自治労音協通信 |
1面 NO32号/99.3.15発行 |
浜省(浜田省吾)さんのJ.Boyツァーでホテルでのスナップ。右が中村さん。 サックスとの出合い! 皆さんはじめまして新宿区職労の中村浩です。今回から何回書かせていただくかわかりませんが、私が垣間見た音楽の世界を書かせていただきます。 皆さんにちゃんと伝わるか少々不安ですが、よろしく。 さて、今を去ること三〇年前、小学校で素晴らしい音楽の先生に出会ったのがきっかけでした。小学校四年の私は、ブラスバンドでクラリネットをはじめ、高校三年までやってました。(この頃NHKの教育番組にでていました。) 高校卒業という一月のある日、深夜放送のジャズ番組ですごいサックスを聴き、これはもう自分もプロのサックスプレイヤーになるしかないと思ったのですが、当然簡単になれるはずもなく、まずサックスを買うためにアルバイトを始めがんばって手に入れた日のことは忘れられません。 びんぼー時代の思い出 でもやっぱり仕事がくるはずもなく、ジャズスクールとアルバイトの毎目でした。皆プロ志向で皆びんぼーでした。雪の日のレッスン日、そんな仲間のひとりと駅から歩いていると、雪ですべり彼がころびました。そのとき彼は、右手にソフトケースに入ったサックスと、左手には、その日始めて口にする食事の肉まんをもっていました。 そしてあろうことか彼は肉まんを庇うため体の右側から倒れていったのです。当然体の下には、サックスが…。おそるおそるケースから出すと見るも無残なありさまで、彼はそれをしまうとそのまま帰ってしまい、その後スクールをやめ田舎に帰ったそうです。 それぐらい当時楽器は、高価なものでした。今は、小学生でも親に買ってもらった一流メーカーの楽器をもっていますが…。 ということで、まだまだビンボー練習スタジオミュージシャン時代は、続くのですが…。 次回は、「始めてのお仕事」で、いきますのでできたらみてね! それとインターネットをはじめたのでメールくださいおねがいします。 ●中村 浩さん(Bye Bye Hiroshi) メールアドレス eimyu@mvj.biglobe.ne.jp |
「チェロとともに」はや十年! 自治労鹿児島県指宿市職労 東屋敷 勝 〜音作りは大変〜 気がついてみれば大学に入学して初めてチェロという楽器をさわってから、かれこれ十年目にはいろうとしている。 高校の時はトロンボーンをやっていたのだが、鹿児島でトロンボーンを続けていくのに限界を感じたのと、年をとっても続けられる楽器をやりたいと考えたら今の楽器にたどりついた。 弦楽器の難しさはひとえに弓の持ち方を含んだ楽器の支え方、及びその音の発生の仕方にあると思う。チェロは常に椅子に座って楽器を弾くが、ヴァイオリンなどは顎に挟むという日常的には使用されそうもない部分の筋肉を使うので特に大変。 また、ピアノのように「これを押さえればこの音が出る」ではなく、「このへんを押さえればこんな感じの音がする」といったような音の作り方をするので、初心者の頃は(もちろん今でもそうだが)練習時間のほとんどを音階練習に費やされる。あまりにも単調な練習なので、それに耐えられなければそれでおしまいである。 〜オーケストラあらし〜 なんだかんだ続けているうちにいつの間にか鹿児島のほとんどのオーケストラに顔を出すようになった。学生の頃は年に2回の定期演奏会だったのが、今では計算上は月に一つは本番がはいっている。我ながらよく続くものだとあきれてしまうこともある。 先日もベートーヴェンの「第九演奏会」を終えたばかりである。この演奏会、私が高校の頃にスタートし98年の回にやっと初出演を果たすことができた。日本においては一年を締めくくる時に欠かせない。合唱関係者はもちろん、我々「オケマン」にとっても一年最後の大仕事である。 ただこの曲、聴く分にはあまり感じられないかもしれないが、演奏する我々の側からすると、肉体的にも精神的にも大変エネルギーを消費するとてつもない大曲。これを「ベートーヴェン最後の嫌がらせ」と呼ばずして何と呼ぼう!?大作曲家に対して失礼なものの書き方をしてしまったが、それくらいすごい曲なのである。 〜さらなる精進を〜 チェロを初めて十年。経験は重ねても、いまだ鹿児島のチェロ界においては下っ端。まだまだ練習が足らないみたいである。 E-mail: johannes@po.synapse.ne.jp <URL>http://www.synapse.ne.jp/~johannes/ 日音協機関誌「音楽運動二月号」記事より転載 | ||
木舩バージョン領布中!
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