いまさらながらではあるが、北条民雄著『いのちの初夜』(角川文庫)を読み終えた。
北条民雄はハンセン病患者で、昭和12年に23歳の若さで逝った小説家。本書は、北条が同病の療養所(隔離施設)での経験を元にして書いた短編集である。当時、ハンセン病は人々の恐怖の対象であったにもかかわらず、その療養所の内情は世間ではほとんど知られていなかったらしく、その一端を知らしめたこの小説はずいぶん話題になったらしい。
療養所に入所し、自殺未遂をしようとする主人公「尾田」。彼に対して、先に入所していた「佐柄木」が語った言葉は、いままでさまざまな本で引用されているのを読んできたが、今回初めて原典を読み、言葉の持つ迫力ともいえるものさえ感じた。
「ね尾田さん。あの人たちは、もう人間じゃあないんですよ」
「人間ではありませんよ。生命そのもの、生命そのもの、いのちそのものなんです。僕の言うこと、解ってくれますか、尾田さん。あの人たちの『人間』はもう死んで滅びてしまったんです。ただ、生命だけがびくびくと生きているのです。なんという根強さでしょう(後略)」
この文章が書かれてから半世紀が過ぎ、脳死・臓器移植の時代を迎えたいまとなっては、この佐柄木の言葉には、感動と同時に危ういものも感じてしまうが、これについてはもう少し熟考してから書きたい。
僕が北条民雄を初めて知ったのは、3年ほど前に読んだ武田徹著『「隔離」という病い』(講談社選書メチエ)という本の中でである。ハンセン病は感染力がそれほど強くなく、しかも戦後には治療法も見つかったので、政府が戦後も続けた終身「強制」隔離政策は間違っていた。これが人権侵害であり、「らい予防法」が悪法であったのは事実だ。しかし……では、エボラ出血熱など感染力が強く治療方法もない病気なら、強制的な隔離も正当化されうるのだろうか? それともどんなことがあっても隔離はだめなのだろうか? それなら「二次感染者」となりうる周囲の人々の人権はいったいどうなるのだ? O-157やインフルエンザ、そしてエイズなど現代の感染症のことを深く考えれば、「ハンセン病の人たちはかわいそうだった。とにかく隔離は間違っている」という感情的な主張だけでは済まない問題なのだ。だからハンセン病の悲劇の歴史を繰り返すことなく感染者の人権保護を充分に考慮に入れ、そのうえで隔離という医療をタブー化することなくそのメリットを活かす条件を揃えることこそが重要、という武田の主張は非常に説得力がある。その『「隔離」という病い』で、ハンセン病患者の隔離を正当化した論理を批判する文脈の中で、『いのちの初夜』は引用されていた。
その北条民雄の生涯を描いたノンフィクション作品が、高山文彦著『火花』(飛鳥新書)である。僕も読んでみたが、昨年度の大宅壮一ノンフィクション賞受賞作であり、辛口書評家の安原顕も絶賛していただけあって、非常に面白かった。この忘れられた作家の生涯がていねいに紹介されており、それを知ることができるという意味だけでも読む価値はある。しかし、同時に疑問……というか、物足りなさも感じた。北条民雄の文学とハンセン病の関係だとか、療養所や隔離政策や「らい予防法」などの問題についてはほとんど言及がないことに、僕は読んでいてもどかしさを感じた。つまり、この『火花』という作品が、なぜ、この1990年代終わりという時代に書かれなければならなかったのかが、著者の文章では語られていないし、そこから感じ取ることもできないのだ。もっと言えば、読後に「感動」はあったが、それ以外のものがなかった。問題の構造分析はノンフィクション作家の仕事ではなく学者や評論家の仕事だ、と言われれば、その通りかもしれないが、それでは前述の「ハンセン病の人たちはかわいそうだった。とにかく隔離は間違っている」という感情的な主張を補完するものでしかないだろう。当然ながら前述の武田徹は、僕も参加した『別冊宝島 生物災害の悪夢』(宝島社)に寄せた一文の中で、『火花』を厳しく批判していた。
そして武田の問題提起は、僕の問題意識にも刺激を与えてくれている。「環境を守りたい=先天異常を起こすような化学物質を環境に放出してはならない」という主張と、「出生前診断などは行なわれてはならない=優生思想は障害者差別につながる」という主張は、明らかに衝突するはずだ。どちらも、感情的な主張となりやすい。環境破壊と生命操作の時代に生きる僕たちは、この矛盾をどうとらえ、どう克服するべきなのだろう? ハンセン病が最初、感染症ではなく遺伝病と誤解されていたことも忘れてはならない。
そんなことを考えていたら、『いのちの初夜』を読み、それに感動した自分自身に対しても危うさを感じてしまった。感動することは悪いことではない。ただし、それだけではものごとの本質はとらえられない。(2000年7月3日記)
<参考> ハンセン病についての推奨図書
・北条民雄『いのちの初夜』(角川文庫版、1955年初版)
・武田徹『「隔離」という病い 近代日本の医療空間』(講談社選書メチエ、1997年)
・高山文彦『火花 北条民雄の生涯』(飛鳥新社、1999年)
・藤野豊『日本ファシズムと医療』(岩波書店、1993年)
・石井政之『顔面漂流記 アザを持つジャーナリスト』(かもがわ書店、1999年)
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