アイルランドはすでに3年の不況が続いている。2007年以来、1人当りの収入は20%下落した。失業率は3倍に増え、14%を記録している。かつて30年前のアイルランドの「暗い雨の日」がまた戻っていたようだ。そして、これからも当分続くだろう。
1980年代以来、アイルランドは「アイルランドの奇跡」ともてはやされてきた。それは、まさに「ネオリベラリズム」のモデルであった。極端に低い法人税、極端な労働市場の流動性、企業の労組に対する絶対的な優位性などという政策であった。
20年来、アイルランドでは不動産価格が高騰し続けた。不動産価格の高騰は、貧しい家屋所有者たちにも、金持ちになったと錯覚させた。そして銀行の“繁栄”は、富の幻影を生み出した。この幻影があまりにも真実のように見えたため、すべての人がこの幻影を事実だと錯覚した。
このような経済を「カジノ経済」だと警告するものはいた。しかし彼らは「イデオロギーによる偏見」だとか、「階級闘争などといった前世紀の左翼的遺物」だと決め付けられた。これにツーリズムと伝統的ケルト文化ブームが拍車をかけた。かつて、病気で絶滅に瀕していた「Irish Cat」は、アジアのタイガーにならって「ケルトのタイガー」と呼ばれた。
しかし、これは「アイルランド・モデル」では決してなかった。これはネオリベラリズムにすぎなかった。
しかし、すでに2年前、ヨーロッパのエコノミストの何人かが「アイルランド経済は崩壊の瀬戸際にある」と言い、「アイルランド政府が、国際的な金融メルトダウンの対処方法として採っている政策は、およそ適切とは言えない」と警告していた。
過去25年間、アイルランドの銀行は、フリーで、オープンな国際資本市場で、グローバルに借り入れ、不用意に融資し、とりかえしが出来ないほどリスクを拡散させてきた。
今、明らかになったことは、法人税を低くしても付加価値の低い産業しか投資してくれなかった。政府が金融部門の規制緩和と公的資金での救済を確実に保証したことが、銀行や投資ファンドなどが、非常にリスキーな投資をすることを許した。これは、150年前から「モラル・ハザード」と呼ばれてきた金融の禁じ手であった。
危機に見舞われると、アイルランドの経済システムがいかに腐ったものであったことがあきらかになった。
「効率」、「自由な資本市場」などという言葉は幻だった。これまで、「現代のグローバルな資本主義は進歩と繁栄をもたらす永遠のエンジンである」と聴衆に対して語ってきたエコノミスト、政治家、ジャーナリストにとっては、現在起っているアイルランドの危機は、多分“悪い冗談”であろう。
アイルランドの銀行は完全に破産した。
そこで、カウエン首相は、無条件に、すべての銀行を救済することを決定した。ネオリベラリズムにとって、これは皮肉なことだ。政府が、銀行の損失を“社会化”することになったのだ。銀行の返済不可能な民間債務を、返済不可能な公的債務に書き換えたのだから。そのカラクリは銀行の債務を、付加体税やサラリーマンの所得税でもって、支払われるのだ。
「もはや我々は福祉国家を続けられない」と政府は言う。アイルランド人はベルトを締めなければならない。これはギリシアにはじまって、ポルトガル、スペイン、イタリー、ドイツ、フランスで起っている。これはまさに「集団的懲罰」とも言うべきだ。
しかし、社会保障を切り捨て、失業を増やし、賃金を削減することは、国内市場を狭隘化させる。そこで益々、輸出に頼らざるを得ない。そして、これは国際競争力を高めることで解決しようとする。そのために賃金や社会保障の予算を削ることになる。まさに悪循環である。
他のヨーロッパの銀行は、アイルランド政府が“社会化”した公的債務を返却できないことを知っている。そこで彼らはヨーロッパ連合(EU)に対して、アイルランド政府に救済融資をするよう圧力をかける。つまりアイルランドの“社会化”した債務をEUの公的資金で救済することになる。
ここでも同じく悪循環に陥っている。
|