世界の底流 |
「イラクは内戦」という神話 |
2006年12月15日 |
これは、スンニー派とシーア派間の反目と武力抗争のエスカレーションを狙ったものである。そして、これにはイスラエルのも軍情報部と秘密警察モサドが絡んでいる。彼らはイラクの内戦激化を企んだ一連の秘密作戦を展開した。その目的は、イラク国家を解体し、そして、米国がイラクを完全にコントロールし、その膨大な石油資源を手中に入れることにある。 米国防総省の計画の一部として、CIAとモサドはイラク国内で、クルドの訓練と武装を行ってきた。イスラエル情報部隊はイラクの反政府ゲリラの攻撃に対処する米特殊部隊を訓練した。それには、ゲリラのリーダー、有名な学者、科学者(すでに350人の核科学者が殺されたという)、教師(210人が殺され、3,000人が国外へ逃れた)、政治家、宗教界のリーダーなどの暗殺部隊の訓練も入っていた。 2005年2月6日付けの『ウォールストリート・ジャーナル』紙によると、Greg Jaffe記者が、David Petraeus司令官の下でのDean Ftanklin大佐の言として、米軍がゲリラ対策として、非合法の民兵を訓練しており、それは賞賛すべき勇敢な軍隊である、という。そして、米軍は、住民をたてにして、それら民兵どうしを戦わせている。また、は、Deborah Daviesが、殺し合いは「すべて米軍の目の前で起こっている。しかし、彼らはそれに介入する意志もないし、またできない」とテレビの『チャネル4』の「死の部隊」調査特別番組で語った。 彼らが手がけた最初の作戦は、2006年2月22日、サマッラで起こったAskariya寺院(黄金のモスク)の爆破であった。このモスクを攻撃目標に選んだのには理由があった。モスクには、シーア派も9世紀のイマム(聖人)2人の遺体が葬られていた。黄金モスクへの攻撃は朝7時にはじまった。民兵の衣服をまとった10人余りの男がモスクに侵入し、眠っていた4人の護衛にさるくつわした。そして、ドームのなかに爆弾を仕掛け、点火した。ドームのほとんどは崩れ落ち、支えの壁を破壊した。 黄金モスクに対する破壊作戦はシーア派がスンニー派に対して暴力的な報復に出ることを目的としたものであった。スンニー派指導者によれば、シーア派がイラク全土、20以上のスンニー派のモスクを爆弾や迫撃砲攻撃、あるいは放火などの方法で攻撃した、という。この事件では、スンニー派の僧侶2人を含む18人が死亡した。 イラク南部のバスラでは、警察の発表によると、警官の服を着たガンマンが、刑務所に押し入り、12人のスンニー派囚人を連れ出した末虐殺した、という。これらのスンニー派に対する攻撃は、米国防総省のP2OGによる作戦であった、という。ペンタゴンは、黄金のモスク爆破事件はアルカイダの仕業であったというが、Abdul Zara Saidy師によれば、これは、占領者、アメリカ人、シオニストの工作であったと言っている。 ブッシュの嘘 11月の中間選挙の結果、ブッシュは、これまでのマントラであった「一歩も後に引かない」から「柔軟性」に変えた。しかし、ブッシュがいうイラク政策の変化とは、「イラク占領の放棄」、あるいは「イラクから撤退」ではない。彼が提案するものは、「より少なくする(Less)」ではなく、より「多くすること(More)」に他ならない。 そのうちの1つは、イラクの疲弊した米派遣軍に代わる「新しい派遣軍を増やす」ということである。その中身は、イラク戦闘軍の能力アップと人員増加を確保する米特殊訓練部隊の増員である。危険なバグダッドの治安を守るために、米兵を増員する。あるいは、スンニー派蜂起の中心地であるアルアンバール州の治安をまもるために米海兵隊を増員するなどである。 ブッシュは、撤退のタイムテーブルや非戦闘地域への再派遣を言うときでさえ、これはより国内治安の責任を取れ、あるいは、イラクの各宗派の民兵の武装解除をしろ、とイラク政府にプレッシャーをかけるためである。 これらのことは、米軍の駐留こそが、イラクの国内の紛争を抑止するものだという幻想を、メディアの協力をもって振りまいている。これこそが、ブッシュの最大の嘘である。 米国のイラク侵略と占領こそが、イラクと米国内を分裂させている。そしてその解決は、真に米軍が撤退するか、または追い出されることによってしかもたらされないのだ。 中間選挙直前のブッシュのマントラは、「イラク人が立ち上がれ(Stand up)ば、米軍は座る(Stand down)」であった。この意味は、イラク軍が訓練され、増えれば、米軍とゲリラとの戦闘は減り、駐留米軍も減る、ということである。 これは一見論理的に見える。しかし、この論理は、イラクの都市では適応されないのだ。米軍筋は、2004年の秋から2006年秋までの2年間、イラク軍の実践部隊の数は、4万人から13万人に増えたという。この13万人という数は、以前に米軍が立てたイラクの治安を維持するに必要な数13万7,000人に非常に近い数である。しかし、兵員が確保されたにもかかわらず、イラクの反乱の数は減っていない。 それよりも、同じ期間、イラク部隊が3倍以上に増えた(立ち上がった)にもかかわらず、ゲリラの軍事攻撃は1日あたり50件から150件に増えている。このうち、車爆弾と道路わきの爆発(地雷)は2倍になった。また、14万人の駐留米軍の数も減っていない。 ブルキングス研究所は、イラク軍が9万人に増え、駐留米軍が14万人を維持しているのに武装反乱は劇的に増えている、と発表した。つまり、イラク軍の増強は、ゲリラに有利となっているのだ。これはパラドックスである。 これを解決するには、ブッシュ政権の対イラク政策の誤りを明らかにしなければならない。 米軍は暴力を鎮圧できない。むしろ、暴力を生み出しているのだ。米軍は暴力の町に侵入し、秩序を回復するのではなく、平和な町に入り、暴力を生み出しているのだ。Nir Rosenが『In the Belly of the Green Bird』の中で書いているように、最も反米の町Tal AfarやRamadiでさえ、米軍がいないときは平和な町である。現地のゲリラと提携した現地指導者が統治している。ゲリラは、警察の役目をはたし、スンニー派、シーア派地域ともに原理主義的なイスラム法が、支配している。 これらの町は、中央政府の主権や米軍の占領を認めていない。したがって、米軍が、ゲリラの支配地域に入り、ゲリラを掃討しようとすると、町は抵抗する。路地裏で、米軍は民兵のリーダーを逮捕、あるいは殺そうとするとき、これをゲリラは地雷を埋めたり、狙撃したりして抵抗する。なぜなら、ゲリラは通常町の人びとに支持されており、一方米軍の攻撃は、破壊的である。したがって、米兵の“戦果”とは、友人や家族の死によって、より多くのゲリラが生まれる。米軍が撤退すると、町は、以前の状態に戻る。しかし、破壊された町は米軍に対する怒り、恨みに満ちている。 このようにして、米軍の指揮下に置かれたイラク軍の増強は暴力を増進させることに終わる。イラク軍が増強されるに従い、米軍はより多くのイラクの町に侵入する。そして、より長く駐留せざるをえない。通常ゲリラが治安を維持しているのだが、米軍やイラク軍の狙撃を恐れて、ゲリラは町をパトロールですることができない。しかし、イラク軍はゲリラのように、街角をすべて見張るという技術もない。そこで、住民は、自爆テロや死の部隊の標的になりやすい。 これを見事に証明したのが、さる10月、米軍とイラク軍がサドルシティで行った「Operation Together Forward」作戦であった。サドルシティはバグダッド市内東部にあり、サドル派の民兵マハディ民兵がパトロールしており、爆弾テロはほとんどなかった。しかし、米軍が、米兵の誘拐事件をきっかけに、マハディ民兵の指導者を逮捕するために、サドルシティを包囲し、出入り口に検問所を設置した。その結果、『ニューヨークタイムズ』紙のSabrina
Tavernise記者によると、それまで町をパトロールしていたマハディ民兵は消え、市民は“スンニー派ジハード”の車爆弾の餌食になった、という。 この2つの出来事は、同じ論理である。米軍は、サドルシティのサドル派の民兵、Balad のスンニー派ゲリラを掃討するという最初の任務以外には、対応しようとしない、あるいはできない。したがって、米兵が増えると、より多くの宗派抗争が起こることになる。 米軍がイラク軍をともなってスンニー派の町に侵入した場合、同じ事が起こっている。この場合、イラク軍は、シーア派によってなっている。ここでは、シーア派のイラク軍と自身のコミュニティを守ろうとするスンニー派ゲリラとの戦闘になる。そして、スンニー派住民に大きな打撃を与える。住民は、シーア派が米軍を使って、スンニー派の町を乗っ取ろうとすると思う。その結果、スンニー派住民は、テロリスト、あるいは死の部隊に入って、シーア派コミュニティに報復しようとする。こうして、暴力がエスカレートしていく。 最も恐ろしいことは、ブッシュ政権内に、「宗派間抗争が米国の目的を達成してくれるだろう」という考えが出てきていることだ。『ニューヨーカー』誌の最近号に、SeymourHarsh記者は、CIA情報として、「十分な規模の米軍がイラクに長く駐留すれば、(イラクの)悪い奴は、殺し合いで皆死んでしまうだろう、とホワイトハウスは信じているようだ」と書いている。 |
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