経産省・エネ庁は「今だけ、金だけ、自分だけ」の大嘘つき! その229 2024年10月5日 東京電力の歴史が示す電力国家管理・民有国営・国策民営の悪 〜山本義隆<核燃料サイクルという迷宮?核ナショナリズムがもたらしたもの>から〜 |
311事故を起こした東京電力の歴史を振り返ると、明治からの「資源小国」・戦時民有国営から戦後の核ナショナリズム・国策民営への繋がりが良く分かる。 明治時代の東京電燈設立からアジア太平洋戦争までの電力「民有国策」 1883年に設立された東京電燈が東電の始まり。その後、第一次世界大戦中の好景気のなかで、電力の照明への使用よりも動力への使用が上回り、「電燈会社」が「電力会社」に脱皮し、1920年代に東京電燈、東邦電力、大同電力、宇治川電気、日本電力の5大電力会社に。昭和にかけては電力の全面使用の時代に入り、「電力戦」とまで言われた激烈な市場獲得、大口消費者争奪の泥仕合が展開。 一方、大正から昭和にかけての電力業は、数多くの中小企業や地方自治体、さらには農山村部での村営や協同組合等による電力の自給自足、地産地消体制、等のさまざまなレベルの事業体によって担われた。 満州事変の1931年に戦争にともなう増産体制の確立が必要となった時点で、電力事業に対する国家管理の重要性に国が開眼し、改正電気事業法が、供給地域の独占を認め電気事業を許可制にし電気料金などを認可制に改め、国の権限を強化。統制経済の法律としての先駆をなす。 1932年に財閥系5大銀行が音頭をとって電力連盟を結成。1936年には事業数3%の電気事業が資本金額23%の巨大事業に。1933年には電力会社は日本の総資本の25%をしめ、最大の電力会社である東京電燈は日本一の資本規模に。需要の中心は電気化学工業で電力は主要に軍需産業の基盤を形成。 1936年の2.26事件後に発送電事業の国有化案が公表され、電力問題は単なる経済問題でなく国家の浮沈に関わる国防問題に。 電力管理法および日本発送電株式会社法により、電力会社の所有設備を強制出資させ、全設備を国会が借り上げ、発電・送電を国家管理とし運営を持株会社としての日本発送電株式会社に行わせた。東京電燈も日本発送電の管轄となり、さらに太平洋戦争直前の1941年8月には首都圏における送電事業が関東配電に移管させられた。 戦争遂行のために電力国家管理「民有国営」路線の完成である。「ファシズム体制」で、国家は国民を恫喝しながら、財閥の生産拡大のため、電力の面でもあらゆる手段で軍需産業を保護した。 敗戦後の「国策民営」核発電 太平洋戦争終結後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による再編命令が下され、1950年11月24日にGHQがポツダム命令を発したことで電気事業再編成令と公益事業令が公布され、日本発送電(株)は解体される。 1951年5月1日、関東配電の営業地域を引き継ぐ形で東京電力が発足。 【原発推進過程】〇アイゼンハワー アトムズ・フォー・ピース(1953年12月) 〇対米戦争で大儲けした旧財閥系の企業グループが米国企業と提携して日本の原子力産業界を形成 〇東電が他社に先がけて社長室に原子力発電課を新設(1955年) 〇東電会長を会長として250社が結集して日本原子力産業会議発足(1956年) 〇日本原子力研究所と原子燃料公社(のち動燃)の設立 すなわち、庶民は敗戦で体制が変わったと早合点したが、軍国を陰で支えた官僚は生き残り、原子力は支配体制を再構築するには格好の標的で、日本の核政策で実質的に力をもっていたのは中央官庁。脱原発、自然エネルギーの世界への道筋は、地方から中央に電力を吸い上げる中央集権主義からの脱却でもある。経産省は、3.11直後に東電をつぶさずに原発を続けることを決め、気候変動や電力需要増を口実に未だに核発電を継続。 亡国の省による国策民営核発電推進を終わらせよう。 以上 |