原子力ロビーによる放射線被曝の押付けを拒否しよう! その25 2019年12月12日 甘すぎる被ばく防護を日本からロシアに輸出させるな 〜杉原千文さんが暴く「フクシマを口実にロシアの被ばく防護基準をゆるめる画策」〜 |
日本に「チェルノブイリ法日本版」を創る運動がある中で、何とフクシマを口実にロシアの被ばく者救済を緩めることを国際原子力ロビーたちが画策しているのだ。 杉原千文さんの長文<フクシマを口実にロシアの被ばく防護基準をゆるめる画策??「現存被ばくもどき」が行き来する日本とロシア>(「岩波科学11月号」)がそのことを丁寧に暴いている。 各項の標題は次のとおり。 < ○ロシア放射防護科学委員会の提言:日本を見習ってチェルノブイリの被ばく基準緩和を ○チェルノブイリ法の1mSv/年、5mSv/年基準 ○ロシア放射線防護科学委員会が導入を求める「現存被ばく状況」の「参考レベル」とは ○チェルノブイリ被災地での基準緩和に向けた動き ○ロシア放射線防護科学委員会、ICRP、IAEAの「悲願」をまず日本で達成 ○ICRP,IAEAがフクシマへ「現存被ばく」輸出:日本で動き出す「現存被ばくもどき」 ○日本でいつ非常事態は終ったのか ○結論 > 日本では、100mSv/年で安全・20mSv/年で帰還が福島で適用されている。2011年から「現存被ばくもどき」導入に貢献したのは、M.I.バロノフ(福島事故時ICRP委員、元ロシア放射線防護科学委員会委員)やJ.ロシャール(福島事故時ICRP委員)やO.ナスビット(ウクライナ国家戦略研究所研究員、IAEAエキスパート)だ。 また、「現存被ばくもどきへの移行」のターニングポイントが2012年7月〜8月で、同年7月17日に飯館村などの計画的避難区域が、居住制限区域(20〜50mSv/年)、避難指示解除準備区域(20mSv/年以下)に再編された時だそう。私は、2011年に文科省の原子力損害賠償審査会で多くの委員が20mSv/年にこだわるので大声で不規則発言をして傍聴席から追い出されたことを思いだした。 杉原さんは<ロシア放射線防護科学委員会は「日本は現存被ばく状況」基準を導入したとの理解で論を進めている。そして、日本を見習ってロシアでも「現存被ばく状況」基準を法制化しようと提言している。>と結んでいる。 私たちがしっかりしないと、ロシア放射線防護科学委員会、ICRP、IAEAたちが、ロシアのみならず世界の放射線被ばく限度を緩めてしまうのではないか。広島・長崎を経験しながら「核兵器禁止条約」に参加しない日本が、100mSv/年で安全・20mSv/年で帰還の棄民政策を続けて、原発による世界への被ばくの押付けにも貢献してしまう。これを許してはいけない。 以上 |