2009年1月29日(木曜日)午後、かつて18世紀フランス革命の発祥地となったパリのバスチーユ広場を反政府、反サルコジの抗議デモが埋め尽くした。この日のパリのデモ参加者は30万人を超えた。そしてボルドー(34,000人)、マルセイユ(24,000人)、リール(26,000人)、ナンシー(20,000人)などフランス全土200ヵ所でも同様なデモが行われた。内務省の発表では、「デモの参加者総数はフランス全土で110万人であった」と、言う。
デモには労働者、青年、年金生活者、失業者、市民が参加した。デモはロックミュージックに包まれ、各労組の名を記した巨大な風船がのぼり、和やかな雰囲気であった。これは、教育改革に反対した08年11〜12月の高校生のデモや、ギリシアのデモのような暴力的なデモとは別のようだった。多分、春のような陽気の天気が幸いしたのかも知れない。
デモの参加者が掲げる要求はさまざまであった。その多くは、サルコジ大統領の経済政策に抗議したものだった。「サルコジは金融危機を起こした連中を、労働者や市民の犠牲にして救う」ことに抗議した。なかには、「ヘイ、サルコジよ、今ストが良く見えるだろう」というプラカードがあった。これは、サルコジが「労働者がストをしても、誰も気にかけない」といったことを皮肉ったものだった。
プラカードは必ずしも政治的な内容ばかりではなかった。サッカーの新しいコーチに対する不満を代表した「Domenechよ、辞めろ」というのもあった。
平穏なデモが解散した後、夕刻、オペラ・ガルニエ宮の前で、スカーフで顔を隠した約100人あまりの青年が、石やボトルを投げて警官と衝突した。ゴミかごに火がつけられ、警察の催涙弾があたりに漂った。12人の逮捕者が出た。これが唯一の暴力行為であった。
1月29日は、デモばかりではなかった。同じ日、フランス全土で250万人の労働者がゼネストを行なった。鉄道をはじめすべての交通機関、学校、病院、郵便局などの労働者がストに参加した。政府の発表では、「公共部門の労働者の4分の1、あるいは3分の2がストに参加した」と言う。これは、ストに際して、ミニマムの労働者を確保しなければならないとする2007年の法律のせいで、スト中も最低のサービスが確保されることになったためである。
ストの参加者の多くが、その日の午後のデモに参加した。『Parisien』紙の世論調査によれば、「黒い木曜日」のデモとストを支持するものは、69%にのぼった。通常、フランスでは、公共部門のストに対して、民間部門の労働者が支持するということは稀なことであった。しかし、今回の「黒い木曜日」には、両者が団結して、闘争に参加した。
デモに参加した民間部門の労働者には、不況に見舞われた自動車産業は言うまでもなく、ヘリのパイロット、スーパーのレジ、スキー場のリフトのオペレーター、ディズニーランドの修繕工などもいた。
このゼネストと大規模デモは、2007年のサルコジ大統領が政権の座について以来の挑戦であった。デモ隊の中にいたCFDTのFrancois Chereque書記長は、この日を「黒い木曜日」と呼んだ。そして、「このような規模の怒りの叫びは、20年来の出来事である」と叫んだ。
このストとデモには、フランスの5つのナショナルセンター(共産党系のCGT、社会党系のCFDT、CGTから分裂したFO、カトリック系のCFDC、極左系のSUDなど)が一致して呼びかけた。フランスで5つのナショナルセンターが一致した行動を行なうことは、かってないことであった。教員など部門別では8部門の労組が参加した。それだけ経済危機に対する労働者・市民の怒りの大きさを表している。
昨年11月、激しい党内闘争に明け暮れたフランス社会党の新しいオブリ党首も、党の基盤を強めるために、デモの支援に駆けつけた。彼女はデモ隊から「やっと現われたな」とやじられた。
人びとの怒りの矛先は、サルコジ大統領の危機救済プランにある。昨年12月、彼は260億ユーロの救済策を打ち出し、1月29日に国会を通過した。労組側は、これが銀行と大企業の救済に当てられることに怒っている。労組側は、これでは足りないと言い、野党の社会党は、この2倍は必要だと言っている。失業率は、7.7%に達した。勿論、これは2桁の失業率を記録した10年前には及ばないが、上昇率が15年間で最も高いということは警戒すべきである。
今回の闘争の中核となったのは、教員組合であった。デモの中でも、教員の列は最も長かった。これはサルコジが、団塊世代が今年大量(13,500人)に引退するのだが、その補充をしないと決めたことに怒っている。約半数の小学校がストに入った。教員全体では、37%がストに参加した。
CGTのBeernard Thibault議長は、「勿論、今70年ぶりの世界的な危機にあることは、知っている。しかし、賃金労働者はこの危機に責任がない。しかし、労働者だけがこの危機の犠牲になることは真っ平だ」と語った。
労組側は、政府が雇用の確保を第一の優先課題とすべきだと言っている。そして、消費者の購買力を高め、収入の格差をなくし、そして、銀行を規制すべきだと言っている。
これらの要求は公共部門の削減を打ち出しているサルコジ政権と真正面から対立している。サルコジは、救済額を増やす気はないと言っている。
29日夕刻、サルコジは、説を曲げて、「2月に労組幹部と話し合う」と声明を出した。
しかし、サルコジが、公共部門のリストラ案を放棄するとは考えられない。
2009年1月29日付けの『フィナンシャルタイムズ』紙は、今回の反政府デモとストを、「68年5月闘争(学生のデモが1ヵ月にわたる労働者のゼネストに発展し、ドゴール退陣に導いた)」になぞらえて報道した。
フランスでは、1968年、1995年(鉄道労働者の長期ストでジュペ内閣を辞任させた)、2005年(学生の教育改革反対のデモでド・ビルバン内閣を退陣させた)に、大規模な抗議運動によってそれぞれ中道右派政権を崩壊させてきた。今回のゼネストと大規模デモを、70年来の経済危機で、単にサルコジ中道右派政権を崩壊させるだけでなく、資本主義を揺るがすものと、警告している。
そこで、同紙は、フランスのトロキスと党「革命的共産主義同盟(LCR)」のオリビエ・ブザンスノー氏にインタービューをしている。34歳の元郵便局員は、「今回のストは、もう1つのフランス革命の第1歩となるだろう」と語った。彼は、「我々は、既存の権力を壊すことが目的である」と言っている。
今回のストは、広範な反政府運動の到来を予告する。サルコジ政権は、運動の急進化に警戒を強めている。ブザンスノーのLCRに近い戦闘的なナショウナルセンター労組「SUD」は、すでに1ヵ月近くも「59分スト」という新しい闘争戦術でパリの交通を麻痺させている。
ブザンスノー氏は、拡散している極左グループを1つの運動にまとめるために、「2月には新しい反資本主義党を発足させる」と語った。「20年前には、このようなことは不可能と思われていた。今、必要なのは、反資本主義のプログラムである」
問題は、ブザンスノー氏がもはや影のアジテーターに留まっていない、ということである。テレビのトークショーでも、彼はサルコジ氏の最有力がライバルと見なされている。人気投票でも、ブザンスノー氏は大統領選挙で、10%を取っている。
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