ムミア・アブ=ジャマール氏を「支援」するとは、
どういうことか
(私の見解)
世界と、私自身とを失わないために
私は基本的に、いっさいの死刑に反対します。
その上で、つけ加えるなら、ムミア・アブ=ジャマール氏の場合は、死刑が国家権力による殺人にほかならないこと、「死刑の思想」が人権に対する根源的な悪意、差別にもとづいていることを集約的・象徴的、極めて顕在的に示す例といえると、私は認識しています。
氏が万一、この不当な制度に選ばれた犠牲となって、その生命を絶たれることがあったりするなら、それはこれまで同時代を生きてき、また今後も生きてゆこうとする私自身にとっても、自らと世界とを、ともに喪失してしまうことを意味するでしょう。
強大な力による世界の支配と人間相互の分断・管理が急速に押し進められる現在の状況下、ムミア氏の存在とその闘いは、単にそれ自体、かけがえのないものであるばかりでなく、いまこの瞬間に生きる者すべてにとって、世界に対する「希望」を再編成するための、ひとつの重要な指標となっていると、私は考えます。
ムミア・アブ=ジャマール氏をひとつの「希望」の回路として、出会い、さらに連
帯しようとする人びととともに、再び、一人の人間としてのムミア氏の生命の棄損を阻止し、人権と名誉を恢復し、彼があらゆる意味で自由になるための闘いに参加し続けていきたいと、私は願っています。
現在の世界で、この「出会い」と「連帯」の回路を切り開き、支え続けてくれているすべての方がたに、敬意を表し、感謝します。
山 口 泉