基準線と石油とイラク侵略

益岡 賢
2005年3月21日


基準線

不思議なことに、旧ソ連には政治犯や政治囚は一人もいなかった。理由は単純で、「政治犯」や「政治囚」という概念が法的にも、またソ連邦の公式報道と公式言説の中にも、存在しなかったためである。

2002年9月、インド、デリーの交通局は、自動車を使っている人々が信号待ちのとき「物乞い」に物をほどこすことを禁じた。慈善行為を施した運転手には罰金を科せされることとなった。政府は、一つの政令によって、人々の寛容と慈善心を犯罪に変えた。これら「物乞い」は(その多くが孤児や遺棄された子どもたちだった)、信号待ちの車に雑誌やガムを売ったりする「犯罪」を捨て、売春や盗みや麻薬取引を始めた。

これらは、言葉が先か概念が先かとか、経験的対象の存在が先か認識のカテゴリーが先かといった抽象的な議論への導入としてではなく、もっと現実的かつ世俗的に、私たちが生きている世界で、経験的対象の様式は変わらないのに(簡単にいうとこれまで通り生活していたのに)、突如としてそうした対象/生活の一部ないし全部が「犯罪」とされてしまうことがあること、あるいは逆に、犯罪行為が犯罪とされなくなることがあることの例である。

言葉の配置を変えることによるこうした魔術の実現には、その言葉が法や支配的言説のように強制的暴力を伴うか閉鎖的な社会のかなりの部分を覆うかしていることが要求される。法としての言葉を変えることでこうした魔術を行うためには、独裁的な政治体制のもとでなければ、まず法が適用される社会の成員の間にこの魔術を魔術と思わせない雰囲気を作っておくことが必要になる。

一番都合がよいのは、形式的な回路を全体として確立してしまうこと、すなわち、内容がどうであれ、お上の言うことだから正当に違いない、法として成立したのだからまっとうなのに違いない、警察が逮捕したのだから犯罪者に違いない・・・・・・という思考回路を社会に定着させることである。カフカイスクな、全体主義。

「お上の言うことに間違いはない」という傾向の強い社会でない場合には、こうした形式的回路を全体として確立することは必ずしも容易ではない。そこで、いくつかの戦略が必要になる。いろいろなところで繰り返されていることだが、現在多用されている戦略としては、概ね、無関心を徹底させるために気晴らしをできるだけ沢山準備すること、恐怖シナリオを流布して人々に刷り込んでそれを言説の対象ではなく前提に組み込むこと、既成事実を積み重ねてそれを言説の対象ではなく前提に組み込むこと、の三つがある。

無関心を徹底させることについては色々と指摘することができるが、拗ねオヤジの凡庸で汚らしい文明批評・世代批評のようになるので、これはパス。

恐怖シナリオについて、今、日本で最も多く用いられているのは、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、そして理由がわからないと「識者」たちが叫ぶ(特に少年)犯罪、「外国人犯罪」である。これを利用して、日本では現在、大がかりに市民的自由と諸権利の剥奪が進められている。驚いたことに、私が話した大学関係者の何人かは、自分の子どもたちの安全が心配だからという理由で当たり前の権利と自由を剥奪するこうした「国家安全保障」政策を容認/支持していたりする。

歴史を振り返れば、「国家安全保障」と人々の安全(自由や権利は言うまでもなく)とが対立しなかった例は極めて見つけにくいにもかかわらず(典型的な「国家安全保障国家」だったソ連邦・アパルトヘイト下の南アフリカ・軍政下のチリやアルゼンチン・第二次世界大戦下の日本・現在の米国などで、どれだけ多くの人々が犠牲になったかを考えればそれは理解できよう)。

アメリカ合州国はこれまで繰り返し繰り返しこうした恐怖シナリオを発動してきた(ニカラグアでサンディニスタ革命が起きたあと、ニカラグアとキューバの連合軍がアメリカ合州国を侵略して高校生のフットボール・チームに阻止されるという英雄映画まで製作された:その間、アメリカ合州国の傭兵コントラはニカラグアで教師や医療関係者、農業組合関係者などを拉致し拷問し手足を切断し殺害していた)。イラク侵略前には、イラクの「大量破壊兵器」をしきりに言い触らしていた。

むろん、恐怖が現実的蓋然性の高いものである場合もある。一方、全く無根拠である場合もある(例えば少年犯罪は長期的に見ると増加しているなどとはとても言えないし、ニカラグアが米国を侵略するなどというのはホーチミンがカヌーにのって米国を侵略するというのと同様、また湾岸戦争後2002年までのイラクが他国を侵略するというのと同様、あまりにあほくさい)。

大きく論を飛躍させるが、「どこへ行っても臭いなら、そりゃ臭いのはお前だろう」という言葉がある。アメリカ合州国や最近の日本のように、いたるところで恐怖が存在するとすると、その原因を疑ってみる必要はある。第一に、外部に恐怖の原因があるとされている場合、そもそもそんなにアメリカ合州国や日本はいぢめられているのか? そして本当にいぢめられている場合、何でそんなにアメリカ合州国や日本はいぢめられるのか? 例えば政府首脳の暗殺やクーデター、被侵略や被破壊、外部から強制された生活水準の切り下げなどの統計を見ると、実際には、アメリカ合州国や日本はあまり外部からいぢめられてはいない国である。

とすると、何故にそんなに外敵ばかりが蔓延するのか? アルンダティ・ロイも言っているように、政府が市民的自由や権利を制限し思いのままに人々を動かすために、恐怖シナリオが必要であり、そのために外敵を創り出す必要があるからである。マーガレット・サッチャーが冷戦終焉を見通して「次の敵はイスラムだ」とさっそく新たな敵を観念的に作りだしたように。この点で、日本政府にとって北朝鮮は必要欠くべからざるありがたい存在だし、米国政府にとってサダム・フセインの独裁ぶりは大変ありがたいものだっただろう。

では経験的対象の世界で、どこが一番怖い国か? と考えてみると、立場によって色々あるだろうけれど、アメリカ合州国がイラクについて怖がった「大量破壊兵器」を一番多く持っているのはアメリカ合州国である(平和への脅威を参照)。

既成事実の積み重ねは、米国のイラク侵略とそれに加担した自衛隊派遣の中ではっきりとわかる(しそれ以前に自衛隊の存在をめぐる議論の推移からもよくわかる)。例えば自衛隊の無事帰還を祈る「黄色いリボン」運動。憲法に違反した自衛隊派遣を目の前にして、「『自衛隊が派遣されるからには』無事を祈るのは当然で、私たちの運動はそれゆえ政治的なものではない」といった主張がしばしばなされてきた。

少なくとも二つ、問題がある。第一。例えば学校の校長先生が、法律に違反した、生徒の身を危険にさらす行為を生徒に強制されているのを目の前にして、「『生徒がそうした危険な行為をさせられるからには』無事を祈るのは当然」というのはまっとうなことだろうか? 法律に違反して生徒の身を危険にさらさせる校長の行為を止めるのが当然だろう。第二。校長が生徒にやらせている行為が他人の家に侵入して住人を殺し物を略奪する行為だった場合はどうだろうか。 校長に対してだけでなく、それを受け入れて行う生徒に対しても、まっとうに反対の見解を表明し阻止しなくてはならないだろう。

どこかで聞いたような、とても退屈な話しになってしまった。再び大きく論理を飛躍させるが、そんなわけで、まっとうな問いを立てる必要がある。例えば、ある殺人が膨大な嘘と言い訳のもとで行われたとき、嘘と言い訳を暴くことは大切であろうし、また普段殺人を非難している人が人を殺したときその一貫性の欠如を指摘することもそれなりに意味はあろうが、何よりも焦点とされるべきなのは、嘘や言い訳でも、一貫性の欠如でもなく、殺人という犯罪そのもの、そしてその理由である。


石油とイラク侵略

アメリカ合州国によるイラク侵略開始から2年が経過したというタイミングもあり(十進法よりは「年」という単位には自然的裏付けがある)、それを少し取り上げる。米国のイラク侵略という犯罪と占領下で体系的に犯している戦争犯罪については、別途継続的に紹介してきたので、ここでは、米国がイラクを侵略した理由の一つ、石油について多少の整理をしておこう。

とりわけ、小泉純一郎氏の次のような(普段通りの)誠意のかけらも知性の片鱗も見受けられない宣伝用言葉:

日本としては、今まで国際協調の下に平和的解決を目指し、独自の外交努力を続けてまいりました。私は先程のブッシュ大統領の演説を聞きまして、大変苦渋に満ちた決断だったのではないかと。今までブッシュ大統領も国際協調を得ることができるように様々な努力を行ってきたと思います。そういう中でのやむを得ない決断だったと思い、私(総理)は、米国の方針を支持します。

を考えると、米国のイラク侵略の理由としてほぼ完全に大手メディアから抹殺されてきた「石油」の要因を改めて紹介しておくのも必要だろう。そこで、Linda McQuaig 『It's the Crude, Dude』(Doubleday, 2004)を参照しつつこの点を整理しておこう[なお以下の記述の中にはこの本からの直接引用的部分も含まれますがそれをいちいち呈示はしません]。

2003年、米軍の大部隊がイラクに侵攻しているとき、ラムズフェルドはおおやけに、イラク人に対して、油田に火をつける行為は「戦争犯罪」として処罰されると警告した。人々の上に大規模爆弾を投下して無差別殺人を行うのはOKだが、完全に良好な状態の油田を破壊するといった真に邪悪な行為はまかりならんというわけである。このコメントは、イラク侵略を命じた者たちにとって石油が主要な関心事だったことを示す鍵と見なされることもあり得たが、実際にはそうした考えは米国でだけでなく日本でも激しい否定にさらされた。ラムズフェルド自身、「イラク戦争は石油とは全く何一つ関係がない」と宣言している。

主流メディアは、イラクが大量破壊兵器を有しているという米国の立場の正当性を分析したり、サダム・フセインの悪行を数え上げたりしていた。この戦争のいくつかの側面については、洗練された人々の間においてさえ、多数の懐疑的意見があった。たとえば、カクテル・パーティーの場で、国連がイラク武装解除をもっとうまくやれないのかとか、軍事的勝利のあと米国にイラクを改めてまとめ上げる力や我慢強さがあるかどうかといった問題を話題に出すのは全くお作法にかなっていた。超洗練された『ニューヨーカー』誌の編集者デーヴィッド・レムニックはこれらは重要な問題であると書くと同時に、この戦争が「石油利益の陰謀」により進められていると考える人々を軽蔑している。また、保守的なワシントン・インスティチュートの上級アナリストは、2003年2月、イラク侵略の真の動機は石油なのではないかというCBCラジオのインタビューアの質問を、次のように言って切り捨てた:「理性的な分析を行いさえすれば、それが陰謀理論だということはすぐにはっきりすると思う」。

米国のイラク侵略をめぐる極めて多くの議論が、次のようなはっきりと馬鹿げた問いを出発点としている:中東に民主主義は実現可能なのだろうか? 米国の侵略は民主主義をもたらすだろうか? 民主的なイラクは他の中東諸国をイラクの前例に従うべく鼓吹するだろうか、それとも単にイスラム原理主義を煽動するだけだろうか? イラクに大量破壊兵器はあるだろうか? 

たとえば、2004年3月、ニューヨーク・タイムズ紙特派員ジョン・F・バーンズは次のように書いている:「[サダム政権]崩壊一周年から一カ月が経った今、サダムを中東初のうまく機能する民主主義で置き換えようという米国の計画は新たな危機に直面している」。イラクにおける米国の「計画」は「中東初のうまく機能する民主主義」を創設することにあるという前提は所与のものであるらしい。

最近ではイカサマ「選挙」を機に国造り云々を論ずるばかりの日本の主要新聞やテレビでも、状況は同様である。

大手メディアが呈示する「批判的」な問いは、米国がイラク及び中東全域に民主主義をもたらしたいと意図しており、イラクの大量破壊兵器を憂慮していると考えているという前提から出発している問いである。実際には、そんな主張を支持する証拠などどこを探しても無いし、こうした仮定を反駁する証拠は直接的なものも歴史的な状況証拠も膨大にあるのだが。そして、侵略の大きな目的の一つがイラクの石油をはじめとする石油支配にあるとする主張は単細胞の頭の悪い陰謀理論であるとして嘲笑の的になった。それを示す証拠も多数あるのだけれど。

石油の背景について少し概観しておこう。ここ数年、「ピークオイル」が叫ばれているように、現在、新たな石油を発見するよりも早いペースで既発見の石油資源が消費されている。20年前に海底油田は300メートルから700メートル前後の深さから採掘していたが、現在では深さ3000メートルの海底にまで手を出している。すぐに手の届くところにある油田はほとんどが既に開発され、既にピークを過ぎた油田も多い。石油地質学者コリン・キャンベルは、世界の石油ピークは2005年にも訪れると予測しており、これに同意する専門家は多い。

依然として産業経済が石油に依存した状況が続いている中、石油資源は減少し消費は増大するばかりであることから、石油へのアクセスをめぐって不確定要因が増えることが予想されている。そもそも米国は、はるか以前から、中東の資源へのアクセスを米国の「国家安全保障」の問題と位置づけていた。

そんな中、イラクには極めて簡単に採掘できる膨大な量の石油があるだけでなく(世界第二位)、その石油の大部分は歴史的経緯によりまだあまり手がつけられていない。Sonia Shah 『Crude』(Verso, 2004)から、石油埋蔵量と採掘量、ピーク年の一覧表をあげておこう(この表はもともとBP社のレビュー、ピークオイル研究協会等の資料から取られたもの:なおここでは上位20カ国だけあげる)。石油量の単位は10億バレルである。

         残油量 既採掘量  ピーク年
 サウジアラビア 262   97  2008
 イラク     112   28  2017
 アブダビ     98   19  2011
 クウェート    96   32  2015
 イラン      90   56  1974
 ベネスエラ    78   47  1970
 ロシア      60  127  1987
 アメリカ合州国  30  172  1970
 ナイジェリア   24   23  2006
 中国       18   30  2003
 カタール     15    7  2000
 メキシコ     13   31  2003
 ノルウェイ    10   17  2001
 カザフスタン    9    6  2033
 アルジェリア    9   13  1978
 ブラジル      8    5  1986
 カナダ       7   19  1973
 オマーン      5    7  2001
 アンゴラ      5    5  1998
 インドネシア    5   20  1977

残油量と既採掘量の比は面倒なのであげていないが、アブダビを除いてはイラクほど埋蔵量に対して既採掘量の比率が小さい国は存在しないことが表からわかる。また、イラク侵略は石油と関係ないという人々の中には米国自身が石油を埋蔵していることを指摘するが、米国の石油生産ピークは35年前であり、残された量は多くない(し採掘しにくいものが当然残されている)。また、米国が大きく依存しているベネスエラはウーゴ・チャベスが貧しい人々を重視して石油公社PDVAを改革したことにより米国にとって気に入らない状況にあるし、サウジアラビアからの石油輸入も(こそ)2001年9月11日の米国二都市の建物への飛行機突入実行犯の多くがサウジアラビア出身者だったことなどから米国は危機感を抱いている。

米国のオッペンハイマー&Coに勤める石油アナリスト、ファデル・ガイトは、世界の石油販売価格を一バレルあたり26ドルとし(これは過去数年の価格よりも低い推定)、イラクでの石油生産コストを一バレルあたり5ドルから6ドルとすると(これはイラクのように開発が容易なところとしては高く推定している)、一日200万バレルをイラクが生産すると(サウジアラビアは一日800万バレルを生産している)、年間約150億ドルの利益を生み出す。世界最大の石油企業エクソンモービルの利益と同じ額である。強硬に京都議定書に反対し、SUV市場が拡大してガソリン消費が増えている米国にあって、これは非常に「美味しい」獲物である。

もう一つ、イラクが軍事的に弱体化していることも「美味しい」理由の一つである。仮に米国が(米国自身がもはや極めて民主的ではなく抑圧的で大量破壊兵器を有しそれを実際に用いているということをちょっと置いておいて)大量破壊兵器やら民主主義とやらに関心を持っているならば、当然、非民主的でチェチェンで20万人とも言われる人々を虐殺しているロシア(ちなみに残された石油もイラクほどではないが600億バレルもある)を標的としても不自然ではない。けれども、ロシアはいまだに強大な軍事力、大量破壊兵器を有しているため、なかなかそうもいかない。

イラクはまたペルシャ湾の中心にあり----サウジアラビアとイランの間に位置しペルシャ湾の一番奥にある----、大規模な軍の基地として理想的である。米軍の大部分が撤退し米国の保護を受けたイラク政府が樹立されたとしても、イラクは米国が地域全体に支配力を及ぼすための軍事的な準備地帯として重要であり続けるだろう。「イラクを地下に巨大な石油を備えた軍事基地として考えてみよう〔・・・・・・〕それ以上のものは望めない」とガイトはにやついて言う。

ペンタゴン顧問アンドリュー・マーシャルの依頼によりビジネス・コンサルタントのダグ・ランドールとロイヤル・ダッチ/シェル・グループの元企画部長ピーター・シュワルツが作成し2003年10月にペンタゴンに提出した報告書には「今後三〇年間で世界の石油需要は六六%増加するだろうが、供給がどこからもたらされるかははっきりしていない」とある。同報告書は地球温暖化がもたらす気候変動が極端なかたちで訪れることを警告しており、そのような中で「資源の枯渇により絶えることのない戦いという規範に人類は後退するかも知れない」と分析し、「ふたたび、戦争が人間の生活を規定することになるだろう」と述べている。さらに、これらの問題を米国は国家安全保障に関わる問題として扱うべきだと示唆している

以上で背景がおしまい。

さて、上であげた表をみていただけると明らかだが、中東の石油埋蔵量は群を抜いている。表には現れていないが、採掘も容易でコストも小さい。それゆえ、中東の石油資源を支配すれば、今後の世界経済を支配するために(石油依存経済が続く限り)圧倒的に有利な立場に立つことになる。

ブッシュ政権はこの点をよく理解している。米国政権は例外なしにエネルギー政策を重視してきたが、ブッシュ政権は中でも群を抜いている。ブッシュが二〇〇一年に政権についてからわずか九日のうちに発足した副大統領ディック・チェイニーをボスとするエネルギー・タスクフォースは、エネルギー業界 に対して課税カットと補助金を与えたことでよく知られているが、このタスクフォースはまた、世界の石油資源がやせ細っている中で、米国内の総石油生産が大きく低下していることを踏まえ、「米国と世界経済は石油供給の大きな中断に対して脆弱であり続けるだろう」と結論している。

実際、チェイニーは副大統領になる以前、ハリバートン社の最高経営責任者(CEO)だった1991年11月、ロンドン石油協会で行った講演の中で、次のように述べている:「一部の推定によると、向こう数年間、世界の石油需要は年間平均2%増大するが、一方、既存の石油産地から生産される石油は控えめに見積もって3%の自然減となる。したがって、2010には、一日あたり500万バレル規模の追加供給が必要になることになるが、その石油はどこからやってくるのだろうか?」 チェイニーはさらに続けて、「世界石油の三分の二を有し、生産コストが最も低い中東地域は、未だに目当てのものがある究極の場所である」と指摘している。しかしながら、中東の石油はそのほとんどが同地の政府の統制下に置かれており、したがって主要石油企業は「中東の石油に対するより大規模なアクセスを望んでいるが、進捗は遅々としている」と彼は述べている。

2002年8月、米国ナッシュビルで退役軍人に向けて行なった講演の中でも、チェイニーは、サダム・フセインが致命的な兵器を手にするならば、、「中東全体の支配を目論む」だろうし、さらに「世界のエネルギー供給のより多くの部分を支配する」だろうと述べている。

ところで、我々は、2003年春、ブッシュ政権がイラク侵略を検討していたとき、未開発の巨大な油田を制圧する利点----米国のエネルギー供給安定化を保障し米国石油企業が未曾有の富を刈り取ることを可能にする----など全く念頭に無かったと信じなくてはならないことになっている。洗練された評論家たちと大手メディアが我々に保証付きで説明してくれたように、ホワイトハウスの人々が本当に気にしていたのは、イラクの大量破壊兵器から世界の人々を解放し、イラクの人々に自由と民主主義をもたらすことである、と。

かくして、小泉純一郎氏は次のように言った。

日本としては、今まで国際協調の下に平和的解決を目指し、独自の外交努力を続けてまいりました。私は先程のブッシュ大統領の演説を聞きまして、大変苦渋に満ちた決断だったのではないかと。今までブッシュ大統領も国際協調を得ることができるように様々な努力を行ってきたと思います。そういう中でのやむを得ない決断だったと思い、私(総理)は、米国の方針を支持します。

2004年1月、米国武器査察団代表デーヴィッド・ケイは、米国上院委員会で大量破壊兵器をイラクが持っているという証拠は全くないと指摘したのではなかったろうか。それより遙か以前の2003年2月、パウエルが国連安保理に出した「証拠」なるものはすべて完全に反証されていたのではなかったろうか。カナダ政府は米国政府に証拠を要求し、米国政府はかわりにパワーポイントで自分たちの立場を説明すると答え、カナダ政府は「パワーポイントのスライドショウ」(そう、あの内容の無さを色とアニメーションと図と表で誤魔化すためにもってこいのパワーポイント!)は「いらん」と答えていたのではなかったろうか。

イラクの人々にもたらした自由と民主主義についても、既にその内実は明らかになっている。アブグレイブでの体系的な拷問や強姦(上層部から拷問の許可が出ていたことさえ明らかになってきており、子どもや女性も何の根拠もなくあるいは家族をおびき出したり脅迫するために収容され拷問されていたことも報告されている)、ファルージャの破壊と数千人の人々の無差別殺害。そして検問所で日常的に行われる無差別発砲と民間人の射殺。

さて、話をもとにもどそう。実は米国の現政権の中枢にいる「ネオコン」たちの多くは、1990年代からイラク侵略を射程に置いていた。これら「ネオコン」たちが集まって、1997年に結成したアメリカ新世紀プロジェクト(PNAC)という名のシンクタンクを結成したが(PNACの原則宣言には、ディック・チェイニーやドナルド・ラムズフェルド、ポール・ウォルフォウィッツなど25人が署名している)は、米国政府に「我々の治安、我々の反映、我々の原則に友好的な国際秩序を維持し拡大するためにアメリカには固有の責任があることを受け入れる」よう求め、「アメリカの世界的リーダーシップ」と呼ぶものを達成するために、彼らは米国の軍事支出を大幅に増大するよう求めていた。

そしてこの当時から、PNACの目はイラクに向けられていた。1998年1月、PNACはビル・クリントン大統領(当時)に、サダム・フセインの追放を米国の目的とすべきであると促す手紙を送っており、その中で、「湾岸における我々の決定的な利益」を守るべきであるとし、その「決定的な利益」として「湾岸地域の米軍兵士の安全、イスラエルや穏健アラブ諸国のような我々の友好国や同盟国の安全、そして世界の石油供給の重要部分」を挙げているのである。

むろん、石油だけがPNACのそしてブッシュ政権の関心事だったと主張しているわけではない(ここでは石油がイラク侵略の主な目的の一つであったことを説明しているだけである)。PNACは、石油以外に、とりわけイスラエルの治安が関心事としていた。軍事力を使ってサダムを追放しようという考えはPNACグループのメンバーの一人リチャード・パールが1996年の時点で既に積極的に求めていたものでもある。当時のイスラエル首相ベンヤミン・ネタニヤフのために書かれたメモの中で、パ ールは、イスラエルをより安全にしイスラエルの拡大を可能にする中東再編のより大きな戦略の一部として、サダム追放を提唱していたのである(ちなみにパールは、パレスチナ人との間で平和のための土地交換を前提とするオスロ合意を、イスラエルが西岸とガザのすべてを永久に併合する政策で置き換えるべきであると主張していた。この戦略に不可欠なのは、これに強く反対するかも知れない中東地域の政権を取り除くことであり、パールはそうした政権として、サダム支配下のイラクの他に、シリア、レバノン、サウジアラビアそしてイランをあげていた:現在の米国政府の発言をこの観点から見ると興味深い)。パールは、ブッシュ政権下で、ペンタゴンへの助言を行うべく設置した防衛政策委員会の委員長に指名されている。

ところで、我々は、2003年春、ブッシュ政権がイラク侵略を検討していたとき、その頭にあったのは、イラクの大量破壊兵器から世界の人々を解放し(米国大統領ジョージ・W・ブッシュはテレビ演説で、爆弾を投下しているのは「世界をより平和なものにするためである」と説明していた)、イラクの人々に自由と民主主義をもたらすことであり、未開発の巨大な油田を制圧することなど全く頭になかったと信じなくてはならないことになっている。

1980年代、サダム・フセインが彼の残忍な政治生活の中でもとりわけ最も規模の大きい残虐行為を犯していたときに、後にPNACのメンバーとなりブッシュ政権下の国防長官となり米国市民的自由連合(ACLU)に訴追されたドナルド・ラムズフェルドは当時米国特使としてサダム・フセインを友好訪問さえしていたにもかかわらず。

2000年9月、ブッシュが政権に就くことになる直前、PNACはビジョンをより詳細に述べた大部の文書を公開している。そこでは、米国は「明日の覇権」を握るべく進化すべきであると提唱しつつ、けれども、「新たな真珠湾のような破滅的かつ触媒となるような事件」がない限り、米国を「明日の覇権」へと進化させるためには長い時間を要することになるだろうと指摘している。その12カ月後、世界貿易センターに対する攻撃がちょうど都合良くそのような破滅的事件を提供してくれた。

全く好都合に。かくして、2001年9月11日、米国の二つの都市の建物に航空機が突入した6時間後、ドナルド・ラムズフェルドは、これはイラクを「叩く」チャンスかも知れないとして「大規模に、一気に全部やれ。関係があってもなくても」と語り、コンドリーザ・ライスが「これらのチャンスをどうやって利用するのか?」と訊ね、ジョージ・W・ブッシュ大統領はペンタゴンにイラク侵略計画を開始するよう命ずる最高機密文書に署名した。その数カ月後、ジョージ・W・ブッシュ大統領は、秘密裡かつ違法に、米国議会がアフガニスタンの作戦に承認した7億ドルをイラクに向けた新たな前線の準備に振り向けた。

ところで、ここでの議論は二重化している。一つは、ブッシュ政権およびそこに参画する者たちがかなり前からイラク侵略とサダム追放を計画していたことを改めて確認すること。もう一つは、イラク侵略とサダム追放を行う主な要因の一つに石油があったこと。第一の点について、もう少し述べておこう。

ブッシュの減税計画に反対して罷免された元米国財務長官ポール・オニールは、ブッシュ政権発足のわずか10日後に開催された国家安全保障会議(NSC)の最初の会合で、サダム追放が既にブッシュ政権の最優先事項になっていたことを知って驚いたと語っている:「フセインを捉えることが今や政権の関心事であった。その点までは既にはっきりしていた」。その二日後の国家安全保障会議の会合では、ラムズフェルドが「サダムがおらず、そのかわりに米国の利益に協力的な政権があるような中東がどのように見えるか想像して欲しい」と語ったと述べている。

2003年に辞任するまでホワイトハウスの対テロ専門主任顧問を務めたリチャード・A・クラークもまた、ブッシュが2001年9月11日以前からイラクに狙いをつけていたこと、そのためにアルカーイダに対する攻撃の可能性に十分な注意を払わなかったことを述べている。2001年9月12日の朝に召集された会議では、対テロをめぐるものではなく「イラクに関する一連の議論」が交わされたとクラークは述べており、また、ブッシュが彼と他の数人を会議室に招き入れて、「サダムがこれをやったかどうか、彼が何らかのかたちで関係しているかどうか〔・・・・・・〕」チェックするためにあらゆる情報を再検討するよう求めたとも述べている。

ブッシュ政権発足後にイラクに狙いを付けた経緯は、1990年代後半にPNACが提唱していたことをそのままなぞったものであり、これはPNACの主要メンバーとブッシュ政権の中枢メンバーが大きく重なっていることからも納得がいく。そして、イラク侵略の際に実際に繰り返し叫ばれたイカサマ・プロパガンダとは異なり、PNACの手紙では、イラクに狙いを定める理由が具体的に記されていた:「イスラエルおよび中東地域における米国の同盟国の治安に対する関心、そして湾岸地域の石油資源を誰が支配するかに関する関心

というわけで、二重化した議論の第二の点、石油支配に対する関心がイラク侵略の大きな動機の一つであったことに話を移そう。すでに背景と米国の政策意図における石油の位置と石油業界における中東の位置と中東におけるイラクの位置についてはいささか間接的な点もありながら記してきたので、以下ではブッシュ政権中枢の人々の石油産業との関わりについて。

米国ワシントンにある不偏不党の「責任ある政治センター」が指摘するように、ジョージ・W・ブッシュは1970年代にいくつかの石油企業ベンチャーの運営に関与しており、1999年から2000年の二年間に、他の連邦候補が過去10年に受け取った額よりも多くの資金を石油産業とガス産業から受け取った。エクソンモービル社だけで130万ドルの資金を提供していた。チェイニーは副大統領に選出されるまでハリバートン社のCEOだったし、国家安全保障顧問コンドリーザ・ライスは1990年代ずっとシェブロン社の役員だった。

ブッシュ政権に対する石油産業の強い結びつきと巨額の財政支援を考えると、石油産業の意向がブッシュ政権の政策に大きく反映していないとは考えがたい。ブッシュ政権のイラク侵略計画は政権発足時から発動していたのだから、彼らはこの政策を選挙前----ブッシュが巨額の資金を石油企業から得ていた時期----から検討していたと考えるのが妥当であろう。実際、ブッシュが就任後ただちに実施した二つの「政策」である京都条約からの撤退とイラク侵略制圧とは、石油産業に大きな影響を与えるものだった。

[こう言うと、「政府と石油業界の意向は必ずしも一致しないし、政府は他の業界の意向も考慮しなくてはならないから問題はもっと複雑であり云々」と語る人々が現れるだろうが、多様な要因の存在は主要な要因の不在を証すものではない]

さて、イラク侵略をはじめとする「米国の国家安全保障」政策が石油と結びついていることを示すもう一点。2004年2月『ニューヨーカー』誌上で、同誌の記者ジェーン・メイヤーは、2001年2月の米国国家安全保障会議(NSC)文書が、設立されたばかりのチェイニーのタスクフォースと全面協力するようNSCスタッフに指示していることを報じた。一見、奇妙である。というのも、チェイニーのタスクフォースはエネルギー政策を専門とするものであり、NSCは軍事問題と防衛問題に関わるもので、本来無関係なはずだから。けれどもこのNSC文書は、チェイニーのタスクフォースはこれら二つの政策領域の「融合」を検討することになっていると述べている。すなわち、「無法国家に対する運用上の政策の見直し」と「新たなおよび既存の油田とガス田の獲得に関する行動」の二つの融合。これは、チェイニーのタスクフォースが、エネルギー政策が通常扱う領域を超えて、恐らくはイラクを含むだろう「無法」国家にある石油とガス資源をどうやって「獲得」するかに関する地政学的問題を検討していたことを示唆している。

そしてこのチェイニーのタスクフォースが2001年春の会合で回覧した地図は、イラクをブロックに分割し、石油パイプラインや油田の位置を詳細に示している。また同時に回覧された資料は、サダム・フセイン政権と各国のイラク油田開発計画の状況をリストしている。

ところで、我々は、2003年春、ブッシュ政権がイラク侵略を検討していたとき、その頭にあったのは、イラクの大量破壊兵器から世界の人々を解放し(米国大統領ジョージ・W・ブッシュはテレビ演説で、爆弾を投下しているのは「世界をより平和なものにするためである」と説明していた)、イラクの人々に自由と民主主義をもたらすことであり、未開発の巨大な油田を制圧することなど全く頭になかったと信じなくてはならないことになっている。

そしてそれに基づいて「公共」の議論を展開しなくてはならないことにもなっているらしく、相変わらず、大手メディアでは、「大量破壊兵器がなかった」といった情報はときに耳にしても、ここで述べてきたような情報は体系的には聞く機会も読む機会もない。

日本では、ポルノDVDや宅配ピザのビラ、日本経済新聞の申し込みビラなどがマンションに多数投げ込まれている中、反戦チラシを入れたり日の丸君が代強制に反対するビラを学校周辺で撒いたことに対してねらい打ちの逮捕が続いている。

米軍が殺した相手がテロリストなのは米軍が殺したという事実が証明している、日本の警察に逮捕された人々が犯罪者なのは逮捕されたという事実が何よりも雄弁に語っている、等々というカフカイスクな全体主義がますます跋扈している。

我々の社会が全体主義に包まれ、それが我々に跳ね返ってくる日は近い、などというしたり顔の発言をするかわりに、一つ一つのことについて、全体との関係を失わずに判断し、人に説明し、介入していこう。

例えば、圧倒的な大手メディアの前で我々は無力なわけではない。メディアは視聴者の声を意外に気にするし、それを考慮しもするし、それによって個別の志ある記者たちが勇気づけられもする。良い記事をきちんと讃えるfaxを出す、ひどい記事には反対の意を表明する電話をするなどといった一つ一つの日常でもできる行為は、それなりの一歩となる(疲れるけど)。

微熱微発酵中で少し書いたことが整理されておらず申し訳ありません。世界中で3月20日前後(とりわけ3月19日)にイラク侵略と戦争占領継続に反対するデモが行われました。東京では3月19日約4500人がピースパレードに参加し、自らの意志を表明しています。

 益岡賢 2005年3月21日

益岡の記事・文章へ] [トップ・ページ