同時代への手紙
*信濃毎日新聞2003年10月10日付・夕刊から、
新連載「同時代への手紙」が始まりました。
原則として、国内外で撮影してきた自作写真つきの同時代批評で、
隔週金曜日の夕刊に掲載されます。
★「同時代への手紙」第53回(信濃毎日新聞2005年10月28日付・夕刊)
植民地支配を映す近代美術展
――広島から韓国へ(6)
★「同時代への手紙」第52回(信濃毎日新聞2005年10月14日付・夕刊)
米軍基地反対の思いを込めた路上ライブ
――広島から韓国へ(5)
★「同時代への手紙」第51回(信濃毎日新聞2005年9月30日付・夕刊)
「被爆国」日本の二つの責任
――広島から韓国へ(4)
★「同時代への手紙」第50回(信濃毎日新聞2005年9月16日付・夕刊)
真摯に向き合う、東北アジアの若い世代
――広島から韓国へ(3)
★「同時代への手紙」第49回(信濃毎日新聞2005年9月2日付・夕刊)
沈黙が支配する、日本社会の奇妙に明るい闇
――広島から韓国へ(2)
★「同時代への手紙」第48回(信濃毎日新聞2005年8月19日付・夕刊)
記号化してゆく「平和」
――広島から韓国へ(1)
★「同時代への手紙」第47回(信濃毎日新聞2005年8月5日付・夕刊)
「自治体」が開きつづける文化
――「小諸・藤村文学賞」のこと
★「同時代への手紙」第46回(信濃毎日新聞2005年7月22日付・夕刊)
日本の“孤島”化を懸念
――「脱北難民」の政治的利用を批判する鄭炳浩教授
★「同時代への手紙」第45回(信濃毎日新聞2005年7月8日付・夕刊)
日本はいまどんな「国家」であるか
――「東北アジア」地域の現在
★「同時代への手紙」第44回(信濃毎日新聞2005年6月24日付・夕刊)
「責任」が蒸発する精神風土の上に
――JR西日本と“戦後民主主義”の「虚妄」
★「同時代への手紙」第43回(信濃毎日新聞2005年6月10日付・夕刊)
真の「慰霊」や「追悼」はいかにして可能か?
――靖国神社の本質を見抜く勇気を
★「同時代への手紙」第42回(信濃毎日新聞2005年5月27日付・夕刊)
世界がこのままであってよいはずは、ない
――『アルモーメンホテルの子どもたち』と、命の唯一性
★「同時代への手紙」第41回(信濃毎日新聞2005年5月13日付・夕刊)
国鉄の「分割・民営化」がすべての淵源に
――JR西日本・福知山線の惨事
★「同時代への手紙」第40回(信濃毎日新聞2005年4月22日付・夕刊)
民衆が希求し、達成した民主化
――韓国の思想家・李泳禧氏とともに
★「同時代への手紙」第39回(信濃毎日新聞2005年4月15日付・夕刊)
街と人とに柔らかな空気
――廬武鉉政権になってからの韓国
★「同時代への手紙」第38回(信濃毎日新聞2005年4月1日付・夕刊)
肥大した貨幣経済のなかの「報道」
――人間の「かけがえのなさ」はどこへ?
★「同時代への手紙」第37回(信濃毎日新聞2005年3月18日付・夕刊)
“メディア・ファシズム”を支える金融資本主義
――産業構造の変化の裏で
★「同時代への手紙」第36回(信濃毎日新聞2005年3月4日付・夕刊)
人が真に「他者」と出会うためには
――“共死”の幻想を超えて
★「同時代への手紙」第35回(信濃毎日新聞2005年2月18日付・夕刊)
アメリカの「自浄力」と日本の対米追従
――BSEの危機下での米国産牛肉輸入再開
★「同時代への手紙」第34回(信濃毎日新聞2005年1月28日付・夕刊)
現代資本主義下の「食」
――操作され管理される“嗜好”と“味覚”
★「同時代への手紙」第33回(信濃毎日新聞2005年1月14日付・夕刊)
「差別」と「自由」
――「抑圧」の欲望とヴァーチャル暴力の氾濫
★「同時代への手紙」第32回(信濃毎日新聞2004年12月24日付・夕刊)
「受け容れられやすさ」から抜け落ちるもの
――こうの史代『夕凪の街 桜の国』の意味と危うさ
★「同時代への手紙」第31回(信濃毎日新聞2004年12月10日付・夕刊)
国策に翻弄される「地方」
――ある都市に投影される現在
★「同時代への手紙」第30回(信濃毎日新聞2004年11月26日付・夕刊)
隠された状況に批判精神の「補助線」を引くこと
――中国原潜の「領海侵犯」とファルージャ大虐殺
★「同時代への手紙」第29回(信濃毎日新聞2004年11月12日付・夕刊)
この末期的な「帝国」の行方
――アメリカ大統領選後の世界
★「同時代への手紙」第28回(信濃毎日新聞2004年10月29日付・夕刊)
人命を顧みない国に生きて
bbなきに等しい、真の意味での「危機管理」
★「同時代への手紙」第27回(信濃毎日新聞2004年10月15日付・夕刊)
「正義」と「平和」
bb元・米海兵隊員とイラク市民の反戦思想の共通点
★「同時代への手紙」第26回(信濃毎日新聞2004年10月1日付・夕刊)
「古田人気」の意味と危うさ
bb政治の閉塞状況のなかで
★「同時代への手紙」第25回(信濃毎日新聞2004年9月17日付・夕刊)
女性たちの輝かしくも困難な闘い
bbイラク市民からの訴え(3)
★「同時代への手紙」第24回(信濃毎日新聞2004年9月3日付・夕刊)
「9・11」問題と“大量破壊兵器”
bbイラク市民からの訴え(2)
★「同時代への手紙」第23回(信濃毎日新聞2004年8月20日付・夕刊)
世界には「殺す者」と「殺される者」が……
bbイラク市民からの訴え(1)
★「同時代への手紙」第22回(信濃毎日新聞2004年8月6日付・夕刊)
「希望」の根拠地としての広島
bb真の「反戦」「平和」の思想の確認のために
★「同時代への手紙」第21回(信濃毎日新聞2004年7月23日付・夕刊)
認めてはならない、力の横暴
bb「球界再編」を強行するオーナー会会長と「改憲」プロパガンダ
★「同時代への手紙」第20回(信濃毎日新聞2004年7月9日付・夕刊)
「平和」とは、非現実的な概念ではない
bb憲法第九条の危機
★「同時代への手紙」第19回(信濃毎日新聞2004年6月25日付・夕刊)
プロスポーツの政治的意味
bbアメリカ「大リーグ」中継の隆盛と日米両国の軍事的一体化
★「同時代への手紙」第18回(信濃毎日新聞2004年6月11日付・夕刊)
現代における「殺人」の倫理
bb長崎・小学校同級生殺害事件と日本社会の頽廃
★「同時代への手紙」第17回(信濃毎日新聞2004年5月28日付・夕刊)
歴史の(単純ではない)「繰り返し方」について
bb煽情的な輿論操作の影で完成へと向かう国家総動員体制
★「同時代への手紙」第16回(信濃毎日新聞2004年5月14日付・夕刊)
「イラク侵略戦争」全体への根底的な批判を
bbアブグレイブ監獄での虐待にのみとどまることなく
★「同時代への手紙」第15回(信濃毎日新聞2004年4月30日付・夕刊)
加害国の側からの「連帯」はいかにして可能か
bb5氏の拘束と解放をめぐる論議の貧しさ
★「同時代への手紙」第14回(信濃毎日新聞2004年4月16日付・夕刊)
日本人拘束と「テロに屈するな」論の本末転倒
bb自衛隊はただちに撤兵されるべきである
★「同時代への手紙」第13回(信濃毎日新聞2004年4月2日付・夕刊)
淡淡たる日常から「事変」へ
bbかろうじて「新しい戦前」を斥けてきた声が、いま弱く乏しい
★「同時代への手紙」第12回(信濃毎日新聞2004年3月19日付・夕刊)
鳥インフルエンザ問題の意味するもの
bb利潤追求に踏みにじられる人と自然
★「同時代への手紙」第11回(信濃毎日新聞2004年3月5日付・夕刊)
突き進む回復不可能な過ち
bb朝鮮民主主義人民共和国と日本人
★「同時代への手紙」第10回(信濃毎日新聞2004年2月20日付・夕刊)
現代韓国と戦後日本の隔絶
bbこもる「人間の真実」の意味
★「同時代への手紙」第9回(信濃毎日新聞2004年2月6日付・夕刊)
日本人がついに到り着けぬものへの憧憬
bb韓国ドラマ『冬のソナタ』の人気の意味
★「同時代への手紙」第8回(信濃毎日新聞2004年1月23日付・夕刊)
牛丼とイラク派兵に見る資本主義の倒錯
bb異様きわまりない戦後の日米関係
★「同時代への手紙」第7回(信濃毎日新聞2004年1月9日付・夕刊)
責任を果たさぬ政治と“大衆民主主義”の危うさ
bbイラクへの自衛隊派遣
★「同時代への手紙」第6回(信濃毎日新聞2003年12月19日付・夕刊)
まかり通る強者の横暴
bb「フセイン拘束」報道は何を隠蔽するか
★「同時代への手紙」第5回(信濃毎日新聞2003年12月5日付・夕刊)
対米従属の果てに来るもの
bb日本農業の危機
★「同時代への手紙」第4回(信濃毎日新聞2003年11月21日付・夕刊)
二大政党制というファシズム
bb改憲反対勢力一掃の危うさ
★「同時代への手紙」第3回(信濃毎日新聞2003年11月7日付・夕刊)
アジアへの侮蔑感情の度し難さ
bb背景に根深く卑屈な憎悪
★「同時代への手紙」第2回(信濃毎日新聞2003年10月24日付・夕刊)
テレビ型ファシズムの行方
bb大衆民主主義の行方
★「同時代への手紙」第1回(信濃毎日新聞2003年10月10日付・夕刊)
暴力の糺(ただ)されない時代に
bb欠如する他者への想像力
*……これらについても、順次、内容紹介をアップロードしてゆく予定です。*
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