田中伸尚著『飾らず、偽らず、欺かず/管野須賀子と伊藤野枝』(岩波書店)を読んだ。管野須賀子(1881~1911年)、伊藤野枝(1895~1923年)。生年が14年ちがい、没年に11年差があり、交わらないはずの二人の人生が交わった。田中さんの『飾らず、偽らず、欺かず』を読んで、そのように強く感じた。この本は、ともに国家権力によって殺された(管野は国家権力による謀略「大逆事件」で刑死し、伊藤は大杉栄、橘宗一少年とともに「甘粕事件」で憲兵隊に虐殺された)二人の女性解放と無政府社会主義にかけた人生が浮き彫りにされる。「野枝さん、あなたは須賀子さんの十四年後に生まれていますが、国家の暴力によってお互いが出会う機会は奪われてしまいました。(略)国家によって「大逆事件」が起こされなければ、二人はきっと出会えたはずです。あなたがた二人が現実の時間の中で出会っていれば、と想像するだけで何だかわくわくしてきます。(略)でもそれさえ失われてしまったのです。なんとも残念で口惜しい限りです。だって野枝さんの表現の舞台へのデビューは、須賀子さんの刑死の翌年なんですから。」(「プロローグ」)
田中さんは、管野の女性ジャーナリストのデビューから、伊藤の「青鞜社」(平塚らいてう)との出会いと「新しい女」宣言から説き起こし、女性を縛る社会道徳や政治権力と対決し、自由を求めて疾走した二人の生涯と思想を、綿密な資料探索と関係者及び遺族の証言によって浮き彫りにしていく。その力業に私はどんどん引き込まれていき、110年以上前の二人が活動した世界を想像し、その世界に生きさせてもらった。最終章「記憶へ」で強く感銘を受けた箇所がいくつかある。それを引用する。大逆事件で大杉、伊藤とともに虐殺された橘宗一少年の墓が虐殺から49年後に見つかった。宗一少年の父が作ったその墓碑には次のようにある。「宗一(八才)ハ再渡日中東京大震災ノサイ大正十二年(一九二三)九月十六日ノ夜大杉栄野枝ト共ニ犬共ニ虐殺サル」田中さんは「無念さと国家の非道を何としても許さないという遺族の思いの凝縮されたことばに粛然とせざるを得ない。」と書く。また、伊藤と大杉が最後に住んでいた家で手伝いをしていた水上ユキは、当時2歳だった伊藤の娘ルイを抱いて、伊藤の故郷福岡まで連れて帰ってくれたのだが、ユキ子はしかし、大杉・伊藤の家にいたことをひた隠しに隠した。名乗りを許さない社会に怯え続けた。「野枝さんは偉かった、私は大杉さんより野枝さんの方が偉かったと思う。」(「ユキの証言」)最後に田中さんは次のように書く。「野枝の単独の墓碑はない。野枝の生きぶりとその闘い、そして暴力で踏みしだいた国家の非道の記憶を再生し、語り続けることこそが彼女の墓碑なのではないか。私はそう思う。「冬の時代」を飾らず、偽らず、欺かずに、生き、闘い、殺された管野須賀子を憶えるように。」
私の父は太平洋戦争で戦死したが、戦死した父たち「庶民」(とその家族)は戦前の天皇制国家権力によって殺されたのだと思ってきた。私はその「記憶の再生」を微力ながら取り組んできた。私は田中さんのこの本に新たなエネルギーをいただいたという感慨がを強く持った。なお、田中さんの『大逆事件/死と生の群像』(岩波書店)とともに読まれるといい。