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2面 NO28号/98.7.25発行 |
韓国光州(クワァンジュ)訪問記(前編)(1998.5.15-19) | ||
(事務局)小川典子 クワァンジュプロフィール 五・一八光州といえば、一九八◯年の光州人民抗争事件として知られています。これは、その光州を訪ねた旅の報告です。 全羅南道光州広域市は大韓民国の南方に位置し、人口百三十万人、面積は五百一平方キロメートル。農業と学園(全南大学等六大学)都市です。広い幹線道路(片側八車線)が市の四方に走り、鉄道は国鉄湖南線がソウルから三時間四十分で繋がっています。(現在ローカル線廃止の動き有り)。地下鉄は現在工事中です。 特に目立つのは、軍事施設や、光州事件の時の監獄跡地に二〇階建ての高層住宅が林立していることです。人口が年々増加し、それでも足りないということです。公共施設は新築され(昨年光州広域市が主催するビエンナーレが開催された)、二千二年のサッカーワールドカップ会場の建設が予定されています。 しかし、光州広域市は韓国でも財政が苦しい地域だそうです。 エピローグ光州事件の検証 「光州事件」として、十八年前の一九八◯年五月にマスコミで大きく報道され、全斗煥軍事政権下の人民弾圧虐殺事件として、世界に驚愕と恐怖の波紋を投げ掛けました。(事件の詳細は「光州からのさけびー金大中の命は…光州事件を告発する会発行」参照)私もその糾弾集会に友人と参加し、カトリック教会の神父さんのお話などを聞いても、本当の事とは思えず信じられない事だと当時びっくりするやら、困惑の域を出ませんでした。 天安門事件ではこのような集会は私は参加する機会がありませんでしたが、光州の闘いは日本音楽協議会に結集する仲間達が大きくとりあげ、コンサートや集会が頻繁にもたれ、私も参加の機会を与えられたのでした。その頃から、作曲・戯曲家の金正敏(キムミンギ)や、詩人・戯曲家の金芝河(キムジハ)の存在を知り、彼等の歌を聞いたり歌ったりしていました。 みなさんも「朝露」や「金冠のイエス」は御存じでしょう。この頃は、韓国留学中の在日学生・市民が訪韓中に、政治犯として逮捕され拷問に依る自白を強要されたにもかかわらず、家族や在日同胞の支援のなかで抵抗の闘いを繰り広げ、多くの人々の共感を得ました。日本でも学生や総評を中心とする労働者が、支援の輪を広げた時期でもありました。みなさんも「再会」「クナリオンダ」という歌を集会でよく歌唱指導されませんでしたか。 光州事件の首謀者として金大中氏が逮捕されましたが、一九七三年八月八日に、KCIAとその陰謀の主犯の手先の韓国大使館一等書記官により東京のホテルグランドパレスで拉致、神戸に監禁され日本海上で殺される運命に遭った金大中氏が、今では韓国の大統領になっているのです。これまでの国民の「民主化」への羨望と闘いの成果といえます。 しかし、これからの韓国の国策の動向は、一部企業に独占された経済の建て直しと不正の追求、その一方で失業者の雇用拡大と労働者の要求実現、そして北の脅威(朝鮮民主主義人民共和国の存在)の緩和政策、IMF体制打破、日米韓ガイドラインの見直し、など韓国国民の今後の闘い如何にかかっています。 今、韓国国民は民主国家存続のための、第二回統一自治体選挙を闘っています。一方労働組合は、倒産・リストラによる、大量失業者と雇用の不安定化そして、一部の資本家に依る、経済支配と汚職を糾弾するために長期ストライキで闘っています。その大韓民国すべての国民のエネルギーが、民主化の萌芽形態としての、『光州人民抗争』の意味を捉える事ができるためには、もう少し時間がかかるでしょう。なぜなら韓国の現代史の事実が情報公開されるようになって、まだ五年しかたっていないからです。 アジア人権宣言と参加者の印象 光州市は過去の検証から「抵抗と闘いのまち」から「共生と和合のまち」を目指しています。光州市民の長い闘いが、昨年の国民の直接選挙に依る金大中大統領就任の現実となり、多くの政治犯の釈放につながりました。しかし、いまだに多くの学生・労働者・市民が獄中に繋がれているのです。 五月十五日から十八日にかけて開催された、アジア人権宣言委員会主催の、「光州市民参加連帯のつどい」には、アジアの先進的な活動家が結集し、日本からも伊藤成彦中央大学教授、安里英子(沖縄県市民運動家)さんが招待され沖縄の闘いを報告しました。この集会で採択された『アジア人権宣言』が、一七日の道庁噴水広場前の大通りの集会に集まった十万市民の前で宣言されました。 そして光州から発せられた人権宣言が、世の抑圧されている人々の解放を願うものである事を強く感じました。 アジア人権宣言委員会の呼び掛けで集まった韓国の著名人には、黄晢暎氏(満州新京出身の小説家、「武器の影」(岩波書店刊行))、林秀卿さん(平和友好祭平壌祭典、全大協参加者)などこの間に出獄された人もいて、口々に「夢がかなった」と言って皆で光州抗争を追慕する歌「五月の花」などを歌っている姿が印象的でした。また、レセプション会場のオーナーのバンドが懐かしい闘争歌や労働歌を演奏し、皆で歌い祝杯をあげました。(つづく) |
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Baby★新聞第六百号突破 Baby★初オリジナルCD『ヒーローへの道』発売 |
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取材/編集部小川典子 七月十九日、珊瑚礁の青い大海原に南国の暑い太陽がやっと沈みかかった頃、午後七時から沖縄県石垣市の石垣港桟橋近くの喫茶店『R's cafe』で、Baby★新聞第六百号突破、Baby★初オリジナルCD『ヒーローへの道』発売記念ライブが開催された。主催したのは石垣市職の福島邦子さんとその手話サークルの仲間たち、そしてBabyファンクラブの島民たちだ。看護婦さん、幼稚園の先生、電話局員、郵便局員、大工さん、調理人など職業は様々だがみんなBabyの大ファンたち。 今回で二度目のライブには島民そして、那覇のサークルメンバーなど七十人がつめかけた。前座で手話サークルのメンバーのサークル「キャサリンバンド」が当たり前の地球など三曲を演奏。手話による歌を披露した。 そして、いよいよメンバーの思いが込められた手作りのステージに、真っ赤な上着とサングラスで身を固めたカッコイイBaby★Babaさんが登場し、会場は一気に盛り上がった。拍手のなか「石垣市tyのeverybody!Baby★Babaです。こんなに集まってくれてありがとう!」のあいさつから「ヒーローへの道」「Baby★Babaのテーマ」「パチンコ屋」「ことわざロッケンロール」「手紙を書こうかな」「恋のシナリオ」「プレゼント」「Happy Birthday」「We need to ROCK」「ともだちがいなくなる」「清掃作業員の唄」の十曲を話をはさみながら一気に歌い切った。その後アンコールの声援に「電話」「東京」「Baby★新聞愛読者のテーマ」の三曲で応えた。この間手話の解説がついたので、サークルのメンバーたち(耳が聞こえない仲間)もBabyの歌を聴くことができた。その後新潟米四十人プレゼントの大抽選会が行われ、その後の懇親会は夜十二時まで続いた。 前日の十八日には、八重山郵便局員の有志と、家族が参加して『Baby★ライブ』が開催された。「Welcome Baby Baba」の看板の前に、真っ赤なBaby★マントをはおってさっそうとあらわれ「ありがとう郵便屋さん」「電話」「手紙を書こうかな」「清掃作業員の唄」「プレゼント」を熱唱したあと、「ありがとう郵便屋さん」の入ったカセットテープを参加者に配付した。その後、ファンクラブの交流会がもたれた。 ちなみに、このライブを主催した臨時郵便局員の島さんは与那国島の牛と青年を描いたドキュメンタリーを製作中だ。そしてなんとラストにBabyの曲「プレゼント」が流れる事になるようだ。このビデオは十二月頃完成するそうだ。 さあ、Baby★Babaをあなたの町に招待して、暑いサウンドを呼び起こしませんか!「一期一会」を合い言葉に「ヒーローへの道」を駆け抜けるBabyさんに熱いエールを贈ります。
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