映画の権利関係/京都アニメ事件の背景

映画の権利関係
 私は、映画監督協会の仕事もしており、映画の著作権のありかたの複雑さ、不合理についても論じたいところだが、その著作権の問題が、もしかすれば、京都アニメ社と加害者のあいだに起きていたトラブルに関係があるかもしれない。以下、推測を前提にすることは避けたいので、簡単に解説するにとどめる。
 小説というメディアと映画というメディアの関係は、二つあって、小説の映画化と映画の小説化があり得る。著作権法的に言えば、原著作物と二次的著作物の関係ということになる。二次的著作物を創作しようとする者が、原作者との間で
互いを尊重して契約できればうまくいくのだが、どちらかが相手の意向を尊重せず勝手に二次的著作物を創ろうとすると、それがトラブルになることがある。そうなると非常に面倒になるわけで、著作権法ではアイディアだけでは保護されないので、部分部分のどこが同じ表現となっているか、いちいち検証し主張しなければならない。裁判になればなおさらである。
 映画について、いろいろな「賞」があり得るが、出来上がった映画そのものを対象に募集し「賞」を決めるとなると、審査員さえしっかりしていれば、あまり問題は起きない。ところが、小説とかシナリオ・ストーリーなどを募集して、優秀なものに「賞」を与えて映画化するとなると、とかく上記したとおり原作と映画のあいだでトラブルが起きやすいと言える。

京都アニメ事件の背景
 日本では、マンガ・コミックが非常に発達し、アニメ映画も1980年代から良質なものが製作され、テレビでも劇場でも多くのファンを引きつけ、全世界に輸出され歓迎されている。コミック・マーケットでは、人気作品を真似たことが明らかな二次的コミックが大量に作られている。多くは原作者に無断で自分なりの新解釈で勝手に作り、それが評判を呼べば最初の原作もさらに売れるのだから無断利用を禁止しないほうがいいという議論まで起きている。いずれにしろ、激しい競争が当然の世界なのだ。
 おりからNHKは、朝ドラ(昨年4~9月、月~金の連続ドラマ)でアニメ映画製作を志望し挑戦する主人公の生き方に絶大な共感を呼び込もうとするテーマのものを放送していた。これは単なる偶然であろうか? アニメ映画は、若者の深刻な悩みを描き、また素晴らしい人生の夢を描く。現実の人間の細かい動きや表情よりもさらに豊かな表現が可能であり、現実にはありえない動きもアニメでは表現できる‥‥。朝ドラの主人公は北海道の“開拓者”の苦労話を題材にアニメ番組を作ろうとする‥‥云々。
 私は、それらのNHK的テーマと表現に対して、本当にそうなのかと批判を提起せざるを得ない。悩める若者はアニメに生きがいを発見し、自分の夢をアニメによって実現できているのか? 本当に? その夢とは何か?
 私の孫も一時期アニメを志し、うまくいかずに挫折を重ねている。
 私は、今の日本には、「アニメ勝ち組」と「アニメ負け組」が生成していると感じざるを得ない。私は、「アニメ負け組」に荷担する。      以上