さる8月30日から4日間、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで、ブッシュ大統領の再選出馬を決める米共和党大会が開催された。
これに対して、今年春以来、ラムゼイ・クラーク元司法長官が率いる「国際行動センター(IAC)」、キリスト教会、労組など800の組織の連合体である「平和と正義のための統一(UFPJ)」などが、反ブッシュのデモを呼びかけていた。
このニューヨークの反ブッシュ・デモは、8月31日付けの『ニューヨーク・タイムズ』紙の報道によれば、同市の歴史上最大規模のもので、またこれまでの民主・共和の党大会にむけては最も激しいデモとなった。これは、1968年、ジョンソン大統領が再選を断念したシカゴでの民主党大会の時のベトナム反戦デモをはるかに凌ぐものであった。
反ブッシュ・デモは共和党大会の開催中、連日のようにニューヨークを埋め尽くした。とくに印象的であったのは、党大会の前日の8月29日の日曜日、45万人が参加し、マンハッタンを埋め尽くした巨大デモであった。
前日まで、デモの主催者と火炎瓶を投げようとするアナーキストとの乱闘騒動があり、一方では、ニューヨーク市警察とのデモの許可をめぐる法的な闘争が続いていたにも課かわらず、日曜日のデモは全く平和裏に行われた。
イラク戦争で戦死した兵士1人1人の名前を記したボール紙の棺をもった葬式デモが続いたと思うと、ブッシュがいかにして石油利権を代表して大統領の座に上りつめたかを漫画で示すポスターを掲げているものもいた。ドラム、ホーンを鳴らし、フライパンを叩いて自分たちのフラストレーションを表現する隊列もあった。あるいは子どもを肩車にしたほほえましい一群もいた。
日曜日は朝早くから、それぞれ14番街、22番街、7番街などに集合した。デモの先頭には、それぞれベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争の復員軍人たちが立った。これらに労組、平和団体、学生グループ、地方からの市民組織、個人などが続いた。
正午近くには、マイケル・ムーア監督、ジェシー・ジャクソン師、それにUFPJのリーダーたちが先頭にたって、7番街からマジソン・スクエア・ガーデンに向かって1時間に1ブロックという蛇のような遅い速度で歩き始めた。これを、黄色いシャツを着たUFJPのデモ護衛隊が脇を挟むようにしてガードした。温度計は30度近かった。
あらゆる方角からのデモは、警察によって厳重に守られている共和党大会場のマジソン・スクエア・ガーデン近くに集まった。「息子をイラクから返せ」と叫ぶ母親、「戦争を止めろ」と叫ぶマイケル・ムーア監督、「この町からクソは出て行け」と叫ぶニューヨーク子。デモ隊の叫び声は、共和党大会場を圧倒した。共和党大会を取材していたマスメディアの記者たちも、外に出て、デモの取材をした。
「デモは共和党大会をハイジャックした」というのが、9月1日付けの『ニューヨーク・タイムズ』紙の報道であった。
日曜の夜になると、共和党大会の代表が夜を楽しむブロードウエイにデモが移動した。さらに、彼らの宿泊するデラックスホテルの前では、爆竹を鳴らすなど、騒ぎは続いた。
翌、月曜日、共和党大会の初日は、「直接行動」が予定されていた。党大会への代表の出席を阻止することを狙っていた。これは、警察の予防措置によって、不発に終わった。5日間を通じて、延べ2,000人が逮捕された。リベラルな弁護士の集まりである「全国法律家ギルド」はデモの各所に配置され、法的なアドバイスを行った。
9月2日、ブッシュが大統領候補にノミネートされた日には、ハーレムからデモが出発した。また同じ日、マジソン・スクエア・ガーデン前で、反戦団体のA.N.S.W.Rがデモを組織した。ブッシュの大統領候補受諾演説がはじまると、外でボリューム一杯のマイクで、「即時イラクから撤退せよ」「米国はイラクから手お引け」「イラク、パレスチナ、ハイチなどの植民地占領を止めろ」などといったシュプレヒコールを繰り返した。
デモ隊が最も多く集まったセントラル・パークをはじめとして、あらゆる街角で、人びとが議論をしていた。これは、米国の最近のデモの新しい傾向である。
8月26日、マーチン・ルーサー・キング集会場では、IAC主催の「イラク戦争犯罪法廷」が開かれた。これに500人が参加した。日本、ドイツ、トルコ、スペイン、インド、ハイチ、パレスチナなおからも代表が参加した。
ここでは、ラムゼイ・クラーク元司法長官による「告発文」は読み上げられ、ブッシュの有罪が宣告された。
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