岩波「科学6月号」の大論文特別企画「日本の原子力安全を評価する」(「もっかい事故調」田中三彦さんほか)の紹介を続け、沢山の重要な「危険」を引用する。
防御の階層として立地―設計―検査―設計事故―過酷事故―防災に分け、テロと安全文化についても評価している中で、今回は防災、テロ、安全文化を駆け足で説明し、紹介連載を終わる。 (5)原子力防災計画(5点満点で約1.4点)
防災計画の整備とは、住民の一人一人、企業の一社一社が、突然知らされるかもしれない原子炉事故の発生に関して、具体的にどのように行動すべきか理解できていることである。
・隣接自治体との合意、リスク・コミュニケーション、インフォームド・コンセントが必要
・避難自体がリスク(福島事故では避難所で落命した高齢者多い)、原子炉事故の影響予測に関する信頼性、自然災害との重複による原子炉事故、人為的破壊行為による原子炉事故、などについて防災計画は検討が除外されるべきでない。
(6)人為的破壊行為(同約1.3点)
安全保障の専門家によれば潜在的なテロリストが原子力発電所を絶好の標的と見なす。・福島事故は、電源喪失に陥らせその状態を復旧できなくさえしてしまえば、運転中の原子炉はきわめて短時間のうちに自然に炉心損傷に至り、必然的に事故を起こす、という戦術的なヒントを与えた。
・1万年に1回程度の安全目標に比して、わずか100年ほどの間で2度までの世界大戦があった過去の歴史を振り返る必要がある。
・米国では、設計基準脅威(DBT)への対応として、全土で8千人を超える戦闘要員を原子力発電所に配置した。一カ所あたり100〜150人の規模である。
(7)不健全な安全文化(同約1.5点)
安全文化とは、原子炉事故を組織の最優先、最重要事項と定め、全員が一丸となって、事故に至らしめる要因をことごとく排除し修正しようとする取り組みを確立し、永続的なものにする組織文化と表現できる。
・福島事故における不安全文化:「念のために避難してください」、「冷温停止状態」、“under control"
・公衆を不当なリスクにさらすことの犯罪性意識:2002年米デイビス・ベッセ原発の事故記録隠蔽に対する処分(事業者3350万ドルの罰金、職員3人は連邦裁判所起訴)に対して、日本では同年の東電の隠蔽・ねつ造問題や志賀原発の臨界事故の隠蔽で罪を科していない。
・行政機関のモラルと常識:勇気と正義感のない中央官僚の不作為は、凶悪なテロリスト集団のもたらす被害にも匹敵する。
・リーダーシップ:直視したくない結果が心配になる検査はしないのが日本の長年の慣行。
・「黒塗り」「白抜き」:米国NRCが公開している文書ではそのようなものはまず見かけない。
・国会議員が、規制委による安全審査のプロセスに対してもっと速くするよう圧力をかけるのは、国民の安全よりも一部の利益享受者のビジネスのほうが心配だと言っているようなもの。
・“メルトダウン問題”で露呈した日本の原子力安全文化の実態
<結びに>
国のトップが国民に対して公言してはばからない「世界最高」がじわじわと「安全神話」と同じ暗示の言葉になるつつある「きな臭さ」を感じた。今般の企画を一応締め括った今は、具体的に何が問題で、何が未解決なのかをよりはっきりと語ることができるようになった。「通知票」のスコアは二次的な産物であり、この整理と確認が最大の成果である。
以上、この「日本の原子力安全を評価する」が日本の原発の“危険性”を網羅的に教えてくれた。新たに再稼働されようとする原発の問題点指摘に、この60頁強の特別企画が有用だと思う。
以上 |