【山口泉の最新刊】



永 遠 の 春
La Eterna Printempo

(2000年3月 河出書房新社)………………長篇小説


【帯文から】


“幻の小説”、ついに刊行。
いっさいのポルノグラフィを無化する性と生殖のハイパー地獄めぐりにして、家族から国家までのすべてを否定する極北の倫理の書。
季刊「文藝」初出形に、オリジナル稿を大幅復元・加筆した完全版。
《現在と……もしかしたら未来の「幸福な読者」のための、五年ぶりの、少しだけ長めのあとがき》を併録。


 若々しいが同時に、足場の定まった強烈な主張を感じさせるのは、山口泉の「永遠の春」である。生殖が国家的な管理に支配された状況を、現実を極限化した風刺的な設定で描くこの小説は、作中作品が出てきたり、実在の文章の引用が出てきたり、多角的な視点が支え合った一種の全体小説を構成する。
 現在を資本主義が非人間的に行き渡った「新しい中世」と認識する著者は、功利主義的な倫理観がエコロジズムやフェミニズムにも浸透していること、それが民主主義の顔をしたファシズムを準備していることを告発している。だが、そうした強烈な批評精神を、強烈な想像力の産物に変換できる点が、この人の非凡なところである。

清水良典氏
(1995年2月・共同通信「文芸時評」)
季刊「文藝」1995年春季号・初出時のもの


【本書の内容】


 20世紀から21世紀への変わり目、真冬の東京と白夜の北欧を舞台に、心身に深い傷を負った青年男女や子どもたちの幻燈のような交流が展開する。国家的プロパガンダとして進められる“究極の生殖礼賛映画”『永遠の春』の制作計画と、映画内部の諸場面が何重もの階層にわたって錯綜する悪夢のような構成を通じ、性と生殖、家族制度と天皇制、国家や社会、現代世界全体の度し難い終末性が、交響的に炙り出されてゆく。全篇に、既存のありとあらゆる「ポルノグラフィ」の概念を超越した凄惨な性的イメージの奔出する、極限の思考実験。季刊「文藝」初出時、紙数の関係で削除・割愛されたテキストをも全面的に復元、ここに作者本来の構想の全貌が明らかとなる…………。

(最終的には用いなかった宣伝資料から)


【目次】


序 章 屋根の上の娘たち
第1章 夜と電波の底から
第2章 白夜のなかの「中世」
第3章 母たちの旅券
第4章 世界救済船《人類史の彼方に》号
第5章 生命の自己目的性について
第6章 “これから生まれる子どもたちの国”への祈り
第7章 『一九××年春季民族生殖大祝典見聞録』(抄)
終 章 特製アニメーション『大きくなったら……』

《現在と……もしかしたら未来の「幸福な読者」のための、五年ぶりの、少しだけ長めのあとがき》


【作者から】


  『永遠の春』 La Eterna Printempo(×365枚)が、3月10日、河出書房新社から刊行されました。私の第8長篇小説に当たります。
 発表は第9長篇『オーロラ交響曲の冬』に、はるかに遡るこの作品が、「文藝」1995年春季号の初出から5年3箇月ぶり、初出時の削減・割愛部分を全面的に復元された本来のその全貌を、ようやく現わしたことになります。私の作品史としては、ちょうど『「新しい中世」がやってきた!』(1995年・岩波書店刊)に並行する時期の作品で、両者は小説と評論の両極から、同一の主題を扱っている、という側面もあります(『「新しい中世」がやってきた!』には、一部、この『永遠の春』の引用も出てきます)。
 血縁・家族制度・国家の問題については、まだまだ書くべきことを残しているものの、とりあえずこの作品で問題を提示する基盤の素描は行ない得たつもりでいます。
 お手にとってみていただければ幸いです。また、お近くの図書館へのリクエストなどをしていただいても、幸甚に存じます。
 つけ加えると、偏愛してやまなかったヒェロニムス・ボッス「悦楽の園」を装画とした本を1冊、作りたいというかねてからの願いが、今回、装幀家の協力を得て、ついにかないました。


四六判・上製・カバー装
本文213ページ(「あとがき」含む)+書誌+奥付+著者紹介+広告(河出書房新社「山口泉の本」=『世の終わりのための五重奏』『悲惨鑑賞団』『オーロラ交響曲の冬』『ホテル・アウシュヴィッツ』の案内)
装幀/高麗隆彦
装画/ヒェロニムス・ボッス「悦楽の園」
定価2000円[税別]


※ 河出書房新社のウェブサイト(http://www.kawade.co.jp/)からも御注文になれます。
※ 河出書房新社 電話/03-3404-1201


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