1.ネパールのピープルズ・パワーの民主化運動
さる4月、ネパールでは、ほぼ1ヵ月にわたって7政党、毛沢東派共産党ゲリラ、農民、労働者、学生、市民などが、ギャネンドラ国王に対して民主化と退位を求めて激しく対決していた。首都カトマンズでは、連日のように十万人規模のデモが繰り広げられ、地方では、毛派ゲリラと国王軍との大規模な戦闘が続いた。そしてついに4月24日深夜、国王は「国会を復活させる」ことを宣言した。
これをもって、02年5月に国王が国会を解散し、政党活動を禁止し、緊急事態令を発効して以来、ネパールでは4年ぶりに民主化の兆しが見えてきた。実は国王は昨年10月に民主化へのロードマップと称して、「今年2月に国会選挙を行うこと」を約束していた。
今回の全土的な反国王運動は、それを民衆側が自分自身の闘争でもって達成したことを意味する。これは今日、タイ、フィリピンなどアジアの国ぐにで繰り広げられている「ピープルズ・パワー」の闘いに相通ずるものがある。同時に、ネパールの市民社会が成熟していることを物語っている。
2.毛派ゲリラの勢力の現状
ネパールで起こっている「民主化運動」に特徴的なことは、毛沢東派共産党ゲリラの存在である。
2001年、ビレンドラ前国王が暗殺され、現ギャネンドラ国王が即位した2001年段階で、すでに毛派ゲリラはネパール全土75県のすべてに勢力を伸ばしていた。その中で、西部5県で人民政府を樹立し、独自の開発プログラムを実施し、人民法廷を開設していた。カトマンズでは、学生や労働者の間に勢力を浸透していたと言われる。
今日では、毛派ゲリラは独自の徴税制度を持ち、その徴税対象は全土に及んでいる。カトマンズ市内でも白昼堂々と徴税が行われている。徴税を拒否する企業は報復措置を受ける。ゲリラ支配地域では、アルコール中毒や高利貸しは一掃された、と言う。
このように、毛派共産党ゲリラはネパールで最大の政治勢力となっており、国王の権力が及ぶのは日中だけで、実効的に支配しているのは毛派ゲリラである。つまり2重権力が存在すると言える。
3.毛派ゲリラの武装蜂起
毛沢東派共産党は、1996年2月、ネパール共産党から分裂したバブラム・バタライ政治書記によって設立された。分裂の原因は、ビレンドラ前国王の立憲君主制を承認するかどうかをめぐって、共産党の主流派と急進派のバタライ政治書記派が対立したことによる。
ネパールでは、1990年4月にビレンドラ前国王に対して、ネパール国民会議派と共産党を含む統一左翼戦線が民主化を要求した。20万人のカトマンズ住民が民主化を要求する20万人の街頭デモでもって呼応した。このデモに対して警察が発砲し、死者がでた。国王は、民主化を約束し、立憲議会が選出された。これは、ネパールの「ピープルズ・パワー運動」と呼ばれた。
ネパールに民主主義は回復された。しかし、これでネパールの貧困が解消されたわけではなかった。また人口の3分の1にのぼる少数民族については、全く忘れられた存在であった。
毛派共産党は、この絶望的な貧困をなくすには、王政を打倒し、インドとの不平等条約を破棄し、外国資本の国有化、土地改革などを盛り込んだ40項目の政治綱領の達成なしにはない、と主張した。そして、これを達成するには、武装闘争以外にはない、として、96年2月13日、西部の山岳地帯で武装蜂起をした。以後、10年間で、今日のような、ネパール最大の政治勢力に成長したのであった。
4.インドの毛派共産党ゲリラの実態
ネパールの毛派共産党ゲリラが、「毛沢東派」を名乗っているからといって、現在の中国共産党に関係しているのではない。故毛沢東の「政権は銃砲から生まれる」、「農村から都市を包囲する」といった教えに従っているのである。
むしろ、彼らは隣国インドの毛派共産党ゲリラに、戦略戦術を学んでいる。インドの毛派ゲリラは、ネパールのように国際的に知られているわけではないが、規模と力量においては、ネパールのそれをはるかに凌いでいる。
インドの毛派ゲリラの実態については、今年4月14日の『ニューヨーク・タイムズ』紙が、特集記事を掲載している。同紙によると、毛派共産党は、非合法の地下武装組織に徹していて、政治の舞台に代表を送っていないが、すでに、インド全土28州の中で13州に組織を持ち、中東部のチャッティマガル州の南端からネパール国境までの広大な地域を本格的な内戦状態に置いている、と言う。インドの情報機関は、ゲリラの数を2万人と推計しており、インド全土600郡の4分の1の地域に影響力を持っているという。
毛派ゲリラの本拠地はチャッティマガル州であり、同州南端のダンテワダ郡では、面積でいうと60%の地域が、政府側の役人が立ち入ることができない「革命根拠地」になっている、と同州の高官は述べた。
インドの毛派共産党ゲリラは、かつて「ナクサライト」と呼ばれていた。38年前、ナクサライトはカルカッタ北部で武装蜂起をしたが、すぐに鎮圧された。そして、25年前、再び静かに浮上したのであった。
毛派ゲリラが、以前のように、容易に鎮圧される兆しはない。2004年1月、ムンバイで開催された第4回世界社会フォーラムでは、大会の実行委員会がフォード財団から助成や政府の後援を受けたことに反対して、正規のフォーラムと道を隔てた場所で、「世界レジスタンス・フォーラム」を開催した。正規のフォーラムには11万人集まったが、一方のレジスタンス・フォーラムにも2万人が集まった。そればかりでなく、ここには、ネパール、フィリピンなどの毛派共産党ゲリラ、コロンビア、バスクなど、世界中の武装闘争組織が結集した。
インドの繁栄と増大する貧富の格差は、毛派ゲリラの活動に大きく貢献している。経済成長の恩恵に預かれない人びと、僻地の山岳民、少数民族、ダリット、そして教育を受けても職がない都市の若者たちは、毛派ゲリラの潜在的な要員となっている。そして、インドの経済成長に対する大きな脅威となっているのだ。
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