知し損ねるのだから、出来事の重大さの判断は、そもそも発動されない。
ある程度の時期を一緒に過ごしてきた親密な関係にある相手がいる人は、その彼ないし彼女を改めて感じようとしてみるとわかるかも知れない。初めて時間を共有し始めたときの、会うたびに感じた心の高鳴りと世界が溶けてゆくように密な肉と粘膜の喜びを懐かしく思い起こしかけて、けれどもそれを直接的感覚として想起しかけたまさにその瞬間に、今現在の自明性がその感覚を反省的意識のもとに封じ込めてしまう経験は、少なからぬ人がもっているだろう。
そのときに私たちが希求している懐かしさの対象が、まごうかたなき現実として存在しながら触知できないのとおそらく同じ様なかたちで、たとえばナチス政権下で日常を過ごしていたドイツ人にとっては、すぐ隣りで起きていたユダヤ人の絶滅政策を触知する回路は閉ざされてしまったのかも知れない。
自明な繰り返しと化した日常の中で、目を逸らすことを自然と受け入れるに至ったならば、目を逸らしているものが希求してやまないものであるときでさえ、それを触知するのは極めて難しい。目を逸らしているものが、そもそも目を逸らしたほうが自明な日常に好都合であるものならば、目を逸らしているという感覚すらなしに目を逸らすことはあまりに容易であろう。そして、目を逸らしているという感覚さえないような対称を触知することは絶望的に困難である。
「私たちは何が起きているか知らなかったのだ」。
という言葉を切実な真実性と現実感を持って理解する必要がある。
8月15日、東京のJR神田駅から小川町に向かって歩いている途中で、ゴミ袋に捨てられた茹トウモロコシを食べている背中の曲がった一人のホームレスの脇を通り過ぎた。私は彼を、少しだけ変わった、けれども単なる風景と、何一つ私の日常性には介入してこない風景と、意識することもなく見なしていた。
恐らく普通には、自分が風景と見なすこともなく見なしている人々が自分に危害を加えるといったことがあれば、そしてそれに類するときにのみ、突然、これまで風景でしかなかった存在がまごうかたなき現実として私たちの日常性に侵入してくる。そのとき私たちは、信じられないことが起きたと感じて、錯乱し暴力的な反応をするかも知れない。
けれども、今この瞬間、私たちがそこから目を逸らすことを自然なものとして選び取り、それに基づいて自明視された日常を構築してきたにもかかわらず、私たちの回りに厳として氾濫しているものには何があるだろう?
たとえば、小泉純一郎が嬉々として賛意を表明した米軍のファルージャ侵攻。2004年4月にも2004年11月にも、そこで米軍が行なってきたことは、私たちが自分たちの閉じこもった日常の中では当然と見なしている規範を仮にそこに適用することができるならば、疑いようもない無差別大量殺人であり、それはまごうかたなき現実としてある。
あるいはトルコで迫害され日本に難民資格を求めてやってきたクルド人家族の難民資格を認めず、自らが批准している難民条約に違反してもトルコに強制送還しようとする政府。350兆円にのぼる郵便貯金という市民の資産を私有化し都合のよいところに使い回そうとする政府と、それを推進するために大規模に画策するグローバル「ビジネス」。
年間3万5000人近い自殺者と増加するホームレス。
一人の人間として様々な喜びと悲しみと怒りと苦しみと楽しみを抱えたパートナー。
今、たまたま自分の日常に介入しないからという理由で、今、すぐそばに存在しているこれらの現実を触知し損なうこと、恐らくそれが、キング牧師が懐古的に述べた「後世に残る最大の災厄」としての「善意の人の無関心」を、現在進行形で捉えた実体である。
ウィトゲンシュタインは、手をあげるときに、手をあげようとすることと手をあげることの区別を持ち出している。どんなに手をあげようと意識しても手はあがらないが、手は、ただあげればあがる。
まごうかたなき現実を触知する術を取り戻すこと。かなりの時間を過ごしてともすると風景と化してしまったパートナーの存在を触知するために、出会った頃の感覚を取り戻そうと焦るのは馬鹿げている。相手は現実に今そこにいるのだから、今そこにいる相手をただゆっくりと物理的に感じ、愛している、これまでも、今も、そしてこれからも、と囁き、パートナーの体のやわらかい曲線に唇をあて、舌をはわせればよい(たぶん)。
失われてしまったものへの憧憬を抱きつつ失われたものを再び手にすることができない自分の姿に陶酔するのではなく(日本の私小説にありがちだ)、現実を触知する術を取り戻す、胸の震えるような行為は、同時に極めて物理的なものだ。
同じように、今、私たちの回りに氾濫している異様な事態を触知することも、極めて物理的な行為を通して可能になるだろう。
ファルージャで米軍が犯し、イラク各地で今も続けている無差別大量殺人を認識し、それに反対すること。大量殺人を薄ら笑いとともに支持してきた小泉純一郎の政権に反対票を投ずること。反省的認識に立ち止まるのではなく、物理的な行動の一歩を、それがどんな小さなことであれ踏み出せば、奪われた術を取り戻すことが可能になるだろう。
参考までに、イラクやアフガニスタンでの無差別殺人についてジョージ・W・ブッシュ米国大統領や小泉純一郎首相が述べた言葉をいくつか挙げておく。われわれは平和国家である。〔・・・・・・〕 これは、世界でもっとも自由な国、憎悪を認めず、暴力を認めず、殺人を認めず、悪を認めぬ価値観を拠り所とする国アメリカ合州国にたいする天の命令なのである。そして、われわれは飽くことを知らない(ジョージ・W・ブッシュ アフガニスタン空爆宣言の際)
われわれはイラクを攻撃しているのではない。解放しているのだ(ジョージ・W・ブッシュ イラク侵略から間もなく)
自由は、世界中のあらゆる人々に与えられた神からの贈り物である。地球上で最も強大な国として、私たちアメリカ人は、その自由を広める任務を担っている(ジョージ・W・ブッシュ 2004年4月、ファルージャ虐殺を進めていたさなか)
いいことですね(小泉純一郎首相 2003年4月9日、米英が国連を排除してイラクを長期占領し、暫定政権を連合軍の援助のもとで作ると発表した際)サルトルは、ベトナム民衆法廷の際、次のように述べていた。
連日わたしたちすべての面前で犯されつつあるこの犯罪が、それを告発しないすべての人間を、わたしたちをいっそう隷属させるためにまず堕落させようとする犯罪者の共犯者にするからです。戦争犯罪を犯す政府を容認し、戦争犯罪を容認する政府を支持したことを責められて、「私たちは何が起きているか知らなかったのだ」などという、あまりカッコの良くない言い訳をしなくてもよいようにしよう。9月に予定されている日本の国会議員選挙は、連日わたしたちすべての面前で犯されている犯罪を触知するための一歩を踏み出す、よい機会である。