私は、今年3月、パリで開かれた会議のついでに、1週間南仏のコートダジュールを歩き回った。ニースに宿をとり、汽車とバスを乗り継いで、この地を愛したピカソ、マチス、ルノアール、シャガールなどのアトリエや美術館を訪ねた。紺碧の海、雪を頂く山々、輝く太陽、“鷲の巣”と呼ばれる中世が息づいている城砦の村々を満喫した。
前置きはこのくらいにして、“鷲の巣”の1つ、バロリス村を訪ねたときのことだ。ここにはピカソが愛人フランソワ・ジローとともに、1948〜55年、ここの陶器に惹かれてアトリエを構えたことがあった。ピカソのおびただしい陶器の作品はこのバロリス時代に生まれた。
当時フランス共産党員だったピカソは、コートダジュール地区平和委員会の議長だった。やがて、50年に朝鮮戦争が勃発し、ピカソは、ゲルニカに次ぐ反戦のモニュメントを製作することを決意した。バロリスにはフランス革命以来廃墟となっていた礼拝堂があった。ピカソはここに「戦争と平和」の壁画を半年がかりで描いた。
ピカソはまず左側の壁に「戦争」の悲惨さと残虐さを描いた。ゲルニカとは異なり、非常に写実的である。しかし、反対側の壁に「平和」を描くとき、ピカソは行き詰まった。彼は、フランソワに「人は平和なときに何をするのだろう?9時から5時まで働き、金曜の夜にはセックスをし、日曜にはピクニックに行くというのだろうか?」と聞いたという。彼女は「何でも出来るというのが平和ということでしょう」と答えたとその回顧録に書いている。ここでは、海の中で子どもが天使に支えられて畑を耕している絵が描かれていた。
確かに、平和とは何かと聞かれて、戦争がないということ以外には、具体的にイメージすることは難しい。
60年代、私がカイロのアジア・アフリカ連帯機構(AA連帯)の国際事務局にいたとき、ストックホルムで世界平和評議会の大会が開かれた。当時はベトナム戦争の最中であり、また平和論をめぐって中ソ論争が激化していた。ソ連は、米国との平和共存こそが核戦争の脅威を取り除く唯一の道だと主張し、中国は、平和の最大の敵は米帝国主義であり、これと闘う植民地人民の民族解放こそが最大の平和勢力である、と主張していた。
世界大会にオブザーバーとして出席していたカイロのAA連帯代表団は、ソ連の平和委員会のチュグノフ書記長(ソ連共産党の中央委員)が「核戦争の時代にあっては、民族解放運動は屍を築くものでしかない」と演説したとき、抗議の意を表すために一斉に退場した。私もその中にいたのだが、AA代表団の団長だったモロッコのマハディ・ベン・バルカ氏は、65年、パリのサンジェルマン・デプレのカフェ・デューマゴからフランス警察に拉致され、虐殺された。彼の遺体は切り刻まれて、空から地中海にばら撒かれたと言われる。ソ連の秘密警察がこれにどう絡んでいたかはわからない。
たしかに60年代、米帝国主義を追い詰めていたのはベトナム解放戦線のゲリラ闘争であり、またベトナムはアフリカなどの民族解放運動のけん引役となっていた。さらにヨーロッパ、米国、日本などの若者はベトナムに連帯して、街頭デモや大学占拠を含めて激しい反戦運動を展開した。民族解放運動は最も激しい平和運動であった。
90年代、米ソの冷戦が終わり、人類は核戦争の脅威から解放されたかに見えた。しかし、一方では市場経済がグローバル化し、地球大に格差が広がり、貧困がすさまじい勢いで増大した。2000年9月、国連はミレニアム・サミットを開催し、「貧困根絶こそが人類に課せられた最大課題である」ことを決議した。
しかし、21世紀に入ってまもなく、“テロ”という新しい“脅威”が登場した。ブッシュ政権のネオ・コンたちは、テロを軍事力で封じ込めようとした。03年3月、あらゆる国際法を無視して、ブッシュ大統領はイラク戦争をはじめた。
しかし、ブッシュが掲げた戦争の大義がすべて崩れ去り、さらに米国の占領に反対するイラク人のゲリラ活動が全土化しはじめると、世界の世論は一変した。“テロ”を軍事的に封じ込めることは不可能である。そればかりか、“テロリスト”を増やし、“テロ”を世界大に拡散する、ことが明らかになった。
“テロ”や紛争をなくすには、回り道のように思われるが、その根源である貧困を根絶することが早道である。変わり身の早いヨーロッパの政治家たちが、にわかに貧困根絶を唱え始めた。05年1月、ダボスで開かれたエリートたちの世界経済フォーラムでは、英国のブレア首相、マイクロソフト社のビル・ゲイツ、ロックスターのボノの3人が、共同記者会見をして、「アフリカの貧困と取り組むこと」を訴えた。
“テロ”や紛争を軍事的に解決するのか、あるいは、その根源である貧困をなくすことか。国際世論は圧倒的に、貧困根絶派に傾いている。ブッシュの軍事力主義に抵抗するのは、イラク開戦当時のように、2,000万人の反戦デモや、ヨーロッパ大陸の政治指導者だけではない。今日、ラテンアメリカでは続々と貧困根絶を掲げる中道左派、反米政権が誕生している。南米大陸では3億7,000万の人口のうち3億人がこれら中道左派政権の下にある。しかも、これらの政権を支えているのは、都市のスラムと農村に住む貧しい人びとである。だから、以前のように、米CIAがクーデタで政権を倒すなどということはもはや出来ない。社会の底辺に押し込められてきた人びとが「もうたくさんだ」といって立ち上がっているのだ。
戦争のないことだけが平和なのではない。私の「平和論」は、地球上に住むすべての人が、人間らしい生活をすることができることである。20世紀末の貧しい国の返済不可能な債務を帳消しにする「ジュビリー2000」国際キャンペーンは、私が理想としている平和な世界へのささやかな第1歩であった。幸い、日本も含めてG7諸国が、たった18カ国という一握りの貧しい国に限られているとはいえ、債務の全面帳消しを行った。
とにかく行動することだ。
『オルタ』5月号掲載
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