与党、民主党合意は有事法制の危険な本質を寸分も変えていない、改めて有事法案の廃案を強く訴える
2003年5月14日 憲法研究者有志
5月13日、与党と民主党との合意が成立し、衆議院の委員会、本会議採決の危険が濃厚になった。事態は重大な局面を迎えた。合意を伝えたマスコミは、あたかも与党と民主党との合意(以下、合意)により、有事法案の危険な内容は大きく改善され、国民にふさわしい内容に変わったかのような報道を繰り返している。しかし、こうした主張は、有事法制の合意の内容を誤ってとらえるものであり、国民に与える影響は計り知れない。私たち憲法研究者は、かかる事態において、とりあえず合意の内容がいかなるものであるかを明らかにし、それが有事法制の内容に変化をもたらすものではなく、有事法制は廃案以外にないということを、市民の皆さんに訴えることが必要と考え、ここに声明を発表する。
合意の中身は、いくつかあるが、その核心は、第1に民主党の主張する緊急事態基本法案については「四党間で真摯に検討し」、有事に対応する機構として民主党が主張している「危機管理庁」の設置も含め、速やかな措置をとることとしたこと、第2に民主党が強く主張したいわゆる人権保障条項については、武力攻撃事態法案第3条に、「この場合において、日本国憲法第14条、第18条、第19条、第21条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない」という文言を入れたことである。他にも施行時期などあるが、核心部分についてだけ検討する。1 <「人権尊重」規定によっても有事法制の危険な中身はいささかも変わっていない>
まず、民主党が、またマスコミがもっとも強調しているのは、法案に、いわゆる人権保障の規定が挿入されたという点である。たとえば、朝日新聞は「基本的人権の保障は法案に明記されることになった。与党側は憲法に書いてあるのだから法案には要らないという主張を取り下げた」ことによって「欠陥だらけの政府案」が根本的に改善されたと高く評価している。しかしこれは二重三重に誤っている。
第1に、合意で事態が根本的に変わったかのようにいうが、そんなことはない、政府の原案と全く法的効果は変わっていない。もともと政府原案にも、いわゆる人権尊重規定は入っていた。同原案には「武力攻撃事態への対処においては、日本国憲法の保障する国民の自由と権利が尊重されなければならず、これに制限が加えられる場合には、その制限は・・必要最小限のものであり、かつ、公正かつ適正な手続きのもとに行われなければならない」とあったのである。それに合意で先に述べたような一文を付け加えたからといって、それが果たす法的効果は変わらない。政府・与党とすれば、それにより法の執行に手を縛られることはないので「実害」はない与党が当初渋ったのも、あとで譲歩して民主党に花を持たせるという政治的効果をねらったものとしか言いようがない。
第2に、一層大事なことだが、この種の人権尊重規定は、これまでも国民の人権を制限する幾多の法案には入れられてきたものであり、それは「人権尊重」とは言いながら反対に「必要最小限」との口実で人権を政府の恣意によって制限することにお墨付きを与える規定にしかならない。こうした人権尊重規定は、実際にこの法が発動され、多くの市民に対する人権侵害が行われてしまい、それを後になってから市民が訴訟に訴える時や、権力により処罰を受けた報道機関などが後になって裁判で争う際には「使える」規定ではあるが、有事に際しての膨大な人権侵害を予め防止する歯止めとしては非力である。
第3に、民主党や与党が有事に際してまじめに人権の尊重を考えるのだとすれば、この規定を入れただけでなく、自衛隊法にある防衛秘密保護規定(自衛隊法第96条の2、表現の自由を文字通り正面から規制する規定)、防衛出動に伴う業務従事命令・物資保管命令(自衛隊法第103条)など現にある人権制限規定の削除の措置を直ちにとるべきであろう。しかし合意ではそのようなことは今回の修正協議ではまったく議論にも乗せられていない。
以上のように、人権尊重規定なるものは法案の危険な本質をなんら変えていない。2 <ブッシュの戦争に国民を動員する有事法制のねらいはいささかも変わっていない>
合意は、「欠陥だらけの政府案」を根本的に改善したというが、決して法案の本質は変わっていない。有事法制の本質は、ブッシュ政権のイラク攻撃にみられるような戦争に日本が加担するのみならず、その戦争に自衛隊ばかりでなく民間企業や地方自治体などを強制的に動員することに最大のねらいがある。アメリカの戦争に国民を動員するには、その戦争を日本の有事であるとして国民を強制するしか手はない。それを確保するための鍵となっているのが、有事法制が実際に日本が武力攻撃を受けるはるか以前、すなわち「武力攻撃が予測されるに至った事態」でも発動される仕掛けである。だから、民主党が、アメリカの戦争に追随し国民を巻き込む法制ではなく、万一日本が攻撃されたときの規定を作るというのであれば、当然、この武力攻撃予測事態での有事体制発動の削除を要求すべきであったが、民主党はこの点を全く無視した。法案の危険な本質は寸分も変わっていないことは、このことだけでも明白である。
また民主党が有事法制に不可欠と主張してきた国会の関与という点を見ても、なるほど、民主党提案により国会決議で対処措置を終了させる規定を入れることとはなったが、もっとも肝心の点、すなわち政府案では対処基本方針を国会にかける前に、閣議決定のみで実施に移せる点に歯止めをかけなかったこと、削除しなかった武力攻撃予測事態(そこでは国会審議の時間的余裕がある)についてすら事前の国会統制をかけなかったことは驚きとしか言いようがない。一体これで民主党のいう国会関与なるものが成り立つとでも思っているのであろうか。この点でも民主党との合意は法案の手を全く縛っていない。3 <民主党の提案する緊急事態基本法は人権と民主主義をかえって切り縮めるものである>
民主党は今回の修正協議において、政府案の修正とともに基本法案を出していた。いわばこれが民主党の理想案である。合意ではこれは「真摯な検討」ということになって先送りされたために、本声明ではただ、基本法の本質的問題点を指摘するにとどめ、くわしい検討は避ける。
結論から言うと民主党提案の基本法は緊急事態に人権を確保する法制どころか、政府案の有事法制に加えられるならば、事態を一層悪化する根本的な欠陥を持っている。最大の欠点は、同案が、日本に加えられる武力攻撃と、テロ、自然災害を一緒くたに「緊急事態」として同じような対処の方針を出している点である。そもそも、武力攻撃と、テロ、自然災害は、全く性格も異なり、したがって、それぞれにふさわしい別々の対処方策、国会の関与のあり方がある。自然災害や、テロは基本的に予測がつかない事態であり、それに対しては、機敏な措置が迅速にとられることが求められ、とくに自然災害の時には人権の制約も受容される場合があるのに対し、武力攻撃の恐れという事態は、以前から予測もつき、それへの対処をめぐっては外交上などのさまざまな措置が検討されることが不可欠であり、国会で十分な議論が尽くされるべき事柄である。人権の制約があってはならないことはいうまでもない。こうしたことを一緒くたに「緊急事態」とし、いわんやそれへの事前計画などを規定するにいたっては、この危険性は計り知れない。4 <改めて有事法案の廃案を求める>
報道では修正合意を受けて再修正された法案が、実質的審議もないまま直ちに衆議院を通過する見通しだという。しかし、法案の内容が変えられている以上、衆議院特別委員会の段階でも改めて慎重な審議が行なわれるべきである。民主党と自民党との非公開の修正協議によって国会審議に代えようという与党と民主党の姿勢は、再修正された法案にたいする疑義に答えることからも逃げまくり、その問題点があらためて明らかにならないうちに法案の成立をはかろうとするものと言わざるを得ず、私たちは怒りを禁じえない。
有事法案がアメリカの戦争に国民を動員するという本質が変わっていないかぎり、国民にとって最善の道は、この法案を廃案にすること以外にない。いま国民にとってもっとも必要なこと、そして民主党の心ある人々も含めいますべての野党が一致できる点があるとすれば、有事法案を廃案にするという一点であるはずである。私たちはこのことを強く訴え、私たちがそのために全力を挙げて奮闘することを誓う。呼びかけ人5名 小沢隆一(静岡大学)、上脇博之(北九州市立大学)、三輪 隆(埼玉大学)、森 英樹(名古屋大学)、渡辺 治(一橋大学)
賛同人110名(5/22, 20:00現在) 愛敬浩二(信州大学)、鮎京正訓(名古屋大学)、足立英郎(大阪電気通信大学)、飯島滋明(工学院大学)、石川裕一郎(麻布大学)、石埼 学(亜細亜大学)、石村 修(専修大学)、市川正人(立命館大学)、伊藤恭彦(静岡大学)、伊藤雅康(札幌学院大学)、稲 正樹(亜細亜大学)、井端正幸(沖縄国際大学)、今関源成(早稲田大学)、植木 淳(北九州市立大学)、植野妙実子(中央大学)、植松健一(島根大学)、植村勝慶(國學院大学)、右崎正博(獨協大学)、臼井雅子(文教大学)、浦田賢治(早稲田大学)、蛯原健介(明治学院大学)、大賀崇宏(専門学校講師)、大久保史郎(立命館大学)、大田 肇(津山高専)、岡本篤尚(神戸学院大学)、奥平康弘(憲法研究者)、小栗 実(鹿児島大学)、加藤一彦(東京経済大学)、金子 勝(立正大学)、紙野健二(名古屋大学)、彼谷 環(富山国際大学)、北川善英(横浜国立大学)、木下智史(関西大学)、君島東彦(北海学園大学)、清田雄治(愛知教育大学)、久保田穣(東京農工大学)、倉田原志(立命館大学)、倉持孝司(甲南大学)、小竹 聡(愛知教育大学)、小林 武(南山大学)、小松 浩(三重短期大学)、近藤 敦(九州産業大学)、近藤 真(岐阜大学)、今野健一(山形大学)、齊藤笑美子(一橋大学大学院)、斎藤一久(早稲田大学助手)、榊原秀訓(名古屋経済大学)、阪口正二郎(一橋大学)、笹沼弘志(静岡大学)、佐藤信行(尚美学園大学)、清水雅彦(和光大学)、白藤博行(専修大学)、杉浦一孝(名古屋大学)、鈴木眞澄(山口大学)、隅野隆徳(専修大学)、高佐智美(獨協大学)、高橋利安(広島修道大学)、高橋 洋(九州国際大)、竹内俊子(広島修道大学)、武永 淳(滋賀大学)、竹森正孝(岐阜大学)、多田一路(大分大学)、建石真公子(愛知学泉大学)、田村武夫(茨城大学)、塚田哲之(福井大学)、寺川史朗(三重大学)、恒川隆生(静岡大学)、徳田博人(琉球大学)、長岡 徹(関西学院大学)、中里見博(福島大学)、中島茂樹(立命館大学)、中島 徹(早稲田大学)、永田秀樹(立命館大学)、中富公一(岡山大学)、長峯信彦(愛知大学)、永山茂樹(東亜大学)、成澤孝人(宇都宮大学)、成嶋 隆(新潟大学)、西原博史(早稲田大学)、丹羽 徹(大阪経済法科大学)、根森 健(新潟大学)、橋本誠一(静岡大学)、馬場里美(早稲田大学助手)、福家俊朗(名古屋大学)、藤田達朗(山口大学)、藤野美都子(福島県立医科大学)、古川範康(一橋大学大学院修了)、星野安三郎(元東京学芸大学)、本多滝夫(龍谷大学)、前原清隆(長崎総合科学大学)、松井幸夫(島根大学)、松村芳明(早稲田大学大学院)、三阪佳弘(龍谷大学)、水島朝穂(早稲田大学)、三橋良士明(静岡大学)、宮地 基(明治学院大学)、村田尚紀(関西大学)、本 秀紀(名古屋大学)、元山 健(龍谷大学)、柳井健一(山口大学)、山内敏弘(龍谷大学)、山口和秀(岡山大学)、山崎英壽(淑徳大学)、山田健吾(香川大学)、横尾日出雄(名古屋短期大学)、吉田栄司(関西大学)、李 泰一(朝鮮大学校)、若尾典子(広島女子大学)、和田 進(神戸大学)、渡辺 洋(神戸学院大学)