カリタス事件/京都アニメ事件

カリタス事件
 川崎のカリタス学園スクールバスの停留所における殺傷事件は、その“個人テロ”を起こした人が現場で自殺したために、書類送検されたが警察は原因不明と結論づけたという。その警察発表だけを報じるテレビ・新聞は、警察の原因追及放棄を批判し、自ら調査報道をすべきなのではないのか。
 加害者が自殺してしまったために、珍しく加害者をとんでもない悪人としてバッシングすることも少なかったという皮肉な結果であった。
 しかし原因不明ということは、この種事件が起こらないようにするための対策は取り得ないということであって、“臭いものに蓋”として幕が引かれたと同様の効果をもつ。あの事件の加害者は家族の都合で叔父叔母のもとで育てられ、その家の子どもたちつまり従兄姉はカリタス学園に通っていたという。カリタス学園は、カトリック系の学校だ。テレビも新聞も、カリタス学園ということをほとんど触れずに報道している。カリタス学園の幹部らしき人はテレビのインタビューに答えて、「原因不明とは残念」というようなことを答えていた。それは、あまりにも鈍い感性ということになるのではないか。
 カリタスの生徒やその親が、なぜ対象になったのか、加害者の思い込みないし逆恨みも考えられるものの、カリタスが対象になったことは間違いない。経営する宗教団体またはカトリック全体で、その原因を研究し、公表すべきだ。
 大阪の池田小事件(2001年)を想起せざるを得ない。学校に監視カメラを増設するとか、警備員を常駐させるとかの対症療法ではなく、根本問題を、宗教関係者こそ追及すべきだ。私自身は、ひたすらに隠蔽される「格差社会」の歪みが、その醜悪な顔をのぞかせたと考える。

京都アニメ事件
 事件が起きたとき私は、元従業員が何らかのトラブルで解雇され、それを恨んでの“個人テロ”なのではないかと誤解した。聞いてみると、京都アニメは東京の、既成アニメ会社とは違って、社員を大切にすることでも知られる会社で、人気の高いアニメ映画やテレビの人気アニメ作品を製作してきた会社だとのことである。私は私の無知を恥じて、報道を待ち、京都アニメが製作した作品のDVDを見たりしてきた。
 何日か経過後に加害者は、京都アニメ社が募集した小説を二回応募したことがあったという報道がなされた。加害者が事件当日道路で倒れていたときに、「パクられた」という言葉を口にしたという報道もあった。推測すれば、自分が応募した小説を盗作されたという恨みをもっていたということなのか? それにしても事件動機の全容は、いまだ明らかになったとは言いがたい。
 事件当日か翌日かの現場における京都アニメの社長の言葉のなかに、脅迫のようなものは受けたことがあったという意味の言葉があった。それが事件加害者による脅迫かどうかは、いまだ明らかにされていない。さらに、加害者と同姓同名の応募者がいたが、それが加害者その人であるかどうか調査中という報道もあった。その後、同姓同名は加害者その人であるとの確認報道もあった。
 混乱のなかで、発表内容が当初は曖昧でも後で確認されるという経過をたどることがあるのはやむを得ないとしても真の動機追及のためには、経緯の詳細が明らかにされるべきだ。
 多数の死傷者の実名発表が、警察にコントロールされた問題については、その意味を含めて、浅野健一さんが報告するであろう。実名発表こそ重要だという新聞・テレビや関係有識者のコメントに、死者の人間としての尊厳とか、事件原因解明のためというのがあったが、見当外れもはなはだしい。
 私は、今回は、加害者が重傷を負って入院治療中で、正式逮捕されていないという事情から、マスメディアによる集中的な加害者バッシングが抑制されているようだが、逮捕と同時に感情的な報道がなされるのではと危惧している。
 被害者家族による心情報道、つまり加害者を恨むとか許せないとか死刑にしろとかの、これまでのこの種事件報道にはとかく付きものであったメディアの動きが少ないことも、さまざまな要因があるにしろ、まだましだとの思いにかられている。それも今後の展開によって、どうなるかが注目点だ。