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堀川惠子の死刑を問う本を読む 



 

 


1)『死刑の基準/「永山裁判」が遺したもの』

 堀川惠子著『死刑の基準/「永山裁判」が遺したもの』(日本評論社)を読んだ。この本は、丁度、中島岳志著『秋葉原事件/加藤智大の軌跡』(朝日新聞出版)を読んだ後、朝日新聞の書評欄で知った。堀川惠子さんは元広島テレビ放送のディ レクターで、現在はフリーのドキュメンタリーディレクターである。彼女が制作したNHKのドキュメンタリー「死刑囚永山則夫 獄中28年間の対話」を見て感動したことがあった。(その放映を見た後、細見和之著『永山則夫/ある表現者の使命』(河出書房新社)を読んでいる。)この本が書かれるきっかけは、山口県光市母子殺害事件の過熱報道と広島高裁判決で「死刑」に拍手と歓声があがったこと(それも被爆地「ヒロシマ」においてである)への疑問から始まる。その疑問は、死刑の基準とされる(永山則夫裁判の)「永山基準」とは一体何なのかへの追究となり、膨大な永山則夫の遺品・手紙の読み込み、関係者の聞き取りへと進む。「永山基準」が生まれた背景には、一人の死刑囚をめぐって、裁く側と裁かれる側それぞれに、言葉に言い尽くせないほどの苦悩と決断があったこと、また、「永山基準」そのものも、その後本来の意図から乖離し、「原則は死刑不適用」から「原則は死刑」へと変節したことが明らかにされる。私が何よりも心に染みたのは、沖縄出身で無国籍の混血の「ミミ」と永山との出会い、そのことにより永山が翻身していく経緯、最高裁の差し戻し判決・高裁の再びの死刑判決の後、永山をして「生きたいと思わせておいて、殺すのか・・」と言わせたその言葉だった。死刑を根源的に問う本であった。この後、同じ著者の『裁かれた命/死刑囚から届いた手紙』(講談社)を読む予定である。

2)『裁かれた命/死刑囚から届いた手紙』

 堀川惠子著『裁かれた命/死刑囚から届いた手紙』(講談社)を読んだ。1966年、東京で起こった主婦殺人事件。22歳の犯人長谷川武は半年後に死刑判決を受け、5年後に死刑が執行された。その長谷川死刑囚が、独房から送った手紙が遺されていた。捜査検事だった土本武司検事への手紙、2審からの小林健治弁護士に宛てた手紙を中心に、事件の経緯、長谷川武の足跡、家庭的背景、母子関係等、著者の追跡が始まる。裁かれる者と裁く者との関係、人を裁くこととは何かを問うた胸を打つノンフィクションだった。私は今、1950年代の靖国神社遺児参拝を調べているが、当時「国家の嘘を見破った少女」を探しているが(残念ながら彼女はすでに亡くなっていた)、著者の真摯で執拗な追究の姿勢を読んで感動し、少々困難な「挫折」に見舞われても簡単に追跡を諦めてはいけないなと思った。私も堀川さんを見習って、追跡を続けることにしたい。 


3)『永山則夫/封印された鑑定記録』

 堀川惠子著『永山則夫/封印された鑑定記録』(岩波書店)を読んだ。連続射殺事件の犯人、永山則夫には石川義博医師に彼がすべてを語り尽くした鑑定記録とその時の100時間の録音テープがあった。この本はその長大な記録を分析し、永山則夫が犯罪へと向かう心の軌跡(少年の心の闇、あるいは「家族」という普遍的な問題)、これまで「貧困が生み出した悲劇」とされてきた事件の隠された真実を明らかにする。読み終わるまで、永山則夫の痛切な「家族」の愛への渇望、それがすべて奪われてきたことからくる憎悪感の昂進、殺人にいたる「心の闇」を痛切に感じさせられた。著者の「あとがき」に「多くの犠牲に上のやっと光が当てられた事実が、今なお苦しみを抱える親や子どもたち、彼らを見守り支える人とたち、そして罪を犯すまでに到ってしまった少年たちに向き合うすべての人々に役立てられることを祈ります。」とある。著者の前著『死刑の基準/「永山裁判」が遺したもの』(日本評論社)とともにおすすめの本です。著者には他に別の事件に取材した『裁かれた命/死刑囚から届いた手紙』(講談社)がある。いずれも胸を打たれる本だ。 

なお、「永山則夫 100時間の告白~封印された精神鑑定の真実~」は以下のdailymotion.comで見ることができる。

4)『教誨師』



 堀川惠子著『教誨師』(講談社)を読んだ。「死刑」そのものを問うた堀川さんの近刊本だ。著者のこれまでの著書『死刑の基準/「永山裁判」が遺したもの』(日本評論社)、『裁かれた命/ 死刑囚から届いた手紙』(講談社)、『永山則夫/封印された鑑定記録』(岩波書店)は力作だったが、今回の本もすごい力作だと思った。浄土真宗の僧侶で半世紀にわたってて東京拘置所で死刑囚と向き合ってきた教誨師・渡邊普相は(公開されないことを前提にした)「教誨日誌」をつけていた。その晩年、著者はその日誌をもとにした渡邊への「聞き取り」を実現した。その公開は渡邊が「死んでから形にしてくれ」との約束だった。著者は、その言葉を守り、死後に本にされた。渡邊は少年時代に広島で被爆していた。「彼が見つめた『死』はいずれも、自然の摂理がもたらしたものではなかった。若き日に広島で見たのは、戦争という人間の愚かさが作り出した無用の『死』であり、東京で見たのは、人間が法律という道具で作り出した罰としての『死』であった。」(「終章」)間近に処刑される運命を背負った死刑囚と対話を重ね、最後は死刑執行の現場にも立ち会う教誨師として、過酷なその仕事を戦後半世紀にわたって続け、死刑制度が持つ矛盾を一身に背負いながら生き切った僧侶の懊悩とはなんだったか。そして、「死刑」とは一体何なのかを問う、大変深みのある本だった。 

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